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南斗屋のブログ

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和解事例1576から和解事例1583まで

2019年12月12日 | 原子力損害
2019年11月8日、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)から和解事例が公表されました(和解事例1571から和解事例1583まで)。今回は、1576から1583までの和解事例を紹介いたします。
1576=自主的避難等対象区域(川俣町)からの避難費用に関するもの
1577=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料の増額に関するもの
1578=群馬県で米の自家販売を行う会社の営業損害(逸失利益)に関するもの
1579=旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)の特定避難勧奨地点の財物賠償
1580=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料の増額に関するもの
1581=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料の増額に関するもの
1582=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料の増額に関するもの
1583=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料の増額等に関するもの

和解事例(1576)
自主的避難等対象区域(川俣町)から中国地方に避難した申立人らについて、平成27年3月分までの避難費用(駐車場代)、子ども2名に対する避難雑費(子ども1名につき平成26年3月までは月額2万円、同年4月から平成27年3月までは月額1万4000円)が賠償された事例。

和解事例(1577)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人について、原発事故当時は、実家から100メートル程度離れた距離に所在する自宅において寝泊まりをしつつも、実家において朝食及び夕食をとり、また入浴をするなど、実家において居住していた父母及び弟と共に生活していたにもかかわらず、原発事故により同人らとの別離を余儀なくされたとして、平成23年3月分から平成24年4月分までの日常生活阻害慰謝料(3割の増額分)が賠償された事例。

和解事例(1578)
群馬県で米の自家販売を行う申立会社の平成26年産及び平成27年産の米に係る営業損害(逸失利益)について、個人客に対する販売に係る減収分は、安全・安心に特に関心が高い個人客が購入すると考えられる有機米と有機米以外の米との区別なく、原発事故の影響割合を平成26年産分は7割、平成27年産分は5割として賠償されたほか、業者に対する販売に係る減収分についても原発事故の影響割合を平成26年産分は3割、平成27年産分は1割として賠償された事例。

和解事例(1579)
旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)に居住していた申立人の財物(不動産)損害について、自宅が特定避難勧奨地点に設定されたことを踏まえ、同設定期間及び実際に避難していた期間等を踏まえて一定の価値減少を認めて賠償された事例

和解事例(1580)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人らの平成23年3月分から平成27年11月分までの日常生活阻害慰謝料(増額分)について、申立人のうちの1名が半身まひ状態での避難であったこと等を考慮し、当該申立人には東京電力に対する直接請求手続で支払われた月額1万5000円とは別に月額1万5000円が、その主たる介護者には月額3万円が、それぞれ賠償された事例。

和解事例(1581)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人の日常生活阻害慰謝料(増額分)について、原発事故当時生後1か月であった乳幼児を連れての避難であったこと、原発事故により避難を余儀なくされたために親族等からの育児等に関する支援を受けられなくなったこと、避難中に第二子を妊娠・出産したこと等を考慮し、平成23年3月分から平成30年3月分まで、月額3万円が賠償された事例

和解事例(1582)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人ら(父母)の日常生活阻害慰謝料(増額分)について、父母両名につき、家族の別離を余儀なくされたことを考慮して1人あたり月額3万円が賠償されたほか、母につき、申立外の子2名(原発事故当時1歳及び0歳)の育児をしながらの避難を余儀なくされたことを考慮して、さらに月額3万円が賠償された事例。

和解事例(1583)
避難指示解除準備区域(浪江町)から避難した申立人ら(母及び子3名)及び避難先で亡くなった申立外の亡父について、
1.原発事故前は自家消費用の野菜を栽培していたことを考慮し、直接請求手続で自家用野菜に係る賠償として支払われた9万4000円とは別に、平成23年3月分から平成27年1月分までの食費増加費用として37万6000円が、
2.亡父及び申立人母の日常生活阻害慰謝料(増額分)につき、両名が平成23年10月まで他の家族との別離を余儀なくされたことのほか、亡父はパーキンソン病等により要介護状態にあったこと、申立人母は亡父の介護をしながらの避難を余儀なくされたことを考慮して、亡父については月額3万円から5万円で算定した292万円から直接請求手続による既払金114万5000円を控除した177万5000円が、申立人母については月額1万円から3万円で算定した114万5000円から既払金7万円を控除した107万5000円が、
3.亡父の埋葬費用につき、避難元の公営斎場における埋葬費用に比して高額となった差額分の全額が、
4.ペット喪失による、精神的苦痛に対する慰謝料として10万円が、それぞれ賠償された事例。


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荻生徂徠勉学の地、千葉県茂原市本納

2019年12月07日 | 歴史を振り返る
茂原市の本納というところに、荻生徂徠勉学の地があります。荻生徂徠の父が江戸を追われていた時期があり、その間一家は徂徠の母方の実家のある茂原市本納に移り住んでいたのです。つまりは、勝ち組からは転落してしまった。そんな時期が荻生徂徠の茂原時代でした。

荻生徂徠は、将軍徳川吉宗の諮問に応えて政治論を著してしますが(「政談」)、その中で茂原にいたときのことを書いています。

「私が17,8歳のころ、上総の国に住んでいて聞いた話がある。加賀の国にはが一人もいない、もしがでると、小屋を建てて、その中にいれておき、草履を作らせたり、縄をなわせたり、さまざまの仕事をさせて、藩主の方からこれを養うかかりの役人をつけておき、その縄や草履などを売らせて、やがて元のように店を持つことができるようにしてやるのである、と加賀国から逃亡してきて、上総に居住している者が語るのを聞いて、これこそまことの仁政であると思ったことであった。」

この加賀の貧困対策というのはなかなか興味深い。小屋を建てて住むところを確保させる。これは今でいえば、ホームレス対策の無料低額宿泊所にあたるでしょうか。

それから、草履をつくったり、縄をなわせたりという仕事を与える。雇用対策ですね。
さらに、役人がその人のためについて、縄や草履を売らせて、もとの状態になるように復帰を援助する。かなりの手厚さです。
荻生徂徠が「これこそまことの仁政」と感嘆の声をあげるのももっともで、現代でもここまでの手厚い支援はありません。

徂徠はこの話を加賀からの逃亡者から茂原にいたときに聞いたとしています。特に仔細もなく江戸在住であったならば、逃亡者からの話を徂徠が聞くことはなかったでしょう。
加賀の国からの逃亡者との交流は、徂徠の心の中に強烈な印象を残し、後年の将軍への建白に繋がったのでした。

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和解事例、1571から1575まで

2019年12月05日 | 原子力損害
2019年11月8日、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)から和解事例が公表されました(和解事例1571から和解事例1583まで)。今回は、1571から1575までの和解事例を紹介いたします。
1571=旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)の居住者の日常生活阻害慰謝料及び就労不能損害に関するもの
1572=帰還困難区域(大熊町)からの避難者の日常生活阻害慰謝料の増額に関するもの
1573=地方公共団体が住民に一時避難を要請した区域(南相馬市鹿島区)に居住していた者の日常生活阻害慰謝料(増額分)及び生活費増加費用に関するもの
1574=居住制限区域(富岡町)の居住者の日常生活阻害慰謝料に関するもの
1575=地方公共団体が住民に一時避難を要請した区域(南相馬市鹿島区)の営農被害に関するもの

和解事例(1571)
旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)に居住していた申立人ら(父母及び未成年の子3名)について、避難先における父母の再就職や子3名の就学状況等の事情を考慮し、平成26年3月分までの日常生活阻害慰謝料(申立人らにそれぞれ月額10万円。ただし、申立人母につき、避難先での育児負担の事情を考慮し平成24年7月分及び同年8月分に限り各5万円を増額。)のほか、申立人母の平成24年7月分から平成28年3月分までの就労不能損害(原発事故の影響割合は10割から1割まで漸減)、申立人父の平成24年7月分から同年12月分までの就労不能損害並びに平成28年3月分までの一時帰宅費用及び駐車場代等が賠償された事例。

和解事例(1572)
帰還困難区域(大熊町)から避難した申立人について、皮膚の疾患等にり患している状況での避難であり、また、その症状や生活状況等から心療内科等にも通院を要したほど精神的苦痛を負っていたこと等を考慮し、平成23年3月分から平成29年5月分まで、避難や通院状況等に応じて月額3万円ないし6万円の日常生活阻害慰謝料の増額が認められ、合計269万円が賠償された事例。

和解事例(1573)
地方公共団体が住民に一時避難を要請した区域(南相馬市鹿島区)内の自宅から帰還困難区域(双葉町)内の実家に原発事故当時、里帰り出産のために一時帰省していた申立人母について、日常生活阻害慰謝料(増額分)として一時金30万円が賠償されたほか、避難中の生活費増加費用が平成24年11月分まで賠償された事例。

和解事例(1574)
居住制限区域(富岡町)に居住していた申立人ら(父母及び子)の平成30年3月分までの日常生活阻害慰謝料について、申立人子に対しても、仙台市内の専門学校の学生であったものの、原発事故前に同学校に対して退寮届を提出し、富岡町内の自宅を住所と届け出ていた上、平成23年4月には就職見込みであったこと等から、原発事故当時の生活の本拠地を上記自宅と認定して賠償されたほか、申立人父については、家族別離が生じていた期間について3割相当額が、避難生活のストレスから突発性難聴が発症したことに鑑み一時金20万円がそれぞれ増額され、また、申立人母については、家族別離が生じていた期間について3割相当額が増額されて賠償された事例。

和解事例(1575)
地方公共団体が住民に一時避難を要請した区域(南相馬市鹿島区)において農業を営んでいた申立人の柿に係る風評被害による営業損害(逸失利益)について、行政による出荷制限は課せられておらず、また、その他の農産物の売上げを考慮すると、原発事故前よりも売上収入が増加しているものの、実際の取引状況や原発事故前よりも申立人が農業に費やす労力を増加させたこと等を考慮し、平成30年1月分から同年12月分まで、原発事故の影響割合を8割として賠償された事例。


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