読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第35巻 1980年代前期④

2007-06-02 11:44:25 | 読んだ
1 初恋/村下孝蔵 1983年2月

この歌は、三田寛子(中村橋之助夫人)がうたっていたのを聞いて「おおっ!いいなあ」と思い、村下孝蔵を知るきっかけとなったものである。

ところが、当時はすでに「歌」に対する思い入れが相当に薄れてきて「いいなあ」とは思うものの積極的に、たとえばCDを買うとか、ラジオをチェックするとかはしないで、たまたまよく聞こえてきたものを気に留めているくらいであった。

だから、村下孝蔵はいいなあ、と思っていても、断片的に知るだけであって、いずれそのうちなんかの機会があったら、じっくりと聞いてやろうと思っていた。

そうこうしているうちに、月日は流れ、村下孝蔵は亡くなってしまった。
残念である。
亡くなったってCDはあるのだが・・・なんというか「出会い」にきっかけがなかったという、すれちがい、みたいなものを感じるのである。

で、この「初恋」なのであるが、まだ「よく歌えない」のである。
メロディーが繊細で<流す>ところがないほど一つ一つの音が意味をもっているような感じがするのである。

だから、
♪放課後の校庭を走る君がいた♪
からラストまでの部分が、すごく沁みるときがあるかと思えば、
♪好きだよといえずに 初恋は 振り子細工の心♪
の部分がなんだかいやに涙を誘う時もあり
出だしの
♪五月雨は緑色 悲しくさせたよ一人の午後は♪
が輝いて聞こえるときもある。
そのときそのときの心情によって聞こえ方(受け取り方)が違うのである。

いい歌だなあ、と思うのである。でもナカナカ歌えない。

2 メモリーグラス/堀江淳 1981年4月

かわいい男の子が出てきちゃったなあ。
というのが、この歌を聴いたときの第1印象であった、と思う。

それから、若い女の子が「水割り」を飲む時代になったのか、とも思った。
女の子が「水割り」で恋を捨て去ろうとする、そんな時代になったのか、というかすかな驚きがあった。

それまでの歌の世界では、若い女の子が酒で何かを紛らすようなことはなかった、ように思える。
この歌をきっかけになのか、社会がすでにそんな状況にあったのか、よくわからないが、女の子が酒を飲んで何かを紛らわすことがおおっぴらになったんだなあ、と、今聴いても思うのである。

3 もしもピアノが弾けたなら/西田敏行 1981年4月

この歌もいい歌だけど、西田敏行にしか歌えない歌だと思う。
自分で歌うのは、たとえ誰も聞いていないとしても、なんだか「恥ずかしい」のである。

「池中玄太80キロ」というテレビドラマのパートⅡの主題歌である。
このドラマは見ていた。
西田敏行ふんする「池中玄太」の義理の娘3人の長女役を杉田かおるが演じていて、杉田かおるも「パパと呼ばないで」の<ちーちゃん>から脱皮したなあ、よかったなあと思っていたものだ。(ちなみに「3年B組金八先生」で中学生が妊娠するという役をしていたらしいが、これは見ていない)

今の杉田かおるを見ると「鳥の詩」よりもこの「もしもピアノが弾けたなら」を思い浮かべる。
そういえば「パパと呼ばないで」の石立鉄男が亡くなったと今朝の新聞に出ていた。まだ若いのになあ・・・杉田かおるは弔問に行くのだろうか・・・

なんだかわき道にそれていくばかりであるが、一曲の歌から思いが広がっていく、という典型のような感想であったのだ。

4 スローなブギにしてくれ(I want you)/南佳孝 1981年1月

この歌の第1印象は「キザ」であった。
映画の主題歌であったことからそういう印象もあったのだろうが、なにしろ、この詩のような世界は、なんだか「むずがゆい」のである。

のであるが、歌ってみるとこれが意外に「いい」のである。
♪Want you 俺の肩を抱きしめてくれ 生き急いだ男の夢を憐れんで♪
という出だしが、なんだか「いい」のである。

それまで、この歌のようなコード進行の曲は歌ったことがなかったので、新鮮であったことや、メロディーもわりとすんなりしているのではないか、なんて、つきあってみたらいいヤツだった、みたいな曲である。

5 う、ふ、ふ、ふ、/EPO 1983年2月

1970年代後半から80年代にかけて、なんだか正体不明な歌手というかアーチストみたいなのが出てきたように思える。
その人たちは、人間の真情を歌ったり、まったく非現実的なことを歌ったりした。

それは、売る、ための戦略だったのか、それとも世の中の基準みたいなものが膨張していって、それまで基準のなかにいた人たちから見ると「混沌(カオス)」した部分が増殖したような感じがしたのではないだろうか。

私にとってもなんだかわけのわからないものが増えてきているなあ、という感じがしていたのであるが、このEPOという人もなんだかよくわらからい人のような木がしていたときに、この題名「う、ふ、ふ、ふ、」である。

とはいうものの、日本語とメロディーは均整がとれているし、よく聞けば歌詞だってマトモである。

よく言えば「日本の美しさを保っていた」といえるし、悪く言えば「日本という呪縛から逃れ切れていない」といえるような気がするのである。

で、この歌は私にとってどうだったのか?ということであるが、それほど気に留めたような覚えはなく、聞き流していた、ような気がするのである。
というか、1980年代以降は、歌をジックリ聞いていられるような私的環境でもなく、世の移り変わりは早く、歌を含めて社会の広がりが激しくなったので、ついていけなくなってきていたのである。

そんななかで耳にとまった曲をかすかにというかわずかに覚えている、そんな気がするのである。

6 悲しい色やね/上田正樹 1982年10月

この歌もいい歌だと思う。
思うのだが「苦手」である。

ひとつには、いわゆる「こてこて」に代表される大阪のイメージが私にとっては苦手なのである。
なんだか「しつこい」と思うのである。

この「しつこい」という気持ちには若干の説明がいると思う。
私もタイプとしては「しつこい」と思う。と思うゆえにできる限り「しつこさ」を隠そうとしている。

しかし、世の中にはそれを隠そうとしない、あるいは「ウリ」にしているものもある。
そういう部分に対して、なんだか拒否をしてしまうのである。

この「悲しい色やねん」は心情としてはよくわかる、よくわかるがそこまで言わなくてもいいんじゃないのか、という気持ちと、メロディーの粘っこさが相俟って、なんだか苦手なのである。

もしこの歌詞が大阪弁でなかったら、どうだったのか、と思ったりもするが、大阪弁でなければこの歌は成立しないんだろう、と思い直したりする。

何度もいうが、この歌はいいとは思う、でも「苦手」なのである。

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