(弁護士会も陸海軍に献金)
1942(昭和17)年に弁護士会が陸海軍に献金を行っていたことを知りました。
このことを記録にとどめているのは、「第二東京弁護士会史」(第二東京弁護士会編;1976年)です。
ここに書かれているのは、第二東京弁護士会の献金のことですが、大日本弁護士会連合会をあげて行っていたようですので、全国の弁護士会で献金がなされたと思われます。
(第二東京弁護士会の臨時総会での決議)
この献金は、第二東京弁護士会の臨時総会での決議により行われており、決議内容は、
1 献金は一口25円として、会員各自は1~20口の範囲で拠出すること
1 会員各自は少なくとも最小限度一口を義務として拠出献金すること
です。
今の感覚でいいますと、「献金は一口25円として、会員各自は1~20口の範囲で拠出すること」だけでよさそうなものですが、わざわざ「会員各自は少なくとも最小限度一口を義務として拠出献金すること」とも決議しているところは念には念をということでしょうか。「義務」というところにポイントがあるのかもしれませんが、随分念のいったことです。
(献金決議の経緯)
献金決議は、1942(昭和17)年に行われているのは意味があります。
前年の1941(昭和16)年12月8日に太平洋戦争が開戦となっているからです。
第二東京弁護士会では、早くも1942(昭和17)年1月14日に、常議員会(会社でいえば取締役会に相当)で献金の議題が取り上げられています。
(献金に関する経過報告書)
第二東京弁護士会では、献金に関する委員会を作って、献金事務にあたったようですが、その報告書が前掲書に掲載されています。この報告書は、「献金に関する経過報告書」というもので、次のような記載があります。
1 我が帝国陸海軍は、大東亜戦争における緒戦以来、赫々たる大戦果を挙げつつある。我が皇軍に対し深甚なる感謝の意を表するため、適当なる方法を講じる必要があるとの議論が起こり、これを大日本弁護士会連合会の事業として取り上げることに決定した。
1 大日本弁護士会連合会は、この趣旨に基づき、各地弁護士会がその会員1名につき50円の負担割合で計上醵出した献金で、陸海軍に飛行機を献納等することを昭和17年1月26日の臨時総会で可決した。
このような文章を見る限りは、どう考えても真珠湾攻撃での戦果を歓迎し、弁護士会の自発的な意図で、陸海軍に献金をしたというようにしかみえません(満場一致で可決されていますし)。
(日弁連の立場)
日弁連は、「戦前、弁護士会は、言論・表現の自由が失われていく中、戦争の開始と拡大に対し反対を徹底して貫くことができなかった。」としています(2015年5月29日、全然保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための宣言)。
この表現からしますと、弁護士会は、戦争の開始と拡大に対し反対はしていたけれども、それが徹底しなかったというようなニュアンスになりますが、太平洋戦争開戦時の陸海軍への献金のときには、戦争に反対していたといったことはなかったといえます。陸海軍に献金し、どうぞ飛行機のために使ってくださいということなのです。
このときの50円というのがどれほどの価値があるのかわかりませんが、「我が皇軍に対し深甚なる感謝の意を表する」ものであったことは間違いがありません。