読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

少年H 映画

2013-09-11 23:38:59 | 観た、聴いた
映画「少年H」を観た。
あまり気が進まなかったのであるが、観に行った。

何故「気が進まなかった」のか?
ワタクシ実はあまり第2次世界大戦期の日本を描いたものは「ごめん」なのであります。

だから何故「ゴメン」なのか?
特に市井の人々の物語は「悲しい」からである。たとえ底に陽気なものが流れていたとしても・・・である。

前回の観た映画「風立ちぬ」も戦争期の物語であった。
どうも戦争期のものが続いている。

で、「少年H」を観ながら考えた。
近頃「反戦もの」が多いのはなぜか?
いやあそんなに反戦ものが多いわけでもありませんよ。という人もいるだろうが、私がこの頃出会うのは反戦ものなのである。

ということは、今日本は戦争へ向かう道を歩いていると思っている人がいる、ということなのか。
向かおうという人に多くの人が「イヤダ!」というように反戦ものが増えているのではないか。

人は全ての人と仲良くできない、のではないかと思っている。
とすると、いかにうまく喧嘩するか、が人の課題なのかもしれない。

少年Hは、敬虔なクリスチャンの家庭に育った。そして父は「反戦」であった。しかし、父は大きな声で反戦は唱えなかった。

クリスチャンであることだけで、学校でいじめられ、父の仕事が仕立屋で外人との交流が多かったことで、特高に引っ張られる。

国が戦争に向かうと、このようになっていくのだ!
というメッセージが私には見えた。
だから、戦争はいけないのだ。
という組み立てが私にはあまり納得がいかない。
更に当時を描く多くのドラマが、実は反戦であったが仕方がなく戦争に協力していた、というパターンが多い。

当時、本当にそうだったのだろうか?
心の底から、戦争で日本が勝って豊かな国になるんだ、と思っている人のほうが多かったのではないのだろうか。
それが、戦争に負けたら、多くの人がイヤイヤじつは私は反対だった、といい始めたのではないのだろうか。

そういう物語だったら観たい読みたいのである。
大きな転換をせざるを得なかった、その葛藤を描いたものを読みたい。

だから、まっすぐに戦争反対を描いたものは「気が進まない」のである。

日本人はまっすぐに突っ込んでいく人が多いのだと思う。
まっすぐに突っ込まない人を戦争中であれば『非国民』と呼び、今はそういう人の意見は『炎上』する。
なんだかよくわからない「正義感」が強すぎるのだろうなあと思う。

今回の少年Hでは、Hの中学校の軍事教官が戦争中と戦後で180度的転換をした様が描かれているが、彼らのほうに心理的共感を覚えるのである。
180度的転換をどのような気持ちでしたのだろうか?
そのあたりが興味を引くのである。
それは、いつも「後ろめたい気持ち」を私が持っているからかもしれない。
そして、少年Hのように、あるいは彼の父母のように生きられないからかもしれない。

なんだか暗い気持ちになってしまったのであった。

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