嘉永7年9月下旬・大原幽学刑事裁判
大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳。
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嘉永7年9月21日(1854年)
#五郎兵衛の日記
非番予定だったが、宜平殿病気のため替わりに勤務。朝掃除、床下げ。大野様の仏事で御家中衆への会食手伝い。
若殿様は四ツ半時頃より雉子橋様へ。七ツ時、提灯持参で小出様方へ、奥様を御迎えに行く。五ツ半時戻る。九ツ半まで夜番を勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
・五郎兵衛は本日は非番だったのですが、同僚の宜平が病気のため、仕事。五郎兵衛が病気で仕事を休んだことはないですね。食べ過ぎが問題ですが、頑張って仕事をしています。江戸滞在中は日記を欠かさないのも五郎兵衛の偉いところです。
・本日の記事に「雉子橋様」「小出様」とありますので、五郎兵衛日記の「雉子橋様」=「小出様」と思われます。小出氏は丹波国園部藩で、この当時の藩主は小出 英教(ふさのり)です。五郎兵衛も書状を小出家に持参しています(7月15日条)。
〈詳訳〉
非番の予定だったが、昨日宜平殿病気となり、松枝町の借家で休んでいるので、替わりに小生が勤務。
朝掃除、床下げ。九ツ時に大野様の仏事で御家中衆の会食手伝い。八ツ時に薬店の湯に行く。戻ってから楊枝削り。
四ツ半時頃より若殿様雉子橋様へ。
七ツ時、提灯持参で奥様の迎え。提灯持って小出様へ、奥様を御迎えに行く。五ツ半時戻る。
九ツ半まで夜番を勤める。
〈その他の記事〉
○若殿様が雉子橋様に赴かれたときの御供
三浦源蔵
安達安蔵
御近習壱人
御草履取壱人
○九ツ時に御忍供で小出様へ御出になるとのと仰せあり。
先江
御駕籠四人
御取次壱人
御近習壱人
御箱壱人
御草取り壱人
釣台弐人
宮本錠左衛門
若党壱人
草取り壱人
○今夕七ツ半時、御奥様を雉子橋へ御迎えの御供。
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嘉永7年9月22日(1854年)
#五郎兵衛の日記
朝掃除、昼前に張物少々、楊枝削り。
松枝町の借家へ。幽学先生から、「五郎兵衛と節五郎の二人は食べ過ぎで太りすぎだぞ。特に五郎兵衛だ。気を付けて養生し、体を大切にせよ。」と種々ご指導いただいた。本日借家に泊まり。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛日記には、食べ物の記述が多く、これは食いしん坊だなと思っていたのですが、やはりそのとおりのようで、幽学先生から五郎兵衛、面と向かって「食べ過ぎ」といわれてしまいました。
〈詳訳〉
本日は非番だが、仕事。朝掃除、昼前張物少々、楊枝削り。大野様からお招きを受け、御馳走を頂く。
外出。安達様から頼まれ、本町で葛を買い、その後松枝町の借家へ。
又左衛門殿、良祐殿おられる。
晩に治郎右衛門殿、節五郎殿来られる。
幽学先生から、「五郎兵衛と節五郎の二人だけ、顔が太りすぎだ。食べすぎでの不養生だろう。特に五郎兵衛が心配だ。気を付けて養生し、体を大切にせよ。」と種々ご指導いただいた。本日借家に泊まり。
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嘉永7年9月23日(1854年)
#五郎兵衛の日記
良左衛門君は今日も早起き。朝七ツ時に起きて炊事を始める。小生も手伝い。
その後、御屋敷に戻って添番を勤める。
九ツ時平作殿が御屋敷に来た。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
良左衛門は早起きです。日の出前から起きて炊事をするのが日課のようです。以前ならば、借家に泊まった日は休みで、ゆっくりしていくのですが、人手不足なのでしょう、本日は添番を勤めています。
〈詳訳〉
朝七ツ時に良左衛門君起きて炊事を始めたので、小生も起きて手伝い。六ツ半朝食。
煙草一丸、寝巻一枚、お金を借家に置いて、五ツ時に御屋敷に戻る。
本日は添番。
宜平殿と二人で髪結いする。
幸左衛門殿は四ツ時に松枝町の借家へ行った。
九ツ時平作殿が御屋敷に来た。
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嘉永7年9月24日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
・朝掃除、御床下げ、楊枝削り、御弓場の片付け。夜番も九ツ半から勤める。
・夕方外出した時にキセルを落してしまった。
・宜平殿、五ツ半時松枝町へ行き、幸左衛門殿四ツに御屋敷に戻る。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
旗本の藪家には幽学一派から3名が奉公人として入り込んでいます。奉公人はこの3名以外にあまりいないようですので、幽学先生のいる借家に行くのは、日程をやり繰りしなけれぱならず大変です。ここのところは毎に一人ずつ行っています。
借家へ行った日
22日 五郎兵衛
23日 幸左衛門
24日 宜平
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嘉永7年9月25日(1854年)非番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、楊枝削り。昼に松枝町の借家へ。昨日キセルを失くしたが、幽学先生がかわりをくださった。
七ツ時、幸左衛門殿来る。長左衛門殿、良左衛門殿が夜九ツ時迄碁打ち。先生は悦んで、焼干杯を奢ってくれた。
借家に泊まり。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
幽学先生が五郎兵衛にキセルをプレゼント。昨日五郎兵衛は外出した際キセルを落としてしまったからですが、それにしても幽学がプレゼントするのは、相手を認めているときです。五郎兵衛はついこの間まで叱責されていたので、キセルをもらって嬉しかったことでしょう。
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嘉永7年9月26日(1854年)添番
#五郎兵衛の日記
五ツ時、御屋敷に戻る。楊枝削り。昼に大野様から頼まれ、諸徳寺村に出す書状を松枝町の借家まで持っていく。幽学先生と話しをし、馬喰町でキセルを買ってから、御屋敷に戻る。
夜番を勤めながら雑巾を二枚作る。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
昨夜は松枝町の借家で泊まりだったので、日の出前に御屋敷に戻り、シフトに入った五郎兵衛でしたが、大野様からの依頼で昼にも松枝町の借家を訪れています。「大野様」は、殿様が七周忌の御法事の際に参列しており(8月4日条)、ご家中衆の中でも地位の高い方と思われます。
〈詳訳〉
五ツ時、松枝町の借家から幸左衛門殿と二人で布団を御屋敷に持って帰る。
本日は添番。楊枝削り。昼に大野様から諸徳寺村に遣す書状を松枝町へ持っていった。
長部村の次郎右衛門殿と髪結い。
又左衛門殿「幸左衛門、五郎兵衛、宜平の三人は性学の者なのだから、御屋敷で粗相のないように気を付けるよう幸左衛門殿にも言っておいてくれ」
幽学先生ともお話しをし、馬喰町でキセルを買ってから、御屋敷に戻る。
夜番を勤めながら雑巾を二枚作った。
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嘉永7年9月27日(1854年)本番
#五郎兵衛の日記
早朝から九ツ時まで、田中様の米を藤助と二人で搗く。藤助と一緒に揚場の湯に行き、帰りにさつま芋一俵を買う。七ツ時、屋敷に戻り。夜番を九ツ半から勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
「食べ過ぎに注意」と幽学先生などから何回も注意されている五郎兵衛ですが、風呂に行った後に「さつま芋一俵」を購入。日記とはいえ堂々と書いてしまうのは、やはりその点の自覚がないからかもしれません。
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嘉永7年9月28日(1854年)
#五郎兵衛の日記
非番だが勤務(藤助殿と交替)。
朝掃除、楊枝削り。
七ツ過ぎに食扶持五人と三斗受取り、しらけ揚げ。夜番も八ツから勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
この年の9月は明日が最終日です。月の最終日には道友たちが借家に集うので、明日を休みにしたい五郎兵衛は藤助とシフトを交替しています。
なお、本日の記事中「しらけ揚げ」は意味が掴めなかったので、そのまま記載しました。
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嘉永7年9月29日(1854年)
#五郎兵衛の日記
・月末、松枝町の借家に全員集合。幸左衛門殿はが日本橋で秋刀魚と牡蠣を買ってきた。幽学先生は柿持参。
・各公事宿に袴代持参。
・小生は日暮れに番町の御屋敷に戻り(幸左衛門殿と宜平殿は借家で泊まり)、夜番を九ツまで勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
月の最終日、松枝町の借家に全員集合の日です。メインは秋刀魚と牡蠣、デザートは柿。食物のことを書き残すのは五郎兵衛らしい!
それにしても幽学先生は柿がお好きなようです。先月も柿でした(8月28日、29日条)。
〈詳訳〉
月の最終日、松枝町の借家に全員集合の日である。朝掃除。後の仕事は大寺藤助に頼んで任せた。
節五郎殿と幸左衛門殿は日本橋に肴(秋刀魚と牡蠣)を買ってきた。おけいさんに料理を頼む。幽学先生は、柿持参で御出になった。
一同で柿をいただく。
各公事宿に袴代を持って行く。
幸左衛門殿は大根を買いに、宜平殿はタバコを買いに出た。両名が戻ってから、三人で両国で膏薬を買いに行った。幸左衛門殿と宜平殿は借家で泊まり。
小生は日暮れに番町の御屋敷に戻り、夜番を九ツまで勤める。
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嘉永7年9月に30日は存在しませんので(同月は小の月)、 #五郎兵衛の日記 はお休みです。
#大原幽学刑事裁判
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