南斗屋のブログ

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伊能忠敬、帰路仙台から師匠高橋至時に書状を出す

2022年10月08日 | 伊能忠敬測量日記
〈はじめに〉
伊能忠敬は蝦夷地測量で国後島を目指していましたが、残念ながら国後島にはたどり着けず、ニシベツ(北海道別海町本別海西別川河口付近)から折り返すことになりました。
師匠の高橋至時への書状は、①現在の状況の説明、②幕府の役人三橋藤右衛門からのレポートの添削依頼にあります。
①については、ニシベツで折返し、現在は仙台におり、10月21日には江戸に到着する予定であると書かれています。
②については、「蝦夷地にて三橋藤右衛門様から、天文の来歴、唐土紅毛からの伝来に着き、江戸に着くまでの間に書き認めるようにとのご依頼をいただきました」と書状で説明されているとおりで、この幕府の役人からのレポートの宿題をクリアするために高橋至時先生のお力を借りたいというものです。

【寛政12年10月8日(1800年)伊能忠敬から高橋至時への手紙】
一筆啓上。先生に置かれましてはますますご安泰のことと存じます。
測量の御用の件は従前にも愚簡により申し上げましたので、その後のことをご報告します。
ノコベリベツ、アンネベツを通り、ニシベツまで参りました。ニシベツでは、ネモロ御詰合の役人が出張中でしたので、ネモロには行かずに遠測ですませ、アツケシに帰りました。
8月13日にはアツケシを出立し、9月11日には箱館に帰着しました。箱館を14日に出立し、17日には松前に着きました。翌18日は順風で三厩に無事着き、20日に三厩を出立。道中できるだけ各場所で測量し、今日仙台城下に着きました。長旅でありましたが、ここまで一同無事ですので、ご安心ください。
 仙台は明9日に出立、9月20日には草加泊、21日には江戸に戻る予定でおりまして、先触もそのように出しました。先触とこの書状とは、千住宿から御役所まで届くよう手配いたしましたので、ご高覧の上お手数ですが、深川の隠宅(自宅)まで届くようご手配いただければ幸いです。
一 蝦夷地にて三橋藤右衛門様から、天文の来歴、唐土紅毛からの伝来に着き、江戸に着くまでの間に書き認めるようにとのご依頼をいただきました。三橋様は既に江戸にお戻りです。帰路測量の合間を縫って草稿を書きました。前後も混乱しておりますが、ご高覧の上、なにとぞご添削くださいますようお願いいたします。御面倒をおかけいたしますが、三橋様からのご指示ですので、よろしくお願いいたします。
 ところで、蝦夷地各所で御詰合の役人の方は、「蝦夷人に漁労の時候を指図したいのだが、新しい年の暦が延着してしまうようでは困る。できれば前の年の秋中には略暦でもよいので入手したいものだ。」と口々に仰っていました。このようなことは、三橋様から若年寄様に仰っていただくほかございません。三橋様宛の私の書面にはこのようなことは書いていないのですが、この点もお含みおきいただきまして、併せてご添削くださいますよお願い致します。

〈コメント〉
・伊能忠敬は村役人を長年務めていただけあって、上司である高橋至時への報告も無駄がありません。
 ニシベツから折り返す理由は、寛政12年8月7日付けの日記では詳細に記されていますが、ご紹介した高橋至時への書状では、「ニシベツでは、ネモロ御詰合の役人が出張中でしたので、ネモロには行かずに遠測ですませ、アツケシに帰りました。」と簡単に説明しています。

伊能忠敬、北海道ニシベツから引き返す:寛政12年8月7日日記フルバージョン - 弁護士TKのブログ

〈はじめに〉伊能忠敬は蝦夷地測量で国後島を目指していましたが、残念ながら国後島にはたどり着けず、ニシベツ(北海道別海町本別海西別川河口付近)から折り...

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・今後の予定として、「仙台は明9日に出立、9月20日には草加泊、21日には江戸に戻る予定でおります」と書いており、そのとおりに江戸に到着しています。忠敬の頭の中では旅程のプランニングが出来上がっており、そのとおりに軽々と実行しています。


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