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仮刑律的例 37 秋月藩士の庄屋殺害⇒切腹

2024年07月18日 | 仮刑律的例
仮刑律的例 37 秋月藩士の庄屋殺害⇒切腹

〈事案の概要〉
秋月藩士・田代勝兵衛が、大酒の勢いで親戚でもある庄屋を殺害しました。秋月藩は、同人の刑として切腹とし、明治政府もこれを認めた事例です。
秋月藩士の田代は手元不如意で 、庄屋(宗右衛門)や地元の医師から借金をしていました。
返済が滞ったことから、医師は宗右衛門から田代に督促してくれるよう依頼し、宗右衛門は黒田藩の関所に督促に訪れました。
田代はその際不在でしたが、後でこれを聞いて激怒。翌日、酒に酔った状態で宗右衛門を殺害したというものです。
秋月藩は切腹が相当と考え、明治政府も異論なく認めています。
借金まみれとなり、返済に窮して、殺人に及ぶという何とも救いようのない事件です。庄屋は自己の職責を果たしただけですので、加害者がこれに憤るのは逆ギレ以外のなにものでもありません。



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【筑前秋月藩からの伺】明治二年二月十五日
明治2年2月、筑前秋月藩からの伺い。
【伺い】
当藩の田代勝兵衛という者は、昨夏筑後国堺の関所で勤務していたときに大酒を飲み、久留米領御井郡下川村先の庄屋宗右衛門という者を殺害しました。
勝兵衛と宗右衛門は親戚関係にあり、普段から親しくしておりました。勝兵衛は手元不如意となり、近村の医師から借金をしていました。借金の返済が遅れたため、医師は庄屋の宗右衛門に督促を依頼しました。
宗右衛門は督促の為、黒田藩の関所を訪ねましたが、勝兵衛は他所で出仕しており不在でしたので、宗右衛門は勝兵衛の借金の件を関所に伝えて帰りました。
勝兵衛は藩邸に帰って来て、宗右衛門が来たことを聞き非常に不愉快となりました。勝兵衛は以前から宗右衛門に金を借りておりましたが
、返済が滞っておりました。宗右衛門からはそのうち督促がなくなっていたのです。今回、医師からの借金の督促とはいえ、宗右衛門が来たので、おかしいではないかと思ったとのことです。
勝兵衛は翌日、宗右衛門への怒りを抑えることができず、酩酊状態で下川村に赴き、宗右衛門を殺害しました。
勝兵衛は本来であれば、役職を守り、他領に行くことは許されません。さらに、以前にも法を犯したことがあり、今回のような事件が起きたため、重々不埒であると考え、割腹を申し付けるべきと評決しました。このことはすでに久留米藩にも連絡しました。しかし、昨年11月から死刑の裁決については、お伺いをし裁決を仰ぐ必要があるとのことですので、本件処分につきお許しいただくようお願い致します。

【返答】伺いのとおりでよい。

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