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仮刑律的例 38 明治元年行政官布告の刑律問合

2024年07月29日 | 仮刑律的例
仮刑律的例 38 明治元年行政官布告の刑律問合

【近江膳所藩からの伺】
明治2年正月、膳所藩からの伺い。
先年、刑律の御布告があったことに謹んで敬服いたします。つきましては、以下の点について伺い奉ります。
【伺い①】
・刑律の御布告では、「その他の重罪および焚刑は、梟首に代えること」とありましたが、すべての重罪に適用されるということでよろしいのでしょうか。
・故幕府の御委任当時に梟首と定められていた罪科の者については、どのように取り計らわれるべきでしょうか。この罪科にあたるものについては、吟味詰口書と共に伺書を提出すればよろしいでしょうか。
⇒いずれもそのとおりである。
(全ての重罪及び焚刑は梟首とすべきである。従前梟首とされていた刑について梟首とすべきときは、吟味詰口書と共に伺書を提出すべきである)

(コメント)
明治元年に発せられた行政官布告(明治元年十月晦日)についての質問です。
この布告は以下のような内容です。
ア 新しく刑律を制定するまで、公事方御定書により刑を定めること。但し、以下の点を修正する。
イ 磔刑は君父を弑する大逆に限る
ウ その他の重罪や焚刑は梟首とする
エ 追放や所払いは徒刑に変える
オ 流刑は蝦夷地に限られる
カ 百両以下の窃盗罪は死罪とはしない
キ 死刑については勅裁(天皇の裁可)を経ることが必要であるから、府藩県とも刑法官に伺いを出すべき。
伺い①では、ウ及びキについての確認です。


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【伺い②】徒刑場等について
刑律の御布告では、「追放刑・所払は徒刑に換えよ」とのことです。徒刑場というのは、それぞれの場所によってもどのようなものが良いというのはあるかとは思いますが、どのような取扱い方がよろしいものでしょうか。また、罪人の目印等は相応のものでよろしいでしょうか。そのことにつき、届出しなくてもよろしいでしょうか。
・徒刑の取扱い方は、各藩等に任せる。
・罪人の目印についても自由である。もっとも、定めた場合は政府に届出されたい。

(コメント)
明治元年行政官布告(前項)の「追放や所払いは徒刑に変える」との点についての質問です。今の懲役刑にあたる徒刑は、明治になって導入されましたので、各藩からの問い合わせが相次いでいる事項です。明治政府行政官の返答は、「徒刑の取扱い方は、各藩等に任せる」というものであり、明治2年時点では、現場に丸投げでした。


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【伺い③】窃盗罪について
・刑律の御布告では、「被害金額が100両以下の窃盗は死刑とはしない」とのことですが、そのような場合、徒刑とすべきでしょうか。
⇒そのとおりでよい。

・100両以下といっても罪状に軽重がありますが、徒罪の年数に反映させてもよいでしょうか。
⇒そのとおりでよい。

・物を盗んで他所で質入れしたり売り払ったしまい、盗品自体の現物を確認出来ない場合は、本人の申し立てどおりに金額を認定してよいでしょうか。
⇒そのとおりでよい。


(コメント)
明治元年行政官布告(前項)のうち「百両以下の窃盗罪は死罪とはしない」との点についての質問です。百両以下の窃盗罪は徒刑に処すること、罪状の軽重は徒罪の年数に反映すべきこと、盗品を確認できない場合には本人の申立てによって被害額を認定してよいと明治政府は返答しています。


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【伺い④】徒罪について
・徒罪人は労働をさせて、わずかばかりでも報奨金を与え、刑が満期を迎えたときは、本人の希望に応じて、住居や家業を与えて良いでしょうか。それとも、本人の生国に戻すべきでしょうか。
⇒刑が満期を迎えたときは、本人の希望に応じてよい。

・徒罪中に脱走した者は、どのような刑とすればよろしいでしょうか。
⇒一度目の脱走は当初の刑を倍にして役につかせよ。二度目は死罪とすべきである。

・徒罪は窃盗をした場合に限らないという扱いでよろしいでしょうか。
⇒徒罪は窃盗の場合には限らないものである

(コメント)
脱走した者の刑がかなり過酷です。
「逃走の初犯は刑を2倍にし、再犯は死罪」が、明治政府の方針。徒刑自体が制度として固まっておらず、逃走した者は厳罰に処すという方針自体は理解できるものの、量刑が異様に厳しいのには驚かざるを得ません(現代では逃走罪が成立して、その分の刑期が延びるだけです。死罪にはなりません)。

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【伺い⑤】その他
・徒刑のほか、諸払いは全て廃止でよろしいでしょうか。
⇒全て廃止である。

・無宿の者が窃盗をするつもりで人家に忍び入ったが、窃盗は未遂に終わった場合はどのように取り扱いましょうか。
⇒新しい律を制定するまでは笞刑に処すほかは、これまでの例どおり取り扱えばよい。

・怪しげな者を取り押さえて、取調べたところ、他領で悪事をしたと自白し、盗賊に間違いないときは、その地の領主に引き渡してよろしいでしょうか。
但し、遠隔地の場合には、吟味詰の口書を添付して、京都府に本人を差し出すことでよろしいでしょうか。
⇒場所がどこであっても、領主にさしだすようにすべきである。

・新しい刑律を制定するまでは、従来の例によるとのことですが、旧幕府にご委任の刑律令書はどのような書類かお教えください。
⇒御定書百か条によるべきである。

(コメント)
江戸時代は、それぞれの藩に裁判権限があり、複数の藩にまたがるような事件は、江戸で裁くことになっていました。そのため、他領地のでの事件は領主に送るべきか、京都府(当時の明治政府の本拠地)で裁くのかという疑問が生じたのでしょう。明治政府は、事件の起こった場所の領主に送るべきであると指示しています。


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