読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

ロングインタビュー 吉田拓郎 家族・時代・仕事をめぐる対話 重松清 すばる3月号

2010-02-15 22:48:15 | 読んだ
本屋で本をあさっていたら、あるべきはずのないところで「吉田拓郎」の文字が目に入った。
すばる3月号である。

迷わず手に取り購入決定!

作家の重松清が吉田拓郎にインタビューをした、ということである。
副題にもあるように「家族・時代・仕事」について話をしている。

この対談での拓郎はすごく自然体である。

家族のことでいえば「女系家族」のなかで「末っ子」だったことが人格形成に大きな影響を及ぼしている、なんて話していたりする。

拓郎が「吉田家」なんて話をするのを読むと「フーム」とうなってしまった。

というのは、拓郎世代は「家」とか「しがらみ」を捨てて自分の思うままに生きよう、真の自由を求めよう!と言っていたからである。
その1世代下の我々はものすごくその影響を受けた。

また、我々は彼らの世代に大きな期待をした。
彼らが指導者層になったとき、直面している古いものを変えてくれるだろう、と思っていたのである。
ところが、いざとなると、彼らは大いなる保守派になってしまった。

当時はその変わり方に対して怒っていたのであるが、今はちがう。
そういうものなんだ、と思う。
だから、拓郎が「家」について語るのを読むと、やっぱりそうなりましたか、と微笑んでしまうのである。

さて、この対談のなかでもっとも大きなテーマとなっている「時代」についてであるが、拓郎は「僕が時代を作ったんじゃなくて、時代のほうが僕をそこに嵌め込んだ」と言っている。

拓郎の解釈はそうだろうが、しかし、拓郎から大きな影響を受けた私にとっては、あの頃(昭和50年前後)の拓郎は「時代」そのものだったと思う。
それは、歌であり生き方であったと思う。

そうは思うものの、私は「拓郎はこうでなければならない」とは思わない。
拓郎が変わっていくことは、もしかして自分が変わっていることなのかもしれない、と思っていたからである。

つまり拓郎があっち側に行ってしまったのか、私がこっちに来すぎたのかは「わからない」からである。

拓郎は「吉田拓郎」を演じているという意識は明確にあった、と言っているが、こちらから見て、ちょいと無理しすぎなんではないか、なんて思ったこともあった。

例えば、拓郎はアイドル好きだったし、女々しい歌だってあった。
強くて時代の先頭を走っている、という部分と、女々しい部分と、アイドル好きな部分があるから拓郎であって、矛盾したものを抱えていて、そのいずれもが歌になっているから、トータルとしての拓郎が見える。
そして、そのトータルとしての拓郎が好きなのである。

拓郎は「思うがままに生きてきた」んだなあと思ったのである。
拓郎自信はそう思ってはいないだろうが、こちらから見ると相当に「思うがまま」である。
それは拓郎が拓郎を演じていた頃から、自然体に近づいてきたころ(私はキンキキッズと共演したあたりとみている)から、最後のツアーで「頑張らなくてもいいでしょう」と歌ったころも含めて、ずっと「思うがまま」だと思う。

思うがままに生きてきた拓郎がいい。
そして、そういう拓郎が歌う歌がいい。

本体談を読んであらためて拓郎を感じたのである。
だから読書はやめられない。

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