寛政12年5月11日(1800年)
朝より晴天、八つ半後より曇り、夜に入ってもますます曇天。この日東風(この辺ではヤマセ風という)が吹いたので渡海できず(三厩に)逗留。なお、庄屋の書付では風は丑寅(北東)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
江戸を閏4月19日に出立し、5月10日まで順調に進んできました。三厩から箱館への渡海を予定していますが、この時代は渡海は風任せであり、ヤマセが吹いて足止めです。忠敬は東風と認識していますが、地元の庄屋は北東風としていたので、その点を日記に記録しています。
寛政12年5月12日(1800年)
朝より曇天、夜に入り少雨降る。東風のため(三厩に)滞留する。なお、庄屋の書付でも風は東風とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
今日も三厩に足止めです。三厩は、明治時代も三厩村でしたが、2005年(平成17年)に合併し、外ヶ浜町となりました。
江戸時代から三厩港が北海道への渡航ポイントで、東日本フェリーの三厩〜北海道福島町が1998年まで運航していましたが、現在は航路はないようです。
三厩港。ここまで晴れていれば、チーム伊能も足止めしなくて済んだはずですが…。
https://twitter.com/machi_kazeno/status/1479559016884092928?t=jdm8NWGuV_Q37_TBJdaZIA&s=19
寛政12年5月13日(1800年)
朝曇り、五つ半頃より少しずつ晴れる。この日宇鉄というところまで、足間・方位を測量する。東風のため(三厩に)滞留。夜に測量。なお、庄屋の書付では風は丑寅(北東)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
「宇鉄」は、現在の外ヶ浜町三厩の大字。もともとは宇鉄村という村でした。三厩からは竜飛崎の方に寄ったところにあります。忠敬が逗留していたころは、三厩と宇鉄は別の村でした。明治時代の町村制施行により増川村、三厩村、宇鉄村が合併し、三厩村となっています。
宇鉄漁港
https://twitter.com/resthousetappi/status/1312406111832612864?t=VfloVnaG65Lpj0X62J-iTA&s=19
寛政12年5月14日(1800年)
朝より晴れる。無風であり、渡海できず(三厩に)滞留。夜に測量。なお、庄屋の書付では風は丑寅(北東)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
ヤマセのために渡海できずにいるチーム伊能。本日ヤマセ風は止んだものの、無風。当時の船は風任せなので、これでは出航できません。本日も三厩に滞留。三厩にはこれで五泊目です。
寛政12年5月15日(1800年)
朝から霧、深四つ後に晴天、その後また曇天、九つ半後より雨。終日ヤマセ風につき(三厩に)逗留。なお、庄屋の書付では風は子丑(やや東寄りの北風)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日もヤマセ風のため三厩に足止め(六泊目)。
伊能忠敬は、ヤマセ風という言葉は当初は知らなかったようです。5月11日の日記では「東風」と書き、その後に「この辺ではヤマセ風という」と付け足しています。
ヤマセは東北太平洋岸に吹くことが多いのですが、津軽半島まで影響を及ぼしていたようです。
https://twitter.com/SEI__jou/status/1408984503763095553?t=QJFBnG28FC9oaKR9w1yd8g&s=19
寛政12年5月16日(1800年)
昼夜曇天。同前。東風にて(三厩に)逗留。なお、庄屋の書付では風は申酉(やや南よりの西風)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日もヤマセ風のため(庄屋の判定では風向きは違うようですが?)、三厩に足止め(七泊目)。曇天のため観測も出来ず、日記にも書くことがないようで、簡潔な記事のみとなっています。毎日同じような記事であり、読者も飽きてきたかもしれませんが、チーム伊能は読者以上に辛抱の時だったでしょう。なお、明日は少し変化があります。
こちらのTwitterアカウント。太宰治の「津軽」からの命名と思われますが、忠敬の心情に照らすと、「風(の)待ち」に見えてきます…
https://twitter.com/machi_kazeno/status/1477628209147813890?t=VGgCNzMsLXLFu-W5WBYO1w&s=19
寛政12年5月17日(1800年)
朝より晴れ。風も少しよくなってきたので、朝五つ半ころ、大船(津軽侯の御船)に乗って渡海しようとしたところ、風がやんでしまったので、三厩(現・青森県外ヶ浜町)に帰る。逗留。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
三厩に七泊足止めをくっており、チーム伊能のあせりも限界です。本日ようやく風が少し渡海向きになったので、乗船したけれども、その後無風に…。三厩、八泊目となりました。風待ちの大変さは、現代の我々には思いが及ばないですね。もう少しチーム伊能の風待ちにお付き合いいただければ幸いです。
津軽藩の藩船永徳丸(津軽図譜より)
チーム伊能が乗船したときから20年以上後の絵なので、この船かどうかわからないですが、雰囲気は掴めるかと思います。
https://www.kyodokan.com/masterworks_detail/1/81
寛政12年5月18日(1800年)その1
前夜より朝四つ後まで大雨、その後小雨、八つ頃より曇る。昨日と同じく東風にて逗留。なお、庄屋の書付では風は子丑(やや東寄りの北風)とのこと。
#伊能忠敬 #測量日記
寛政12年5月18日(1800年)その2
滞留のときは毎日、三厩(現・青森県外ヶ浜町)の庄屋忠兵衛が不出帆書付を提出するとのこと。
覚
今日、丑寅又は申酉、子丑の風で、出帆ができませんでしたので、このことを申し上げます。以上
庄屋忠兵衛 判
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日も風待ちで三厩足止めです(九泊目)。今日の天気はほとんど雨、ヤマセ風で散々ですが、明日には事態打開となる…予定です。
ところで、今日の日記には不出帆書付の写しがついています。庄屋の書付ですから、公的な証明となるもの。渡海できなかったことの理由に、庄屋の書付が必要だったのでしょうかね。
寛政12年5月19日(1800年)
朝より晴天、五つ半頃風向きが少しよくなったので、出帆したが、戌亥の風が強くなって、箱館へ着船することが困難となり、松前領の吉岡というところに昼九つ後に着く。しばらく様子を見ていたが、風の向きが変わらないため、吉岡に泊。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
ようやく三厩から出港。三厩には風待ちのため九泊せざるを得ませんでした。しかも、目標としていた箱館へは到着できず。着いた場所は松前領の吉岡(北海道福島町)。原因は戌亥の風(北西風)。昨日まではヤマセ(東風)であったのに気まぐれな風です。旧暦5月ですから、今の6月〜7月梅雨の時期であり、天気は変わりやすかったのかもしれません。
今日の旅程は三厩〜吉岡。船での渡海ですが、グーグルマップだと渡海ルートがでないので、出発地と到着地の位置関係を把握するということで参考にしていただければ。
https://maps.app.goo.gl/RKp32UJ7uQgRpRCEA
福島町内(吉岡地区)には、伊能忠敬北海道測量開始記念公園があります。忠敬没後200年を期に2018年に作られたもの。この忠敬像の前のめりっぷり!忠敬の心情としては真に迫っているように感じます。
https://twitter.com/takienaoko/status/1203933725928484869?t=vIfQPBHyDRlV19oZxz6Mgg&s=19
寛政12年5月20日(1800年)
吉岡で朝四つ頃まで風がよくなるのを待っていたが、風向きが変わらず。やむなく陸路を行く。福嶋九つに着、止宿。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は、吉岡(北海道福島町)〜福嶋(北海道福島町)。今の福島町役場吉岡支所から福島町役場までは約6キロ。https://maps.app.goo.gl/UvW3mtYEx3iz8hgv6
箱館(函館)までの渡海を予定かていたチーム伊能でしたが、本日も風向きに泣かされました。朝四ツ(午前10時)まで風待ちしましたが、結局風向き変わらず、陸路を行くことに。吉岡〜福嶋の集落までは6キロ弱と、さほど遠い距離ではありませんが、精神的に疲れたのではないでしょうか。