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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第13回講義

2025年03月06日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第13回講義
第13回講義(明治18年6月5日)
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第二款 公訴の抹殺
(緒言)
公訴の抹殺とは、犯罪は成立していても、裁判権を奪却して公訴を許さないことをいいます。
大別すると二種あり、一つは治外法権、もう一つは不問令です。以下、二つの節に分け、第一節では治外法権について説明し(今回)、第二節では不問令について論じます(次回)。
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第一節 治外法権
今回取り上げる治外法権は、万国で一般的に認められている、欧米諸国で一般的に行われている普通の治外法権です。現在、東洋諸国で行われている不正不当な治外法権についてではありません。
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(治外法権の種類)
治外法権には二つの種類があります。
第一に外交官の犯罪、第二に内海や港内で起きた犯罪及び軍旗の下にある外国兵士の犯罪です。
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(治外法権の根拠)
治外法権がどの範囲まで及ぶかについては、各国で違いがありますが、治外法権それ自体は全ての国で認められています。
公訴は、刑罰を科すことを目的としており、刑罰は、一国の安寧(平和)を守るために設けられているものです。よって、犯罪を犯した者には公訴を行う必要があります。
たとえ外国人であっても他国に滞在している間は、その国の法律の保護を受けます。保護を受ける以上、その国の法律を遵守する義務も当然に生じます。一方で利益(保護)を受けるならば、もう一方では羈束(義務)を負うというのが自然の道理です。
そうであるならば、法律上外国人と自国民を区別する必要はありません。「外国人だから法律を守らせる必要はない」とするならば、その国の安寧と秩序を維持することができなくなってしまうでしょう。安寧と秩序を維持することができなくなれば、その国は滅亡するでしょう。
そうならないためには、外国人であってもその国の法律を守らせなければなりません。これが、法律は土地(領域)を支配するという原則です。

この原則は自然の道理に基づくものなので、万国すべてがこれを認めています。古代ローマの時代から世に行われており、欧米の各国もすべて、自国の安寧を守るための法律を外国人にも適用してきました。
これは今日に始まったことではなく、遠い昔から行われてきたことです。
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(治外法権を論じる理由)
犯罪を罰するには、犯罪が起きた場所で行うことが必要があり、かつ正当です。なぜなら、犯罪が行われれば、多かれ少なかれその地の安寧や秩序が害されるものだからです。その土地で安寧や秩序が損なわれた以上、それを回復する権利はその土地に属します。

犯人が犯罪地を離れ、遠く数千里も離れた場所にいるような場合、その場所で罰する必要はありません。例えば、アフリカのある孤島で罪を犯した者が日本に逃れてきたとしても、日本はその犯罪によって何ら被害を受けておらず、その人物を罰する必要がありません犯罪地であるアフリカの孤島こそが、犯罪を罰する必要性を持ち、またその罰が正当であるとされるべき場所なのです。

以上の理由からは、今日、欧米諸国が東洋諸国に対して治外法権を持つことは、極めて正理に反するものであると言わざるを得ません。
しかし、さまざまな事情から、この不当な治外法権を受け入れざるを得なくなったことは、我が国をはじめとする東洋諸国にとって、深く嘆息せざるを得ない事態です。
この不正で不当な治外法権は、いずれその廃止の日が訪れるでしょう。私はそう信じています。
不正で不当な治外法権については、このくらいとし、一般的な治外法権について説明を進めます。
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(外交官の不可侵)
まず、外交官の不可侵についてです。
外交官の不可侵(アンビオラビリティ)とは、外交官が他国に駐在している場合でも、自国の法律の保護を受け、駐在国の法律の保護を受けないことを指します。
まるで自国にいるかのように、他国に滞在している間もその国の裁判を受けず、またその国に対して租税を納めないのです。

欧米の学者の間では治外法権それ自体を認めることは一致していますが、「不可侵」の権限がどの範囲に及ぶかについては議論があります。
これは万国公法(国際法)の問題です。万国公法は慣例と道理に基づくものであって、強制力を持ちません。そのため、この「不可侵」のような問題においても、具体的な範囲がいまだ確定していない部分があるのです。

外交官に対して治外法権という特例を設けるのは、各国の相互利益に基づくものです。
使臣を外国に派遣する際に、独立した立場に置かなければ、その使命を全うすることができません。
使臣の役割は、他国に駐在し、自国の主権を代表して、両国間の交際に関する諸般の応接と談判を行うものです。時には駐在国政府の意に反して、自国の意見を主張しなければならない場合もあります。
したがって、使臣を保護し、独立を維持させなければ、その使命を果たさせません。使節が駐在国の干渉や制約を受けるようなことがあれば、自国の主権を代理することは到底できません。
このような理由から、各国は互いにその使臣に治外法権を認めるに至ったのです。
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(外交官の不可侵の及ぶ範囲)
外交官の治外法権がどこまで及ぶのか、その範囲については議論があります。フランスで説かれている三つの説を簡単に説明します。

第一説は「外交官はすべて駐在国の裁判権から免除され、自国の君主と同等の待遇を受けなければならない」とするものです。
この説では、外交官がどのような行為をしたとしても、駐在国の政府はその行為に干渉せず、ただ傍観するほかありません。行為を黙認することができない場合に、最終的に取れる対応は、その外交官を国外に退去させるだけです。
しかし、この説は極端すぎます。
この説では外交官が駐在国の内部で徒党を組み、国の秩序を乱そうとしたとしても、その本国に対して処分を求めることになってしまいます。このような行為であっても放置すべきだというのは、極端としか言いようがありません。

第二説は「外交官は治外法権に属する。しかし、駐在国に対する内乱の陰謀に加担したり、兵器を扱ってその国の安寧を害する場合には、治外法権の範囲外である」というものです。
これは第一説に例外を加えたものといえます。駐在国に対する内乱の陰謀やその国に対する兵器の使用といった行為については、外交官の特権を放棄したとみなし、その者を外交官として扱わず、外寇(外部からの侵略)とみるべきだとする考えです。
外交官が駐在国に対して罪を犯した場合には、その国は正当防衛権を行使して国の安寧を守ることができる、ともいえます。

第三説は、前の二つの説とは趣旨を異にします。国家に対する犯罪だけでなく、殺人、放火、強姦等にかかる現行犯の場合には、治外法権として扱わないとする説です。こうした場合には外交官としての資格を失ったものとみなし、通常の外国人と同じように扱うべきだという考え方です。

私は第三説が最も正当であると信じています。たとえ外交官であっても、人を殺し、あるいは強姦というような暴行を行う場合には、それは国家の安寧を損なうものであり、ただちに逮捕して処罰するのは当然です。
しかし、この説にも弱点があります。処罰をどこまで及ぼすべきか、その範囲を定めるのが極めて難しいからです。
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(外交官の治外法権の及ぶ人的範囲)
外交官とは特派全権大使、全権大使、全権公使、弁理公使など、国の政府を代表するすべての使節を総称したものです。これらの者はすべて治外法権に属し、特別な待遇を受けるべきです。

公使館附書記官や外交官の家族、その使用人や従者も治外法権の特例の対象とすべきです。その理由は、たとえ外交官に特例があったとしても、その付属者に特例の適用がなければ、外交官自身が独立性を保つことができなくなるからです。
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(外交官の使用人について)
以上が、使用人に至るまで治外法権の特例を及ぼすべき理由ですが、使用人が内国人(国内の人間)であるか外国人であるかによって、区別する必要があります。

使用人が内国人(国内の人間)である場合には、その国の裁判権が及ぶべきであることは当然です。外国の公使に雇われているという理由だけで治外法権が与えられる道理はないからです。もっとも、内国人の使用人を処分する場合には、必ず公使の同意を得る必要があります。これは一般的な慣例です。

使用人が外国人である場合には、その国の裁判権を適用しないのが慣例です。
もっとも、外国人であってもその国の裁判権を適用すべきだとする見解もあります。この説では、使用人が殺人、放火、強姦などの重大な罪を犯した場合、公使はこれを黙認することはできず、処分を受けさせるために、その使用人を本国に送還する手続きを行わなければならなくなりますが、使用人を本国へ送還するには費用がかかり、逃亡などの懸念もあるため、むしろ駐在国の裁判所に処理を委ねるほうがよいとも説かれています。
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(領事について)
領事は公使と同じように扱うべきでしょうか。この問題に関してはさまざまな議論があり、いまだ結論は定まっていません。

著名なファースターンエリー氏は、「領事は外国に滞在する自国民やその商業活動を保護する役割を持つ者であり、公使のように自国を代表する者とは大きく異なる。したがって、裁判における扱いも異なるべきである。たとえば、軽罪を犯した場合に直ちに逮捕や未決勾留を行うべきではないが、重罪を犯した場合には、一般の人々と同様に処分すべきだ」と説いています。

「領事は重大な犯罪を犯した場合を除いて、すべて公使と同等の待遇を受けるべきである」との説もあります。この説は、1814年にフランス外務省が「領事は重大な犯罪を除き、公使と同等の待遇を受けるべきである」と通達したことを根拠としています。

外国公使に関する事項については、日本にも規程があります。明治7年9月の第128号公達第1条には「外国公使は我が国憲に拘束されるべきではないのが原則であり、この原則を拡張し、公使の家族および公使館職員、その家族、さらには車馬に至るまで同様と考えられるべきである」と規定されています。
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(内海および港内における犯罪〜内海の意味)
以上、外交官の不可侵について述べました。次いで、内海および港内における犯罪について説明を進めます。

内海とは、陸地と同じく領土の一部を構成するものであり、これには二つの種類があります。

一つは、陸地から弾丸が届く最遠距離に至る海岸線であり、もう一つは通常の内海です。この二種類の内海はいずれも国家の所有権が及ぶ範囲とされます。内海および港内は、十分に取締りを行うことが可能であり、必要に応じてこれを閉鎖したり、砲台を築いたり、軍艦を配置して守ることができます。

しかしながら、これを領土とするためには、取締りできる実力を有することを要します。万国公法では「封鎖がもし実力を伴わないときは、効力を持たない」といわれており、実力が必要であることを指摘しています。

かつてあるロシア人が、「横浜港には十分にこれを取り締まるための兵備、すなわち実力が備わっていない。したがって、この港は日本の領土外と言うべきである」といったということです。この発言の妥当性については、ここでは論じませんが、このことからも、取り締まりの実力が必要であることを知るべきです。

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(大洋の中で犯罪が発生した場合)
大洋の中で犯罪が発生した場合は、すべて船舶の所属国の法律によってこれを処理するのが原則です。例えば、フランスの便船に乗り、大平洋を航行中に、船内で犯罪を犯した者がいた場合、その者はフランスの法律に基づいて処罰されることになります。
もっとも、船内での犯罪に関しては、各国がほぼ例外なく別個の法律によってその処罰方法を定めているようです。
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(内海での犯罪が発生した場合)
内海で犯罪が発生した場合はどうなるのでしょうか。フランスの法律では、フランス港内に停泊している外国商船内で起きた犯罪を処理する際、次のように処理されます。

犯罪が港内の安寧を害さない限り、その処理は船内の規律に委ねられ、フランスの法律を適用しません。例えば、マルセイユ港内に停泊しているイギリス船の中で暴行等の犯罪が起きた場合でも、フランスの司法官はこれに干渉することはありません。船内においては船長が司法権を有していますし、その港にイギリス領事がいれば、その領事がこれらの問題の処理を行うことになっているからです。

しかしながら、重大な犯罪であり、かつ港内の安寧を害する場合は、フランスの法律が適用されます。
もっとも、その裁判権がどこまで及ぶべきかについては明確な規定がなく、港内の安寧を害する程度の大小によってどちらの国の法律を適用するかが判断されます。
要するに、港内での犯罪は基本的にその国の法律によって処理されるべきですが、些細な事件については干渉しない、ということです。
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(軍艦の犯罪)
軍艦は商船とは異なり、その所属国の法律の適用を受けるものであって、外国の法律を適用すべきものではありまそん。軍艦というものは、その本国の国権の一部であり、艦内には官署が備えられています。
軍艦にその停泊地の法律を適用すべきとすれば、他国の主権を支配するという結果を生じてしまいます。これは国家間の主権の原則に反します。
このように、軍艦は完全に治外法権の対象とされていますが、しかし、軍艦による暴力的な行為があった場合には、処分をしないわけにはいきません。
検疫規則を破って航行した場合がその例としてあげられるでしょう。その外にも、軍艦が敵対的な行動を取る場合には、こちらもそれに対抗すべきことは当然のこととされています。
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(軍艦の乗組員の犯罪)
軍艦内で外国人が罪を犯した場合、軍艦の所属国の法律が適用されて処分が行われます。これが軍艦と商船との大きな違いです。
もっとも、その乗組員が上陸してから罪を犯した場合には、その土地の法律によって処罰されるべきであることは言うまでもありません。
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(外国軍旗の下にある兵士の犯罪)
外国軍旗の下にある兵士の犯罪については、軍艦が治外法権を有する理由とほぼ同じですので、繰り返しません。
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(終わりに)
以上で治外法権についての説明を終えます。
次回は「不問令」について説明を行います。

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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第12回講義

2025年02月06日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第12回講義
第12回講義(明治18年6月3日)

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第二節 允許(許可)を要する場合

(法的根拠)
検察官が公訴を提起するのに允許(許可)を必要とする場合があります。
治罪法には明文はなく、次のものを根拠としています。

①改定律例第11条
「勅奏官や華族が罪を犯した場合、その事由を天皇に奏聞し旨を請うてから推問(取調べ)する。但し、緊急の場合で即時に推問を行わざるを得ないときは、推問した後で奏請する」

②明治15年3月27日付の司法省丙第11号の達
「今般太政官から別紙の御達しがあったため、この旨通知する。」
〈別紙〉
「勅任官が禁錮刑に該当する罪を犯した場合、または奏任官、華族、帯勲有位の者が禁錮以上の刑に該当する罪を犯した場合、検察官は司法卿に具状(報告)し、司法卿はその事由を天皇に奏聞して処分を行うこと。但し、現行犯については処分を行った後に奏聞することができる。以上のとおり達する」

③明治11年12月13日第173号の公達
「勲章等を持つ者が重罪・軽罪、または違警罪に関わる場合の取り扱いにつき、司法卿から申稟があった。
勲三等以上は勅任官に準じ、勲六等以上は奏任官に準じ、勲七等以下は判任に準ずるべきと指令する。この旨を心得るよう達する」

④明治16年5月14日付の司法省丙第2号達
「勅任官、華族及び帯勲有位者の犯罪の取り扱いについて、別紙のとおり太政官に伺ったところ、朱書のとおり御指令があったので、この旨を心得るよう通知する。ただし、御指令文中に『15年3月22日云々』とあるのは、当省丙第11号の達と理解すること」
〈別紙〉
「勅任官が禁錮刑に該当する罪を犯した場合及び奏任官、華族、帯勲有位の者が禁錮以上の刑に相当する犯罪を犯した場合の取り扱いについては、明治15年3月22日付けの御達しがあったところである。
罰金刑であっても、本人が出廷とする場合もある。拘留刑の場合や罰金や科料を完納しない場合には換刑として軽禁錮または拘留に変更することもある。そのため、本人を出廷させる場合や、換刑として軽禁錮または拘留に変更する場合には、やはりその都度奏聞すべきであると心得てよいか、以上について伺います」
上記の伺いに対する御指令は次のとおり。
「伺いのとおり。ただし、明治15年3月22日付で省内に達した指示にある『帯勲有位者』とは、勲六等以上、従六位以上を指すと心得よ」

以上により、勅任官、奏任官、華族、帯勲有位者が重罪または禁錮に該当する罪を犯した場合は、奏聞(天皇への報告)を行わない限り、公訴を起こすことはできません。
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(許可の要不要)
これを細別しますと以下のとおりです。

①帯勲有位の者であっても、勲七等以下、正七位以下の者は、直ちに起訴することができます。

②罰金に相当する軽罪または違警罪については、直ちに起訴することができます。

③華族の家族については、華族の戸主と同じ扱いをしなければならないため、直ちに処分してはなりません。華族条例の中で「華の詳細)族の家族はその戸主と同じ待遇を受ける」と規定されているからです。

④勅奏官、華族などの犯罪であっても、現行犯または準現行犯に該当する場合は、処分した後で奏聞(天皇への報告)することができます。もっとも、これは奏聞する余裕がないときのためですので、奏聞する余裕がある場合は、司法警察官は検事に報告し、検察官は直ちにこれを奏聞をして裁可を待たなければなりません。

⑤勅奏官、華族などの犯罪を直ちに処分することができないのは、その地位を重んじる趣旨ですので、証人に召喚することや鑑定人を命じること、その他証拠の収集、共犯者の逮捕などについては妨げられません。しかし、本人の逮捕、家宅捜索、召喚などについては、奏聞裁可を得た後でなければ行うことはできません。

⑥陸海軍人の犯罪については、陸軍治罪法および海軍治罪法に規定されているため、それに従うべきです。しかし、軍人や軍属の犯罪が通常の裁判所の管轄に属する場合には、なおこの特例に従うべきです。たとえば、非職軍人(現役でない軍人)であって、従六位以上または勲六等以上の者については、この特例に従うべきです。

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(司法省達は法律と呼べるか)
以上、改定律令及び司法省達に基づき説明致しました。ところで、司法省達は法律と呼べるでしょうか。

法律とは、一般に布告されるべきものであり、布告がなければ法律として一般の国民に遵守させることはできません。もっとも、官庁の規則に関するものは布告しないのが我が国の慣例です。

「達」は、官吏の事務処理方法を規定したものであって、官庁内の一規則にすぎないので布告を行っていません。
しかし、一度「達」が発せられた以上、位階や勲位を有する者はこの「達」に基づいて自己の権利を主張し、官庁もこれを拒むことができません。したがって、実際の運用においては、この「達」は法律と同じ効力を持つといっても過言ではないのです。
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(フランスの例)
フランスの制度について説明します。

フランスでは、上級官庁の許可を経なければ公訴を提起できない場合が二種類あります。一つは行政官を保護するためのもの、もう一つは政務官を保護するものです。

行政官を保護するものとしては、職務に関連して官吏が犯した重罪や軽罪について、参事院(行政裁判所)の許可を経なければ公訴を提起することが許されない、というものです。

この規定は、官吏を保護し、その独立を維持するために設けられました。官吏に犯罪の嫌疑がある場合、司法官がこれを取調べるとすれば、行政官はその独立を維持できなくなり、結果として行政運営に支障をきたす恐れがあるからです。

さらに深刻な場合には、行政官が常に司法官による抑制を受けることとなり、行政が停滞するという弊害が生じかねません。そのため、参事院の許可を経なければ、官吏の職務上の犯罪の取調べをすることができないと定めたのです。

フランスではかなり以前からこの特例が行われていましたが、1870年9月13日には廃止されています。国民の権利を重視するという趣旨からです。官吏の職務上の犯罪があった場合に上級官庁の許可を必要とすると、国民は官吏の犯罪を容易に告訴できなくなり、結果として国民の権利が損なわれます。このような主張が高まり、この特例は廃止されています。

次に政務官について述べます。
どの国でも政務官を保護する制度が存在します。フランスでは、政務官とは大統領、各大臣、上下両院の議員を指し、重罪や軽罪を犯した場合、司法官が直ちに訴訟を起こすことはできません。

政務官の犯罪については、通常の裁判手続きは適用されず、通常裁判所は管轄を有しません。1875年7月16日公布の法律では、大統領に犯罪があった場合、下院が公訴を起こすべきか否かを決定し、その後、上院がその犯罪を審理します。下院は公訴提起の審査を行い、上院は裁判を行うという仕組みです。

大臣の犯罪については、職務に関連するか否かを区別し、職務に関するものは在職中か否かに関係なく、下院が公訴を起こすべきかを判断し、公訴された場合は上院がその裁判を行います。職務外の犯罪ものである場合は、一般人と同様に、司法官に対して直ちに訴えることができます。

上下両院の議員の犯罪については、会期中に重罪または軽罪を犯した場合、所属する院の許可がなければ訴えることはできません。閉会後であれば、直ちに訴えることができます。

このような特例を設けて政務官を保護する理由は、政務官の独立を維持し、職務を全うできるようにするためです。したがって、フランスにおいてこの特例が設けられたのは、政務官個人を重視したのではなく、その職務を重んじた結果といえます。
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(日本において特例が設けられた趣旨)
我が国で勅奏官、華族、帯勲有位者を公訴する際に奏聞(天皇への報告と許可)を必要とする理由は、フランスと同じではありません。
華族や帯勲有位者は、職務に就いていないこともありますので、職務の重要性というよりは、爵位を尊重したものと考えざるを得ないからです。

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(歴史上の例)
このような特例は古今東西、どの国でも存在しています。
古代ローマでは、官吏の犯罪に関して特別な裁判所を設置したり、国王の許可を必要とする制度がありました。
また、清国でも、官吏の犯罪に対して奏聞を必要とする場合があります。
総じて、この制度はどの国であっても必ず設けられているものであり、我が国の例もその一つです。

このような特別な制度が各国に存在しているのを見ると、その必要性も自然と理解できるでしょう。

我が国において爵位を持つ人を重んじることは理由があります。なぜなら、位階の秩序を重んじることは、国家の安寧と秩序を保つために必要だからです。

公訴提起につき事前に允許(許可)を必要とする場合についての説明は以上です。

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第三節 予判を要する場合
(はじめに)
検察官が公訴を提起するにあたり予判が必要とする制度は、まだ我が国の法律で規定されていませんが、いずれはこの制度が設けられるでしょう。それゆえ、ここで予判について一言述べておきます。
━━
(予判を必要とする場合)
予判が必要な場合とは、たとえば会計官吏の犯罪や森林に関する犯罪などです。

会計官吏の犯罪については、会計検査院が調査する権限を持つことが適切であると考えられます。なぜなら、会計官吏が職務上犯罪行為を行った場合、会計検査院の調査を経なければ、計算上不正があるかどうかを知ることができないからです。
しかし、司法官のみの判断では、誤りがないことを担保することができません。したがって、事前に会計検査院の調査を経ることが必要です。

また、森林の盗伐事件について、森林の所有権に争いが生じた場合は、あらかじめ民事裁判所の判決によって、その所有権が誰に属するのかを確定させる必要があります。
フランスでは、不動産の所有権に関係する事件については、民事裁判所の判決を待たなければ刑事事件として判断することができない制度になっています。これは、非常に妥当な制度です。

これらの例では、予判が望ましいのですが、我が国の現行治罪法では、この制度がいまだ採用されていないので、予判を経ずに裁判することができます。
とはいえ、道理上は、民事裁判所の判決を待ってから裁判を行う方が穏当と考えます。

以上、予判について説明しました。
━━
(結語)
これまでに、公訴権が停止される場合、すなわち告訴が必要な場合、あらかじめ允許(許可) が必要な場合、予判が必要な場合について説明をしてきました。

次回からは、公訴権の抹消について説明します。
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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第11回講義

2025年01月06日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第11回講義
第11回講義(明治18年5月29日)

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前回に引き続いて、告訴が必要な事件について説明していきます。

第二 幼者を略取・誘拐する罪

幼者の略取・誘拐罪は、脅迫罪と同様、被害者側からの告訴がなければ公訴を提起することができません。
略取・誘拐罪は、刑法第341条以下に規定されています。「略取」とは、有形力を使って幼者を連れ去ること、「誘拐」とは、欺罔の手段によって幼者を連れ去ることをいいます。「幼者」には、12歳以下の者と12歳以上20歳以下の者とが区別されており、また、男女も区別されています。
━━
(略取誘拐罪の性質)
幼者の略取・誘拐罪に告訴が必要な理由について検討するには、この犯罪の性質をみる必要があります。
略取や誘拐の被害者は女子が多く、男子は非常に稀です。もっとも、刑法には、単に「幼者」とだけ規定されていて、男女の別は明記されていないため、被害者が男子でも略取誘拐罪となります。
同罪の目的は、幼者を保護することにあります。幼者はまだ知識も体力も十分には備わっておらず、心身ともに未熟であるため、特に法律の保護が必要な存在とされています。世の中には悪漢や凶悪な者が多く、どのような不幸な事態に遭遇するかも予測できません。そのため、法律は幼者を保護する必要があるとしたのです。

また、幼者には必ず監督者がいます。略取や誘拐する者はの他人の監督権をも侵害することになります。
たとえば、幼い子どもが通学中に略取されたり、だまされて連れ去られたとします。この行為は、監督者である父母の権利を侵害するものです。したがって、略取・誘拐を罰する目的は、第一に幼者を保護すること、第二に幼者を監督する父母やその親族などの権利を侵害する者を罰することにあります。
━━
(略取誘拐罪が告訴を必要とする理由)
このような略取誘拐罪の性質からすると、この犯罪は他人の身体と権利を侵害するものであり、これを罰するのは国家の安全を守るためといえるでしょう。そうであれば、個人の意向によって訴えが左右されてしまうのは問題だとも思えます。被害者やその親族からの告訴があって初めて公訴を提起できると定めているのは、不思議に思われるのではないでしょうか。

略取誘拐の被害に遭うのはほとんどが女性であり、男性がその対象になることは極めて稀です。
女性に対する略取や誘拐は、多くの場合、淫事に関わることが多いので、被害者や親族の告訴を待たずに検察官が直ちに公訴を起こすと、その淫事が世間に公開され、結果として被害者の名誉を損なうおそれがあります。そこで、立法者は、被害者または親族の告訴を待つべきものとしたのです。
━━
(他国の立法例)
ドイツ刑法においても、略取誘拐の罪については被害者または親族の告訴を必要とするものとされていますが、被害者が女性の場合に限られており、男性の場合は告訴は不要です。
フランス刑法では、略取誘拐を受けた女性がその略取者と婚姻した場合、その婚姻を取り消さない限り、略取の罪を訴えることはできないと規定しています。
ローマ法では、略取誘拐をもって強姦の罪があるとみなしています。

このように、略取誘拐は多くの場合女性に関わるものであり、その女性を保護する精神から刑法に制裁を設けているものが多いのです。

日本の刑法も同じ考えです。もっとも、刑法の条文には「幼者」とのみ記され、性別の区別はしていないので、日本では、被害者が男性であれ女性であれ告訴を要することになります。

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第三章 猥褻および姦淫の罪
(猥褻および姦淫の罪が告訴を必要とする理由)
猥褻および姦淫の罪は被害者の名誉を傷つけるため、犯罪にあったことを隠して公に訴えようとしないことが多いのです。検察官が摘発できるとすると、人を保護するための法律がかえって人の名誉を損なうおそれがあります。そのため、被害者の告訴を待つべきものと規定されたのです。
━━
(すべての姦罪に告訴を要することは妥当か)
本邦の刑法ではすべての姦罪に告訴を要するのですが、問題もあります。
たとえば、強姦罪は、名誉を損なうというよりは、身体に対する犯罪と考えるべきです。それにもかかわらず、告訴がなければ罪に問えないとするならば、警察官の目の前で強姦罪を目撃しても不問に付さざるを得ないことになってしまいます。このようなことでは、女性が安心して暮らせないでしょう。強姦罪には告訴は不要ではないでしょうか。
すべての姦罪に告訴を要すると規定しているのは、現実に適していないように私は考えます。
━━
(強盗強姦罪に告訴は必要か)
刑法第381条には「強盗、婦女を強姦したる者は、無期徒刑に処す」と規定していますが、告訴がなくても、検察官は強姦罪を起訴することができるでしょうか。
私がかつて検事をしておりましたときに、このようなケースに少なからず遭遇しました。

一般的にいって、法律で例外事項を規定する場合は、例外事項は明記しているものに限り、例外を拡大適用しないのが原則です。
刑法第381条には、第350条を適用すべきとは規定されておらず、明文がない以上、第381条の場合に第350条を適用することはできない、つまり、告訴がなくてもその罪を問うことができると考えるべきです。
強姦は社会の風紀を乱し、秩序を乱すものであり、重刑に処すべきです。脅迫して財物を奪い、それでもなお満足せずに欲望をむき出しにするという大悪を犯しているのですから、これを不問に付すとすれば、かなりの弊害を生みます。
このように、条文と道理の両面からから、強盗強姦罪に、告訴は不要と考えるべきです。

しかし、単に強盗罪のみを取り調べ、強姦罪についてはまったく取り調べを行わずに裁判所へ送致しているのが現状です。この点については、諸君に大いに注意を促したいと思うところです。

━━
(強姦致死傷罪について)
強姦致死傷罪についても同様の問題があります。
刑法第351条には、「前数条に記載された罪を犯し、よって人を死傷に致したる者は、殴打創傷の各本条に照らし、重きに従って処断す」とあり、その但書には「強姦によって廃篤疾に致したる者は有期徒刑に処し、死に致したる者は無期徒刑に処す」と規定されています。

強姦罪のみであれば告訴が必要ですが、もしその行為によって人を死傷させたときには、告訴は不要です。道理上もそのように考えられますし、第351条の「前数条に記載された罪を犯し、よって人を死傷に致したる」という規定が、第350条よりも後に規定されていることからも明らかです。このように考えなければ、強姦によって死亡させた場合でも第351条により殴打や創傷(傷害)に規定されている重懲役刑の刑が上限ということになってしまいます。
第351条但書には「死に致したる者は無期徒刑に処す」と規定しており、同じ罪に対して、告訴がない場合には重懲役、告訴がある場合には無期徒刑というのは不均衡です。
強姦致死傷罪は一罪であり、分離すべきものではありません。刑法第351条を第350条の後に置いたのは、第351条の場合には告訴を必要としないことを明示するためです。

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(姦通罪での告訴の効力及びその趣旨)
次に、姦通罪についてです。
刑法第353条第2項但書には「本夫、先に姦通を従容したる者は、告訴の効なし」と規定されています。
世間には利を計る等の事情から、妻に他人と密かに関係を持たせるような夫が少なからず存在します。この場合、夫はすでに自らの権利を放棄していますから、姦罪での告訴を認めるべきではありません。この訴えを許すとすると、社会の風紀を乱し、弊害を招くでしょう。
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(姦通を従容した場合の効力)
ところで、「先に姦通を従容したる者は、告訴の効なし」と規定されているのは、従容した姦通に限られるのか、それとも妻が犯す姦罪全体に適用されるものなのかという問題があります。言い換えれば、一度姦通を従容した場合、他の姦夫に対する姦罪についても告訴の権利を失うべきか否かですが、同条は従容した特定の姦夫にのみ適用されるべきものであり、他の姦夫に関する事件には適用されるべきではないと考えるべきです。
同条を他の姦夫に対する事件にも適用すると、数年前に姦通を従容したという理由で、数年後の姦罪も訴えることができなくなってしまいます。このような結果は、夫の権利を著しく害することになりますので、同条が本来予定するものとは考えられません。

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(離婚した場合の告訴の権利の有無)
婚姻を解消した後に、夫婦であった時の姦罪を訴えることができるでしょうか。

このような問題が生じるのは、我が国の婚姻法が不完全であるからだと思われます。現行の婚姻法は非常に簡素で、町村の役所に入籍の届けを出すだけで婚姻が成立し、離婚も同様です。

離婚後の告訴が無効だとする論者は、「法律には『本夫』とあるが、すでに離婚した者はもはや本夫ではなく他人である。したがって、他人となった者には訴える権利はない」と主張しています。

しかし、私はこの考えには賛成できません。この論者の主張は、法文の解釈を誤っています。一度離婚したとしても、前夫や前妻であったという身分が消滅するわけではありません。甲男が乙女が私通し、その後乙女が丙男の妻となったとしましょう。この場合、丙が婚姻前の姦罪を訴えることができるかといえば、反対論者でさえこれを訴える権利はないと言わざるを得ないはずです。丙が訴える権利を持たないのは、姦通当時に夫婦関係がなかったためです。

これに対して、姦通を訴える場合は、告訴時点で本夫の身分を持っていないとしても、姦通が結婚していた時に行われたものであるならば、訴える権利を行使することに何の支障もありません。

姦罪は単に一個人に対する罪ではなく、社会の秩序や風紀を害する最も甚だしいものです。姦罪は社会の秩序や風紀を維持するために設けられているものであるため、結婚時に行われた姦罪は、告訴時点で本夫の身分ではないとしても、告訴可能と考えるべきです。
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第四 誹毀罪

この犯罪は一個人の名誉を害するものであるため、それを訴えるか否かは被害者の自由に任されます。検察官が被害者の意に反してこれを公訴すると、国民の権利を保護すべき法律がかえって害を与える結果を招くことになりかねません。したがって、被害者の告訴を待ってその罪を処罰するものと定めたのです。
このような扱いはヨーロッパでは一般的です。
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第五 牛馬等の家畜を殺す罪

この犯罪が告訴を必要とするのは、他に深い理由があるわけではなく、単に被害者がこれを訴えなければ社会に害がないものと見なされるにすぎません。被害者が告訴をした場合には、ある程度の公益に害があると推定するのです。

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第六 罵詈・嘲弄の罪
この犯罪が告訴を必要とする理由は、誹毀罪における理由と同じです。
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(刑法以外の法律における告訴)
刑法以外の他の法律でも、告訴を要するものがあります。新聞条令、商標条令、専売条令など等です。これらの犯罪は、概して公益を害するよりも、むしろ一個人の権利を害するものです。そのため、告訴がなければ、法律上被害者がいないものとみなされます。これが、告訴を待ってその罪を論じるべきものと定めた理由です。

以上で、告訴を待って受理すべき事件についての説明を終わります。次回からは、告訴以外の公訴の停止について説明します。
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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第十回講義

2024年12月07日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第十回講義
第十回講義(明治18年5月21日)

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第五章 検察官の公訴を提起が制約される場合
(はじめに)
これまで検察官は、公訴を執行することについては独立した権利があり、他からの牽制を受けないと説いていきました。
しかし、例外的に公訴提起が制約される場合があります。制約には、一時的なものと、無期限にわたるものとがあります。一時的な制約とは公訴の停止を意味し、無期限の制約とは公訴を抹殺又消滅させるものを指します。
◯公訴権が停止される場合
1. 被害者の告訴を待って罪を問うべき犯罪
2. 起訴を行う際にあらかじめ許可を要する犯罪
3. 予審を必要とする犯罪
◯公訴権を抹殺するもの
1. 外交官の犯罪
2. 国内の港内にある外国軍艦内での犯罪や、軍旗の下にある軍人の犯罪
3. 不問令
◯公訴権を消滅するもの
1. 被告人の死去
2. 確定判決
3. 期満免除(時効による免除)
4. 刑の廃止
5. 告訴を待って審理すべき犯罪における被害者の権利放棄または私的和解

以上を、第一款「公訴の停止」、第二款「公訴の抹殺」、第三款は「公訴の消滅」の三つに分けて説明します。
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第一款 公訴の停止
(はじめに)
公訴の停止は以下のようなものがあります。
①告訴が行われるまでの公訴停止
②許可が下りるまでの公訴停止
③予審が行われなければ公訴を提起できない場合
以下、順次説明します。

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第一節 告訴が必要な場合
(治罪法第3条の趣旨)
治罪法第3条は「公訴は被害者の告訴を待って起こすものではない。また、告訴や私訴の棄権によって公訴が消滅するものではない。ただし、法律がおいて特に定めた場合はこの限りではない」と規定しています。同条の趣旨は、公訴と私訴の性質はそれぞれ独立しており、主従関係がないことを示しています。したがって、公訴は私訴によって左右されず、私訴もまた公訴によって左右されるものではありません。

私訴は私人各個により行われるものですから、私訴を行うか否かは個人の自由に属します。公訴は国家のために行われるものですから、検察官が犯罪があると認めた場合には、必ず公訴を提起するべきです。

世の中の事柄は、千差万別でありまして、一つの原則だけを貫き通すということはできません。正則というものがあれば、変則というものが必要になる場合もあります。変則が設けられるのは、正則の主旨を貫徹するためであり、正則を廃止するものではありません。特別な場合には、むしろ変則が必要です。告訴を待ってその罪を論ずるものは、変則に属するといえます。
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(告訴が必要とされる犯罪)
どのような犯罪が告訴が必要とされるのでしょうか。
告訴が必要とされるものは相当数あり、親族間の平和や名誉を保護法益とする場合です。それゆえ、告訴を待ってその罪を問うものは、すべて個人に対するものに限られます。公共に関わる犯罪で告訴が必要というものはありません。
犯罪というものは、多少なりとも公益と私益の両方に関わり、両者を截然と区別するのは非常に困難ではありますが、細かく見ていけば、両者は自ずとその違いがあります。実際古代ローマやギリシャでは犯罪を公罪と私罪の二つに分けていました。

被害者の告訴を待って審理されるべき場合として刑法で規定されているものとして、次のものがあります。
第一 脅迫の罪(刑法第329条)
第二 略取誘拐の罪(刑法第344条)。
第三 姦罪(刑法第350条及び同第353条第2項)。
第四 誹毀(ひき)の罪(刑法第361条)
第五 牛馬以外の家畜を殺した罪(刑法第423条)。
第六 罵詈(ばり)の罪(刑法第426条第12項)

以上の六つの場合は、被害者またはその親族の告訴を待って罪を問うべきものとされています。その他、特別法においても親告罪があります(例:新聞条例)。
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(告訴できる「親族」)
刑法では、被害者または親族の告訴を待って罪を問うことがあると明文で規定されています。
被害者本人の告訴に関しては特に解説を要しないのですが、親族の告訴を待つという点については、説明が必要です。

告訴できる「親族」は、刑法第114条および第115条に列挙されている者と同義でしょうか。そうであれば、日常の生活を共にせず、利害関係が薄い親族も含まれることになってしまいますので、私は、刑法第114条および第115条に記載されている親族と同義ではなく、被害者に最も直接的な関係を持つ親族と解釈するべきと考えます。そう解さないと問題が生じます。

例えば、猥褻な犯罪によって恥辱を受けた処女がいるとしましょう。本人やその父母がその事実を隠し、告訴をしないのに、本人と関係が薄い他の親族がこれを告訴したとすれば、その告訴は本人および父母の意思に反します。そのことで、親族間の平和を傷つけますし、事実を公にしてしまえば、ますますその恥辱を広めることになり、結果的に本人の名誉をさらに損なうこととなってしまい、法の趣旨に反することになひます。したがって、「親族の告訴を待つ」とは、刑法第115条および第114条に定められた親族を指すのではなく、被害者と最も直接的な関係を持つ親族を指すものと解釈しなければなりません。
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(告訴権者の意見が一致しない場合)

被害者と親族の意見が一致せず、一方が「告訴すべきだ」と言い、他方が「告訴すべきではない」と主張する場合、どう考えるべきでしょうか。

この場合、被害者の状況に注意を払う必要があります。

被害者が幼少者であるか、または精神的に障害を持つ者であるか、いずれかに該当し、無能力者であるときは、その後見人である親族の意見に従わなければならないでしょう。なぜなら、後見人は被害者のために事を処理する者であるため、その意見に従わなければ、被害者に害を及ぼすと推測されるからです。

これに対して、被害者が無能力者でない場合には、被害者の意思に従うべきでしょう。法律が親族に告訴を許した趣旨は、被害者が告訴を行うことができない場合に、親族が代わりに告訴を行うようにするためです。したがって、被害者の意思に反する親族の告訴を認めることは、法の趣旨に反します。よって、被害者が無能力者でない限りは、被害者の意思に従うのが最も適切です。

また、父と母の意見が異なる場合、どちらに従うべきかという問題については、法律上、父母が共に存在している場合、父が後見の職務を執ることになっているので、父の意見に従うべきです。したがって、父の意見に反する母の訴えは裁判所が受理すべきではありません。そして、他の親族についても、以上の説明に基づいて同様に判断すべきです。
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(告訴を要する犯罪は限定されるべき)
すでに述べたように、検察官が公訴を行う際には、不羈独立が一般的な原則であり、これを妨げる場合は例外的です。例外はこれを拡大するべきではないというのは、古来から動かすことのできない原則です。したがって、上記の例外的な場合以外には、この原則に反することはできません。つまり、上記のいくつかの例外を除いては、検察官はどのような場合や事件でも自由に公訴を起こすことができます。
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(告訴に欠陥がある場合)
告訴を要しない事件については、たとえ告訴に欠陥があっても、そのために公訴が消滅することはありません。この場合は、告訴に欠陥があったとしても、検察官が最初から自ら起訴したものであれば、何の障害もないのです。

これに対して、告訴を待つべき事件の場合、もし告訴に欠陥があれば、当初から告訴がないことになり、公訴は無効となります。したがって、審理中に告訴が規則に反したものであることが判明した場合は、直ちにその公訴を廃棄しなければなりません。そのため、司法警察官が告訴を必要とする事件を処理する際には、この点に十分に注意を払い、告訴人が本当に告訴の権利を持っているかどうかを確認し、無効な公訴を生じさせないようにしなければなりません。

以上、告訴を必要とする事件について概説しました。以下では各罪について説明します。

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第一 脅迫罪

刑法第326条第1項には「人を殺すと脅迫し、または人の住居としている家屋に放火すると脅迫した者は……」とあり、その第2項には「殴打や傷害、その他の暴行を加えると脅迫し、または財産に放火し、毀壊劫掠しようと脅迫した者は……」と規定されています。また、第329条には「この節に記載された罪は、脅迫を受けた者またはその親族の告訴を待って、その罪を論ずる」とあります。

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(脅迫罪が告訴を要する理由)
脅迫罪について、なぜ告訴を必要とするのでしょうか。フランス治罪法(第305条以下を参照)によると、脅迫罪には、文書によるものと言辞によるものとの2種類があります。

文書による脅迫は、どのような場合であっても罰せられるべきですが、言辞による脅迫については、特定の要求があること、それを達成するために犯したものであることが満たすことで罰することができます。

例えば、「お前は金を私に渡せ。もしそれを拒むなら、私はお前の家に放火する」といった場合のように、何かを要求し、威圧しているものであれば、その罪を問うことはできますが、何も要求することなく、ただ「放火するぞ」「殺すぞ」と言い放つだけでは、それを罪に問うことはできないのです。

しかし、我が国の刑法第326条には、「人を殺すと脅迫し、または人の住居としている家屋に放火すると脅迫した者は……」とあるだけで、上記のような区別は一切示されていません。

したがって、ただ「殺すぞ」「放火するぞ」と言い放つだけでも、その罪が成立するかのように見えます。

しかしながら、本邦でも立法の精神はフランス法と同じであり、何か要求することがあって脅迫したものでなければ、これを罪としてみなさないと解釈するのが妥当です。

では、脅迫罪はなぜ告訴を必要とするのでしょうか。脅迫というものは、その加えられる力は無形のものであり、それを受ける害もまた無形です。つまり、威力によって他人を恐怖させるものです。そのため、受ける人の性質によって違いが出てくる可能性があります。たとえば、同じ行為によって脅迫を受けた場合でも、豪胆勇猛な者は全く気にしないでしょうが、小膽怯弱の者は恐怖してしまうでしょう。その恐怖の程度は他人にはわかりません。これが、脅迫罪に告訴を必要とする理由です。

一方で、何か要求することがあって脅迫を行った場合には、告訴を待たずに罪を問うべきです。なぜなら、人を脅迫して物事を要求する行為は、極めて悪質であり、強盗とほとんど変わらないからです(私見ではその手段の卑劣さは一層非難されるべきとみています)。
このように脅迫罪は、我が国の法律では告訴を待って初めてその罪を論じることとされています。
(第十回講義 終)
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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第九回講義

2024年11月02日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第九回講義
第九回講義(明治18年5月19日)
現代語訳(試訳)
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(はじめに)
本日は第二節「刑事裁判所に私訴をなすこと」を説明致しましょう。
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第二節「刑事裁判所に私訴をなすこと」

(無告不理の原則)
刑事裁判所で私訴を裁判するということは、被害者が民事の原告人となり、損害賠償を求める申し立てを行うことが必要です(これを私訴といいます)。民事の原告人が請求をしなければ、裁判所は判決を下すことはできません。これが「無告不理」(訴えがなければ裁かれない)の原則です。
しかし、我が国の旧律においては、被害者からの請求がなくても、刑事裁判所は職権で損害賠償を命じていました。被害者の訴えがなくても、刑事裁判所が職権で損害を償わせることは異例なことです。それゆえ、治罪法においては、必ず被害者の訴えを待ってから裁判を行うことになっています。
━━
(無告不理の原則の例外)
しかし、例外はあります。刑法第48条には「裁判費用や盗品、損害賠償については、被害者の請求に基づいて刑事裁判所がこれを審判することができる。ただし、盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくてもすぐにそれを被害者に還付する」とあります。また、治罪法第308条には「被告人が刑の宣告を受けたかどうかに関わらず、没収に関係しない差押物品については、所有者の請求がなくても還付を言渡す」とあります。これら二つの条文は「無告不理」の原則には反していますが、実務に則した適切なものです。盗品が存在しているにもかかわらず、被害者が訴えなければ処分できないとし、それを犯人に返してしまうことは、犯人に利益を与えてしまうことになるからです。犯人に不正な富を得させることは許されるべきではありません。したがって、所有者が請求しなくても、その物の還付の言渡しをするのは妥当です。
━━
(刑法と治罪法の規定の異同について)
ところで、刑法と治罪法では規定の仕方が異なります。刑法では、「もし盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくてもすぐに被害者に還付する」と漠然と記載されています。そのため、「犯人の手元にある」とは具体的にどのような場合を指すのかが曖昧です。裁判所が物品を押収しているかどうかにかかわらず、犯人から他者に渡った物も含むのか、それとも犯人の手元に残っていて裁判所が押収しているものに限られるのか、いずれとも決めがたいのです。
しかしながら、治罪法では「没収に係らない差押物品」と非常に明確に規定しています。同法によれば、犯人の手元にあってもる、差押さえられていない物品については、被害者の請求がなければ還付されないこととなります。
一方、刑法では「盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくても直ちに被害者に還付する」と規定されています。刑法と治罪法は矛盾しているようにも見えますが、そうとるべきではありません。刑法の不明瞭な規定を治罪法が明確にしているととらえるべきです。つまり、刑法の「盗品が犯人の手元にある場合」とは、官が差押さえた物品を指すと解釈すべきであり、差押えられていない物品は、被害者からの請求がなければ還付の言渡しができないと解すべきです。なぜなら、単に盗品が犯人の手元にあるというだけでは、その物品がまだ確定しているとはいえず、確定していない以上、裁判所が還付を言渡す理由がありません。
「差押え物品」とは、裁判所が押収した物品に限るものではなく、官吏が他に移すことを禁止した物品すべてを指すと解すべきです。被告人の手元に盗品があっても、差押えの処分がある場合には、裁判所は還付の言渡しができるのです。
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(刑事裁判所が刑の言渡しをしない場合の私訴の扱い)
民事の原告人が、刑事裁判所に私訴を提起し、損害賠償を求めるには、いくつかの要件があります。その第一の要件は、違警罪、軽罪、重罪に付随する損害でなければならないこと、つまり犯罪によって生じた損害に限られるということです。
被告人は、刑の判決が言渡されるまで、無罪かつ潔白な存在として見なされるべきであることは重要な原則です。裁判の宣告があって初めて罪の有無が判断されるのです。
被告人の中には全く犯罪に関与していない者もいますし、証拠不十分で無罪となる者もいます。時には公訴の消滅により免訴となる者もいます。
これらの場合には刑が言渡されませんから、刑事裁判所が私訴を受理した理由も消滅することになります。なぜなら、刑事裁判所で私訴を受理するのは刑が言渡されることを前提としているからです。
理論上は当該行為が犯罪とならない場合には、私訴を受理する権利も消滅し、私訴を棄却することになります。
しかし、実際の運用においては必ずしもそうとは限りません。フランス治罪法では、重罪と軽罪とでは扱いが異なります。軽罪及び違警罪は、被告人が無罪または免訴となった場合は、私訴は却下されます。しかし、重罪の場合は私訴の裁判の言渡しがあります。
フランスでは、重罪の審理には陪審官という者がいて、事実の判決を行うため、たとえ無罪の場合でも、私訴の審理を行うことには問題がないのです。
一方、我が国の治罪法はフランスとは異なります。公判において私訴を受理したときは、刑の言渡しがなくても、私訴の裁判を行うのです。同法第306条第1項に「裁判所においては、公訴の裁判と同時に私訴の裁判を言渡さなければならない」とあり、第2項には「私訴についての取調べが十分でない場合は、公訴の判決があった後に、その裁判の言渡しができる」と規定しています。
第401条第1項には「犯罪について証拠が十分でない場合は、無罪の判決を下し、被告人を釈放しなければならない」、第2項には、「原告と被告間の賠償については、第399条の規則に従って判決を言渡さなければならない」とあります。
第306条及び第401条は、公訴が無罪や免訴になった場合であっても、私訴を裁判することを命じています。理論的には、刑事裁判所でこのような私訴の裁判を行うのは、その権限を超えるものであるといわざるを得ません。被告人に犯罪が成立しな場合は、私訴は民事裁判所に提起すべきであり、刑事裁判所は私訴を棄却して、民事裁判所に移すべきです。
しかし、実際の便宜を考えますと、法の規定する扱いをすることは理由があります。
刑事裁判所で十分に取調べを行い、被害者の損害についても全て立証がなされているのに、訴えを却下すれば、被害者はもう一度最初から民事裁判所に訴え出なければなりません。
このようなことでは、原告人だけでなく、被告人の貴重な時間も無駄になります。このような無駄を省くために、立法者は前述のように規定したと考えられます。
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(無罪となったときに私訴を判断しても弊害はない)
「被告人が無罪になった場合に、刑事裁判所で私訴を裁判するのは問題がある。悪意を持った者が、刑事事件を口実にして、不当に民事訴訟を刑事裁判所に持ち込むといった弊害が生じないだろうか」という指摘について考えてみましょう。
確かにこの指摘は一理あります。しかし、重罪に関しては、必ず予審を経ます。予審判事が犯罪の成立を認めない場合は免訴の言渡しをし、公判に付しません。予審判事は民事の審判を行う権限がないので、私訴を受理できません。軽罪及び違警罪は、複雑な案件は予審を経ることとなりますし、軽易な軽罪や違警罪については、必ず検察官が起訴することになっていますので、民事の原告人が申立てをしたからといって、検察官がその事実を認めない限り、起訴することはありません。
このように予審判事と検察官がいることで、原告人の専横は防ぐことができます。
フランスでは、軽罪に関して被害者が公訴を提起できますので、前述のような弊害を防ぐことは難しいのですが、本邦においては、被害者は予審判事に申立てを行うことのみが許されており、直接公訴を提起することが許されていないので、前述の弊害を防ぐことができるのです。

(その他)
被害者が予審判事に対して民事原告人として申立てを行う手続きは、治罪法第93条以下および第110条以下の二節に定められています。手続きに関しては、民事原告人の起訴を論じる際に詳しく説明致しましょう。また、民事原告人となることで、様々な権利と義務が生じますが、これらも民事原告人の起訴を論じるときに説明致します。

(第四章第二節 了)
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第三節 民事裁判所に私訴をなすこと
(治罪法第4条第2項)
治罪法第4条第2項は「私訴は、別に民事裁判所にこれを行うことができる」と規定しています。私訴は刑事裁判所で行うこともできますし、公訴とは別に民事裁判に訴えることもできるのです。
民事裁判所において私訴を提起することができることとしたのは妥当です。
刑事裁判所で私訴を裁判することは便利ですが、それだけの理由で、民事裁判所に訴えることを禁止するのは妥当ではありません。市民同士の争いを扱う訴訟は、本来、民事裁判所で受け付けられるべきであり、刑事裁判所で私訴を審理することは例外なのです。便利であるからといって、本来の管轄権を奪うことは理論的ではありません。
このように、私訴は被害者の選択次第で、刑事裁判所にも、民事裁判所にも提起できます。
━━
(刑事裁判所に私訴を提起する方が便利)
日本では、原告人にとっては刑事裁判所に私訴を提起する方が便利です。印紙税(人々にとって最も嫌われているものです)を免れ、また勧解を経る必要がないからです。
一方、フランスの制度では、被害者は刑事裁判所に訴えず、民事裁判所に訴えることを希望する者が多いとようです。フランスの民事裁判所の構成は非常に充実しており、裁判官も適任者が選ばれているためです。裁判所所長は全ての民事事件を管理し、裁判官の人員も民事局の方が充実しています。初審裁判所の刑事局は5人ですが、民事局は7人です。控訴院も同様です。このため、フランスでは刑事裁判所を避けて民事裁判所に訴える者の方が多いのです。
━━
(治罪法第6条)
治罪法第6条は、私訴が民事裁判所と刑事裁判所双方に関わる場合の規定で、民事裁判所は、公訴の裁判よりも先に私訴の裁判を行うことはできません
同条は一見解釈が難しくないように思えますが、深く検討してみると理解が難しいところがあり、その背景や根本に立ち返ってよく考察する必要があります。
フランス法では、「刑事は民事を中止すべきものである」というのが原則です。この原則は、刑事と民事の訴訟が分離して提起された場合に適用されるべきものです。刑事裁判所において公訴と私訴双方が提起されている場合には適用されません。
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(治罪法第6条の趣旨)
なぜ民事と刑事が分離して提起された場合、民事裁判所は刑事の判決を待たなければならないのでしょうか。その理由は以下のとおりです。
第一に、刑事訴訟は民事訴訟とは異なり、その影響は単に財産上の問題にとどまらず、身体・生命にも影響を及ぼすものだからです。刑事事件を裁判するには、充分に証拠を見きわめなければなりません。刑事裁判を後にすると、民事裁判と刑事裁判の結果が抵触することもありえます。二様の判決が出ることは、国民の信頼を失わせます。このため、民事裁判は刑事裁判を待って判決をすると規定されているのです。
第二に、民事裁判を先に行うと、その結果が刑事裁判に影響を与える可能性が否定できないからです。この点については、裁判の確定を説明するときに詳しくお話ししましょう。
第三に、民事裁判を先に行うことで、その影響が被告人に不利益を与える可能性があるからです。刑事裁判官は知らず知らずのうちに民事裁判の判決を頼りにしてしまうことがないとはいえません。民事判決ではなく、証拠を重視すべきです。
以上三つの理由から、民事と刑事の訴訟が分離されて提起されたときは、刑事訴訟を先に行い、民事訴訟を後に行うと規定されているのです。
━━
(公訴が提起される前に私訴が起こされた場合の取扱い)
治罪法第6条を適用する際には、他にも注意すべき点があります。それを以下に説明しましょう。
第一に、公訴が提起される前に私訴が起こされた場合についてです。
公訴が提起されていないときに、私訴が提起された場合、手続きはどのように進めるべきでしょうか。
民事裁判所において、その事件が犯罪に起因するものであると認められたときには、治罪法第96条は「官吏がその職務を行うときに、重罪や軽罪があることを認知し、又は重罪や軽罪があると思料した場合には、速やかにその職務を行う地の検事に告発すべきである」と定めていたす。
民事裁判官がこの告発を行った場合、その民事審判は中止すべきかが問題となりえますが、中止する必要はないと考えます。治罪法第6条には「公訴と私訴が同時に提起された場合」とあり、告発を行っただけで、公訴が提起されていないのですから、民事裁判官が審理を中止する理由がありません。
検察官が告発を受理しても、公訴を提起するとは限りませんから、裁判官が何もせずただ手をこまねいて、検察官がどのようにするかを待つ必要はありません。裁判官と検察官は互いに抑制し合うものではなく、それぞれ独立した権利を持って公平な裁判を維持する者です。告発を行ったとしても、検察官が公訴を提起していない以上、民事裁判官は私訴を審理するのが当然です。
━━
(私訴審理中に公訴が提起された場合の取扱い)
第二 私訴審理中に公訴が提起された場合
私訴の審理中に公訴が提起されると、刑事と民事が並行して進行する状態となりますので、治罪法第6条により、民事訴訟は中止となります。刑事の判決を待ち、判決が出た後に民事裁判を再開すべきです。
━━
(民事裁判の中止は刑事の終局判決が出るまで)
民事裁判を中止して刑事裁判の判決を待つといいますが、どのような判決を待つべきなのでしょうか。条文ではこの点が明確ではありません。私は、刑事の終局裁判を待つべきではありますが、確定裁判まで待つ必要はないと考えています。
確定裁判と終局裁判は異なります。確定裁判は、最終の判決であり、上訴することができない判決です。一方、終局裁判とは、一旦その事件が落着したものです。予審の言渡しにおいても、終局のものとそうでないものがあります。
免訴は、それ以上の異議や上訴ができないものですので、終局裁判です。
これに対して、公判に移す旨の言い渡しは終局裁判ではありません。これからさらに審理し、取調べが必要だからです。
このように、予審における免訴は、終局の判決ですから、民事裁判を進めることができますが、予審から公判に移す場合は、終局の裁判ではないため、民事裁判を審理することができません。
以上のように、民事裁判は終局裁判を待つものであり、確定裁判を待つものではありません。確定裁判を待つと、奇妙な結果を招くことになります。予審における免訴の言渡しは確定裁判ではないため、後日新たな証拠が発見されたときには後日裁判となることがあります。
確定裁判を待つとするならば、公訴時効の満了や欠席裁判の場合には、刑罰の時効に至るまで待たなければなりません。刑罰の時効期間は、短ければ7年、長ければ30年にも及びます。このような長い期間を待つとすれば、民事原告人の損害は非常に大きくなってしまいます。
フランス治罪法第3条第2項においても、「民事を中止するのは、終局裁判を待つべきものでって、確定裁判を待つものではない」と規定されています。
刑事裁判所においては、私訴が提起された場合は、公訴の裁判と同時に私訴の判決を言渡さなければなりません。確定裁判を待つのであれば、民事と刑事を同時に裁判することなどできません。このことからも、確定裁判ではなく、終局裁判を待つべきものであることがわかります。
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(私訴の判決を公訴の判決よりも先に言渡した場合の取扱い)
私訴の裁判を公訴の判決よりも先に言渡してしまった場合は、私訴の裁判だけでなく公訴の裁判も効力がなくなります。
民事と刑事が同時に提起されている場合、刑事の判決が先に行われなければ、民事の判決を言渡すことができません。これに反した場合、民事と刑事の両方の判決は効力がありません。形事上の予断を防ぐためです。民事と刑事の両方の判決を取消すためには上告を要することになります。
(第四章 第三節 了)
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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第八回講義

2024年10月10日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第八回講義
(明治18年5月15日)

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(はじめに)
本日は第二款「私訴の施行に関する規則」から説明致しましょう。
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第二款「私訴の施行に関する規則」

(付帯私訴が許される理由)
判決を行う権限は民事裁判所及び刑事裁判所に属します。民事事件は民事裁判所で担当し、刑事事件は刑事裁判所で担当します。
このように民刑という二個の裁判所があるのですから、刑事事件の公訴は刑事裁判所に行い、私訴は刑事事件を契機として起こった場合でも、民=民の争いですから、民事裁判所に提起することになるはずです。
しかし、法律上特に私訴 を刑事裁判所に提起することが許されています。その理由は次のとおりです。
①公訴と私訴の証拠を共通とすることができる
②公訴と私訴を同じ裁判所で裁判することで、事務が簡便となり、公訴と私訴の裁判に齟齬がなくなる
③民事の原告人を保護するという観点からも、公訴に付帯して私訴を行うことを認めた方が良い。
民事と刑事の2つの訴えが同時に別の裁判所に提起された場合、民事裁判所では刑事裁判が終わるまで裁判を中止せざるをえません。そのため、民事の原告人は刑事判決があるまで待たされることになります。被害者に一日でも早く損害を回復させるためには、公訴に付帯して私訴を行うことを認めた方が良いのです。
さらに、④私訴を刑事裁判所に提起することを認めると、民事の原告人は検察官を助けて証拠を提出し、それによって犯罪を証明し確実なものとすることができるという利点もあります。
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次に、私訴の施行に関する規則を三節に分けて説明しましょう。

第一節 民事原告人は裁判所選択権があること
犯罪によって損害を受けた者は、民事裁判所と刑事裁判所のどちらかを選んで訴える権利があります。このような選択権があることは、民事原告人にとって利益ですが、民事原告人が刑事裁判所で訴えを起こす際には、一定の制約があります。それは公訴に付帯させる必要があるということです。
民事原告人が刑事裁判所に私訴を行うには公訴と分離独立してこれを行うことはできず、公訴に付帯してしなければなりません。
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(付帯私訴の方法)
付帯私訴を行うには2つ方法があります。1つは検察官の起訴がある時に、私訴の申立て行う方法、もう1つは予審判事に対して私訴の申し立てをすることです。
民事原告人が刑事裁判所に私訴を行うときは、通常民事裁判所の事物管轄に制約されません。治罪法第4条に「私訴はその金額の多寡に拘わらず公訴に附帯して刑事裁判所にこれを為すことを得」との規定があるからです。
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(民事裁判所の事物管轄と付帯私訴)
民事裁判所の事物管轄は次の規定があります(明治14年12月第83号布告)。
第2条「治安裁判所は請求の金額及び価額100円未滿の訴訟に付き始審の裁判を為す」
第4条「始審裁判所は請求の金額及び価額100円以上並びに第3条に揭げる治安裁判所権外の訴訟につき始審の裁判を為す」
以上のように、民事訴訟では金額100円以上となると、治安裁判所に訴えを提起できません。
しかし、刑事事件での付帯私訴ではこの制限を受けず、損害の金額100円以上であっても違警罪裁判所(治安裁判所)に提起できます。また民事訴訟では金額100円未満のものは始審裁判所に訴えを提起することができませんが、刑事事件では損害額が100円未満であっても、軽罪裁判所(始審裁判所)に提起できます。
このように刑事裁判所に付帯私訴を提起する場合は、通常民事裁判所の事物管轄の制限を受けません。
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(付帯私訴ができない刑事裁判所)
もっとも、例外はあります。治罪法第4条但書が「法律においてその裁判所に私訴を為すことを許さない場合はこの限りにあらず」と規定されめいるとおりです。「私訴を為すことを許さない場合」とは、次のものです。
①陸軍治罪法第1条第2項「軍法会議は刑事付帯の民事を受理せず」
②海軍治罪法第1条「海軍軍人の犯した重罪・軽罪は軍法会議においてこれを審判す。軍法会議は刑事付帯の民事を受理せず」

現行法では例外はこの2つですが、治罪法第4条に「私訴を為すことを許さざる場合はこの限りにあらず」とあり、後日法律で規定されることが予定されていると見ることができます。
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(フランスにおける例外)
フランスでは、これ以外にも私訴ができないものがあります。会計官吏の犯罪です。
日本では会計官吏の犯罪は、他の犯罪と同様に通常裁判所で審判しますが、フランスでは会計検査院が審判し、通常裁判所には管轄がありません。
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(軍事裁判所で付帯私訴を認めない理由)
陸海軍裁判所が付帯私訴を許さないのは、軍事裁判所が厳格を主とすることから、私訴の審判に適さないからです。また、軍人が裁判官を務めることからは、民間の争論を判決するに適さないのです。
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(高等法院で付帯私訴を受理すべきか)
高等法院では、付帯私訴を受理すべきでしょうか。このような問題が起こることは稀有ではありますが、法的には重要な問題です。
治罪法第91条には、「高等法院の訴訟手続きは、通常の規則に従う」と規定され、また、同法第4条には「その裁判所に私訴をなすことを許さない場合はこの限りではない」と規定されており、高等法院に私訴を許さないとの規定は存在しません。そうしますと、条文上からは高等法院でも私訴を受理することは可能なように見えます。
しかし、私は法理論上の理由から、高等法院での私訴は許されないと考えます。高等法院は、通常裁判所とは異なります。審判事項は皇族・貴顕の犯罪及び国事犯であり、いずれも一国の大事件です。また、高等法院では大審院判事及び元老院議官が裁判官となります。このように高等法院は特殊であり、皇族・大臣の犯罪及び国事犯のような大事件を審判するのは通常裁判所の適任ではないので、一種特別の裁判所を設けたといえるでしょう。
このような裁判所で、一私人の争論に過ぎない私訴を審判するのは当を得ないものと考えます。それだけでなく、私訴の審判をなすことは、高等法院の尊厳を冒涜するものともいえます。高等法院を設けた趣旨からして、一私人の争論の審判といったような瑣事を任せるべき機関ではありません。よって、条文上は高等法院に私訴を提起することが禁止されていなくても、法理論上の理由から高等法院には私訴を提起できないと考えざるを得ません。
この点フランスはどうかといいますと、日本と同じく治罪法中には明文の規定はなく、通常裁判所の原則を適用するか否か解決がついておらません。この点の裁判例もありません。
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(私訴移転ができるか)
私訴は、民事刑事どちらの裁判所を選んで提起してもよいのですが、一度どちらかの裁判所を選んで提起した場合に、他の裁判所に私訴を提起することができるかという問題があります。
ローマ時代には、一度どちらかの裁判所を選んで提起した場合には、他の裁判所に訴えの提起をすることは許されませんでした。
フランス法では、この点についての明文がなく、どのように解すべきか問題となっています。
我が国では、この点明文をもって規定していますが、その規定の趣旨について知るためには、往古に遡って検討する必要があります。
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(ローマ法及びフランスでの考え方)
ローマ法では「ひとたびある道を選んだときは、他の道は閉ざされてしまう」との格言に基づき、一度どちらかの裁判所を選んで提起した場合には、他の裁判所に変えることはでき混ぜんでした。
フランスでは、法学者の間で説が分かれています。
第一説はローマ法と同様、 一度どちらかの裁判所を選んで提起した場合には変更はできないとするものです。
第二説は、当初民事裁判所に訴えを提起したときは、刑事裁判所に訴えを提起することはできないが、先に刑事裁判所に訴えを提起した場合は、改めて民事裁判所に訴えることができるとしています。
第一説は次のように考えるものです。
「もともと人には選択の自由があり、法律がこれを禁じてない以上は、人がその欲するところに従い、変更することは自由である。しかし、法律手続きにおいてはこのような自由を許すべきではない。よって、一度ある裁判所に訴えを提起したときは、他の裁判所に訴えを提起することはできない」
第二説は次のように考えるものです。
「刑事裁判所は厳格な性質をもっているが、民事裁判所は緩容な性質をもっている。被告人の立場からみて、緩から厳に移るのであれば、被告人の権利を害することはないが、厳から緩に移るのであれば、被告人の権利を害するおそれがない。よって、刑事裁判所から民事裁判所に移すことは許されるが、民事裁判所から刑事裁判所に移すことを許されない。」
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(日本の治罪法の規定)
我が国の治罪法は次のように規定しています。
第7条第1項「民事裁判所に私訴を行ったときは、検察官の起訴があるときでなければ、願下げを行って、刑事裁判所にその訴えを提起することができない」
第2項「刑事裁判所に私訴を提起したときは、被告人の承諾を得て願下げをなして、民事裁判所にその訴えを提起することができる」
このような規定としたのは妥当と考えられます。
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(民事裁判所から刑事裁判所への私訴移転)
裁判所から刑事裁判所に訴えを移すことができるのは、検察官が起訴を行った場合に限ると規定されていますが、これは被告人の利益のためです。なぜなら、民事裁判所で訴えが提起されている途中で、刑事訴訟が開始されると、民事訴訟は中止となり、刑事裁判の終了を待たなければならないからです。
これを刑事裁判所に移すことができるとすれば、原告と被告の双方がその権利を保護できるのはもちろんのこと、同時に付帯する事件を裁判することができますので、被告人にとって利益は少なくありません。
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(刑事裁判所への私訴移転の利点)
さらに、検察官が起訴を行ったことで、刑事裁判所に私訴を移すことができる利点としては次の3点があります。
①被告人は少なくとも一度は法廷に出ざるを得ず、出廷回数を減らすことができること
②検察官が犯罪を証明するのに、原告人の援助を得ることができること
③同一の事件を同一の裁判所で審判することにより迅速かつ簡便な処理ができること

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(刑事裁判所から民事裁判所への付帯私訴の移転)
また、一度刑事裁判所に私訴を行ったときは、
被告人の承諾がなければ、私訴を民事裁判所に移すことはできません。これは、民事原告人の意向だけで、被告人に不利益を与えることを防ぐためです。
原告人が当初刑事裁判所に付帯私訴を提起したのに、これを民事裁判所に移すというのは、刑事裁判所の審判が自分に不利だと判断するからでしょう。このようなことを許すと、被告人の不利益となるため、一旦刑事裁判所で私訴を提起した場合は、被告人の承諾がなければ、民事裁判所に訴訟を移すことはできないと規定したのです。
被告人が移転を承諾する例としては、刑事裁判の審理が遅延する等、刑事裁判所での審理が不適当だという被告人が考える場合には、民事裁判所に移すこと場合が考えられます。
以上、原告人がその訴訟を民事裁判所から刑事裁判所に移す場合、また刑事裁判所から民事裁判所に移す場合の詳細について説明しましたので、諸君も理解されたことでしょう。
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(治罪法第7条の適用要件)
このことから考えるに、治罪法第7条は私訴移転の制限法ということになります。原告人の立場からみると、権利を制約することになります。
原告人に治罪法第7条を適用するのは次の三要件が必要です。
①訴訟の目的が同一であること
②訴訟の原因が同一であること
③訴訟人が同一であること
以上の三つの要件を満たさない場合、原告人には治罪法第7条を適用することができません。以下例を示します。
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(第一の例 離婚と損害賠償請求)
第一の例として、犯姦罪(姦通罪)のケースをとりあげます。
夫が姦婦(妻)に対して賠償を求め、その後離婚を請求した場合はどうでしょうか。この場合、原因と訴訟人は同一ですが、目的が大きく異なります。つまり、一方は離婚を求め、もう一方は損害賠償を求めているのです。このように目的が異なる場合は、治罪法第7条を適用する要件を満たしていません。よって、離婚請求を民事裁判所に訴えることは、被告人の承諾を必要としません。
民事裁判所で離婚を訴えた後に、刑事裁判所で損害賠償を求めた場合はどうでしょうか。
この場合は、検察官が起訴していなくても、原告人は公訴を提起することができます。訴訟の原因と訴訟人は同一ですが、その目的が異なるため、治罪法第7条を適用することはできないからです。
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(第二の例 委託物返還請求と財産犯)
第二の例として、民事裁判所で委託物の返還を求める訴訟を行っており、その審理中に詐欺による財産取得や寄託財産に関する犯罪であることが分かった場合について考えてみます。
この場合も、検察官が起訴するのを待たずに、公訴を提起することができます。
訴訟の目的と訴訟人は同一ですが、その原因が異なり、治罪法第7条を適用することができないからです。
━━
(第三の例 民事担当人への請求と本人への請求)
第三の例として、民事裁判所で民事担当人に対して損害賠償を求め、刑事裁判所で犯人に対して私訴を提起する場合を考えてみます。この場合、訴訟の目的と原因は同一ですが、訴訟人が異なるため、治罪法第7条を適用することはできません。
━━
(まとめ)
このように、治罪法第7条を適用するためには、訴訟の目的、原因、および訴訟人すべてが同一である必要があります。この三つの要件のいずれかが異なる場合には、同条を適用することはできません。
治罪法第7条についての説明は以上です。
民事原告人が刑事裁判所で私訴を提起することの可否については、次回お話し致します。
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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第七回講義

2024年09月07日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第七回講義

第七回講義(明治18年5月13日)
(はじめに)
前回は、私訴の対象者が①公訴の被告人、②民事担当人であることを説明しました。今回は③脏物(盗品)の占有者から説明します。
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(私訴の対象者③〜脏物の占有者)
第三 脏物(盗品)の占有者
脏物(盗品)の占有者も私訴の対象者となります。脏物とは、強盗、窃盗、詐欺などの財産犯の被害物品のことです。
脏物を占有する者が私訴の対象者となるのは、脏物は犯罪によって得た物品であり、所有者の正当な移転方法とはいえないからです。
脏物の占有者とは、犯罪者ではなく、犯罪者からその犯罪によって得た物品を買い受け、または譲り受け、あるいは交換によって得た者をいいます。
刑法附則第54条には「脏物が犯人の手にある時は、直ちに被害者に還付する。しかし、もし転々として他人の手にある時は、被害者の請求によって還給させるものとする」とあり、また同第55条第2項には「もし公商によらずに買い取った物品は、その還給を拒むことができない。ただし、その買取者は、売り手に対して転償を求めることができる」とあります。この両条によれば、公商によらずに脏物を買い取り、または譲り受けた者は、被害者の要求を拒むことができず、取戻の訴え(私訴)の対象者となります。
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(私訴の対象者④〜犯罪者の相続人等)
第四 犯罪者の相続人
犯罪者の相続人は私訴の対象者となります。刑法附則第62条には「脏物の還給と損害の賠償は、本犯が死亡した場合はその相続人に対してこれを要求することができる」とあります。この条文によれば、本犯が死亡した場合には、その相続人に対して要求を行うことができるのは明らかです。また、本犯の相続人に対してだけでなく、本犯の民事担当人に対しても要求を行うことができると考えるべきです。そうであれば、その民事担当人が死亡した場合には、民事担当人の相続人に対しても要求ができると考えられます。
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(例〜鉄道馬車会社)
例えば、鉄道馬車会社の御者が、不注意で馬車を御する際に他人に傷を負わせた場合、その被害者は鉄道馬車会社に対して損害賠償を求めることができます。その会社は御者の民事担当人の立場にあるからです。仮に、私訴が起こされる前にその会社が他人に譲渡された場合には、後の所有主、すなわちその会社を譲り受けた人に対して損害賠償を求めることとなります。
なぜなら、その譲受人は、民事担当人の相続者と異なるところがなく、会社に属するすべての権利と義務を引き継ぐ者であるため、その義務の一部である賠償の責任を免れることができないからです。

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(フランス及びアメリカの法制度)
私訟は、犯罪者が死亡しているときには、その相続人に対して行うことができるとする国は、本邦(刑法附則に規定)及びフランスです。
このような訴訟を認めない国としてアメリカが挙げられます。アメリカでは、被害者または犯罪者のいずれかが死亡すると、私訴の権利が消滅します(アメリカ法原論を参照)。相続人に対して私訴を行うことができるか否かは世界共通ではありません。
相続人に対して私訴できることの当否については、ここでは論じません。これを論じるには哲学的な検討をしなければならず、法律学の範囲を逸脱するからです。これを論じることは後日に譲ることとします。

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第四章 公訴および私訴の施行に関する規則
前章では、公訴および私訴の対象者が誰であるかを論じました。本章では、公訴および私訴の手続きを説明します。
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第一款 公訴の施行に関する規則
(検察官の公訴権)
検察官は定められた管轄の区別に従い、重罪、軽罪、違警罪について公訴を起こす任務を負っています。その行為を行う権限は法律によって付与されているため、他者の命令によって左右されることはなく、自らの意見に従い、これを行うか、行わないかを決定することができ、その権限は独立しています。

(検察官の公訴権濫用の防止方法)
検察官権限の独立性は、個人の専横や怠慢といったことで、公訴を提起すべきなのにそれをしないということが起こり得ます。そのため、法は、検察官の専横や怠慢を防止するための制度も定めています。
一つは行政権による監督、もう一つは私人による監督です。
前者は、司法卿または検事総長からの命令により検事に公訴を提起させるもので、行政権により検察官の専横と怠慢を防止するものです。
後者は、民事原告人に公訴提起権を与えるもので、私人に検察官の専横や怠慢を防止させるものです。

(フランスの制度)
フランス治罪法では、この二種類の監督方法のほかに、さらに控訴院による監督があります。フランス治罪法第9条では控訴院は検事に対して公訴を提起するよう命令することができまるのです。
フランスは行政権と司法権の分立を重視していますが、それにもかかわらずこのような条項を設けた理由は、検察官の怠慢を防ぐために他なりません。
検察官は行政官の監督に属しているため、重要な官吏または皇族の犯罪がある場合、その権威に屈して公訴を提起しないことがないとは言えません。そのようなことが起これば、法の厳明を維持することができません。そのために、独立不羈なる控訴院が検察官に対して起訴命令を下すことができるとしたのです。もっとも、この命令を行うのは極めて稀です。

(ナポレオンの弟への起訴命令)
一例を挙げると、ナポレオン第一世の威望が絶頂にあった時、その皇弟がある新聞記者を砲撃して負傷させたことがありました。
ところが、検察官はその権威を恐れて皇弟を起訴しなかったのです。控訴院はこの事件について特別に会議を開き、その決議をもって検察官に起訴命令を下したといいます。

(検察官に公訴提起権限が付与されている理由)
検察官は公訴権を独立自由に行使することができます。しかし、起訴を行うにあたっては法律に従うべきことは当然であり、また起訴を行うにあたっても常に社会の利害を考慮してこれを処理しなければなりません。一私人の些細な秘密を暴くことをもってその職務を全うしたとはいえないのです。


---
(検察官と裁判官の権限の対比)
検察官は公訴提起に関して絶大な権力を有しています。これに対抗する十分な権力を有する者が裁判官です。
この二者の職権は明確に区別されており、互いに侵すことはできません。すなわち検察官は裁判の領域に入ることはできません。また裁判官は起訴の領域を侵すことはできません。その例外は現行犯です。この場合は裁判官は検察官の起訴を待たずに直ちにこれを受理することができます。
このような例外を除き、検察官は裁判官の命令を受けず、裁判官は検察官の命令に従いません。二者が対峙して初めて公平な裁判が得られるのです。治罪法第158条第2項に「また検事の請求があったときは、いかなる場合でも臨検すべし」とあり、これは検察官の意見をもって裁判官を拘束するものですが、これは例外に属します。
---
(起訴の放棄をすべきではないこと)
検察官は一度起訴した以上は簡単にこれを放棄してはならず、裁判官の判決を受けなければなりません。一旦起訴した以上は国家および公衆の利益となるため、検察官個人の意見でこれを簡単に放棄できないからです。このような考え方は、治罪法にある放棄ができるとの明文に反するように見えますが、ここにいう放棄とは公訴権を放棄する意味ではなく、ただ検察官自身の意見を放棄する意味であると解釈すべきです。したがって裁判官は検察官がその意見を放棄した場合でも、判決を言い渡さなければならないのです。

(起訴の不当性を発見した場合の検察官の対処)
また、検察官が最初に起訴した時の考えと同じ判決を得たとしても、その後に起訴及び判決の不当性を発見した場合には、上訴して是正しなければなりません。公訴は検察官自身のためにするものではなく、国家のためにするものなので、自分の意見が誤っていることを悟った場合には、正しいものに従わなければならないからです。このことが公訴と私訴の大きな違いです。民事の訴訟においては、原告が請求したこと以上の理由により、上訴することはできません。

(検察官単独では起訴できない場合)
検察官が起訴を行うのに他の者の行為が必要な場合があります。①被害者の告訴が必要な場合です。また、②皇族、華族、勲章を帯びた者、位階のある者に対しては、直ちに公訴できず、あらかじめ上奏して裁定を待つ必要があります。その理由は、後日「公訴の停止について」という題目を設けて説明致しましょう。

以上、公訴の施行に関する規則を説明しました。次回には私訴の施行に関する規則を説明しましょう。


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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第六回講義

2024年08月03日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第六回講義

第六回講義(明治18年5月8日)
第三章 誰に対して公訴・私訴を行うべきか
( はじめに)
前章では、公訴・私訴を起こすことができる人を説明しました。この章では、公訴私訴を受けるべき人は誰なのか、つまり公訴私訴の被告となる人を論じます。
この章は、前章に比べて考察すべき範囲がやや狭いため、前回よりも理論は少ないです。
しかし、よく分析して考察を加えれば、論究すべきことは相応にあります。

この章は次の二つの款に分けて述べます。
第一款 誰に対して公訴を行うべきか
第二款 誰に対して私訴を行うべきか
まずは第一款から説明しましょう。
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(第一款の第一) 重罪、軽罪、違警罪を犯した人

第一款 誰に対して公訴を行うべきか

公訴と私訴を提起する主体が異なることは前回論じました。主体が異なるのですから、その対象者も異なります。以下に、公訴を受けるべき人について論じます。

第一 重罪、軽罪、違警罪を犯した人
公訴の被告となる者は、重罪、軽罪、違警罪を犯した人です。
刑法第104条の「正犯」は公訴の対象となります。なぜ正犯に対して公訴を行うのかという問題を治罪法の視点から見ると、公訴は刑を適用することを目的としているため、正犯に対して公訴を行うのは当然のことと言えます。
もっとも、本問題は刑法においてなぜ正犯を罰するのかという問題と同義です。よって、この問題は、治罪法よりも刑法の議論においてより詳しく論じられるべきものであり、ここではこの程度とします。
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(第一款の第二)
第二 教唆者
実行行為はしていないが、人をそそのかして罪を犯させた者(教唆者)は、正犯と同様に公訴の対象となります。
教唆者を公訴するときの注意点を申し上げましょう。
刑法第105条には「人を教唆して重罪軽罪を犯させた者亦正犯と為す」と規定されています。
重罪及び軽罪と規定されていますが、違警罪の文言はありません。刑法では違警罪の教唆者は罰しないのです。したがって、教唆者が公訴の対象となるのは重罪や軽罪に限られており、違警罪の教唆者が公訴の対象となることはありません。
しかし、だからといって違警罪に教唆者が存在しないわけではありません。たとえば、刑法第425条第9項に規定されている、人を殴打して創傷や疾病に至らない場合の罪のようなものは、実際には教唆者がいることが少なくありません。違警罪のような軽微な罪であっても、事実上、教唆者が存在しないわけではないのです。しかし、刑法でこれを罰しない以上、違警罪の教唆者に対して公訴を行うことはできません。

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(第一款の第三)
第三 従犯
第三に、重罪や軽罪の従犯は公訴の対象となります。従犯者は、教唆者と同様、違警罪に関しては公訴の対象とはなりません。

以上まとめますと、公訴の対象者は、第一に正犯、第二に教唆者、第三に従犯です。そして、刑は犯罪者その人にのみ適用されるという原則に従い、これらの者の親戚には及ばないことは言うまでもありません。

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(第一款に付随する問題①〜第三者の関与)
この第一款については、注意を要する問題が二つあります。以下にそれを考察します。

第一の問題は、「検察官と被告人との間に公訴が起こり、まだその結審がなされていない場合に、第三者がその公訴に関与することができるかどうか」ということです。

〈民事訴訟に関する考察〉
この問題を検討するにあたり、まず民事上の事例から考察します。民事訴訟では、甲と乙の訴訟の間に丙が関与することは許される場合があります。
例えば、不動産の売買において、甲を売主、乙を買主とした場合に、丙という者が現れて乙を被告としてその不動産の取り戻しの訴えを起こしたとしましょう。この場合、乙と丙の間に訴訟が係属することになります。乙丙間の訴訟に、甲が関与するには二つの方法があります。一つは、甲自身が被告となり、乙に代わって答弁を行うことができるというものです。これはほかでもなく、売主がその売買対象物件の担保責任を負うためです。乙丙間の訴訟において、仮に乙が敗訴することになれば、売主である甲は乙に対して損害賠償の責任を負うことになるからです。
もう一つの方法は、甲が被告ではなく、乙と共同して答弁を行うことです。この方法はどの国の訴訟法でも概ね認められているものです。フランス民事訴訟法第339条ではこれを明示しています。わが国においても民事上このような例がないわけではありません。フランス語でこれを「アンテルバンション・ド・チェール」と言います。第三者が訴訟に関与するという意味です。これは民事訴訟上不可欠な制度です。
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〈刑事訴訟に関する考察〉
民事訴訟については以上のとおりです。では、刑事上の場合はどうでしょうか。
甲が公訴を受けた後に、乙が「これは甲とは全く無関係である、私が被告となって答弁するべきだ」と自ら被告になろうとする者が現れたというような場合です。
例えば、親が公訴を受けた場合に、子が親が獄中で呻吟するのを坐視することができず、自ら被告となって答弁しようとする場合です。
また、甲が公訴を受けた事件について、自分も関与しており、甲と共に答弁しようとするような例が考えられます。共犯であれば、一刻も早くその訴訟に関与し、答弁を行うことが自分の利益となるからです。

・刑事事件において許容できるか
では、刑事上でこのようなことを許すべきでしょうか。この点について治罪法の規定はありませんので、条理によって考えざるをえません。
私は、条理が指示するところに従い、次のように考えます。「民事ではこれを許すべきだが、刑事ではこれを許すべきではない」と。

・許容できない理由
以下、理由を述べましょう。
公訴は一個人の私的意向に左右されるものではありません。よって、公訴を受理しその裁判を行うのは、治罪法で規定されているところによらなければません。
公訴を受理するのは、検察官の起訴又は民事原告人の申立てある場合に限られ、その他の場合に裁判所が公訴を受理することは許されません。その例外は現行犯の場合(治罪法第202条)、弁論によって発見された附帯の事件、または法廷内での犯罪です。この例外の場合を除き、裁判官は自ら公訴を受理することができません(無告不理の原則)。
したがって、たとえ被告人が自ら甘んじて刑を受けようとする場合でも、それはただ一個人の私意に過ぎないため、法律で定められた手続きに従って起訴されたものでなければ、被告人となることはできません。第三者が自ら甘んじて被告人になろうとする場合でも、決してこれを許すべきではありません。
これを許してしまうと弊害もあります。例えば、富者が被告となり有罪の判決を受けるかもしれない不幸に見舞われた場合、すぐに大金を投じて貧者を自分の代わりに被告とさせ、自分の責任を免れようとする者がでてくるでしょう。
民事上は、基本的にすべての人の自由を尊重するものなので、自ら進んで被告人になりたいという者があれば、それを許しても大きな弊害はありません。自らに義務ありと告白する者を、法律上あえてこれを否定する理由に乏しいともいえます。
しかし、刑事上では自ら進んで刑を受けようとする者がいても、その人が犯罪者でない限り、決してこれを罰してはいけないのです。
これは、刑事と民事は性質の異なるものだからです。

・フランスにおける通説・判例とその批判
フランスの学説および判例を見ると、フランスでは刑事においても第三者が関与することを認めているようです。
その理由は、フランス治罪法には第三者の関与を禁止じていないから、というものです。
理論的には、同一事件はできるだけ一回で審理し、できるだけ同時に同じ法廷で裁判することで、判決の矛盾を来さないようにすることができるからと論じられています。
この議論は学説のみならず、フランスの大審院でも採用されています。
しかし、これらの学説及び大審院の判決は、刑法と民法を混同しているとものと評価せざるを得ません。
民事に関することは各個人の意思に委ねるべきものですが、刑事に関することは国家の秩序に関わるものであり、決して一個人の私的な意思に任せるべきではないのです。しかし、フランスでの議論は、この区別を全く考慮していないのです。
以上述べた理由から、私は民事の目的に関する事柄については第三者の関与を許し、刑事の目的に関する事柄については第三者の関与を許すべきではないと信じます。

(治罪法の規定からの自説の補強)
我が国の治罪法第303条第1項には、「民事担当人は、始審終審を問わず、いつでもその訴訟に参加することができる」と規定しています。
この規定は、民事を目的とする者に限って、民事担当人という第三者に公訴に関与することを許したに過ぎないものです。被告人が有罪判決を受ける場合、直ちに民事担当者の責任に影響を及ぼすため、その訴訟に立ち入って自らの権利を保護することを許したのです。
このような関与の仕方であれば、民事担当人だけでなく、その他の関係者にも関与を許すことが非常に理にかなっているというのが、私の考え方です。
例えば、甲が乙から物品を買い受けた場合に、甲がその訴訟に関与し、その物品が犯罪によって得られたものでないことを証明する権利を有することは、条理にかなっています。
民事担当人だけでなく、その他の関係者にも関与を許すのが妥当です。

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(第一款に付随する問題②)
第二の問題は、「訴訟事件の審理中に被告人が他人をその訴訟に引き入れようとすることは許されるか」です。
民事上では許されます。先の例でいえば、被告(買主)は売主をその訴訟に引き入れることができることになります。実際に我が国においてもこのようなことは既に行われています。では、刑事上ではどうでしょうか。被告が「これを行ったのは自分ではなく、別の人である」として、その人を訴訟に引き入れることができるでしょうか。
私は許すべきではないと考えます。なぜなら、刑事上においてこのようなことを許可することは、被告人自身に公訴を行わせることと何ら変わりがないからです。これを許さなくても、被告人は証人としてその人を呼び出すことができるので、不利益とななりません。証人の呼び出しについては、治罪法に厳格な規定があり、証人が出廷に応じない場合には制裁が加えられるため、特に他人を被告とする必要はないのです。
以上で第一款の説明を終わります。次に第二款に移ります。

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(第二款 誰に対して私訴を行うべきか)
第二款 誰に対して私訴を行うべきか
公訴を受ける者は犯罪者に限られますが、私訴を受けるべき者は犯罪者に限られません。
以下この点を論じます。
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(第二款 第一 公訴の被告人は私訴の対象となる)
第一 公訴の被告人は私訴の対象となります。
公訴の被告人は犯罪に関して既に刑法上の責任を負っている者です。したがって、それに関連する民事、つまり私訴においてもその責を免れることはできません。ここで「犯罪者」というのは、正犯のほか、教唆者、従犯者も含まれます。
教唆者、実行犯、従犯者は私訴ではその責任を連帯して負います。刑法第47条に「数人の共犯による裁判費用、贓物の還付、損害賠償は共犯者に連帯責任を負わせる」と規定されています。
同条の「共犯」とは、教唆者、実行犯および従犯者の三者を包含するものであり、複数の教唆者や実行犯がいる場合、その全員を含みます。これを狭く解釈し、共犯とは教唆者および実行犯のみを指し、従犯者は含まれないという説もありますが、正しいとは思えません。正犯、従犯はすべて連帯責任を負うべきです。
その理由は、教唆者、実行犯、従犯がいて人を殺した場合、その責任を分けて一部を教唆者の責任とし、また一部を実行犯の責任とするというようなことはできないからです。その責任に差を設けようとすると、不平等な分割法に陥ってしまうのは必然です 。よって、犯罪者に連帯責任を負わせるほかないのです。
もっとも、連帯責任を負うのは被害者に対する関係であり、犯罪者同士の間ではその責任を分割することは可能です。

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(第二款 第二 民事担当人は私訴の対象となる)
第二 民事担当人は、 私訴の対象となります。
民事担当人に関しては、明治14年12月8日の第73号布告で規定されており、次のとおりです。
第一 未成年者の父または母、もしくは同居している親族で監督を行う者
第二 知的障害者・精神障害者の保護者
第三 雇主
ただし、雇人がその雇主の命じた事案を行うとき

以上の四者は民事担当人として、民事上の責任を負うべき者です。この者が民事上の責任を負う理由は、自己の過失によってその責任が生じるのと同じだからということにあります。
親はその子を教育すべき責任を有しており、子が他人に損害を与えたときは、その教育が適切でなかった過失によるものであるから、その責任を免れることができないのです。
また、知的障害者・精神障害者の保護者についても、同様の理由によります。これらは結局、すべて自己の不注意によって他人に損害を及ぼすことに至ったものですので、その責任は注意を欠いた民事担当人が負うべきことは当然のことです。
雇人の行為によって他人に損害を与えた場合に、雇主がその責任を負うことは、一見非常に奇妙に思えるかもしれません。しかし、人を雇うにあたっては、注意を払うべきです。
他人に害を及ぼすような者を雇ったのは、雇い主の不注意であると言わざるを得ません。雇主が責任を負うのはこの理由によります。
もっとも、雇主が責任を負うのは、雇人が雇主の命令を実行する際に行った行為から生じた損害のみです。馭者が馬車を疾駆させて他人に害を与えた場合は、雇主の命令を実行している間に加えた損害であるため、雇主はその責任を負わなければなりません。

フランスでは、上記の四種類の他に、さらに民事担当人とされるものがあります。例えば、工業の授業をする講師や学校の教師などは、その業務を行っている間はその責任を負う者とされています。しかしながら、我が国ではこれを民事担当人とはしていないため、ここではこれ以上説明致しません。

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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第五回講義

2024年07月06日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第五回講義

第五回講義(明治18年5月6日)
本日は前回に引き続いて、私訴を行うべき者について説明致しましょう。

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私訴を起すことができるのはどのような者でしょうか。
一 被害者
二 被害者の相続人
相続人は先人の権利義務を継ぐ者ですので、起訴の権利もまた相続人に移転します。有形の財産だけでなく、無形財産も相続するからです。
権利は無形財産の一種ですから、先人が損害を受け、その者が私訴権を有していた場合には、相続人が先人の権利を継承して起訴することができるのです。ただし、相続人が起訴する際には、犯罪の時期によって多少の違いがあります。被害者の死亡時期の前後に分けて説明致しょう。
1. 被害者の死去前に係る犯罪
2. 被害者死去の原因となった犯罪
3. 被害者死去後に係る犯罪
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第一の場合:被害者の死去前に係る犯罪について説明しましょう。
被害者が生存中に他人の犯罪によって財産に損害を受けた場合、要償の権利(私訴権)を持つことは当然です。
被害者が死亡した場合、相続人はその財産を引き継ぐため、損害を受けた者は先人に代わって損害賠償請求をすることができるのです。
例えば、先人が生存中に他人に土地を横奪されたとします。横奪がなければ、相続人はその土地を引き継いでいたはずです。しかし、相続人は横奪されたことで土地を引き継げなくなったのですから、相続人に起訴権が与えられなければなりません。


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身体の安全や自由などに対して損害を受けた場合にも相続人は起訴権を有します。
なぜなら、訴権は無形財産の一種であり、先人が起訴せずに死亡した場合、その訴訟権は相続人に移転するからです。さらに、自由や安全が侵害されたことは、道義上の損害であり、間接的には財産にも損害を及ぼす性質を持っているので、相続人が起訴権を持つのは当然のことだと言えるでしょう。


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名誉毀損の場合
損害を受けたのが、財産でも身体の安全・自由でもなく、名誉であった場合、相続人に起訴権があるでしょうか。
これは前の二つの場合と大きく異なります。
前の二つの場合における損害は有形のものであり、目で見ることができるものでした。しかし、名誉毀損の場合は無形損害に属するものなので、目で見分けることができないのです。この点については少し詳しく説明する必要があります。
名誉毀損罪は被害者の告訴がなければ成立しません。そのため、被害者である先人が起訴せずに死亡した場合、相続人に訴権がないといわなければなりません。
もともと、名誉毀損罪を訴えるかどうかは被害者自身の選択に委ねられるべきものです。
よって、被害者が起訴せずに死亡した場合、被害者には起訴する意思がなかったと考えざるをえません。
被害者に起訴する意思があった場合には、自ら訴えるか、又は事故などで自らが訴えられない場合は、他人へ委託するか、又は生前に子孫へ起訴を遺言するといった方法で意思を示すことができたはずだからです。これらの方法を何もせずに死亡した場合は、被害者には起訴する意思がなかったと考えるのです。
先人に起訴する意思がなかったのに、相続人が勝手に起訴した場合、先人の意思に反する結果になります。
本人の意思に反する行為は、法律の趣旨にも反することになります。
先人が起訴せずに死亡した場合、相続人に訴権を持たせないのは以上の理由によります。
名誉の損害は、人の立場や感覚によって大きく異なるだけでなく、被害者の気持ちによっては訴えることでさらに名誉を損なうと考える場合もあります。
しかし、この訴権を他人に委ねた場合は、他人が訴訟を起こすことで、かえって被害者の心情に苦痛を増す可能性があります。
そのため、この訴権は検察官にも委託させていないのです。

先人が起訴せずに死亡した場合、相続人に起訴権がないのはおわかりいただけたかと思います。
一方、先人がすでに訴訟を起こして死亡した場合、相続人はその訴権を引き継ぐことができます。この場合には、先人の意思に反する心配はないからです。
このように、被害者である先人が起訴したかどうかによって、相続人の訴権の有無が変わってくるのです。これが名誉の損害と他の損害との違いです。
我が国のように新法が制定されて間もない国では、これらの区別は実際には必要ないかもしれません。しかし、条理上はこうであるべきして、実際にフランスではこのような判決例が存在しています。


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第二の場合:被害者の死因となった犯罪の場合には、相続人に私訴権があるのは当然です。
既に述べたように、親子や夫婦は直接の被害者として、相続人としての名義ではなく、相続人固有の名義で起訴することができます。しかし、このような犯罪に関する起訴は、多くは公益に関わるため、検察官に属すべきものです。

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第三の場合:被害者死亡後の犯罪の場合
第三のケースは、被害者が死亡した後の犯罪に関係するものです。
「人は一度死んでしまえば、もう二度と害を受けることはないのではないか」 と疑問を抱く人もいるでしょう。
しかし、死者に害を加える可能性がないわけではありません。具体的には死者の名誉が毀損される場合です。
そして、この場合には、死者も依然として人として扱われるべきです。そもそも、死者を人として扱うべきかどうかについては、古くから議論されてきました。
しかし、私は場合によっては死者も人として認めるべきだと考えています。実際に、我が国の法律もこの説を取っています。例えば、刑法第359条には「死者を誹毀した者は誣罔に出たるに非ざれば、前条の例に従って処断することを得ず」と規定されています。
この規定を見ると、死者を一個人として認め、これを保護する精神に基づいていることが分かります。法律の美徳と言ってよいでしょう。
刑法第264条や第265条のように、死者を人と同視して、保護する法条も存在します。このように、死者を人と見なす場合があることを知っておいていただきたいのです。


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死者の名誉を誹毀する犯罪について、4点に分けて説明致しましょう。
(第一) 直接に相続人自身の害となるべき場合
この場合においては、相続人として訴える必要はありません。直接、自分名義で起訴することができます。例えば、ここに一人の富豪がいて、その父親が死去した後、ある人がそれを誹謗して、「某は、かつて不正な行為によって富を得た者である。今は富豪と呼ばれ、人から尊敬されているけれども、その当初の不正な行為によって富を得た者だから、今日の富は不正な富である。何を以てこれを誉れとするに足るだろうか」と言ったとしますな。
この誹謗は死者に対する罪です。
しかし、この誹謗が世間に広まれば、相続人の信用が地に落ち、仕事や人間関係に大きな影響を及ぼすでしょう。このような損害は相続人にの直接の損害として、相続人本人の名義で起訴することができます。もし、事実の如何によって刑事裁判所に訴えることができない場合は、民事裁判所に損害賠償請求をすることができます。|


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(第二)相続人の損害とならない場合
相続人は起訴の権利を有しません。
通常、相続人が先人の権利を相続するときは、その相続を受けた時点に現存するもの以上のものを受け取ることはできません。しかし、相続人が損害を受けていないのですから、その権利は相続の時点で異なるところがありません。
訴権が相続人に移転される理由がないのですり。
刑法を適用する上で、死者に対する誹毀罪は、その誹毀が誣罔に出るか否かによって、即ち事実の存否によって罪を問うか否かを決定します。このように事実の有無に基づいて罪の有無を定めることは、公益の観点から定められたものです。
死者に対する中傷を生者に対する場合と同様に、事実の有無を問わないとすると、歴史を編纂する者は、刑罰に触れることを恐れ、筆を燃やしてその仕事を廃することになるでしょう。歴史叙述は讃美のみとなり、批判することがなくなり、世に正史の一篇のみ残ることとなります。このような結果は、公益を害します。
日本の刑法では、このように明文があるのですが、フランス刑法には明文の規定がなく、この点に関しては説が分かれており、議論がなされています。
死者に対する誹毀の罪では、相続人は告訴権のみを持ちますが、この告訴は、犯罪があったことを裁判官に報告することにとどまりますので、告発と同じです。相続人は私訴権を持ちません。

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(第三) 被害者の債権者は起訴権を有する
被害者の債権者が起訴権を持つ理由を詳細に説明すると長くなるので、ここでは要点のみ説明します。
被害者が窃盗などの被害に遭い、財産を失った場合、被害者は債務を弁済できなくなる可能性があり、その結果、債権者も直接的な損害を受けることになります。
「義務者の財産はすべて権利者の抵当である」というのは民法一般の原則です。この原則は、フランス民法2092条及び2093条に存在し、日本の民法草案でもこの点が規定されています。
この原則は、債務者が支払いを怠った場合、債権者は債務者の財産を売却して弁済を受けられることを黙示的に承諾したことを意味します。
よって、上記の原則に基づき、被害者の財産が損害を受けた場合、債権者は自らの権利を守るために私訴を行うことができるというべきです。
もし債権者に私訴権がないとすると、どのようなことになるでしょうか。
一人の富豪に金銭を貸していた人がいるとしましょう。賊が富豪宅に忍び込んで大金を盗んだとします。富豪は、残りの財産を全て売却しても債務を支払えなくなったとしましょう。この場合、債権者は加害者である盗賊に対して直ちに起訴をする権利があります。そのように考えなければ、債権者は債務者をして加害者に対する賠償請求をさせるしかありませんが、何かの理由でこの請求をしなかった場合、債権者は損害を回復することができません。
債権者がただちに加害者に対して賠償の訴えを起こすことができるならば、何ら不都合はありません。
刑法上の観点からいうと、その当否につき問題もありますが、民法上の観点からは全く疑いのないところです。
債務者が身代限りとなった場合に、債権者が直ちにこの権利を行使するのは、我が国で現に実施されていますから、私訴においても同様であるべきです。
被害者の債権者が、私訴を行うのは、財産上の損害に関する場合に限ります。身体や名誉など損害の場合には私訴権はありません。身体や名誉などの場合にまで私訴権があるとすると、適用範囲が際限なくなってしまいます。したがって、私は財産上の場合に限るものと考えております。

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(第四) 私訴の権利の譲渡を受けた者は起訴をすることができる
訴権は一種の財産とみることができ、被害者がそれを有しているので、その処分は被害者の意思次第です。訴権の譲渡が法律で禁じられていない以上、有形物と同様、譲渡できるということになります。即ち、わが国においては、私訴の売買は禁じられていないので、理論上、譲渡はできるものと解するほかありません。
この点、裁判官が最も注意すべきことは、賠償の金額を定めるにあたっては、寧ろ少額になりすぎても過大になりすぎないようにすることにあります。賠償の金額が常に売買の金額を超える点で決めるようなことになれば、これによってますます濫訴の風潮を招くようになりかねないからです。
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小括
私訴を行うことができる人は、次のとおりです:
1. 被害者
2. 被害者の相続人
3. 被害者の債権者
4. 私訴権の譲渡を受けた人
私訴を行うことができる人については、治罪法で明文化しておらず、民法に委ねられています(治罪法第2条には、民法に従い、被害者に属するものとされています)。
以上で、公訴を行うことができる人と私訴を行うことができる人を説明しました。次回からは公訴と私訴を受くべき人について説明します。



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橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第四回講義

2024年06月08日 | 治罪法・裁判所構成法
橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第四回講義

第四回講義(明治18年5月1日)
前回は公訴を行うべき者について説明致しましたが、今回は私訴を行うべき者についてご説明しましょう。
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第二款 私訴を行うべき者
治罪法第2条では、「私訴は犯罪により生じた損害賠償、贓物の返還を目的とするもので、民法に従って被害者に属する」と規定されていますが、この点は詳細な説明が必要です。

同条により、私訴の権利が被害者に属すること、被害者がいかなる場合に私訴を行うことができるのかは、民法によって定められることが明らかとなってきます。しかし、日本ではいまだ民法が制定されていません。よって、治罪法第2条を解釈する際には、「道理」により判断すべきということになります。

明治8年6月3日第103号公布の第3条でも、「民事の裁判で成文の法がないものは習慣により、習慣がないものは条理を推考して裁判すべき」と規定しているからです。

「道理」とは、欧米の学者や各国の法典に照らして最も適切と認められるものをいいます。
「民法に従って被害者に属する」との意義を理解するには民法の領域のお話しをしなければなりませんが、民法はこの講義の範囲外ですので、これ以上お話しを進めることはいたしません。

一点だけご理解いただきたいのは、「民法に従って被害者に属する」という意味は、権利の関係を示したものであって、手続きを示したものではないということです。この条文を私訴の手続きを示したと理解する説もありますが、論じるに値しません。
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〈損害賠償の範囲〉
それでは、まず私訴とはいかなるものであるのか、どのような要素から成立するかを論じていきましょう。言い換えれば、損害賠償(贓物の返還も含みます。以下同じ)の範囲とはどのようなものかということです。

私訴の目的は損害の賠償を要求することにあります。ですから、その他の事柄を私訴の目的とすることができません。これは、治罪法第2条において、「損害賠償、贓物の返還を目的とする云々」と規定されていることからも明らかです。

通常、民事訴訟の目的は損害賠償に限られません。例えば離婚の訴えや姦通による親子関係不存在の訴訟は、損害賠償を目的とはしていません。よって、これらは私訴の目的とはされません。もっとも、姦通によって損害賠償を請求するときは、私訴を起こすことができるのは明白です。
要するに損害賠償は私訴の要素なのでありまして、これがなければ通常の民事訴訟により解決されるべきものなのです。

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〈財産上の損害だけでなく徳義上の損害でも私訴は可能〉
また、損害賠償請求をする際には、その損害を算定することができなければなりません。想像的な損害に対して回復を求めることはできません。例えば、趣味や習慣、愛情などの事柄に関連する損害賠償を私訴の目的とすることはできません。

もっとも、私訴の目的となる損害は財産上の有形の損害に限定されるわけではなく(そのような説もありますが、皮相な説というべきです)、徳義上における無形の損害であっても、それを私訴の目的とすることができるます。

犯罪は国の公益安寧及び個人の私益安全を害するものであり、どのような場合であっても犯罪を行った者は、国家のためには刑法の制裁を受け、被害者のためには損害を賠償させることが必要です。この二つの措置が同時に取られることで、初めて国家の秩序を維持することができるのです。刑罰のみが行われ、損害が賠償されなければ、個人の権利が平等に取り扱われたことにはなりません。なぜならば、損害を受けた者の被害回復ができなければ、被害者は常に加害者によって権利を侵害され、互いの平等を保つことができないからです。

このように、損害を賠償することによって権利の平等を維持するためには、単に財産上の損害だけに留まらず、徳義上の損害にも及ぼされるべきです。

例えば、議員選挙の場合に、役人が被選挙権を有する者を被選挙権名簿から除外するという場合は財産上の損害がないのですが、単に刑罰をもって十分とはいえず、権利を害された者に損害を賠償するべきです。
また、身体に関する損害の例として、強姦罪や女性が髪を切断された場合、中傷や罵倒によって精神的な苦痛を受けた場合などが挙げられます。この場合には財産的な損害は存在せず、いわゆる無形の損害であり、徳義的な損害というべきものです。強姦の際に怪我をさせられ、その治療費は財産的な損害となりますが、全く負傷しなかった場合は財産上の損害は存在しません。

女性が髪を切られた場合、財産上の損害はありません。美容院代が節約できて経済的に得をしたという見方もできてしまいます。 よって、財産上の損害のみを賠償の対象とするならば、強姦、讒謗中傷、罵詈侮辱などの場合には、被害者は損害賠償請求ができなくなり、屈辱を甘受するほかないこととなります。であればこそ、損害賠償とは、財産上の損害だけでなく、德義上の損害についても賠償を求めることができるものと解釈すべきなのです。

その根拠は刑法附則第五十九条にあります。「人の名誉や殺傷に関わる損害その他犯罪によって実際に発生した損害について、その賠償を求めることができる。」
この規定には、名誉や身体に関する損害であっても賠償を要するものであることが明らかです。
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〈賠償とは何か〉
以上で損害の賠償は財産上の損害だけでなく、無形の損害も含まれことはお分かりいただけたかと思います。それでは次に賠償とは何かについて説明致しましょう。

個々人の権利は平等であるべきです。この権利の平等を維持するためには、損害賠償の法が必要です。
この損害賠償を財産上の損害だけとし、名誉や身体に関する損害を含めないとすると、権利の平等を保つことができません。
かつての野蛮な時代には、暴力を制するには暴力にもって対処したものでした。しかし、社会が文明化していくにつれて、暴力で暴力に対抗する野蛮な習慣は捨てられ、賠償法にとって代わられました。つまり、賠償法は、世の中がより良い方向へ進んでいることを示す証拠と言えるでしょう。

賠償は金銭で行われるのが原則です。これを「償金」といいます。人民の間で行われる賠償は、刑罰とは同一ではありませんが、すでに被った損害を賠償させるものであることから、ある意味では私人間における刑罰と言ってもよいでしょう。

また、賠償はたいてい現実の損害よりも多額の要求を認めるのが慣例となっているようです。
例えば、国と国との間の賠償は、通常、現実の損害よりも多額の請求がなされます。
このように、実際の損害を超える要求をするのは、国と国の間だけでなく、個人間でも同じです。欧米各国で行われている例を見ると、離婚の損害賠償として数万円以上の巨額を要求したり、新聞紙上での誹謗中傷に対して莫大な賠償金を要求したりするなど、多くの場合、実際の損害を超える金額を請求しています。
そして、このような巨額の賠償金を得た人は、それを自分のものにするのではなく、学校、病院、貧院などに寄付するのが習慣になっている国もあります。
これは、おそらく実際の被害を超える賠償金を得ることから生まれた習慣と言えるでしょう。
その是非はさておき、このように実際の被害額よりも多額の要求を認めるということは、刑罰とほとんど同じだと言えるのではないでしょうか。

「徳義上の損害は算定基準がないため、弊害がある」との指摘もありますが、私はそのような考えが正しいとは思いません。
立法官が法律を制定する際、どのような行為に対してどのような刑にするのか、何円の罰金を科すべきか等、いちいち具体的な金額まで量定して決めているではありません。刑を量定するのは、立法者の智能によるのではないのです。
そうであれば、損害賠償請求があった場合も、裁判官は原告と被告の主張を参考に、事実関係と損害状況を考慮することで、賠償額を算定できるはずです。これは、立法者が刑罰の軽重を定めることよりも、はるかに簡単な作業と言えます。

以上から、刑罰とは別に損害賠償法が必要であること、そして損害賠償は財産上の損害だけでなく、無形な損害にも適用されるべきであることが理解していただけると思います。
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〈直接的な被害者でなくても私訴ができる場合〉
さて、それでは損害賠償に関する注意すべき事項を述べ、その後、被害者に関することをご説明いたしましょう。

前にも述べたように、愛情を害されたような場合は、その賠償を要求することはできません。
例えば、私と断金の交わりのある友人が殺害されたとしましょう。この場合、私の彼に対する愛情は甚だしく害されます。しかし、私は賠償請求要はできません。愛情が害されたとしても、私の権利はいささかも害されていないからです。人の情というのは空漠なものでありまして、風を捕らえるがごとく、影を捉えるがごとく、決して測定することができないからです。よって、私訴を成立させる理由とすることはできません。

それでは、親子・夫婦が殺害された場合も、私訴は成立しないものなのでしょうか。
子供を殺害された親、親を殺害された子供、妻を殺害された夫、夫を殺害された妻は、私訴は成立します。友人を殺害された場合とは大きく異なるからです。そもそも、親子や夫婦の関係は、分身同体ともいうべきものでして、親の害は即ち子の害、子の害は即ち親の害であり、夫婦の間においても同様です。よって、この損害は自分自身に害を受けたと同一視することができ、私訴を行うことができるのです。
古代ローマ時代には、このような場合を「痛苦の訴え」と呼び、徳義上の損害賠償ができるとしています。

親子・夫婦に関する賠償については欧州各国でも様々な議論があります。日本でも導入しようとすると、賛成と反対の意見が必ずぶつかるでしょう。
しかし、親子・夫婦間には賠償が認められるべきです。

かつてフランスの大審院検事長だったシュパン氏(1830年代即ち今より50年前の人です)は、以下のように述べています。
「世の中には、親を殺害された子供、夫を殺害された妻には損害賠償請求権がないのだという誤った考えを持っている人がいます。この人は次のように説いています。
『後見を必要とする幼者であれば、親が殺害されたときは、幼者が私訴をできるのは当然でしょう。しかし、生活費を子に頼っている親が殺害された場合、子は逆に生活費の支払いを免れるのです。この場合には、子にとって親は害を加えられたのではなく、むしろ義務を免除してくれたと言えます。そのため、子どもは殺害者に感謝こそすれ、損害賠償請求はできないというべきです。』」

これは、財産上の損害がない限り訴権が発生しないという偏見に基づく誤った論理です。損害賠償は財産上のものにとどまらないことは、既に論じましたので、皆さんもご承知のことと思いますので、この誤った説にわざわざ反論する必要はないでしょう。

さて、ここで一つの疑問が生じます。
それは、損害賠償は親子夫婦間にのみ存在するのか、それとも他の親族にも及ぶのかという問題です。
私は、他の親族に及ぼす必要はないと考えています。もっとも、親を亡くした幼者が兄や叔父に育てられている場合、その兄や叔父が殺害された際に、弟や姪は損害賠償請求権を行使できるべきです。
このようなケースでは、裁判官の判断に委ねられるべきであり、必ずしも親子・夫婦間に限定されると断言することはできません。しかし、一般論としては、原則として他の親族は損害賠償請求できないと考えた方が妥当です。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
〈被害者とは誰か〉
以上、損害の範囲について説明しました。次に、被害者とは誰かについて説明します。

第一に被害者とは、まず犯罪局面に当たったもの、即ち直接被害を受けた者を意味します。
しかし、犯罪の局面に当たらなくても、被害者として私訴をを起こせる場合があります。例をあげていえば、妻や又は親が被害を受けた場合は、夫や子は直接被害を受けていなくても、被害者として私訴を起こすことができます。その理由は既に述べましたので、詳述は致しません。

ここでは報道されたことのある例を紹介し、諸君の参考といたしましょう。
妙齢の美女のいる一家がありました。ある新聞記者はこの女性と結婚したいと申し込みましたが、父親から断られました。記者は怒り、報復しようと、娘の素行について捏造記事を新聞に掲載しました。
父親はすぐに裁判所に訴えたのですが、裁判所は娘の告訴を要するとして、父親の訴えを却下しました。
諸君はこの裁判所の却下の判断を妥当だと思いますか。

私は、この却下の判断は誤りだと考えます。
なぜならば、親である者が讒謗の直接の被害者ではない場合であっても、子を中傷されてしまったとき、親の不行届であることを公言されたものといえ、親もまた名誉を害をせられたものとして、被害者であるというべきです。
そのようにいえないとしても、親はその子の後見人者としての地位があり、その子の委任を要せずして、子を代理として私訴を行うことができ、私訴を起こすべき義務を有すると考えられるからです。
裁判所が却下したことを誤りと考えるのは以上の理由からです。


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〈私訴権の成立と損害〉
私訴権を行使するためには、現実に損害を受けていることが必要です。将来得られるであろう予望の利益が害せられたとしても、損害賠償請求権を行使することはできません。
例えば、代言人や医師は特種の営業で、厳しい規則や試験があり、特別な能力を持つ者でなければ営業に従事することができません。
試験を受けずに密かに営業を行う者がいた場合、具体的な被害者はいなくても、代言人や医師の全体に間接的に多少の損害が生じていることには疑いありません。

このような場合、代言人や医師が損害賠償請求権を行使できるのでしょうか。この点は、
フランスの学説では4つの説に分かれています。
第1説:損害賠償請求権を行使できないとする説 この説は損害が漠然としていることを理由としています。
第2説: 損害賠償請求権を有するとする説
「損害があれば訴権が生じる」という古来からの格言に基づく。
第3説:これらの営業者が団結すれば損害賠償の権利を行使できるとの説
損害は営業全体に及ぶため、個々の営業者が権利を行使することはできないと考える。
第4説:損害の有無のみが問題であり、団結するか否かは損害賠償とは関係ないとの説

私は、第4説が最も合理的と考えます。
第1説から第3説の問題点を簡単に説明しましょう。

第1説は、現に損害があるにもかかわらず、賠償責任を負わないとするものです。損害があるのに責任を負わないというのは、いかなる理由によるのでしょうか。根拠のない説と言わざるを得ません。

第2説は、どのような場合でも損害があれば賠償責任を負うべきとするものですが、これは極端な説言わざるを得ません。
例えば、東京で1名の無免許医が患者を治療したとしましょう。この場合、都下の医師全体に多少の損害があったことは明白ですが、個々の医師については損害があったことを明確に認識することは難しいでしょう。損害が明確に認識できないのであれば、何を基準に賠償責任を負わせることができるでしょうか。第2説も根拠のない説と言わざるを得ません。

第3説は団結の有無によって賠償請求権の有無を定めるものですが、この説に従うと、一個人が損害を受けていても、被害者が団結しなければ賠償請求できないことになります。これは実に不合理な説と言えるでしょう。

第4説は損害の有無によって訴権の有無を定め、損害があれば訴権を認める説であり、四説の中で最も妥当な説と言えるでしょう。

例えば、人口1000人、世帯数300戸の村があるとしましょう。古くから医師が一人いて、祖先から代々医療業を営んでおり、村人は皆その治療を受けています。一年の収入は概算でき、その予算で一家の生計を立てているのです。
しかし、突然一人の医師が現れて開業し、村全体がその医師の治療を求めるようになったとしましょう。しかし、その医師の免許状は偽造であったのです。この場合、ニセ医師が営業していた期間の損害は明確に把握できるので、この者が損害賠償責任を負うのは当然です。

もう一つの例として、生糸製造で有名な商社があるとしましょう。ところが、別の製造者が自身の商品を売りさばくために、その商社の製品を粗悪品だと公言し、世間の信用を損ねました。この場合、被害者は商社であり、損害を受けたことは明白なので損害賠償請求することができます。しかし、商社ではなくある地方の生糸についてそのようなことをした場合は、損害を受けた者はその地方全体の製造者であり、個々の製造者については損害を認識することができません。よって、この場合個人の名義で損害賠償請求することはできません。
結局のところ、損害が明確に把握でき、計算できるものでなければ、訴権を成立させることはできないのです。また、讒言を受けた場合も、この考えを類推することで、訴権の有無を判断することができます。


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