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BC級戦犯横浜裁判で弁護人となった日本人弁護士

2021年11月11日 | 横浜BC級戦犯裁判
(横浜BC級戦犯裁判での日本人弁護人)
 日本国内では、BC級戦犯裁判は主に横浜で行われました。そのため、この戦犯裁判を「横浜裁判」と呼ぶこともあります。横浜裁判では、331件、1039人が起訴されました(参考文献1)。裁判ではアメリカ人の弁護人がつけられましたが、日本人の弁護士も弁護人となりました。
 横浜が裁判地となったため、神奈川県内の弁護士のうち44人が担当しました。当時、神奈川県内にいた弁護士は118人であり、戦争の影響で実際に活動していた弁護士はその半分ともいわれています(参考文献1)。44人という人数は、実働していた弁護士が概ね横浜裁判を担当したといってよい数です。

(横浜弁護士会の決議)
 これは横浜弁護士会(当時;現在は神奈川県弁護士会)が同会に登録している弁護士の義務として横浜戦犯裁判を引き受けることを義務とする旨の決議をしていたことが関係しています(昭和22年1月28日決議)。
 この決議の提案理由は、「当裁判所法廷で行われている戦犯裁判は、近く急速に且つ大規模に進展する傾向にあるが、これら裁判の対象である被告人の弁護士は、対外的見地からしても又国内的見地からしても、将来当会に課せられた重大な事業であり、これを完遂するためには会員各位の絶大なる協力と、且つある程度の義務制を定める必要があると思料し、この臨時大会を召集した。」というものでした(横浜弁護士会史(下))。」
 この決議がなされたこともあり、横浜戦犯裁判は、横浜弁護士会(当時)に登録されていた弁護士、すなわち、事務所所在地が神奈川県内の弁護士によって担われたのです。

(神奈川県内の弁護士の担当件数)
 起訴件数331件、被告人1039人にもなったので、全ての事件を神奈川県内の弁護士が担当したというわけではないようです。東京の弁護士会も支援体制を整え、大阪、福岡等各地の弁護士も弁護活動を引き受けたとされています(参考文献1)。
もっとも、地元であった神奈川県内の弁護士が担当した事件数は多かったことは想像に難くありません。
1人で8件を担当したものもいるそうですし(参考文献1)、飛鳥田一雄弁護士は7件務めたと回想しています。同弁護士は、小池金市軍法務官事件の弁護を担当したほか、池上宇一中尉の弁護も担当したと語っています(参考文献2)(飛鳥田一雄が担当した小池金市軍法務官の事件にご興味のある方は、過去記事もご参照ください)。

参考文献1 「戦犯を救え」(清永聡著、2015年、新潮新書)
参考文献2 「飛鳥田一雄回想録」(1987年、朝日新聞社)
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