橋本胖三郎『治罪法講義録 』・第九回講義
第九回講義(明治18年5月19日)
現代語訳(試訳)
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(はじめに)
本日は第二節「刑事裁判所に私訴をなすこと」を説明致しましょう。
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第二節「刑事裁判所に私訴をなすこと」
(無告不理の原則)
刑事裁判所で私訴を裁判するということは、被害者が民事の原告人となり、損害賠償を求める申し立てを行うことが必要です(これを私訴といいます)。民事の原告人が請求をしなければ、裁判所は判決を下すことはできません。これが「無告不理」(訴えがなければ裁かれない)の原則です。
しかし、我が国の旧律においては、被害者からの請求がなくても、刑事裁判所は職権で損害賠償を命じていました。被害者の訴えがなくても、刑事裁判所が職権で損害を償わせることは異例なことです。それゆえ、治罪法においては、必ず被害者の訴えを待ってから裁判を行うことになっています。
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(無告不理の原則の例外)
しかし、例外はあります。刑法第48条には「裁判費用や盗品、損害賠償については、被害者の請求に基づいて刑事裁判所がこれを審判することができる。ただし、盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくてもすぐにそれを被害者に還付する」とあります。また、治罪法第308条には「被告人が刑の宣告を受けたかどうかに関わらず、没収に関係しない差押物品については、所有者の請求がなくても還付を言渡す」とあります。これら二つの条文は「無告不理」の原則には反していますが、実務に則した適切なものです。盗品が存在しているにもかかわらず、被害者が訴えなければ処分できないとし、それを犯人に返してしまうことは、犯人に利益を与えてしまうことになるからです。犯人に不正な富を得させることは許されるべきではありません。したがって、所有者が請求しなくても、その物の還付の言渡しをするのは妥当です。
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(刑法と治罪法の規定の異同について)
ところで、刑法と治罪法では規定の仕方が異なります。刑法では、「もし盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくてもすぐに被害者に還付する」と漠然と記載されています。そのため、「犯人の手元にある」とは具体的にどのような場合を指すのかが曖昧です。裁判所が物品を押収しているかどうかにかかわらず、犯人から他者に渡った物も含むのか、それとも犯人の手元に残っていて裁判所が押収しているものに限られるのか、いずれとも決めがたいのです。
しかしながら、治罪法では「没収に係らない差押物品」と非常に明確に規定しています。同法によれば、犯人の手元にあってもる、差押さえられていない物品については、被害者の請求がなければ還付されないこととなります。
一方、刑法では「盗品が犯人の手元にある場合には、請求がなくても直ちに被害者に還付する」と規定されています。刑法と治罪法は矛盾しているようにも見えますが、そうとるべきではありません。刑法の不明瞭な規定を治罪法が明確にしているととらえるべきです。つまり、刑法の「盗品が犯人の手元にある場合」とは、官が差押さえた物品を指すと解釈すべきであり、差押えられていない物品は、被害者からの請求がなければ還付の言渡しができないと解すべきです。なぜなら、単に盗品が犯人の手元にあるというだけでは、その物品がまだ確定しているとはいえず、確定していない以上、裁判所が還付を言渡す理由がありません。
「差押え物品」とは、裁判所が押収した物品に限るものではなく、官吏が他に移すことを禁止した物品すべてを指すと解すべきです。被告人の手元に盗品があっても、差押えの処分がある場合には、裁判所は還付の言渡しができるのです。
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(刑事裁判所が刑の言渡しをしない場合の私訴の扱い)
民事の原告人が、刑事裁判所に私訴を提起し、損害賠償を求めるには、いくつかの要件があります。その第一の要件は、違警罪、軽罪、重罪に付随する損害でなければならないこと、つまり犯罪によって生じた損害に限られるということです。
被告人は、刑の判決が言渡されるまで、無罪かつ潔白な存在として見なされるべきであることは重要な原則です。裁判の宣告があって初めて罪の有無が判断されるのです。
被告人の中には全く犯罪に関与していない者もいますし、証拠不十分で無罪となる者もいます。時には公訴の消滅により免訴となる者もいます。
これらの場合には刑が言渡されませんから、刑事裁判所が私訴を受理した理由も消滅することになります。なぜなら、刑事裁判所で私訴を受理するのは刑が言渡されることを前提としているからです。
理論上は当該行為が犯罪とならない場合には、私訴を受理する権利も消滅し、私訴を棄却することになります。
しかし、実際の運用においては必ずしもそうとは限りません。フランス治罪法では、重罪と軽罪とでは扱いが異なります。軽罪及び違警罪は、被告人が無罪または免訴となった場合は、私訴は却下されます。しかし、重罪の場合は私訴の裁判の言渡しがあります。
フランスでは、重罪の審理には陪審官という者がいて、事実の判決を行うため、たとえ無罪の場合でも、私訴の審理を行うことには問題がないのです。
一方、我が国の治罪法はフランスとは異なります。公判において私訴を受理したときは、刑の言渡しがなくても、私訴の裁判を行うのです。同法第306条第1項に「裁判所においては、公訴の裁判と同時に私訴の裁判を言渡さなければならない」とあり、第2項には「私訴についての取調べが十分でない場合は、公訴の判決があった後に、その裁判の言渡しができる」と規定しています。
第401条第1項には「犯罪について証拠が十分でない場合は、無罪の判決を下し、被告人を釈放しなければならない」、第2項には、「原告と被告間の賠償については、第399条の規則に従って判決を言渡さなければならない」とあります。
第306条及び第401条は、公訴が無罪や免訴になった場合であっても、私訴を裁判することを命じています。理論的には、刑事裁判所でこのような私訴の裁判を行うのは、その権限を超えるものであるといわざるを得ません。被告人に犯罪が成立しな場合は、私訴は民事裁判所に提起すべきであり、刑事裁判所は私訴を棄却して、民事裁判所に移すべきです。
しかし、実際の便宜を考えますと、法の規定する扱いをすることは理由があります。
刑事裁判所で十分に取調べを行い、被害者の損害についても全て立証がなされているのに、訴えを却下すれば、被害者はもう一度最初から民事裁判所に訴え出なければなりません。
このようなことでは、原告人だけでなく、被告人の貴重な時間も無駄になります。このような無駄を省くために、立法者は前述のように規定したと考えられます。
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(無罪となったときに私訴を判断しても弊害はない)
「被告人が無罪になった場合に、刑事裁判所で私訴を裁判するのは問題がある。悪意を持った者が、刑事事件を口実にして、不当に民事訴訟を刑事裁判所に持ち込むといった弊害が生じないだろうか」という指摘について考えてみましょう。
確かにこの指摘は一理あります。しかし、重罪に関しては、必ず予審を経ます。予審判事が犯罪の成立を認めない場合は免訴の言渡しをし、公判に付しません。予審判事は民事の審判を行う権限がないので、私訴を受理できません。軽罪及び違警罪は、複雑な案件は予審を経ることとなりますし、軽易な軽罪や違警罪については、必ず検察官が起訴することになっていますので、民事の原告人が申立てをしたからといって、検察官がその事実を認めない限り、起訴することはありません。
このように予審判事と検察官がいることで、原告人の専横は防ぐことができます。
フランスでは、軽罪に関して被害者が公訴を提起できますので、前述のような弊害を防ぐことは難しいのですが、本邦においては、被害者は予審判事に申立てを行うことのみが許されており、直接公訴を提起することが許されていないので、前述の弊害を防ぐことができるのです。
(その他)
被害者が予審判事に対して民事原告人として申立てを行う手続きは、治罪法第93条以下および第110条以下の二節に定められています。手続きに関しては、民事原告人の起訴を論じる際に詳しく説明致しましょう。また、民事原告人となることで、様々な権利と義務が生じますが、これらも民事原告人の起訴を論じるときに説明致します。
(第四章第二節 了)
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第三節 民事裁判所に私訴をなすこと
(治罪法第4条第2項)
治罪法第4条第2項は「私訴は、別に民事裁判所にこれを行うことができる」と規定しています。私訴は刑事裁判所で行うこともできますし、公訴とは別に民事裁判に訴えることもできるのです。
民事裁判所において私訴を提起することができることとしたのは妥当です。
刑事裁判所で私訴を裁判することは便利ですが、それだけの理由で、民事裁判所に訴えることを禁止するのは妥当ではありません。市民同士の争いを扱う訴訟は、本来、民事裁判所で受け付けられるべきであり、刑事裁判所で私訴を審理することは例外なのです。便利であるからといって、本来の管轄権を奪うことは理論的ではありません。
このように、私訴は被害者の選択次第で、刑事裁判所にも、民事裁判所にも提起できます。
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(刑事裁判所に私訴を提起する方が便利)
日本では、原告人にとっては刑事裁判所に私訴を提起する方が便利です。印紙税(人々にとって最も嫌われているものです)を免れ、また勧解を経る必要がないからです。
一方、フランスの制度では、被害者は刑事裁判所に訴えず、民事裁判所に訴えることを希望する者が多いとようです。フランスの民事裁判所の構成は非常に充実しており、裁判官も適任者が選ばれているためです。裁判所所長は全ての民事事件を管理し、裁判官の人員も民事局の方が充実しています。初審裁判所の刑事局は5人ですが、民事局は7人です。控訴院も同様です。このため、フランスでは刑事裁判所を避けて民事裁判所に訴える者の方が多いのです。
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(治罪法第6条)
治罪法第6条は、私訴が民事裁判所と刑事裁判所双方に関わる場合の規定で、民事裁判所は、公訴の裁判よりも先に私訴の裁判を行うことはできません
同条は一見解釈が難しくないように思えますが、深く検討してみると理解が難しいところがあり、その背景や根本に立ち返ってよく考察する必要があります。
フランス法では、「刑事は民事を中止すべきものである」というのが原則です。この原則は、刑事と民事の訴訟が分離して提起された場合に適用されるべきものです。刑事裁判所において公訴と私訴双方が提起されている場合には適用されません。
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(治罪法第6条の趣旨)
なぜ民事と刑事が分離して提起された場合、民事裁判所は刑事の判決を待たなければならないのでしょうか。その理由は以下のとおりです。
第一に、刑事訴訟は民事訴訟とは異なり、その影響は単に財産上の問題にとどまらず、身体・生命にも影響を及ぼすものだからです。刑事事件を裁判するには、充分に証拠を見きわめなければなりません。刑事裁判を後にすると、民事裁判と刑事裁判の結果が抵触することもありえます。二様の判決が出ることは、国民の信頼を失わせます。このため、民事裁判は刑事裁判を待って判決をすると規定されているのです。
第二に、民事裁判を先に行うと、その結果が刑事裁判に影響を与える可能性が否定できないからです。この点については、裁判の確定を説明するときに詳しくお話ししましょう。
第三に、民事裁判を先に行うことで、その影響が被告人に不利益を与える可能性があるからです。刑事裁判官は知らず知らずのうちに民事裁判の判決を頼りにしてしまうことがないとはいえません。民事判決ではなく、証拠を重視すべきです。
以上三つの理由から、民事と刑事の訴訟が分離されて提起されたときは、刑事訴訟を先に行い、民事訴訟を後に行うと規定されているのです。
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(公訴が提起される前に私訴が起こされた場合の取扱い)
治罪法第6条を適用する際には、他にも注意すべき点があります。それを以下に説明しましょう。
第一に、公訴が提起される前に私訴が起こされた場合についてです。
公訴が提起されていないときに、私訴が提起された場合、手続きはどのように進めるべきでしょうか。
民事裁判所において、その事件が犯罪に起因するものであると認められたときには、治罪法第96条は「官吏がその職務を行うときに、重罪や軽罪があることを認知し、又は重罪や軽罪があると思料した場合には、速やかにその職務を行う地の検事に告発すべきである」と定めていたす。
民事裁判官がこの告発を行った場合、その民事審判は中止すべきかが問題となりえますが、中止する必要はないと考えます。治罪法第6条には「公訴と私訴が同時に提起された場合」とあり、告発を行っただけで、公訴が提起されていないのですから、民事裁判官が審理を中止する理由がありません。
検察官が告発を受理しても、公訴を提起するとは限りませんから、裁判官が何もせずただ手をこまねいて、検察官がどのようにするかを待つ必要はありません。裁判官と検察官は互いに抑制し合うものではなく、それぞれ独立した権利を持って公平な裁判を維持する者です。告発を行ったとしても、検察官が公訴を提起していない以上、民事裁判官は私訴を審理するのが当然です。
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(私訴審理中に公訴が提起された場合の取扱い)
第二 私訴審理中に公訴が提起された場合
私訴の審理中に公訴が提起されると、刑事と民事が並行して進行する状態となりますので、治罪法第6条により、民事訴訟は中止となります。刑事の判決を待ち、判決が出た後に民事裁判を再開すべきです。
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(民事裁判の中止は刑事の終局判決が出るまで)
民事裁判を中止して刑事裁判の判決を待つといいますが、どのような判決を待つべきなのでしょうか。条文ではこの点が明確ではありません。私は、刑事の終局裁判を待つべきではありますが、確定裁判まで待つ必要はないと考えています。
確定裁判と終局裁判は異なります。確定裁判は、最終の判決であり、上訴することができない判決です。一方、終局裁判とは、一旦その事件が落着したものです。予審の言渡しにおいても、終局のものとそうでないものがあります。
免訴は、それ以上の異議や上訴ができないものですので、終局裁判です。
これに対して、公判に移す旨の言い渡しは終局裁判ではありません。これからさらに審理し、取調べが必要だからです。
このように、予審における免訴は、終局の判決ですから、民事裁判を進めることができますが、予審から公判に移す場合は、終局の裁判ではないため、民事裁判を審理することができません。
以上のように、民事裁判は終局裁判を待つものであり、確定裁判を待つものではありません。確定裁判を待つと、奇妙な結果を招くことになります。予審における免訴の言渡しは確定裁判ではないため、後日新たな証拠が発見されたときには後日裁判となることがあります。
確定裁判を待つとするならば、公訴時効の満了や欠席裁判の場合には、刑罰の時効に至るまで待たなければなりません。刑罰の時効期間は、短ければ7年、長ければ30年にも及びます。このような長い期間を待つとすれば、民事原告人の損害は非常に大きくなってしまいます。
フランス治罪法第3条第2項においても、「民事を中止するのは、終局裁判を待つべきものでって、確定裁判を待つものではない」と規定されています。
刑事裁判所においては、私訴が提起された場合は、公訴の裁判と同時に私訴の判決を言渡さなければなりません。確定裁判を待つのであれば、民事と刑事を同時に裁判することなどできません。このことからも、確定裁判ではなく、終局裁判を待つべきものであることがわかります。
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(私訴の判決を公訴の判決よりも先に言渡した場合の取扱い)
私訴の裁判を公訴の判決よりも先に言渡してしまった場合は、私訴の裁判だけでなく公訴の裁判も効力がなくなります。
民事と刑事が同時に提起されている場合、刑事の判決が先に行われなければ、民事の判決を言渡すことができません。これに反した場合、民事と刑事の両方の判決は効力がありません。形事上の予断を防ぐためです。民事と刑事の両方の判決を取消すためには上告を要することになります。
(第四章 第三節 了)
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