知命堂日記   ~  人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり ~ 2005.9.11

いつ死んでもおかしくない年のころ。
夢も希望もなく、やっと生きてます。
今を夢幻と思って、ただひたすらに…

平成18年大晦日…今年を振り返ると

2006-12-31 01:13:06 | Weblog
本年は、10月まで破綻法制の研究に没頭しました。
アメリカには、破綻法制が存在し、実際、カリフォルニア州オレンジ郡が金融デリバティブ商品で失敗し、連邦破産法の適用によって債務処理をしたことが有名です。我が国の場合、債務を当事者間で調整する機能が法的に欠落していたわけです。先行研究をサーベイして、当事者間の債務支払い調整整備の必要性が生じ始めているんだろうというところで結論とし、研究から手を引きました。
その後、全然違う分野へ興味が移りました。それは、「サンカ」と呼ばれる人々についてです。彼らは、箕直しなどを主業とする漂白の民であり、年後半は「サンカ」の本をたくさん読みました。「サンカ」については、福祉行政の問題を考えるところから派生しましたが、民俗学的な要素があり非常に幅が広いものです。著名なところでは柳田国男あたりの文献から研究が始まります。
写真は筑波山です。筑波山の存する常陸の国には、先住民「土蜘蛛」族がいたそうです。洞穴に住んで大和政権への服属を最後まで拒んだそうです。「サンカ」関係の本には、そういったことまで触れてありました。直接、サンカと結びつけられるものでもないのですけど…
そういうサンカから何を学んだのか? 
それは、「土地に縛られず漂白することがどういう意味なのか」ということでした。
ここのところの夕張市の惨状を見ると分かってきました。
土地を有し、家屋を有し、税を納めることは、重い責任を果たすことです。すなわち、サービスの悪い自治体から良い自治体へ移ると言った、いわゆる「足による投票」ができない人々です。為政者から見れば、漂白にはある種の無責任さが存在するということです。
夕張市では多くの職員が、生涯賃金を比較し、今やめた方が得策と判断しているようです。そのまま残って住民から文句を言われるよりは、やめた方がよいということです。
財政再建団体となったことによって行政サービスは保守的になり、新たな経済活性化策等を講じることは難しいでしょうから、夕張に残っても職に恵まれる可能性は低いように感じます。すなわち、やめると言うことは、根底に移住するという意図が隠されているように感じます。
しかし、市の職員にしても住民にしても残された者はどうなるんでしょうか。収入が無くなり、生活保護を受けるとしたら、誰が負担するのでしょうか?
やめることを選択する者の中には、移住を考えている人も多いでしょう。土地に縛られる人は容易に移住ができません。結果として、残ることを選ぶ運命共同体なのです。
何故に、明治政府が戸籍をつくり、サンカを含めて漂白の民を定住化させるようにしたのかを、平成になって、夕張の問題を目の当たりにして答えが見えてきた気がします。

ということで、このブログを始めて2回目の大晦日を迎えました。
来年もよろしくお願いします。           

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