「いのちなりけり」の第2弾というか、続編というか・・・
時は元禄時代。
徳川幕府の将軍は綱吉。ということは、水戸黄門、忠臣蔵などなど話題に事欠かない時代である。
「いのちなりけり」は水戸黄門が登場した。幕府と朝廷と水戸光圀と鍋島藩が絡んだ物語であったが、内容は純愛小説である、と私は思った。(詳細は8月20日をご覧いただきたい)
そして、今回は忠臣蔵である。
帯には
「あの雨宮蔵人と咲弥が 今度は赤穂浪士の 討ち入りに 巻き込まれた!」とある。
そう主人公は、あの雨宮蔵人と咲弥である。
二人は、いや娘の香也を含めて三人で京都の鞍馬に暮らしている。
「角蔵流雨宮道場」を経営しているが、畑をたがしたり、目薬を作ったり灸を施したりして暮らしている。
そういう暮らしをしているのに、赤穂浪士の事件に巻き込まれるのである。
この物語では、忠臣蔵の発端を将軍・綱吉の生母「桂昌院」を従一位に叙任させようとしたことになっている。
つまり、綱吉の望みを柳沢保明と幕府と朝廷の間を取り持つ吉良上野介が、政治的な意味をもたないこのことを実行しようとすることから始まる、ということだ。
朝廷では前例のないことと桂昌院の出自から乗り気ではない。それを無理押ししようとするところに軋轢が生まれる。
更に、綱吉の正室である信子と大奥総取締の右衛門佐は叙任を阻止しようとする。
幕府と朝廷の問題は、大奥の内部つまり幕府の中でも問題となり、そこに陰謀が生じる。
先ずは、吉良上野介の家臣である神尾与右衛門が朝廷対策のため公家に金を貸してそれをネタに脅し叙任を迫っていることから、神尾を暗殺することを考え、実行をするのに赤穂の浅野の家来である堀部安兵衛を使うことこととし、大奥から柳沢保明の側室・町子を巻き込んで、浅野内匠頭に命ずる。
しかし、堀部安兵衛は断る、それではと奥野孫太夫に命じるがこれも断られる。
で、仕方ないから、与右衛門の主人である吉良を討つこととする。
とまあ、こう書けば簡単だが、紆余曲折がありそうなる。
で、浅野は失敗する。その取り返しのために、今度は家来たちに吉良を討たせようとする。
これが縦糸である。
で、横糸は「愛」である。
人々の心を美しい方向へと導く蔵人夫婦(解説より)の愛はもちろんのこと、柳沢の側室町子と羽倉斎<荷田春満(かだのあずままろ)>、吉良上野介と香也、香也の両親、あるいは神尾与右衛門の愛、いろいろと出てくる。
印象に残った文をちょいと掲げてみる。
まことの恋とは、忍ぶものであり、誰にも知られず、おのれの心にすら告げぬ恋である
人は美しく生きねばならぬ
武士の言葉にはいのちがこもっている
生死不二(対立する二つのものが根底的にはひとつであるということ。生も死も同じひとつのものであるということ)
そのひとのためなら死んでもよいと思える相手こそが主である
心が直ぐなら間違いは起きない
いずれも、物語の中で前後の絡みがあってこその言葉ではある。
そして、この文庫の中で、スゴイ、と思ったのが解説である。
国文学者の島内景二の解説であるが、すごく良かった。この解説を読んでもう一度物語を読みなおそうかと思ったくらいである。
全文書き写して紹介したいくらいの解説であった。
さて「人々の心を美しい方向へと導く蔵人夫婦」を主人公とした物語はこれで終わりなのであろうか?
でもなあ、これで余韻を持たせて終わって、読者に蔵人夫婦のその後のことを考えさせてもいいか。
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時は元禄時代。
徳川幕府の将軍は綱吉。ということは、水戸黄門、忠臣蔵などなど話題に事欠かない時代である。
「いのちなりけり」は水戸黄門が登場した。幕府と朝廷と水戸光圀と鍋島藩が絡んだ物語であったが、内容は純愛小説である、と私は思った。(詳細は8月20日をご覧いただきたい)
そして、今回は忠臣蔵である。
帯には
「あの雨宮蔵人と咲弥が 今度は赤穂浪士の 討ち入りに 巻き込まれた!」とある。
そう主人公は、あの雨宮蔵人と咲弥である。
二人は、いや娘の香也を含めて三人で京都の鞍馬に暮らしている。
「角蔵流雨宮道場」を経営しているが、畑をたがしたり、目薬を作ったり灸を施したりして暮らしている。
そういう暮らしをしているのに、赤穂浪士の事件に巻き込まれるのである。
この物語では、忠臣蔵の発端を将軍・綱吉の生母「桂昌院」を従一位に叙任させようとしたことになっている。
つまり、綱吉の望みを柳沢保明と幕府と朝廷の間を取り持つ吉良上野介が、政治的な意味をもたないこのことを実行しようとすることから始まる、ということだ。
朝廷では前例のないことと桂昌院の出自から乗り気ではない。それを無理押ししようとするところに軋轢が生まれる。
更に、綱吉の正室である信子と大奥総取締の右衛門佐は叙任を阻止しようとする。
幕府と朝廷の問題は、大奥の内部つまり幕府の中でも問題となり、そこに陰謀が生じる。
先ずは、吉良上野介の家臣である神尾与右衛門が朝廷対策のため公家に金を貸してそれをネタに脅し叙任を迫っていることから、神尾を暗殺することを考え、実行をするのに赤穂の浅野の家来である堀部安兵衛を使うことこととし、大奥から柳沢保明の側室・町子を巻き込んで、浅野内匠頭に命ずる。
しかし、堀部安兵衛は断る、それではと奥野孫太夫に命じるがこれも断られる。
で、仕方ないから、与右衛門の主人である吉良を討つこととする。
とまあ、こう書けば簡単だが、紆余曲折がありそうなる。
で、浅野は失敗する。その取り返しのために、今度は家来たちに吉良を討たせようとする。
これが縦糸である。
で、横糸は「愛」である。
人々の心を美しい方向へと導く蔵人夫婦(解説より)の愛はもちろんのこと、柳沢の側室町子と羽倉斎<荷田春満(かだのあずままろ)>、吉良上野介と香也、香也の両親、あるいは神尾与右衛門の愛、いろいろと出てくる。
印象に残った文をちょいと掲げてみる。
まことの恋とは、忍ぶものであり、誰にも知られず、おのれの心にすら告げぬ恋である
人は美しく生きねばならぬ
武士の言葉にはいのちがこもっている
生死不二(対立する二つのものが根底的にはひとつであるということ。生も死も同じひとつのものであるということ)
そのひとのためなら死んでもよいと思える相手こそが主である
心が直ぐなら間違いは起きない
いずれも、物語の中で前後の絡みがあってこその言葉ではある。
そして、この文庫の中で、スゴイ、と思ったのが解説である。
国文学者の島内景二の解説であるが、すごく良かった。この解説を読んでもう一度物語を読みなおそうかと思ったくらいである。
全文書き写して紹介したいくらいの解説であった。
さて「人々の心を美しい方向へと導く蔵人夫婦」を主人公とした物語はこれで終わりなのであろうか?
でもなあ、これで余韻を持たせて終わって、読者に蔵人夫婦のその後のことを考えさせてもいいか。
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