(はじめに)
BC級戦犯裁判に携わった弁護士として、宗宮信次弁護士がいます。
宗宮は、「そうみや」と読むようです。
(宗宮信次弁護士が携わった戦犯裁判)
同弁護士が携わった戦犯裁判は、以下のとおりです(前掲「日米なぜ戦ったか」)。
・極東国際軍事裁判
・アンボン、モロタイ島戦犯事件
・ヅーリッツル事件(上海米機搭乗員の処罰に対する戦犯事件)
・東海空襲軍律処罰事件
アンボン、モロタイ島戦犯事件については、「BC級戦犯関係資料集第一巻」に次の記載があり、宗宮弁護士は内地から外地への日本人弁護士派遣第一号のようです。
「現地においてはいずれも内地から専門の弁護人及び通訳を派遣することを要望していたが、当時は連合国側でこれを許可せず、唯一の例外として昭和20年末、アンボン第25根拠地隊司令官の要請により、豪州側の許可を得て、アンボン豪州軍裁判のため、宗宮信次、滝沢良策の同弁護士を同地に派遣し、両弁護士はアンボン及びモロタイ(裁判地が移動のため)において弁護に従事の上、同21年2月20日帰国した。」
宗宮弁護士は外地の戦犯裁判への派遣弁護士の先駆けと位置づけられるでしょう。
この昭和20年という時期になぜアンボン軍事裁判だけ、日本人弁護士派遣の例外となったのかについては興味がありますが、この点がわかる文献にはまだ巡り会えていません。
(宗宮信次弁護士の経歴・著作)
戦犯裁判に携わったことから、
・日米なぜ戦ったか 土屋書店
・アンボン島戦犯裁判記 法律新報社
・獅子に挑む豹 青潮社
を著しています。
このうち、「日米なぜ戦ったか」だけが地元の図書館にありましたので、読んでみましたが、題名のとおり、なぜ太平洋戦争が始まったかが主要なテーマであり、BC級戦犯裁判についてはメインテーマではありませんでした。
同弁護士の経歴は以下のとおりです(同弁護士著「日米なぜ戦ったか」)。
大正6年 日本大学法学部卒
大正8年から9年 判事任官
大正10年 弁護士
昭和14年 法学博士
昭和21年から23年 極東国際裁判主任弁護人
昭和22年から25年 中央大学教授
昭和26年から38年 日本大学教授
昭和31年から33年 司法研修所教官
有斐閣からの法律書を多数著しています。裁判官も経験しているので、弁護士の中でも理論派と言えるでしょう。
経歴にもあるように、昭和21年から23年には極東国際裁判、即ち東京裁判の主任弁護人を務めています。BC級戦犯のみならず、A級戦犯の弁護人のを務めた弁護士はまれではないでしょうか。
(東京弁護士会育英財団との関係)
宗宮弁護士は、東京弁護士会に、昭和34年に会員子弟等の育英事業資金として500万円を寄附し、この資金をもとに東京弁護士会育英財団が設立され、現在も同財団は活動しています。