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原発ADR和解事例1518から1522

2019年07月10日 | 原子力損害
2019年7月5日、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)から和解事例が公表されました(和解事例1513から和解事例1530まで)。今回は、1518から1522までの5和解事例を紹介いたします。
 1518が旧避難指示解除準備区域の慰謝料の増額・延長に関するもの、1519が帰還困難区域の方の就労不能損害、生命・身体損害に関するもの、1520は大学生に関するもの、1521は自主的避難等対象区域の避難費用及び避難雑費の増額に関するもの、1522は自主的避難等対象区域(川俣町)の会社の営業損害(農業収入)に関するものです。

和解事例(1518)
旧避難指示解除準備区域(楢葉町)に居住していた申立人父母及び子ども3名のうち、子どもの就学上の理由のため週末を除き自主的避難等対象区域(いわき市)の仮住居で生活していた母及び子ども3名の日常生活阻害慰謝料について、母及び子ども3名の自宅での生活状況等の事情を考慮し、それぞれ月額1万3000円が、母及び長女につき平成27年9月分まで、二女及び三女についてはそれぞれの進学による転居時期までの期間につき賠償されたほか、申立人父母の日常生活阻害慰謝料(増額分)について、父は右半身まひの後遺症(要介護度1)を抱えながら避難生活を送ったこと、母も父の介護をしながらの避難生活を余儀なくされたこと等を考慮し、父につき平成30年3月分まで月額1万円、母につき一時金50万円が賠償された事例。

和解事例(1519)
帰還困難区域(大熊町)から避難した申立人の就労不能損害、通院交通費及び通院慰謝料について、原発事故後にPTSDにり患したこと等の事情を考慮し、平成29年12月分までの期間につき、原発事故の影響割合を7割として賠償されたほか、同月分までの避難費用等が賠償された事例

和解事例(1520)
帰還困難区域(浪江町)に所在する実家に住民票上の住所を有し、原発事故当日も同実家において生活していたが、年間を通じてみると他県に所在する大学への通学のために、同大学の近傍においても生活をしていた申立人の日常生活阻害慰謝料について、平成23年3月分及び同年4月分は月額10万円が、平成23年5月分から平成26年3月分までは月額2万5000円の割合による金額が賠償された事例

和解事例(1521)
自主的避難等対象区域(福島市)から平成23年3月に避難した申立人ら(成人2名及び子ども2名)について、避難以前は、自家栽培の野菜や養鶏による鶏卵を食べて生活していたところ、避難先では養鶏が行えなくなったこと、野菜についても平成24年3月以降は避難先での栽培を再開したものの収穫量は避難以前よりも減少したこと等の事情を考慮し、平成25年3月分までの生活費増加費用(自家消費野菜・米・鶏卵)が賠償されたほか、平成27年3月分までの避難費用及び避難雑費が賠償された事例。

和解事例(1522)
自主的避難等対象区域(川俣町)において、米の集荷、検査及び販売事業等を行う申立会社について、上記事業以外の事業を合わせた申立会社全体の売上高及び売上総利益は原発事故前よりも増収増益となっているものの、原発事故の影響によって原発事故前よりも申立会社が米を集荷する地域の水稲の作付面積及び収穫量が減少し、これによって、申立会社の上記の米に係る事業については、減収が継続しているとして、原発事故の影響割合を3割として、上記米に係る事業の平成29年3月分から平成30年2月分までの営業損害(逸失利益)が賠償された事例

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