今号は、わりとマイナーというかマニアックな歌である、という印象
1.ベルベット・イースター/荒井由美 1973年11月発表
なぜ、この曲なの?という感じです。
荒井由美が出てきたとき、雑誌なんかでも「すごい新人」がでてきた、と騒いでいたようなきがするが、あまり興味がなかったし、そんなにすごいとも思わなかった。
歌というか音程とかが不安定なのが、気持ちを揺さぶるようであった。
初期の作品では「12月の雨」「ルージュの伝言」あたりから「フーム」とか思い初めて「あの日に帰りたい」で「なかなか」と思った。
そして彼女が提供した歌、たとえば「いちご白書をもう一度」などで、歌うより作家としてのほうがいいのではないだろうか、なんて思ってもいた。
というわけで、荒井由美(松任谷由美)に関して言えば、私の予想というか見込みは全然あたらなかったわけで、こんなにすごい人になるとは・・・
ベルベット・イースター
よくわからないのである。
このころから、詩も曲も、なんだか難しくなった、というか「凝った」つくりになったような気がしている。
2.メリー・ジェーン/つのだ☆ひろ 1971年3月発表
ああ、いい歌だなあ、と思う。
でも、英語の歌詞では歌えない。がんばっても、というかあまりがんばらないけれど、覚えられないのである。
じっくりとこの曲を聴いたこともなく、ましてや、誰かが得意げにカラオケなんか歌っていると聞きほれることもなく、これまですごしてきたような気がする。
で、なぜなんだろう?この歌をカラオケで歌うヤツってあまり好きでないヤツが多いんだよなあ。
それって、この歌のせいでも<つのだ☆ひろ>のせいでもないんだけれど。
なんだか、この歌を好きっていえないのは、これまで私の前でカラオケしたやツララのせいなのだ。
3.人生が二度あれば/井上陽水 1972年3月発表
どうして、この歌なんだろう?
この歌を初めて聴いたとき、すごい冒険、あるいはチャレンジしているなあ、と思った。
まず絶対にといっていいほど、売れるわけがない。とおもったのだ。
という割にはよくラジオから流れてきたので、なにか人をつかむものがあったんだろうなあ。
この歌が流れていた頃、父も母もまだずっと若く、このような思い(人生が二度あれば)なんて思わなかったし、ましてや自分の人生はこれからだ!なんて意気込んでいたので、なんだか沈み込んでしまいそうな詩に「嫌悪感」さえ抱いていたような気がする。
今なら、ナントナクわかるような気がするが、それでも「人生が二度あれば」とは思わない、というか歌わない。
4.マキシーのために/かぐや姫 1972年4月発表
このうたも、どうしたの?こんなマニアックな歌を選んで!というカンジなのである。
作詞は「神田川」や「赤ちょうちん」の喜多条忠である。
南こうせつがこの歌について語っていたのを聞いたことがあるが、喜多条さんのほんとの初期の頃の詩で、実際にあったことを書いたものだという。
女友達が自殺したことの歌である。
でもわりとサラッとした曲で、ジメジメしたところがなく、それはそれでいい。
が、人生が二度あれば、と同じように、積極的に聞いたり歌ったりしようとは思えない歌である。
南こうせつがこの歌を歌うときは「力」が入っているような気がする。
5.八月の濡れた砂/石川セリ 1972年3月発表
こちらは8月というわりにはジメッとした歌である。もっとも「濡れた砂」であるからウェットなカンジではいいのだろうけれど・・・
で、そのジメッとした感じがわりと好きなのである。
この曲は同名の映画の主題歌である。
その映画がよくわからなかった。というか、登場人物たちに感情を移入することができなかった。
ラストのシーンでこの曲が流れてきたときに、なんだかほっとした。
6.戦争を知らない子供たち 1971年2月発表
こういう歌を歌っていいのか?というのが最初の印象だったような気がする。
「戦争を知らない」ということは悪いことなんだろうか、とあらためて思ったりした。というのは「戦争を知らない」というのは私にとってはあたりまえのことだからだ。
そのあたりまえのことをなんで意味深にうたうんだろう?と思ったのである。
そのうち、いろいろなところで、この歌について語られ、我が父も非難めいた発言をした。
「戦争を知らない」ことが良いことであるということでもなく、知っていることが悪いことでもなく、ただ単に「そういうことなんだろう」と深く考えなかった私は父と言い争うこともなく、戦争について考えることもなく、反戦なんて全然思い浮かべることもなく、ただひたすらに、前奏のギター「F-F#-G」というコードを練習しただけである。
したがって、この歌の詩にこめられたものなどには一切の関心をもたず、ただ単に、この前奏と、この歌を歌うとやたら盛り上がる、ということだけで、この歌を歌ってきたのである。
そして、戦争を知らない子供たちは、戦争をとめることもできず、平和な世界や社会を築きあげることもなく、老いていったのである。
1.ベルベット・イースター/荒井由美 1973年11月発表
なぜ、この曲なの?という感じです。
荒井由美が出てきたとき、雑誌なんかでも「すごい新人」がでてきた、と騒いでいたようなきがするが、あまり興味がなかったし、そんなにすごいとも思わなかった。
歌というか音程とかが不安定なのが、気持ちを揺さぶるようであった。
初期の作品では「12月の雨」「ルージュの伝言」あたりから「フーム」とか思い初めて「あの日に帰りたい」で「なかなか」と思った。
そして彼女が提供した歌、たとえば「いちご白書をもう一度」などで、歌うより作家としてのほうがいいのではないだろうか、なんて思ってもいた。
というわけで、荒井由美(松任谷由美)に関して言えば、私の予想というか見込みは全然あたらなかったわけで、こんなにすごい人になるとは・・・
ベルベット・イースター
よくわからないのである。
このころから、詩も曲も、なんだか難しくなった、というか「凝った」つくりになったような気がしている。
2.メリー・ジェーン/つのだ☆ひろ 1971年3月発表
ああ、いい歌だなあ、と思う。
でも、英語の歌詞では歌えない。がんばっても、というかあまりがんばらないけれど、覚えられないのである。
じっくりとこの曲を聴いたこともなく、ましてや、誰かが得意げにカラオケなんか歌っていると聞きほれることもなく、これまですごしてきたような気がする。
で、なぜなんだろう?この歌をカラオケで歌うヤツってあまり好きでないヤツが多いんだよなあ。
それって、この歌のせいでも<つのだ☆ひろ>のせいでもないんだけれど。
なんだか、この歌を好きっていえないのは、これまで私の前でカラオケしたやツララのせいなのだ。
3.人生が二度あれば/井上陽水 1972年3月発表
どうして、この歌なんだろう?
この歌を初めて聴いたとき、すごい冒険、あるいはチャレンジしているなあ、と思った。
まず絶対にといっていいほど、売れるわけがない。とおもったのだ。
という割にはよくラジオから流れてきたので、なにか人をつかむものがあったんだろうなあ。
この歌が流れていた頃、父も母もまだずっと若く、このような思い(人生が二度あれば)なんて思わなかったし、ましてや自分の人生はこれからだ!なんて意気込んでいたので、なんだか沈み込んでしまいそうな詩に「嫌悪感」さえ抱いていたような気がする。
今なら、ナントナクわかるような気がするが、それでも「人生が二度あれば」とは思わない、というか歌わない。
4.マキシーのために/かぐや姫 1972年4月発表
このうたも、どうしたの?こんなマニアックな歌を選んで!というカンジなのである。
作詞は「神田川」や「赤ちょうちん」の喜多条忠である。
南こうせつがこの歌について語っていたのを聞いたことがあるが、喜多条さんのほんとの初期の頃の詩で、実際にあったことを書いたものだという。
女友達が自殺したことの歌である。
でもわりとサラッとした曲で、ジメジメしたところがなく、それはそれでいい。
が、人生が二度あれば、と同じように、積極的に聞いたり歌ったりしようとは思えない歌である。
南こうせつがこの歌を歌うときは「力」が入っているような気がする。
5.八月の濡れた砂/石川セリ 1972年3月発表
こちらは8月というわりにはジメッとした歌である。もっとも「濡れた砂」であるからウェットなカンジではいいのだろうけれど・・・
で、そのジメッとした感じがわりと好きなのである。
この曲は同名の映画の主題歌である。
その映画がよくわからなかった。というか、登場人物たちに感情を移入することができなかった。
ラストのシーンでこの曲が流れてきたときに、なんだかほっとした。
6.戦争を知らない子供たち 1971年2月発表
こういう歌を歌っていいのか?というのが最初の印象だったような気がする。
「戦争を知らない」ということは悪いことなんだろうか、とあらためて思ったりした。というのは「戦争を知らない」というのは私にとってはあたりまえのことだからだ。
そのあたりまえのことをなんで意味深にうたうんだろう?と思ったのである。
そのうち、いろいろなところで、この歌について語られ、我が父も非難めいた発言をした。
「戦争を知らない」ことが良いことであるということでもなく、知っていることが悪いことでもなく、ただ単に「そういうことなんだろう」と深く考えなかった私は父と言い争うこともなく、戦争について考えることもなく、反戦なんて全然思い浮かべることもなく、ただひたすらに、前奏のギター「F-F#-G」というコードを練習しただけである。
したがって、この歌の詩にこめられたものなどには一切の関心をもたず、ただ単に、この前奏と、この歌を歌うとやたら盛り上がる、ということだけで、この歌を歌ってきたのである。
そして、戦争を知らない子供たちは、戦争をとめることもできず、平和な世界や社会を築きあげることもなく、老いていったのである。
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