同弁護士は2010年弁護士登録。弁護士登録それ以前に大分県庁で10年間行政官としての経験あり。
相馬市では、企画政策部参事として処遇されている。
防災集団移転に伴う土地権利関係の問題解決、復興施策の法的妥当性の検証などに当たっていたようである。
同弁護士は任期満了で2016年3月末日に退職。
その後、小津充人弁護士が2016年4月1日付で採用されており、高橋弁護士と同じく企画政策部参事の職にある。
被災自治体での人材確保はなかなか難しく、福島民報も次のように記している。
「法テラスなどによると、震災後、復興事業で法的課題に直面している被災地の自治体で弁護士採用の動きが出ているが、公募に応じる弁護士は少ないのが実情だという。
相馬市の高橋さんの任期は来年3月まで。市は7月から8月にかけて弁護士を対象にした採用試験の受験者を募集したが、応募はなかった。浪江町は5月と8月に公募したものの応募者はいなかった。」
(参照したもの)
・相馬市 平成25年6月 定例会議事録 06月10日(*1)
・相馬市 平成28年6月 定例会 06月13日(*2)
・福岡県弁護士会ホームページ
・2015年10月12日福島民報記事
https://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/10/post_12348.html
(*1)高橋厚至郎弁護士の定例会での挨拶は次のとおり。
◎企画政策部参事(高橋厚至郎君) まず、この場で、ごあいさつする時間を与えていただいたことを感謝申し上げます。
本年6月1日付で、法テラス日本司法支援センターより、相馬市企画政策部参事として着任いたしました高橋厚至郎と申します。
弁護士登録を有したまま、任期付き公務員として働かせていただくことになりました。弁護士になる前は、大分県庁で10年間、行政官として働いてまいりました。これまでの経験を生かして、相馬市民のために少しでも働ければと考えております。
どうかよろしくお願いいたします。(拍手)
(*2)
◎総務部長(星光君) 12番、浦島勇一議員の平成27年度の退職者と平成28年度の採用者の職種別人数の質問にお答えいたします。
平成28年3月31日の退職者は、定年退職で一般行政職6名、土木技術職1名、給食調理師職1名、早期退職で一般行政職1名、保育士職1名、任期満了で任期付弁護士職1名であり、合計で11名が退職することとなっております。
一方、平成28年4月1日で採用する職員は、一般行政職10名、土木技術職1名、任期付弁護士職1名であり、合計で12名を採用することとなっております。
自治体内で働く弁護士は徐々に増えている。
「自治体内弁護士」等とも言われているが、弁護士としての登録をしていない者もあり、「法曹有資格者」等ともいわれ呼称についてはいまだ固まっていない。
日弁連はHPで、「地方公務員として勤務する弁護士(法曹有資格者)に関する統計」を公開しており、日本全体では、令和元年6月時点で、採用している自治体数は120であり、採用されている法曹有資格者は184人であるとしている。
日弁連の分類に従って、採用している自治体を成立した結果は次のとおりである。
北海道 0自治体
東北 11自治体
青森県(1)・・・弘前市
岩手県(2)・・・花巻市、山田町
宮城県(4)・・・宮城県、石巻市、気仙沼市、東松島市
福島県(4)・・・福島県、相馬市、南相馬市、浪江町
関東 41自治体
茨城県(3)・・・茨城県、つくば市、稲敷市
栃木県(2)・・・栃木市、小山市
群馬県(1)・・・沼田市
埼玉県(4)・・・さいたま市、川越市、所沢市、草加市
千葉県(7)・・・千葉県、船橋市、柏市、市原市、流山市、浦安市、香取市
東京都(18)・・・東京都、特別区人事・厚生事務組合、中央区、文京区、大田区、世田谷区、中野区、板橋区、練馬区、葛飾区、江戸川区、青梅市、調布市、町田市、国分寺市、国立市、多摩市、西東京市
神奈川県(6)・・・神奈川県、鎌倉市、小田原市、茅ヶ崎市、逗子市、厚木市
中部 22自治体
新潟県(2)・・・新潟県、新潟市
富山県(1)・・・富山市
石川県(1)・・・加賀市
岐阜県(1)・・・岐阜市
静岡県(2)・・・島田市、富士市
愛知県(7)・・・名古屋市、豊橋市、岡崎市、春日井市、豊田市、小牧市、長久手市
三重県(8)・・・三重県、四日市市、松阪市、桑名市、名張市、志摩市、伊賀市、南伊勢町
近畿 19自治体
京都府(1)・・・福知山市
大阪府(9)・・・大阪市、堺市、高槻市、茨木市、泉佐野市、河内長野市、松原市、四條畷市、交野市
兵庫県(6)・・・兵庫県、姫路市、明石市、伊丹市、篠山市、朝来市、
奈良県(1)・・・奈良市
和歌山県(2)・・・和歌山県、和歌山市
中国 9自治体
島根県(1)・・・松江市
岡山県(4)・・・岡山市、備前市、赤磐市、早島町
広島県(2)・・・福山市、東広島市
山口県(2)・・・山口県、長門市
四国 2自治体
徳島県(1)・・・阿南市
香川県(1)・・・高松市
九州 17自治体
福岡県(7)・・・福岡県、北九州市、福岡市、久留米市、直方市、古賀市、糸島市
長崎県(2)・・・長崎県、長崎市
熊本県(1)・・・熊本市
大分県(1)・・・大分県
宮崎県(2)・・・宮崎市、小林市
鹿児島(4)・・・鹿児島市、鹿屋市、霧島市、南さつま市
公営住宅というのは、市営住宅、県営住宅のような自治体が建設・運営している住宅です。
公営住宅の場合は、「賃貸借関係」という言葉は用いず、「使用関係」という用語を用います。民間の賃貸借とは違う側面があるからです。
公営住宅は、「公営住宅法」という法律及び自治体の条例が法的根拠となっています。
公営住宅法1条は、国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とすると規定しており、公営住宅の位置づけを示しています。
この法律によつて建設された公営住宅の使用関係については、管理に関する規定を設け、家賃の決定、家賃の変更、家賃の徴収猶予、修繕義務、入居者の募集方法、入居者資格、入居者の選考、家賃の報告、家賃の変更命令、入居者の保管義務、明渡等について規定し(第3章)、また、法の委任(25条)に基づいて制定された条例も、使用許可、使用申込、申込者の資格、使用者選考、使用手続、使用料の決定、使用料の変更、使用料の徴収、明渡等について具体的な定めをしています(3条ないし22条)
これらの規定からは、公営住宅の使用関係には、公の営造物の利用関係として公法的な一面があるといえます。
入居者を決めるには一定の制限が法令で定められています。入居者の募集は公募の方法によらなければなりませんし(法16条)、入居者は一定の条件を具備した者でなければなりません(法17条)、事業主体の長は入居者を一定の基準に従い公正な方法で選考しなければなりません(法18条)。特定の者が公営住宅に入居するためには、事業主体の長から使用許可を受けなければならない旨各条例には定められています。
このように公営住宅の使用関係には公法的規制がかかっています。
このような流れで考えていくと、公営住宅の使用関係は民間の賃貸借とは違うのだから、賃貸借契約で適用される信頼関係破壊の法理の適用がないのではないかとの考えがでてきます。
実際、東京高裁昭和57年6月28日判決(判例時報1046・7)はこのような考え方を採用しています。この判決の事案は、都営住宅の使用者が許可を受けずに無断増築し、割増賃料も支払わなかったことから、東京都が本件住宅の使用許可を取消し、本件住宅の明渡し等を求めたとういものです。
しかし、最高裁は、この東京高裁の判断を退け、公営住宅の使用関係については、信頼関係の法理の適用があるとの判断を示しました(最高裁昭和59年12月13日判決・民集38・12・1411)。
最高裁の判断は以下のとおりです。
「公営住宅の使用関係については、公営住宅法及びこれに基づく条例が特別法として民法及び借家法に優先して適用されるが、法及び条例に特別の定めがない限り、原則として一般法である民法及び借家法の適用があり、その契約関係を規律するについては、信頼関係の法理の適用があるものと解すべきである。ところで、右法及び条例の規定によれば、事業主体は、公営住宅の入居者を決定するについては入居者を選択する自由を有しないものと解されるが、事業主体と入居者との間に公営住宅の使用関係が設定されたのちにおいては、両者の間には信頼関係を基礎とする法律関係が存するものというべきであるから、公営住宅の使用者が法の定める公営住宅の明渡請求事由に該当する行為をした場合であつても、賃貸人である事業主体
との間の信頼関係を破壊するとは認め難い特段の事情があるときには、事業主体の長は、当該使用者に対し、その住宅の使用関係を取り消し、その明渡を請求することはできないものと解するのが相当である。」
最高裁は、公営住宅法の使用関係については公法的規制が及ぶところがあるが、事業主体と入居者との間に公営住宅の使用関係が設定されたのちにおいては民間の賃貸借契約と変わらないと考えました。
「入居者が右使用許可を受けて事業主体と入居者との間に公営住宅の使用関係が設定されたのちにおいては、前示のような法及び条例による規制はあつても、事業主体と入居者との間の法律関係は、基本的には私人間の家屋賃貸借関係と異なるところはなく、このことは、法が賃貸(一条、二条)、家賃(一条、二条、一二条、一三条、一四条)等私法上の賃貸借関係に通常用いられる用語を使用して公営住宅の使用関係を律していることからも明らかであるといわなければならない。」
使用関係が設定される前は公法的規制、使用関係が設定された後は私法的規律(賃貸借関係)ということになり、同じ法律(公営住宅法)に基づくものであっても、場面によって公法的規制を及ぼすか私法的な規律となるのかを変えていくというのが、最高裁の結論です。
大杉榮や荒畑寒村です。
彼らは、政治犯として実刑を受け、千葉監獄に入れられました。
大杉榮は、千葉監獄に入れられた理由をこう書いています(「入獄案内」)。
「僕らのような伝染病のバチルスは、他の囚人とは一緒に置けないので、独房という小さい室に一人ずつ閉じ込められて置かれるのです。ところが、普通の監獄では独房の数がごく少ないので、もとは皆な当時日本唯一の新式監獄であった独房制度の千葉に送られたのです。」
バチルスとは最近お目にかからない言葉ですが、「桿菌(かんきん)。転じて、ある物事につきまとって、利益をうばい、害を与えるものを言う。」と辞書にあります。
自分たちのような政治犯は、権力者側から見れば伝染病の最近のようなもので、主義に染まっていない者に対して、政治的な見解に染めてしまうので、染まっていない者から隔離するために独房に閉じ込めておくのだ、というのが大杉の言い分です。
この大杉の言からは、当時の千葉監獄は最新式であったこと、独房を多数有していたことがわかります。
荒畑寒村「ひとすじの道」(日本図書センター)には、独房の数について書かれています。
「私たちは六十余の独房が相対して並んでいる四舎の、南側の監房に宇都宮、堺、大杉、盛岡、私、百瀬、村木の順で隣り合って入れられた。」
四舎には独房があり、その数は六十余であったようです。
同じ犯罪を犯した者たちが隣り合って入れられていますが、おそらく現代であればこんな収容の仕方はしないでしょう。
当時は隣の房と話すことができたらしく、荒畑は隣の房と話をして、看守に怒られたことを前掲書に記しています。
独房の様子について詳しく書き記しているのも荒畑前掲書の特徴です。
「独居房は三畳じきの板の間に一畳の蓆をしき、東西の両面はあら壁、北側の入口は厚い期の扉でその上部に監視窓と称する細長い口があり、外側から開閉し得るフタがついている木艦首が房内の囚人の動静をうかがう時は、廊下から監視窓のフタを開けて覗くと、口の内側は上下左右に拡がっているから房内は隅なく眼がとどくのである。扉と相対する南側には、やっと手の届くぐらいの高さの三尺の窓が切られ、引合せのガラス戸の外には鉄棒がはまっている。窓の下の右隅には水道の蛇口とコンクリートの洗面台、その下は洗い桶、左の隅には木製の衝立で鍵の手に囲んだ便所がある。木の合せブタを開けると、下半身が隠れるくらいの掘込んだコンクリートの便所で、落し口の下は外から便器を出し入れする装置だ。右側の壁には棚があって食器を入れた箱膳をのせ、その下の横に渡した麻糸には手ぬぐいと布巾がかけてある。手拭はウンサイのような厚い地で、まん中に縦に一本、監獄のシンボルみたいな赭い線が入っているシャレたものだ。膳棚の下には代赭色の布団がただ一枚、床の上にうすべったく畳まれている。房の中央、天井から下げられた五燭光の電燈はほとんど書を読むに足りない。以上が千葉監獄は寒村独居の場の舞台装置で、二三日もするとさらに作業の麻の束や、書籍数冊などの小道具が加えられた。」
千葉市のHPでは、次のような記事があります。
質問:葬儀について、「市民葬」はありますか。
回答:
千葉市斎場での火葬や葬儀につきましては、ご自分ですべて手配されるか、葬祭業者に依頼という方法になり、市で行う「市民葬」という設定はありません。
(葬祭業者の中には、千葉市斎場の式場を利用した「市民葬」や「家族葬」という名称で設定しているものもあります。詳細は、葬祭業者にご確認をお願いします。)
https://www.city.chiba.jp/faq/hokenfukushi/iryoeisei/seikatsueisei/1647.html
「市民葬」で検索しますと、葬儀業者と思われるサイトで「市民葬」を謳っていますが、どうも市の斎場を利用したものを「市民葬」と言っているようです。
今回のテーマの市民葬は、このような葬儀業者のいう市民葬ではありません。
地方自治体が行う葬儀、市が行うのであれば、市葬ともいうべきものですが、これもまた「市民葬」という名前にしているようです。
さて、このような地方自治体が行う葬儀というものは法律上問題ないのでしょうか。自治体が特定の個人のために葬儀を行うこと、そのために公金を支出することが問題ではないかという疑問も生じます。
この問題を考える手掛かりとして、和歌山地裁平成13年11月20日判決(判例秘書)という裁判例があります。
(事案の概要)
和歌山県有田市長は、有田市名誉市民条例に基づいて、平成11年6月、A(前市長)を有田市名誉市民に推戴する旨を市議会に提案し、市議会の同意を得て、Aを名誉市民に決定した。
有田市長は、市議会において、「有田市名誉市民前有田市長故A市民葬」(以下「本件市民葬」)の執行と,これに必要な費用を賄うため補正予算を提案し、市議会は,全会一致をもって可決した。
本件市民葬は,同年7月6日に挙行された。
補正予算に基づいて、本件市民葬の経費として支出された金額は合計約780万円であった。
(自治体は葬儀を行えるか)
同判決は、地方公共団体も葬儀を行うこと自体は可能であるとしています。判示部分を引用します。
「普通地方公共団体は,地方自治の本旨に反しない限り,自然人や私法人等と同様の社会的活動体として,接待や贈答等と同じく,社会通念上相当と認められる範囲内において祝賀,記念行事,顕彰式典等を社交儀礼の範囲内に属する事務として行うことができると解するのが相当であり,葬儀もこれに含まれるというべきである。したがって,地方公共団体は,このような葬儀に対しては適法に公金を支出することができるといわなければならない。」
地方公共団体とはいえ、普通の人間と同様に社会的活動を行うのであって、接待や贈答ということができて当然。実際、祝賀、記念行事、懸賞式典といったものを自治体が行っているけれども、それをおかしいという人はいないですよね。そうだとすれば、葬儀を執り行うということもできることにしてよい。
判決のいう論理はこのようなものでしょう。
この論理は説得力があるので、自治体が葬儀を行うことは何が何でもダメということにはならなさそうです。
(自治体の支出の限界~「社会通念上相当と認められる範囲内」)
しかし、判決はここで一つ重要な枠をはめています。
「社会通念上相当と認められる範囲内において」という言葉です。
つまり、自治体が葬儀を行っても構わないが、それは世間的な常識からみて、まあその程度であれば相当といってよいかなというような範囲で行わなければならない。著しく華美であったりして、支出が常識の範囲外ということである場合は、適法とは言えなくなりますよ、ということになります。
この判決の事案では、前市長の葬儀に対し約780万円が支出されており、これが判決のいう「社会通念上相当と認められる範囲内」なのかどうか、ここが判断のポイントとなってきます。
(適法性を認めた判決のロジック)
結論として、この判決は、前市長の葬儀に対し約780万円が支出されたことは適法であるとしています。
その理由は次のとおりです。
①本件公金支出の根拠となった補正予算が市議会において全会一致をもって可決された。
②有田市では過去に2度元市長の葬儀が行われており、葬儀費用は昭和56年が545万円余り、昭和62年が749万円余りであった。
③公金からの支出がなかったが、元和歌山県知事の県民葬では1670万円余りの費用が支出されている。
④一般私人の通常の葬儀のために必要とされる費用額の相場
「社会通念上相当」つまりは、常識的に見て妥当かどうかということを問うことになりますので、世間的な相場=前例を考慮するということ自体は妥当といえましょう。
前例としては、過去に2度の元市長の葬儀が行われていて、545万円と749万円であった、後者から比べると今回はほとんど変わりがない金額(780万円)だと。あと、世間相場からする葬儀費用というものがあって、今回の葬儀は前市長だということもあり、実際元県知事の場合は1670万円もの葬儀費用がかかっているではないですか。そうすると、前市長という立場も考慮すれば違法とまではいえない、つまりは適法であるというほかないのではないですか、というのが判決を書いた裁判官の考えではなかろうかと思います。
裁判官が結構迷ったであろうことは、次の判示からもわかります。
「本件市民葬の経費に充てられた本件公金支出の金額がその当時の社会通念に照らして社交儀礼の範囲を超えて容認することができないほどに不当であるとまで認めることは困難である」
はっきりと適法であるとは言い切っていないのです。
「容認することができないほどに不当であるとまで認めることは困難」というのは、ちょっと聞いただけではわかりにくい言葉ですが、まあそれだけに割り切れないような思いを裁判官自身がもったであろうことは想像に難くありません。
また、次のような判示もあります。
「なお,上記は社会通念という規範的な基準による判断であり,時代の変化に応じて社会通念が変動すれば,これを基準とする判断もまた変わらざるを得ない。とりわけ,地方公共団体の財政悪化もあって,公金支出のあり方等に対して住民から厳しい目が注がれている今日の情勢からすれば,今後の同種事案については,本件と同様の金額が支出されたとしても本件の判断とは異なり,違法との結論が出される可能性は少なからずあるものと考えられる。」
こういう判示をわざわざするのは、合議体(裁判官3人の判断)の中で支出の違法性を主張する裁判官がいたか、今回は適法としてやむを得ないけれども、適法性としてはギリギリだなと思ったか、いずれにせよ何らかの問題意識があったという風に読めます。
地方公共団体の放漫な葬儀費用への支出について釘を刺したと言ってよいでしょう。
(まとめ)
以上のように、この裁判例からすると、裁判官の主要な関心は、「社会通念上相当と認められる範囲内」か否か、つまりは公金の支出が常識に則った世間相場的なものかどうかであり、その範囲内であれば自治体が葬儀を行うこと自体は、自治体の裁量の範囲内であるということになるものと考えられます。
もっとも、世間相場というものは変わりうるものではありますし、葬儀も簡素化している今日の状況からすると、現時点で同じような金額を支出した場合に違法だという判断がでてもおかしくない状況ではあります。
原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)が公開した和解事例1651から和解事例1655までを紹介いたします。
1651=会津地方の材木販売会社の営業損害に関するもの
1652=自主的避難等対象区域(郡山市)の精神的損害の増額分に関するもの
1653=旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)の電気工事会社の営業損害に関するもの
1654=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料(増額分)
1655=居住制限区域(浪江町)の日常生活阻害慰謝料(増額分)
和解事例(1651)
会津地方において材木の販売等を業としている申立会社の平成30年7月分から平成31年3月分までの営業損害(逸失利益)について、申立会社の営業状況等に鑑み、原発事故前直近の平成21年7月から平成22年3月までの売上げを基準とするのではなく、平成20年7月から平成21年3月までの売上げを基準とし、また、対象期間の雑収入に計上された額のうち、別事業に係る売上げは対象期間の売上げとして扱わないで算定した額が賠償された事例(ただし、事故後に事業規模を縮小していること等に照らし、原発事故の影響割合を3割とする。)
和解事例(1652)
自主的避難等対象区域(郡山市)から母子のみで短期間の自主的避難を繰り返し行った申立人ら(父母及び子1名)について、避難費用及び生活費増加費用が賠償されたほか、子は発達障害を抱えながらの避難であり、母も子を介護しながら避難を行ったこと等の事情を考慮し、両名合計で3万円の精神的損害(増額分)が賠償された事例。
和解事例(1653)
旧緊急時避難準備区域(南相馬市原町区)に所在し、主に福島県内及び宮城県において電気工事等を行うことを業としていた申立会社について、本店所在地が屋内退避区域に指定されるなどしたことから、福島県内の避難指示等が出されていない地域に平成23年3月に取り急ぎ設置した仮の宿舎と、同宿舎からは工事現場への職員の移動に大きく迂回を要するために交通費が大きく増加することから、福島県内の別の場所に同年4月以降に設置した新たな宿舎について、これらの設置や維持に要した工事費用や賃料等の追加的費用等が賠償された事例(当初の仮の宿舎については原発事故の影響割合を6割と、新たな宿舎については同割合を4割とする。)。
和解事例(1654)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人夫婦の日常生活阻害慰謝料(増額分)について、避難所を多数回移動したこと、申立人夫が心臓疾患を罹患して手術や入院をし、その後眼疾患も罹患したこと、その間申立人妻が申立人夫の介護を行ったこと等を考慮して、平成23年3月分及び同年4月分は、夫婦それぞれについて、避難所生活を理由とした既払金(月額2万円)とは別に追加して月額3万円が、同年5月分から同年7月分までは、申立人夫につき月額8万円、申立人妻につき月額6万円が、同年8月分から平成27年3月分までは、申立人夫につき月額3万円、申立人妻につき月額1万円が、それぞれ賠償された事例。
和解事例(1655)
居住制限区域(浪江町)から避難した申立人ら(祖母、父母、子4名)の日常生活阻害慰謝料(増額分)として、1.避難により申立人祖母とその他の申立人6名との別離が生じたことを考慮し、申立人母に対し、別離が生じた平成23年3月分から申立人父母が避難先で新築住居を購入した平成27年7月分まで月額3万円(ただし、平成23年3月分及び同年4月分については月額3万6000円。)が、2.申立人母が避難先で乳幼児である申立人子のうちの1名の育児をしたことによる負担等を考慮し、申立人母に対し、上記1とは別に、平成23年3月分から同乳幼児が就学する前の月である平成25年3月分まで月額3万円(ただし、平成23年3月分及び4月分については月額3万6000円。)が、3.申立人子のうちの1名が避難期間中に妊娠・出産し、その後も避難生活を継続しながら申立外乳幼児の世話をしたことを考慮し、同申立人に対し、妊娠後の平成24年8月分から平成29年3月分まで月額3万円が、それぞれ賠償された事例。
しかし、書かれていないことも多い。
インターネット上に誰かが情報を載せてくれているから、知識が伝わるのであって、情報が掲載されていなければ、せっかくの知識も広くは伝わらない。
今日は、「寒川監獄」について書いてみたい。
寒川監獄は、今の千葉刑務所の前身である。
千葉市中央区に寒川町というところがある。
東京湾に面した場所だ。
今となっては何か特別なものがあるわけではない。
隣の川崎町というところには、アリオもあるし、映画館もある。
川崎町というのは、戦後に東京湾を川崎製鉄が工場を建てるためには埋め立てをしたことでできた地名である。
川崎製鉄も今や企業名としては存在しない。
今は、JFEスチールという名前になった。
2003年に日本鋼管と合併してこの名前になったのだ。
話を寒川に戻す。
江戸時代、寒川は寒川村だった。
ここは佐倉藩領で、佐倉藩の年貢米を江戸に廻送するための御用港として、賑いをみせていたところであった。
つまりはベイエリアであったのだ。
物資が集まり、倉庫が立ち並ぶところ。
しかし、明治となって佐倉藩がなくなり、米本位制がなくなったことから、倉庫は不要となった。
これが監獄に転用されたというのが、寒川に監獄ができた由来のようである。
1874(明治7)年までは、千葉市の大日寺境内に仮監獄があったという。
しかし、火災により消失。
そのために、寒川の地に監獄が移転したといわれている。
利用しなくなった米蔵を刑務所に転用したとういエピソードは、小菅監獄(現在の東京拘置所)とも似ている。
小菅監獄は、江戸時代は関東郡代伊那家の下屋敷であり、敷地内勤番所近くにあった広大な備蓄用籾蔵を転用されたことに始まっているからだ。
さて、寒川監獄である。この監獄は当初は寒川監獄と呼ばれていたが、1903(明治36)年には「千葉監獄」と呼ばれるようになった。
そして、現在刑務所がある貝塚の地に監獄が新設されたのは1907(明治40)年のことである。つまり、1903年から1907年までは「千葉監獄」といっても寒川の地にある監獄のことをさすのである。
寒川の地に監獄があったのは、1874(明治7)年から1907(明治40)年までの33年間ということになる。
寒川の監獄に収容されていた著名人としては、加波山事件の主犯である富松正安がいる。
富松は、寒川の監獄で未決期間を過ごし、死刑判決を受けたので、同監獄で死刑を執行された。
監獄というと、どうも既決囚のみを収容する場所というイメージが強いが、未決囚もいたということは、このことからもわかる。
そして、現在の千葉刑務所には死刑設備がないので、死刑は行われないが、当時の寒川監獄では死刑が行われたのだということもわかる。
加波山事件とは、1884(明治17年)9月に発生した民権激化事件の一つである。
加波山は茨城県にある山である。
そこで事件が起こったから、犯行時は茨城県にいたのだが、犯行に関わったものは散り散りに逃走したのである。
千葉県内に逃走したのが富松だった。
同年11月2日に逃走先の姉崎(現・市原市姉崎)で逮捕されたため、千葉重罪裁判所での裁判のため未決期間を寒川の監獄で過ごした。
一審で死刑判決。1886(明治19年)8月大審院でも死刑の量刑が維持されて確定した。
10月5日に寒川の監獄監獄で死刑が執行された。
当時の刑事訴訟は二審制であって、大審院に上告されても東京には移監されなかったのだ。
富松は、寒川の監獄で未決の期間を過ごし、死刑が確定されて、同所で執行された。
寒川監獄については、千葉市立郷土博物館発行の「ちば市史便り」14号(2015年3月)から大いに教えられた。
https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/kyodo/documents/newsletter14.pdf