副題は「女性議員秘書の拘置所日記」である。
著者は平成15年3月4日、日本における「政治資金規正法違反」罪の被疑者第1号として逮捕され、以後10ヶ月間、東京拘置所の独居房に拘留されていた。
その経験を綴ったものである。
以前にも「私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか」(著者:島村英紀)を読んで、逮捕され拘留されるということについて、興味深く考えさせられたので、今回も期待をして読んだのであった。
逮捕された案件については、それまで慣例としてやってきたことを法が改正されたにもかかわらずそのまま続けたもの、と著者は言う。そして、そのことについて反省をしている。
従って、その罪というものは逮捕されてちゃんと認識をしている、ことであり、それを基本というか基礎としてこの本は書かれている。
先ずは、逮捕は逮捕として、その報道のひどさに腹を立てている。
これは、まあどの事件であってもなのだが、逮捕された人間は「極悪非道」「人間の風上に置けない」者になってしまうらしい。
著者もあることないことを報道されたようである。
逮捕されると、何気なくやっていたことが悪意・作為に満ちたものとされる。
例えば著者は「ミニスカ秘書」などと呼ばれる。
この呼びかたは明らかに「揶揄」である。
こういう類のものが近頃多すぎると思うのである。
「野次馬」的な報道はいかがなものかと思う。
また、取調べについては「人の行動は必ず理屈があってなされる」という前提で行われているのだなあ、と思う。
人が何故そのような行動をしたのか、ということについては、全てがそこに理屈があって理論に基づいているものではないと思う。つまり全てが説明できるものではない、それを解明しようというのは難しいような気がする。
これは裁判を前提としているからだとおもうが、そういう裁判というのはどうなのかなあ、と思うのである。
人の行動などは理屈では表せないものが多い。
また、慣例的に行われてきたものについては、疑問を持っていてもなかなか正しいようにはできないものだ。
そういう面では、著者の太田あきさんだけでなく、これまで読んだことのある人たち、島村さんも佐藤優さんも気の毒だとは思う。
しかし、この人たちの行動にも問題があったことも確かである。
で、本書は逮捕され検事の取調べを受けているあたりまでが緊張感がある。
その後は、拘置所生活についてイロイロと記述されており、これを読むと「拘置所生活もいいかな」なんて思ったりする。
特に、生活習慣病のある人には入院しているよりも健康になるのではないか。
最近新聞にも刑務所での麦飯生活で生活習慣病が改善された、ようなことも載っていたし・・・
そういう目で見ると、拘置所もその生活の仕方をあらかじめ知っておくと、快適とはいわないまでもなんとなくいいような気がする。
その場合は独居房がいいな、なんて思うから不思議である。
逮捕されないこと(疑われるようなことをしないこと)が一番で、自由に何でもできることが最もいいとも思うのだが、人は何かに縛られていたほうが「幸福」を感じる場合があるんだと、本書を読んで思ったのである。
独居房で自由に(できればベットにねころんで)本を読むことができたら、いってもいいかな。
そんな馬鹿なことを考えたりする。
だから読書はやめれれない。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
著者は平成15年3月4日、日本における「政治資金規正法違反」罪の被疑者第1号として逮捕され、以後10ヶ月間、東京拘置所の独居房に拘留されていた。
その経験を綴ったものである。
以前にも「私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか」(著者:島村英紀)を読んで、逮捕され拘留されるということについて、興味深く考えさせられたので、今回も期待をして読んだのであった。
逮捕された案件については、それまで慣例としてやってきたことを法が改正されたにもかかわらずそのまま続けたもの、と著者は言う。そして、そのことについて反省をしている。
従って、その罪というものは逮捕されてちゃんと認識をしている、ことであり、それを基本というか基礎としてこの本は書かれている。
先ずは、逮捕は逮捕として、その報道のひどさに腹を立てている。
これは、まあどの事件であってもなのだが、逮捕された人間は「極悪非道」「人間の風上に置けない」者になってしまうらしい。
著者もあることないことを報道されたようである。
逮捕されると、何気なくやっていたことが悪意・作為に満ちたものとされる。
例えば著者は「ミニスカ秘書」などと呼ばれる。
この呼びかたは明らかに「揶揄」である。
こういう類のものが近頃多すぎると思うのである。
「野次馬」的な報道はいかがなものかと思う。
また、取調べについては「人の行動は必ず理屈があってなされる」という前提で行われているのだなあ、と思う。
人が何故そのような行動をしたのか、ということについては、全てがそこに理屈があって理論に基づいているものではないと思う。つまり全てが説明できるものではない、それを解明しようというのは難しいような気がする。
これは裁判を前提としているからだとおもうが、そういう裁判というのはどうなのかなあ、と思うのである。
人の行動などは理屈では表せないものが多い。
また、慣例的に行われてきたものについては、疑問を持っていてもなかなか正しいようにはできないものだ。
そういう面では、著者の太田あきさんだけでなく、これまで読んだことのある人たち、島村さんも佐藤優さんも気の毒だとは思う。
しかし、この人たちの行動にも問題があったことも確かである。
で、本書は逮捕され検事の取調べを受けているあたりまでが緊張感がある。
その後は、拘置所生活についてイロイロと記述されており、これを読むと「拘置所生活もいいかな」なんて思ったりする。
特に、生活習慣病のある人には入院しているよりも健康になるのではないか。
最近新聞にも刑務所での麦飯生活で生活習慣病が改善された、ようなことも載っていたし・・・
そういう目で見ると、拘置所もその生活の仕方をあらかじめ知っておくと、快適とはいわないまでもなんとなくいいような気がする。
その場合は独居房がいいな、なんて思うから不思議である。
逮捕されないこと(疑われるようなことをしないこと)が一番で、自由に何でもできることが最もいいとも思うのだが、人は何かに縛られていたほうが「幸福」を感じる場合があるんだと、本書を読んで思ったのである。
独居房で自由に(できればベットにねころんで)本を読むことができたら、いってもいいかな。
そんな馬鹿なことを考えたりする。
だから読書はやめれれない。
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