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伊能忠敬、北海道ニシベツから引き返す:寛政12年8月7日日記フルバージョン

2022年08月07日 | 伊能忠敬測量日記
〈はじめに〉
伊能忠敬は蝦夷地測量で国後島を目指していましたが、残念ながら国後島にはたどり着けず、ニシベツ(北海道別海町本別海西別川河口付近)から折り返すことになりました。
その理由を記したのが寛政12年8月7日の日記です。長いのでブログにてフルバージョンをご紹介します。


寛政12年8月7日(1800年)
(アンネベツを出立し、船でニシベツに着く)
朝から四つ頃まで霧深し、後晴天。朝五つ後に出立。川船で三里余りフウレントウに着く。そこから草原平地を十町ばかり行き、海岸に出て、さらに二十七町余りでニシベツに九つ過ぎ着。仮家に止宿。なお、ニシベツはすべて仮家である。夜晴れ、測量す。
(役人に根室行きを伺うも断られる)
ネモロの御詰合は、御勘定大嶋栄治郎殿、御普請役井上辰之助殿、同勤方村上治郎右衛門殿であり、ニシベツに御出役された。
ネモロへ行きたいとのお伺いを立てたところ、「現在ネモロは鮭引網漁の最中で、皆ネモロからこのニシベツへ引き上げてきており、会所には誰もいない。鮭漁猟で人手が少なく、迎船、送船とも手配ができなくて困ってしまうであろう。ネモロへ行かずに済むのであれば、ここニシベツで済ましてはくれまいか。」と仰られた。
(忠敬の方針)
私からは、「そのようなご事情であれば、今年はネモロは遠くからの測量のみ行い、ここニシベツから引き返します。」と申し上げた。人足及びアツケシへの迎船のことをお願いしたら、明日八日は逗留し、九日に出立するようとのご指示であった。八つ後からクナシリ島、ネモロ等の方位を測る。ニシベツに逗留。

〈コメント〉
ニシベツに着き、忠敬としては、通り過ぎてしまったネモロ(根室)に行き、さらにクナシリ(国後)までも行きたかったのですが、鮭漁猟で人手が少なく、送迎の船が手配できないようでは、為すすべがありません。ここニシベツが、伊能忠敬最北端かつ最東端の地となりました。現在ニシベツには、第一次伊能忠敬測量隊最東端到達記念柱が建てられています(北海道別海町本別海西別川河口付近)。

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