20年くらい前と比べると民事とか家事の判決というのはだいぶコンパクトになったような気がします。簡潔になった。これはどういう原因からか厳密にはわかりませんが、裁判官が忙しくなった。そういうことも影響しているように思います。
民事事件の件数は全体的には減少傾向なので、裁判官が以前に比べて忙しくなっているというのは、なぜなんだろう?と思ってしまいます。しかし、裁判官が忙しくなっている、余裕を失ってきているというのは事実のようでして、裁判官が書く論文も減っているようですし(判例タイムズも今や月刊・以前は月2回でした)、現役裁判官が本を出版するのも減っているように思います。
判決がコンパクトになってきているのは、裁判官が忙しくなっているというのとは別の原因もあるのかもしれません。最高裁長官を務めた矢口洪一は、「判決を見てきたように細かく書くのはやめたほうがいい。民事、刑事の関係なく、書けば書くほど『ここも間違っている。ここも違っている』ということになる。書かなければいいんです」といっている。
さらに、「裁判の本質は精緻な判決を書くことにあるのではない」とまで言っている。矢口洪一は海軍の軍法会議(会議とありますが、軍規違反の裁判のことです)の経験があって、「1日20件くらいは当然やりますからね」というスピード感なので、そういうのが念頭にあるんでしょう。1日20件も判決をするのでは、そんなに詳しい判決を書くことはできないですから。
矢口洪一の言説は、発言の当時「精緻な判決を書くのがよい」という考え方があったことが透けてみえます。20年以上前に私が出合った判決はかなり詳細なものであり、それだけに判決が出るのも時間がかかってました。
今は、民事の場合は弁論終結したら2ヶ月後には判決言渡しが原則ですからね。一審も二審もその辺はおんなじです。これだけのスピード感だと精緻な判決は書いていられないというのが裁判官側にあるのかなと思ってます。
つまり、今風にいうと判決は「ざっくり」なんですね。事実認定もざっくり。法の適用もざっくり。結論もざっくり。ところが、依頼者サイドからすると今の判決には不満がたまってます。「何でそういうふうな事実認定になるのかわからない」という感想が多い。
事実認定がざっくりというのは、当事者間に争いがない事実、客観的な証拠から確実にいえることだけ認定すること。当事者は判決を読んで、いろいろ主張したことは何だったのという徒労感に襲われる。最近そんな声が多いです。
それで、納得できないから控訴する。控訴しても和解勧試もなくてあっさりとした一審と同じような判決だと全然納得できない。それは弁護士サイドでもおんなじです。裁判官がどんな思考でそう考えるのかがわからないことが増えました。だから、依頼者に説明しようにも説明できない。
その訴訟はその判決で終わりになるけれども、紛争というのはそれだけじゃないことがあります。交通事故の損害賠償請求なら1回限りで、それ以上の紛争拡大はないのが普通でしょうが、夫婦間の紛争とかは火種がいくつも転がっています。
今の裁判官は「紛争の全体的解決」ということは言わなくなりましたね。以前はこのスローガンのもとに和解を熱心に裁判官が主導していたはずですが、いつのまにか下火になった。紛争を全体的に解決するよりは、今係属している訴訟の処理だけに専念したいようです。
だから、紛争の火種が残っているところでは、紛争が継続していく。その顕著な例が家裁での調停・審判事件の激増ではないでしょうか。
詳しいだけの判決が良いとは思いませぬが、詳細な判決に当事者が納得することもあります。一審でもめにもめて和解も全然ダメ、これは控訴必至だと弁護士サイドが思っていた事案で、判決がやけに詳細で今風な判決でなかったのがありましたが、当事者双方とも判決に納得。控訴なしで終わりました。
その判決はこうも考えられるし、こうも考えられる、でも結局これはこうだろうみたいな事実認定で、おまけに判決期日が延期で弁論終結から2ヶ月では言渡されなかったのですが、言渡しの遅れはともかく、そういう事実認定が人を納得させることもあるのだと認識しました。
(写真は本文と関係ありません)
民事事件の件数は全体的には減少傾向なので、裁判官が以前に比べて忙しくなっているというのは、なぜなんだろう?と思ってしまいます。しかし、裁判官が忙しくなっている、余裕を失ってきているというのは事実のようでして、裁判官が書く論文も減っているようですし(判例タイムズも今や月刊・以前は月2回でした)、現役裁判官が本を出版するのも減っているように思います。
判決がコンパクトになってきているのは、裁判官が忙しくなっているというのとは別の原因もあるのかもしれません。最高裁長官を務めた矢口洪一は、「判決を見てきたように細かく書くのはやめたほうがいい。民事、刑事の関係なく、書けば書くほど『ここも間違っている。ここも違っている』ということになる。書かなければいいんです」といっている。
さらに、「裁判の本質は精緻な判決を書くことにあるのではない」とまで言っている。矢口洪一は海軍の軍法会議(会議とありますが、軍規違反の裁判のことです)の経験があって、「1日20件くらいは当然やりますからね」というスピード感なので、そういうのが念頭にあるんでしょう。1日20件も判決をするのでは、そんなに詳しい判決を書くことはできないですから。
矢口洪一の言説は、発言の当時「精緻な判決を書くのがよい」という考え方があったことが透けてみえます。20年以上前に私が出合った判決はかなり詳細なものであり、それだけに判決が出るのも時間がかかってました。
今は、民事の場合は弁論終結したら2ヶ月後には判決言渡しが原則ですからね。一審も二審もその辺はおんなじです。これだけのスピード感だと精緻な判決は書いていられないというのが裁判官側にあるのかなと思ってます。
つまり、今風にいうと判決は「ざっくり」なんですね。事実認定もざっくり。法の適用もざっくり。結論もざっくり。ところが、依頼者サイドからすると今の判決には不満がたまってます。「何でそういうふうな事実認定になるのかわからない」という感想が多い。
事実認定がざっくりというのは、当事者間に争いがない事実、客観的な証拠から確実にいえることだけ認定すること。当事者は判決を読んで、いろいろ主張したことは何だったのという徒労感に襲われる。最近そんな声が多いです。
それで、納得できないから控訴する。控訴しても和解勧試もなくてあっさりとした一審と同じような判決だと全然納得できない。それは弁護士サイドでもおんなじです。裁判官がどんな思考でそう考えるのかがわからないことが増えました。だから、依頼者に説明しようにも説明できない。
その訴訟はその判決で終わりになるけれども、紛争というのはそれだけじゃないことがあります。交通事故の損害賠償請求なら1回限りで、それ以上の紛争拡大はないのが普通でしょうが、夫婦間の紛争とかは火種がいくつも転がっています。
今の裁判官は「紛争の全体的解決」ということは言わなくなりましたね。以前はこのスローガンのもとに和解を熱心に裁判官が主導していたはずですが、いつのまにか下火になった。紛争を全体的に解決するよりは、今係属している訴訟の処理だけに専念したいようです。
だから、紛争の火種が残っているところでは、紛争が継続していく。その顕著な例が家裁での調停・審判事件の激増ではないでしょうか。
詳しいだけの判決が良いとは思いませぬが、詳細な判決に当事者が納得することもあります。一審でもめにもめて和解も全然ダメ、これは控訴必至だと弁護士サイドが思っていた事案で、判決がやけに詳細で今風な判決でなかったのがありましたが、当事者双方とも判決に納得。控訴なしで終わりました。
その判決はこうも考えられるし、こうも考えられる、でも結局これはこうだろうみたいな事実認定で、おまけに判決期日が延期で弁論終結から2ヶ月では言渡されなかったのですが、言渡しの遅れはともかく、そういう事実認定が人を納得させることもあるのだと認識しました。
(写真は本文と関係ありません)