尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「世界同時鎖国」で国家復権?ー「ポストコロナ」世界考②

2020年06月13日 20時30分18秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 ちょっと前まで、東京を初め全国には外国人観光客があふれていた。政府は外国人観光客を増やす政策を取っていたし、「爆買い」という言葉もあった。京都や鎌倉では観光客が増えすぎて困っているという話もあった。浅草の仲見世通りを見る限り、確かに大幅に増えていたようだが、新型コロナウイルス感染拡大で全く消え去った。日本からも出国できなくなり、外国からも入国できなくなった。日本だけではなく、世界各国で往来が停まってしまった。朝日新聞の別冊「GLOVE」5月版では「世界同時鎖国」と特集を名付けた。そんなことが起きると思っていた人は誰もいないだろう。
(「GLOVE」表紙)
 それどころか、「マスク」が「戦略物資」になってしまった。日本では人件費が高い「ものづくり」を外国に移転し続けてきた。だから外国が輸出をストップすると、多くの物が国内で払底してしまう。やがて国内生産も始まったし、中国の感染状況が落ち着けば輸入も再開されたようだが、一時は「マスク」品切れが大問題だった。ヒトだけでなく、モノであっても、予想できない危機に陥ると、結局は「国境」で閉ざされてしまうのか。世界の感染状況も「国ごと」に発表される。情報をまとめる権限が国家ごとになっているからだ。現代の世界は、やはり「国民国家」で成り立っているのだ。

 「プレコロナ世界」では、むしろ「国家の地位低下」が取り沙汰されていた。欧米各国ではどこも指導者の支持率低下が見られ、右派の伸張が著しかった。右派は「ナショナリズム」を主張するが、それは国家への信認を意味しない。むしろ移民の受け入れを進める「現代国家」に敵意を示し、現存の国家機構解体を主張することが多い。右派は国家ではなく、「民族」「信仰」に価値を見出す。「人権」をベースにして、国籍を問わない福祉政策を行う「現代国家」は「敵」なのである。

 ヨーロッパでは「EU」が機能しなかった。イギリスが脱退したばかりのEUで、統合の価値を示すことが出来なかったと思う。イタリアやスペインで爆発的に感染が増加したときにも、相互に援助することは難しかった。どの国も自国の状況に対応するだけで精一杯だったのである。自由に行き来できるはずだったのに、やはりヨーロッパでも国境を閉ざすことになった。肝心の時に役に立たないのでは、欧州統合も行き詰まるのか。そうでもないだろう。今後の加盟を望む国では、経済状態から加盟を諦めることは出来ない。EU内の大国も、米ロ中への対抗上「EU」を必要とする。だから今後も緩やかに「EU拡大」が進行するだろう。抜けられるのは、アメリカとの関係があるイギリスだけだ。
(問われるEU)
 結局「衛生政策」を実行するのは、「国家」しかないのである。ここでいう「国家」とは、「実効支配」を確保している「領域政権」である。リビアやイエメンでは統一政府がない状態が続いている。そうなるとウイルス感染状況も判らない。時々感染が広がっているという報道も見られるが。また、歴史的、政治的事情から多くの国から「国家」として承認されていない「台湾」は、「事実上の国家」としての信用力が増すことになった。21世紀は「国家を超えた世界」が実現するように言っていた人もいたが、やはり「国家」の枠内で人は生きていたのである。

 コロナ危機で生活が困窮した人をどう救うべきか。この問題に取りあえず答えを出せるのは、「国家」(および「地方政府」)だけだった。世界的組織は貴重だけど、人々を直接把握できない。NPOやヴォランティアも大切だが、全員を対象に出来ない。「特定給付金」とか「持続化給付金」などの「対策」(または「無策」)に関わるのも国家だけだ。国家を運営する「行政」は、選挙を通して国民が(タテマエ上は)成立させる。それはつまり我々は「国家」に包摂されていて、抜けられないということでもある。

 国家を超える規模を持つ「多国籍企業」、特に「GAFA」と呼ばれるアメリカの大企業の問題も考えないといけないんだけど、長くなるしテーマが拡散するので別に機会にしたい。今回の問題で僕が一番考えさせられたのは、やはりまだ「国民国家の時代」だったんだということである。インターネットだの、多国籍企業だの、何だか21世紀は国家を超えていたように思わないでもなかった。でもイザとなると、国境は閉ざされてしまうのである。
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監視社会か、連帯社会かー「ポストコロナ」世界考①

2020年06月12日 20時43分26秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 何回か使ってそろそろ「新型コロナウイルス以後の世界」を考えたいと思う。「アフターコロナ」という言葉もあるようだが、ここでは「ポストコロナ」と呼びたい。パンデミックによって、世界は大きく変わった。いずれ元に戻ってしまうという人もいれば、不可逆的な変化をもたらすという人もいる。そう簡単に二者択一にはならないだろう。新たに現れて定着するものもあれば、いつの間にか元に戻るものもあるだろう。ウイルス危機を乗り越えられず、ひっそりと消え去ってしまうものも多いに違いない。

 「ポストコロナ」で検索すると、下の画像が見つかった。なんだろうと思ったら、立憲民主党だった。「ポストコロナ社会の理念」と銘打って、「支え合いの重要性」「自己責任論の限界」「再分配の必要性」と三つの論点をあげている。僕が今まで書いてきたこととつながる面が多い。反対する気は全然ないけど、というか方向性としては大賛成なんだけど、こういう方向に世界は変わるのだろうか。

 「三密」を避けろと言われたときに、もっと深く考えてみるべきだった。ウイルスはもともと動物から人間に感染したが、ウイルス自体は自分では動けない。中には蚊やネズミが媒介する感染症もあるが、新型コロナウイルスは人から人へしか感染が広がらない。「密」に接触してもウイルスが「自然発生」するわけじゃない。感染していない人どうしが濃密に接触しても、感染はしない。要するに「密」を避けろというのは、「誰が感染しているか判らない」から「人を見たら感染者と思え」ということだ。他人には誰が感染しているか判りようがないから、「全員と距離を取れ」ということである。

 2月頃から日本での感染例が報告され始めた。特に当初はクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が大きく報道されていた。下船した客が千葉県のホテルに一時滞在していた時に、ホテル前の海岸に激励のメッセージを書く人が現れたことがあった。日本でも当初は「連帯」のムードが強かったのである。この世界的苦難を共に頑張って乗りきろうという気持ちがあふれていた。しかし、3月以後感染者数が増えていくと、次第に変わっていったように思う。増えたといっても、日本国内では欧米に比べて感染者も死者も少なかった。最近の抗体検査でも思った以上に感染者は少なかった。

 外国の感染爆発ニュースが大きく報道される日々に、日本では現実の感染者は少なかった。感染者が一番多い東京に住んでいても、身近なところに感染者がいた人はほとんどいなかった。自分も一人も知らない。もちろん報道された芸能人などは何人か知っているが、個人的な知り合いは誰もいない。この「感染者数が少なかったこと」が、「感染者や家族への差別視」を生んだ。ごく一部だからこそ、「感染者ではない証明」が難しい。ほとんどの人は感染していないにも関わらず、厳しい感染予防策を求められた。もちろん「誰が感染者か判らない」のは事実だから、皆が従わざるを得ない。

 「他人事」だったときと違って、「皆が感染者である可能性」が生まれたときに、「監視社会」が進む。感染者がごく一部であるからこそ、「監視」が厳しくなる。もしもっと多くの感染者、死者が出ていたら、社会の雰囲気は違っていただろう。「誰もに感染可能性がある」のだから、「寛容」な雰囲気が生まれたと思う。感染者が現実には少なかったことから、「不注意で感染し、周囲に感染を広げた責任がある」とみなされた。合理的な感染リスクを超えて、「逸脱」行動には激しいバッシングが寄せられたのだ。
(中国の「監視」システム)
 今は公的な施設では、入場に体温測定やマスク着用が必須になっている。学校では今まで当たり前に行われてきた多くの学習が出来なくなっている。今後もしばらくは「監視社会化」が進行すると思う。「感染リスクがある」と主張されると、反論は難しい。韓国の「K防疫」は「成功」とされたが、スマホアプリを駆使した「個人情報監視」と思える。日韓対立を背景にしてか、日本では「反安倍政権」的左派が評価し、「安倍支持」の右派が感情的に反発していた。

 今後日本でも「監視」技術整備が進むと、この「ねじれ」は解消されるのだろうか。僕には心配の方が多い。「異常時対応」が「常態化」して、「監視社会になれてしまう」のではないか。今では街に「防犯カメラ」(という名前の監視カメラ)にあることが当たり前になってしまったように。世界のどこでも「少数派排除」という問題はあると思う。だが特に日本では「集団同調圧力」が強い。

 今後の日本社会では、「感染リスク防止」の名の下に同じような行動が出来ない高齢者や障害者への排除、危険視が進むのは間違いないと思っている。もちろん、日本社会を「連帯」の方向に変えていくこと、「自己責任」から「支え合い」へという旗を高く掲げることは大切だ。今後も折に触れて発信したいと思うが、冷静に判断するならば今後の世界は「監視社会化」の方向ではないかと認識している。
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「すみだ北斎美術館」を見る

2020年06月11日 20時47分48秒 | アート
 年金事務所に相談に行く時間が中途半端だったので、その前に「すみだ北斎美術館」に寄ってみた。ずいぶん前から作る話があったが、スカイツリーが出来ることになって本格的に建設が進んだ。2016年11月22日に開館したので、一度行きたいと思っていた。しかし、さすが「世界のホクサイ」で、外国人観光客で混雑しているようだった。今なら空いているだろうと再開の時を待っていた。
  
 場所は総武線両国駅5分。両国から錦糸町まで、線路の北側に「北斎通り」が通っている。今日は錦糸町から歩いて行ったが、結構遠かった。「北斎」というから、日本調の建物かと思うと、上の写真のような現代風のデザインなので驚いた。今は体温を測って入る。4階の「常設展」と「常設展プラス」しかやってない。でもまあ「予約制」で再開した美術館が多いので、フラッと入れるだけでも気が楽。
(ジオラマの北斎アトリエ)
 常設展で北斎の生涯がたどれる。習作時代に始まり、読本挿絵の人気イラストレーター、絵手本時代(「北斎漫画」)、錦絵の時代、晩年の肉筆画時代。様々に相貌を変えながら、88歳まで生きた。しかし、浮世絵は小さい。肉筆画も大きいのは少ないから、どうも簡単に見てしまう。まるで中高生の修学旅行のように、スイスイ出てしまった。後の用事がある時はそうなりがちだ。田布施の北斎美術館を見た時も同じだから、あまり北斎に関心がないのか。見に行きながら言うのもなんだけど。
(「富嶽三十六景」より「神奈川沖浪裏」)
 「常設展プラス」では、北斎最大の肉筆画という「隅田川両岸景色図巻」が展示されている。複製画だけど。これは隅田川両岸の寺社などを描いた不思議な感じの絵巻である。大体いったことがある場所ばかりで、江戸時代の様子が興味深い。しかし、これも一つ一つの絵は小さい。「北斎漫画」は「北斎スケッチ」と呼ばれて外国で人気だというが、絵心がなくて面白さが判らない。ロビーにはポーランドのアンジェイ・ワイダ監督関連の展示もあった。休むところもないので、そのまま出てしまった。
  
 その隣に神社があった。「野見宿禰神社」(のみのすくね)である。相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る。空襲で焼失して戦後の再建だという。横綱全員を刻印した碑があるというが、閉まっていて中に入れなかった。コロナ関連で閉鎖しているのかと思うと、調べたら今はずっと閉鎖なんだという。残念ながら横綱碑は見られないようだ。何だかなんで行ったのか判らないような記事だけど、中にはもっと北斎に関心が深い人もいるだろう。もうすぐ東京以外の人も来訪出来るようになると思う。東京在住者には今が一番空いていると思うので、一応紹介ということで。
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「感情教育」、青春のパリ・恋と革命-フローベールを読む②

2020年06月10日 22時21分41秒 | 〃 (外国文学)
 2019年春にフランス文学をたくさん読んでみた。長いこと読みたかったフローベールの「ボヴァリー夫人」にも挑戦した。確かにすごい傑作だったけれど、あまりにもこと細かな「糞リアリズム」に難渋して、読み終わるのに2週間も掛かってしまった。その時の感想は、「「ボヴァリー夫人」ーフローベールを読む①」(2019.6.12)に書いた。引き続いてフローベールの「感情教育」に進むつもりが、一呼吸入れることにしたら、もう一年経った。そろそろ読むか。
 
 「感情教育」(L'Éducation sentimentale)は以前に岩波文庫で読んだ。1848年の二月革命下のパリが描かれていることで有名で、読んでみたかったのである。でも20年以上前のことで、ほぼ忘れてしまった。今度は2014年に光文社古典新訳文庫で出た太田浩一訳で、非常に読みやすい翻訳だった。「都市小説」と呼んでもいい小説で、画像や写真も豊富で判りやすい。馬車の種類の多さには驚いた。それは画像で見ないと理解出来ない。「ボヴァリー夫人」よりも長い、上下巻合わせて1000頁もあるが、5日ぐらいで読み終わった。とても充実した読書体験だった。

 この本はフローベールの自伝的な要素も多いと言われている。パリに出てきた18歳の大学生フレデリック・モローの「青春のパリ彷徨」の書である。学問と恋、乱痴気騒ぎと政治論議、革命と出世欲、たくさんの出会いとたくさんの別れ…。誰しもが思い浮かぶ青春の日々が眼前に立ち現れてきて懐かしい。19世紀のフランス小説のことだから、お決まりのように「年上の女性への憧れ」が出てくる。主人公の人生は、ほとんどそれ一辺倒。だけど、やはりフランス小説に多い「高級娼婦」も「幼なじみ」も出てくる。優柔不断で押しが弱いフレデリックの恋は、なかなか苦労が実を結ばない。あるとき突然「モテ期」を迎えたりするのも「あるある」感いっぱいで切ない。

 主にフレデリックの恋愛模様で進行するが、政治論議も多い。この小説は1840年に始まり、主に1851年暮れまでが描かれる。書かれたのは1864年から69年で、69年に刊行された。フローベールは1821年生まれで(1880年没)、主人公フレデリックと同年齢である。1930年の七月革命で成立した国王ルイ=フィリップによる「七月王政」はもう行き詰まっていた。現王室を支持するか、正統ブルボン王朝復活を目指すか。王制を打倒して共和政を目指すか、それとも一挙に社会主義に進むか。復古派もいれば、空想的社会主義者も多い。恋愛とともに、青年たちは政治も熱く語り合う。そして1848年2月に市街戦が勃発し王政が倒れ、全ヨーロッパに波及した。
(1848年のフランス二月革命)
 フレデリックは市街戦には参加しない。革命勃発の日は、憧れのアルヌー夫人とデート出来る日だった。市街戦のためではなく、結局二人は出会えない。(十数年して再会した。)そこからフレデリックの恋愛は迷走していき、性と打算、金と名誉で揺れ動く。困ったもんなんだけど、フレデリックはどうも性格的に弱い。翻訳者の太田氏によると、学生に読ませてみると男子学生はフレデリックに同情的だが、女子学生は非難するらしい。それも道理で、臆病なのに打算的、いいところまで行ったと思うとダメにしてしまったり。歯がゆいけれど、男なら思い当たることが多い。

 二月革命後の政局は左右に激しく揺れ動き、6月には再び市街戦が起こる。かつての友人たちの立場も大きく変わる。一緒に青春を騒ぎ回った皆が、今度は敵味方に分かれてしまう。フレデリックも「高級娼婦」ロザネットに入れ揚げて、激動のパリを後にしてフォンテーヌブローに出掛けてしまう。そのシーンはとても印象的だ。パリ郊外のフォンテーヌブローの宮殿は美しいが、ロザネットは興味を示さない。森の奥へ出掛けるのも面白い。せっかく二月革命で旧秩序が崩れて、若い世代が大いに活躍するべきところ、こうしてフレデリックは人生を空費してしまう。
(フォンテーヌブロー宮殿)(フォンテーヌブローの森)
 有名な文芸批評家のティボーデはフレデリックのことを「フローベールから文学をマイナスした人物」と表現したという。なるほどなと納得した。フレデリックは時代を表現する「狂言回し」なんだろうから、実業界、政界、芸術界などに乗り出さないのも判る。ところで、フレデリックは夏目漱石に出てくる「高等遊民」みたいな存在だが、どうして生活が成り立つのか。一時は窮迫して故郷に引っ込むが、偶然「伯父さんの遺産」が転がり込む。この展開は都合良すぎかなと思った。とにかく巨編ながら、実に面白く読める傑作だ。英語風に言えば「センチメンタル・エデュケーション」という題名も心に訴えてくる。
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寒暖差アレルギーと「マスク嫌い」

2020年06月09日 22時19分23秒 | 自分の話&日記
 何でも日本人は「目元で相手の感情を測る」のだそうだ。それに対して、ヨーロッパ人では「口元で相手の感情を測る」のだという。確かに日本には「目は口ほどに物を言う」という言葉もある。昔の日本映画を見ていると、目元で表現している俳優が多い気がする。だから、欧米では「マスクで口元を隠す」と感情が読み取りにくくなって、「怪しい」と思われるんだそうだ。一方、日本では目を見せない「サングラス」の方がマスクよりも「怪しい感じ」に思われるという。

 そう言われてみると、何となく納得してしまう感じがする。確かに日本ではマスクよりサングラスの方が怪しく思われそうだ。欧米人は「マスクをしてる人を怪しく思う」とよく言われるけれど、日本でのサングラスを思い浮かべると理解出来る感じがする。さて、今年もすっかり暑くなってしまった。今年はマスクをしなければ入れてくれないところが多い。暑くて蒸れてしまいそうで、困ってしまう。僕はマスクが嫌いなのである。何でかというと、熱がこもってしまいやすい体質なのである。

 そもそも僕は毎日鼻水くしゃみが出る。いよいよ新型コロナウイルスに感染したのかというと、それはない。何年も前からだから。春先など、ついに花粉症を発症したのかと思うと、それも違う。目元のかゆみなどもなく、季節を問わずいつも同じだからだ。なんでいつも風邪を引いているんだろうか。これは「鼻炎」というのか。そう思っていたら、最近になって「寒暖差アレルギー」という言葉を知った。検索してみると、まさに自分の状態は寒暖差アレルギーそのものである。
(寒暖差アレルギーと花粉症)
 「くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどアレルギーに似た症状が出るものの、特定の原因(アレルゲン)によって引き起こされるアレルギーでもなく、熱っぽいけれど風邪でもない症状を「寒暖差アレルギー」と言い、医学的には「血管運動性鼻炎」と呼ばれます。花粉症やアレルギー性鼻炎などのアレルギー疾患は、花粉、ホコリ、ダニなどが原因となるアレルゲンによって免疫反応が起こりますが、血管運動性鼻炎は検査をしても明確なアレルゲンが見つかりません。また、風邪のようにウイルスに感染して炎症を起こすわけでもありません。このような原因の分からない鼻水、鼻づまりなどの症状が出るのが、血管運動性鼻炎です。」(「からだケアなび」より。」まさにこんな感じ。

 ところで困ってしまうことがある。先のホームページには「季節の変わり目には寒暖差アレルギーにご注意を!」とあることだ。もう夏になってしまえば、毎日暑いから季節の変わり目じゃないだろうと思うかも知れない。しかし、実は電車や施設の冷房がきついのである。出れば暑いし、入れば寒いぐらい。これはまさに超絶的な季節変化である。この間も某デパ地下を出たところで、くしゃみと鼻水が止まらなくて困ってしまった。まるで「感染者」に見られるんじゃないかと恐れてしまうではないか。
(寒暖差アレルギー、花粉症、風邪の見分け方)
 つまり夏は暑く冬は寒いので、暑かったり寒かったして困るが、それだけでなく冷暖房完備によって、「一年中が季節の変わり目」になってしまったのである。夏も冷房除けが必須になってしまった。その上、今年はマスクをしている。鼻水が出そうになると、すぐにかまないとマスクに付いちゃうじゃないか。しかも、もうマスクがつらい季節になっている。マスクだけが特に嫌いなのではなく、僕は身に付ける物がみんな苦手なのである。何年も前から運転免許にメガネが必要になっているが、たまに運転するときもサービスエリアなどに停まるとすぐにメガネを取ってしまう。

 ありがたいことに、今でも新聞も本も裸眼で読める。このブログも裸眼で書いている。だから、ほとんど毎日書いていけるのである。だが、外国映画の字幕運転時だけはメガネがいるのである。メガネやマスクだけが嫌なのではなく、腕時計やイヤフォンなどもダメである。昔は腕時計は付けるべきものとされていた。だが金属ベルトに耐えられず、ある時期から皮ベルトに変えた。そのうち腕に付けなくても胸ポケットに入れておけばいいと気付いた。そして携帯電話が出来たら腕時計はもうやめてしまった。

 「ウォークマン」も聞いたことがない。飛行機で無料の音楽などを聞けるイヤホンがあっても、10分程度が限度である。スマホをイヤホンで聞いている人がたくさんいるけど、それもする気にならない。装身具を身につけたこともないが、主義主張やオシャレ感覚の問題ではないのである。ネクタイも嫌いで、式(卒業式やお葬式など)でしかしなかった。締め付けられて熱が籠もってしまって辛いのである。ネクタイをしてないからといって、ラフな格好が好きだということではない。まあネクタイは時にはガマンしないといけない範囲だった。これからは「マスク」も社会生活上、ガマンしないといけないのか。それは僕にはずいぶん辛いことである。たまには自分のことを書いてみた。
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「9月入学」見送りの後にー本格的な「教育改革」議論を

2020年06月08日 22時19分39秒 |  〃 (教育行政)
 「9月入学」論について、今まで3回書いた。「「9月入学」論への4つの疑問」(2020.4.28)、「「9月入学」は「コロナ・レガシー」なのか?-「9月入学論」への疑問②」(2020.4.29)、「消費税15%が必要な「9月入学」」(2020.5.25)である。2回目の記事で「議論していけばポシャるに決まってる」と書いたけれど、案の定6月4日に安倍首相が事実上の「見送り」を決め、5日に萩生田文科相が正式に表明した。何でも自民党議員には反対意見が殺到したらしく、党内の意見を首相も無視できなかったらしい。
(自民党議員が首相に見送りを要望)
 書いた通りになったんだから、それでもういいようなものだが、最後に「まとめ」を書いておくことにした。僕が何回も書いたのは、議論をきちんと理解せずに論じている人が多いのにビックリしたからだ。この間、「9月入学」論議で1ヶ月以上をムダに費やしてしまった。その結果、「大学入試をどうするか」の全体像が未だに見えてこない。もともとセンター試験に代わって「大学入学共通テスト」になるはずだった。しかし、英語民間テストや記述式問題の導入見送りで、その共通テストのあり方が見えないままになっている。「9月入学」ではなく、そっちを先に議論するべきだったのである。

 僕が一番強調したいことは、これは「義務教育の問題」だということである。それなのに、「9月入学」が「大学教育の問題」だと思っている人が多い。見送りのニュース当日の「報道ステーション」のコメンテーターをしている朝日新聞の女性記者が「9月入学賛成」を主張していた。大学の入学時期を変えないと、国際化に遅れを取る、外国の優れた人材が日本の大学に来てくれないなどと言っていた。僕には全く理解出来ない主張だ。何故なら、大学には今でも「秋入学」制度があるから。大学だけ秋入学一本にも出来るし、「春入学」「秋入学」を選べる制度にも出来る。解決済みのテーマなのである。

 しかし、小中高を含めて「すべてを9月入学にする」ならば、何度も書いたように巨額の費用がかかる。また他の(財政など)制度と整合性がなくなり多くの不都合が生じる。(例えば、会計年度ごとの契約になっている非常勤講師の雇用など。)また、入試が2年続きにならないように子どもを作ったはずが、突然連続になって「学資」に苦労する人が出る。開始学年だけ、子どもの数が膨らんで学校整備や教員採用の計画も大きく狂う。そんなことが判らないで論じる教育関係者がいたのには驚いた。

 ところで、せっかく今回の議論があったので、この際「次の議論」をしておきたいと思う。まず、「4月入学は世界で少数派」という言説の問題。これ自体は正しい。しかし、「9月入学」に変えても「世界の少数派」なのである。下の画像を見れば判るけれど、どの月にしても「少数派」になるのである。アメリカなどは、小学校の開始月も州ごとに違うらしい。英語の勉強で留学するんだって、行ってすぐに大学の授業に付いていける人は少ないだろう。半年のズレがある方がいい人も多いはず。また何も米英に留学するだけでなく、オーストラリアニュージーランドもあるし、シンガポールフィリピンで学ぶ手もある。何なら公用語が英語のインドなら、4月入学で日本と同じである。
(各国の入学月)
 「9月入学」と言われたときに、すぐに気付かないといけない問題があった。それは「9月入学」という以上、それは「3学期制を前提にしている」のである。「学年」を後ろにずらすだけで、「一斉授業」「一斉卒業」により、同じ年に同年齢集団が「一斉就職」するという「日本的システム」の延命なのである。しかし、個性化といっても、すべてバラバラに入学、卒業というわけにもいかない。効率の問題もあるから、まあ大学は3回、4回あってもいいけど、小中高は「前期」「後期」の2学期制なら可能かもしれない。

 9月といえば関東以西ではまだ残暑が厳しい時期だ。初めて学校へ通う小学1年生にとって、ふさわしい入学時期とは思えない。学校運営上だけなら、会計年度と同じ4月が一番いいと思うけど、まあ何月開始でも出来ないことはない。でも「小学1年生問題」を考慮するならば、日本では4月か10月が適当なんじゃないだろうか。ちょうど半年ずれるから、2学期制にすればいい。前期入学、後期入学を親が選ぶことも可能だ。変えるのなら、全員が一斉に入学して卒業するというシステムを変えるべきだ。
(東大で検討した4学期案)
 数年前に東大が秋入学への変更を検討したことがある。結局取りやめになった経過は細かく承知していないが、その場合も「全員を秋にする」ということだったと思う。そうじゃなくて、「春でも秋でも」にすればいいと思う。しかし、そのために「大学共通テスト」を何度も行うのも負担が大きい。そこで「大学入学資格試験」を行う必要があるかも知れない。フランスのバカロレアのようなものである。それを導入したならば、高校以下の教育をガラッと変えることになるだろう。本当に「思考力」が問われることになる。後は好きな時に好きな大学に入ればいい。
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クリスト、ミシェル・ピコリ、井波律子他ー2020年5月の訃報

2020年06月07日 20時29分19秒 | 追悼
 2020年5月に大きく報道された訃報は、「勝武士」というしこ名の力士と「木村花」という女子プロレスラーだった。勝武士は日本の新型コロナウイルス死亡者の中で最年少だった。木村花は「リアリティ番組」に出演してネット上でバッシングを受けていたという。SNS上の発言の法的規制問題が論議されている。どちらも痛ましい訃報だが、ここで書く対象とは違うので名前のみ。

 世界では「環境芸術家」のクリストが31日に亡くなった。84歳。ブルガリア生まれで、妻のジャン=クロードはカサブランカ生まれ。二人は同じ1935年6月13日に生まれ、1958年10月にパリで出会い、以来共同で制作を続けた。(妻は2009年11月に亡くなった。)歴史的建造物を布で包む「梱包の芸術」で知られたが、本人には「梱包」に違和感もあったらしい。アメリカと茨城で公開された大量の巨大傘を立てる「アンブレラ・プロジェクト」を見れば、それも判る。だが、やはりパリのポン・ヌフ凱旋門、ベルリンの国会議事堂(ライヒスターク)を包んだことで記憶されると思う。世界に現代の「アート」を示した。
(クリスト)(包まれたライヒスターク)
 フランスの俳優、ミシェル・ピコリが12日に死去、94歳。舞台、テレビでも活躍し、映画監督もしたらしい。だが、60年代から70年代ぐらいのフランスやイタリアのアートシネマで渋い演技をした俳優という印象。ブニュエルやゴダールなどの名作によく出ていた。「軽蔑」ではバルドーの夫の脚本家、ブニュエルの「昼顔」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などでも重要な役を演じた。リヴェットの大作「美しい諍い女」では主役の画家だった。カンヌやベルリンで受賞しているが、どっちも日本未公開なのが残念。2011年の「ローマ法王の休日」では法王役だった。演技力の確かな助演タイプ。
(ミシェル・ピコリ)
 「ロックンロールの草分け」の一人、リトル・リチャードが9日死去、87歳。50年代後半に「のっぽのサリー」「ルシール」などが大ヒット。チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどと並び、ロックンロール創始者とされる。57年に突然引退を表明、神学を修めて牧師となったが、62年に復帰した。ポール・マッカートニーに大きな影響を与えたという。
(リトル・リチャード)
 日本では中国文学者の井波律子が13日死去、76歳。「三国志演義」の個人全訳で知られ、多くの中国文学研究の一般書を書いた。僕も岩波新書の「中国の五大小説」(上下)を持ってるけれど、結局今も読んでいない。「水滸伝」や演義じゃない正史の「三国志」も翻訳している。単に翻訳しただけではなく、「酒池肉林」とか「トリックスター群像」とか「中国のグロテスク・リアリズム」とか、現代に通じる視点で本を書いた。しかし、中国古典文学をちゃんと知らなくて、一冊も読んでない。
(井波律子)
 漫画家のジョージ秋山が12日死去、77歳。1973年から2107年までビッグコミックオリジナルに連載された「浮浪雲」が代表作。しかし、1970年に「銭ゲバ」が大評判になり、同時期の「アシュラ」が描写が過激として問題となった。その頃の不逞な勢いが印象的だった。他に「ピンクのカーテン」「恋子の毎日」「うれしはずかし物語」など映画やドラマになったものが多い。すごくたくさんの作品がある。
(ジョージ秋山)
 民社党元委員長塚本三郎が20日死去、93歳。1958年から60年、1967年から1993年まで、通産10回愛知県から衆議院議員に当選した。1985年から89年まで民社党委員長。最初は右派社会党から出馬して落選。58年に社会党から当選し、60年の民主社会党(後、民社党)結成に参加した。もう「民社党」を覚えている人も少ないだろう。党内には「社公民」路線と「自公民」路線の対立があり、塚本は自民党に近かった。「政界再編」で労組出身議員(米沢隆ら)は民主党に所属したが、塚本、大内啓伍らは自民党から出馬した。これで民社党委員長経験者がすべて亡くなった。
(塚本三郎)
・戦後日本の前衛美術家として知られた菊畑茂久馬(きくはた・もくま)が21日死去、85歳。福岡で活動し、60年代前半には前衛画家のホープとして注目された。藤田嗣治などの日本の戦争画を論じるなど、多くの著書もある。世界記憶遺産に登録された炭鉱画家山本作兵衛を紹介したことでも知られている。
・俳優、演出家の岡村春彦が31日死去、85歳。劇団民藝研究所同期の米倉斉加年、常田富士男らと劇団青年芸術劇場を結成して活動した。映画「真田風雲録」で望月六郎役をやった人だという。晩年に「自由人 佐野碩の生涯」(2008)を著した。この本は持っているけど、読んでない。「南ヴェトナム従軍戦記」の岡村昭彦の弟にあたる。佐野碩はメキシコの演劇運動で知られた人物である。
・JR東日本元社長の松田昌士が19日死去、84歳。「国鉄改革3人組」と呼ばれ、分割民営化を進めた。
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麻生「民度」発言と「オンライン申請」不備問題

2020年06月06日 22時24分18秒 | 政治
 麻生太郎財務相(副首相)の発言がまた問題になっている。もう何回目か判らない。ここでも1月に「「学ばない男」、麻生発言を考える①」という記事を2回にわたって書いたばかりである。今回は日本の新型コロナウイルスによる死者数が欧米諸国より少ない理由を「国民の民度のレベルが違う」と国会で述べた。しかし、「東アジアでは死者が多い日本」をこの前書いたばかりである。これでは、日本は「東アジアの中では民度が低い」ことになってしまう。

 この発言は4日の参院財政金融委員会で出た。自民党の中西健治氏の質問に対し、麻生氏は外国からの問い合わせに「『おたくとうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』って言ってやると、みんな絶句して黙る」と述べた。1月には「2000年の長きにわたって一つの国で、一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝、126代の長きにわたって一つの王朝が続いている」から「いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてくれと。ヨーロッパ人の人に言って誰一人反論する人はいません」というものだった。発想が同じである。
(麻生「民度」発言)
 麻生氏の脳内には東アジアが抜けているんだろう。それも問題だが、それと同じぐらい気になることがある。欧米の国と比べて「非論理的な理由で」日本が優れていると主張したときに、相手が「反論しない」とか「絶句する」とかと表現して、それが相手が主張を認めた証と受け取っていることだ。

 これは「ネット上の言論空間」でもよくあることだが、「訳の判らないこと」「論理的じゃない主張」をする人の発言を放っておくと、「相手は主張を認めた」と取るのである。そうじゃなくて、相手したくないからスルーしているだけのことがほとんどだろう。麻生氏に対しても、「ああ、この人に反論しても仕方ないな」と思って、スルーしているだけなんじゃないか。麻生氏の脳内で「反論しない」とか「絶句」とか「翻訳」されてしまったが、実は「無視された」というのが実際なのではないか。

 ところで、「日本人の民度」について、最近とても心配な出来事があった。僕は「日本人の民度」はともかく、「日本人の情報リテラシー」は大丈夫だろうかと思うことが結構ある。「リテラシー」とは「読解力」とか「識字力」のことだが、それ以上に「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」という風に使われることが多い。今回「特定給付金」(コロナウイルス対策で給付される一人10万円のこと)の申請について、間違いが多いらしい。「不要な場合」にチェックを付ける欄があるので、うっかり「必要」でもチェックする人がいるという。もちろん、書き方の説明はあるわけだが。

 それ以上にビックリしたのは「オンライン申請」がどんどん中止になってしまったことだ。これは元々の制度設計も良くない。「給付金」に関しても、「マイナンバーカード」に関しても、「オンライン申請」そのものの関しても、判りにくいことが多すぎる。しかし、今はそれを問題にしたいのではない。取りあえず「給付金」の仕組みが決まった。そして「オンライン申請」の仕組みも決まった。使いにくいにしても、決められた通りに申請すればいいだけだろう。間違いが多いというのは何故だろうか。
(オンライン申請を中止した自治体が多い)
 「オンライン申請」は誰もが出来るわけではない。「世帯主」であって、「マイナンバーカード」を持ち、スマートフォンまたはインターネットに接続してパソコン(カードリーダーが別に必要)がいる。だから、高齢者が理解出来なかったということではない。むしろ「情報リテラシーが高い方の人」が間違っているのである。当初間違いが多いと報じられた高松市のオンライン申請では何と6割に誤りがあったという。結局、多くの自治体がオンライン申請を中止してしまった。

 そもそも「マイナンバーカード」は取得者本人の情報しかないのに、給付金は世帯ごと支給である。だから、「自治体の確認」が必須で、この仕組み自体に問題が多かった。しかし、だからといって、多くの申請内容に間違いがあるのが判らない。世帯主ではないのに、マイナンバーカードを持ってたから申請しちゃっという人も多いらしい。それはまだ理解出来るが、中には郵送申請で、書いてある口座名とコピーした通帳が違う人もあるという。どうすれば、そんなことになるのだろうか。他国の「民度」をあげつらっている場合じゃないだろう。日本の「情報リテラシー」の方を心配しないといけない。
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映画「ハリエット」、奴隷解放に生きた黒人女性

2020年06月05日 17時40分53秒 |  〃  (新作外国映画)
 東京も映画館が再開されてきた。まだ旧作も多いが、少しずつ新作も公開されている。この間、家でテレビや配信では映画を見なかったので、2ヶ月ぶりぐらいの映画。さて久しぶりに見た映画は「ハリエット」。19世紀半ばのアメリカで、自由を求めた解放奴隷の女性ハリエット・タブマンを描く話題作である。主人公を演じたシンシア・エリヴォ(Cynthia Erivo)がアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。アメリカで起きている事態も思いつつ、「今見るべき映画」だなと思った。

 ハリエット・タブマン(1820or1821~1913)は実在の人物で、そう言えば名前を聞いたかもと思ったが、詳しい人生は知らない。主演のシンシア・エリヴォも知らないから、どういう展開か判らずに見たので迫力ある展開にドキドキしながら見ることになった。監督のケイシー・レモンズもアフリカ系女性監督で、演出にも力がこもっている。ただアカデミー賞でもゴールデングローブ賞でも、シンシア・エリヴォしかノミネートされていない。やはり映画全体を見ると、途中から「偉人伝」になってしまったかなと思う。それでも「所有欲」がいかに人間を堕落させるか、深く考えさせる。

 1849年、アメリカのメリーランド州。農園で働くミンティ(アラミンタ・ロス)は、自由黒人のジョンと結婚している。弁護士に頼んで調べて貰うと、祖父の遺言で自由になれるはずだと判った。主人に掛け合うが、認められない。主人が急死すると、南部に売られそうになる。逃げるしかないと決めたが、自由な夫が捕まると奴隷にされるので、あえてひとりで逃げる。追手に迫られ、川の上の橋で窮地に立つが「自由か死か」と述べて、急流に身を投げる。何とか助かって、自由州のペンシルベニアにたどり着き、フィラデルフィアに落ち着くことになる。

 そこでは奴隷州とは全く違う生活が待っていた。名前を変える人が多いと聞き、母の名を取って「ハリエット・タブマン」を名乗って、自分を助けてくれた奴隷解放運動に加わった。それにしても、気になるのは夫や家族のこと。危険を顧みず、あえて別人の証明書を使って故郷に乗り込む。そこで待つ悲しみを超え、多くの人々を連れてフィラデルフィアに帰還して、自由を求めて北部へ逃げる「地下鉄道」の「車掌」に任命された。ハリエットは神の声を聞き、幾つもの危機を避けることができた。

 幼い頃に奴隷主の暴行で頭部を負傷した。以後「睡眠障害」があると描かれている。「ナルコレプシー」なのかなと思って見ていたが、ウィキペディアを見たらやはりそうだった。何かをしていても途中で眠り込んでしまう病気だが、そのような際に「神の声」を聞けるとした。そこら辺は判らないけれど、当初は字も読めない「ただの女性奴隷」だったハリエットが、途中からどんどんカリスマ性を帯びてくる。ついには南北戦争で黒人男性を従えて従軍するまでになる。実在のハリエット・タブマンは今後アメリカの新20ドル札の肖像になる。(トランプ政権が止めているとも言われる。)
 (実在のハリエットと新20ドル札)
 ハリエットを演じるシンシア・エリヴォは圧倒的。主演女優賞と歌曲賞にダブルでノミネートされた。元々はイギリス出身のミュージカル俳優で、「カラーパープル」のミュージカル版でブロードウェイにデビューして、トニー賞主演女優賞を受賞した。またミュージカルとしてグラミー賞も得た。僕も全然知らない人で、調べて知ったことだが今後大注目だと思う。イギリス人がキャスティングされたことに批判もあったらしいが、熱演と圧倒的な歌唱力で見る者を納得させたと思う。

 前日に「漱石と鉄道」を書いたけれど、「鉄道」にも目に見えないものがあるんだなと気付いた。自由を求めた「地下鉄道」とは、今で言えば「ネットワーク」というべきか。秘密の抵抗運動を「鉄道」にたとえたのが興味深い。日本ではベトナム戦争に反対する「脱走兵」を匿うネットワークが存在した。運動に関わった哲学者鶴見俊輔は「高野長英」を書いた。幕末の蘭学者、高野長英は幕府に囚われたが脱獄して、6年にわたって全国を逃亡した。匿うネットワークが全国にあったのだ。同時代である。
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牧村健一郎「漱石と鉄道」を読む

2020年06月04日 21時07分32秒 | 本 (日本文学)
 牧村健一郎漱石と鉄道」(朝日選書)を読んだ。僕はとりわけ鉄道ファンではなく、夏目漱石ファンでもない。それでも「漱石」「鉄道」のファクターが重なると、読みたい気持ちが3倍増ぐらいになる気がして、出たばかりの本を買ってしまった。確かに漱石の小説には鉄道がよく出てくる。

 「三四郎」の冒頭、九州から上京途中に青年が名古屋で下車して、同乗の女性客とひょんなことから同宿する。その翌日は鉄道で会った客(広田先生)と話していると「(日本は)滅びるね」と驚くようなことを言う。読んだ人なら忘れられないシーンで、小説の始まりとしても有名だ。ところで、その汽車は何時何分のものか。どこから乗って、どこへ通じているのか。小説だし、読んだときには特にそんなことは考えなかった。でも明治の時刻表(名前は違うけど)も残っているのである。それを調べて、できる限り特定して、できれば追体験する。それがこの本の趣向である。

 漱石の小説は数年前に全部読んだけど、鉄道による「移動」が物語の起動力になっている作品が多い。「坊っちゃん」は松山で軽便鉄道に乗っているが、そもそも坊っちゃんはどうやって四国まで出かけたのか。そして松山で一暴れしてさっさと中学教員を棒に振った坊っちゃんは、東京に帰って「街鉄の技手」になった。僕はこれまで、なんとなく市電の運転手になったのかと思っていたが、「技手」(ぎて)というのは「技術系職員」だという。帝大出じゃないから幹部要員ではないが、理科学校出身だから「現業職」の運転手ではないんだという。

 東京の「市電」の発展も印象的だ。「坊っちゃん」発表時(1906年4月)には確かに「街鉄」(東京市街鉄道)だったが、同年9月には「東京鉄道会社」になった。路面電車の会社は当時3社あって、合併したのである。さらに1911年に東京市が買収して「市電」、東京都制(1943)で「都電」になった。また、今の中央線は甲武鉄道という私鉄から始まった。1906年の鉄道国有法によって国有化され「省線電車」になった。(当時は鉄道省が置かれた。)この甲武電車の発展で、帝大関係者にも新宿辺に住む人が現れた。「三四郎」には大久保で飛び込み自殺した事件を目撃する場面がある。
(甲武鉄道のカブトムシ電車)
 漱石は松山や熊本で勤めたから、当然東京と鉄道で行き来した。熊本で結婚後に実父が亡くなり、夫婦で夏休みに帰省する旅が辛すぎて、夫人は流産してしまった。大変な時代である。小説家になった後も、朝日新聞の講演会に駆り出され、関西や長野に出かけている。長野への旅は、胃腸病を抱えた漱石を心配した夫人も一緒だった。横川・軽井沢間の有名なアプト式の難所を夫婦で越えた。そしてロンドン留学中は、日本にはまだない地下鉄も経験、スコットランドまで旅行した。満鉄総裁の友人、中村是公に誘われ、出来たばかりの満鉄(南満州鉄道)にも乗っている。

 「漱石と鉄道」とは、いいところに着眼した。著者はスコットランドにも、遼東半島にも実際に出掛けている。牧村氏は元朝日新聞記者で、以前にも漱石の本を書いている。獅子文六を最近まとめて読んだけれど、牧村著「評伝 獅子文六」が最近ちくま文庫に入り、興味深く読んだばかりだ。当時の汽車は揺れが大きく、胃病持ちの漱石には辛いはずだが、それも死因だと推測している。有名な「修善寺大患」の伊豆・修善寺温泉も、今ではまっすぐ行けるが、当時は御殿場線回りで行っている。丹那トンネルがなかったという知識があっても、実際の行き方は気付かなかった。

 「明暗」には湯河原温泉が重要な役割で出てくる。今は東海道線に乗れば遠くない。首都圏から熱海まで直通の電車が出ているから近すぎる温泉である。でも当時の東海道線は小田原直前の国府津(こうづ)から御殿場線に乗って箱根を大回りする。湯河原、熱海へは小田原と結ぶ「熱海鉄道」という軽便鉄道があった。それに乗って熱海へ行く場面は、実に危なっかしい。小説を読んでるときは物語に気が行くから、鉄道のことはあまり考えない。鉄道だけ取り出すと、なかなか興味深い鉄道社会史になる。
(熱海駅前の熱海鉄道車両)
 ところで、この本では関西は私鉄が発展したが、東京の私鉄発展は遅れたと書いている。しかし、東武鉄道京成電鉄は明治時代に作られている。東京東部だから、山手線以西の人にはあまり影響しない。確かに今の東急、小田急、西武などは大正時代になるけれど。まあ、東京東部を抜きにして東京を語る人は多いのでいちいち気にしてはいられない。漱石を読んでないとちょっと大変かも知れないが、基本的には鉄道や文学に関心が薄い人でも興味深く読める本だと思う。
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アメリカにもウンザリ、中国にもウンザリの国際ニュース

2020年06月03日 22時04分46秒 |  〃  (国際問題)
 世界のニュースもコロナウイルス一色だが、そこにアメリカや中国のニュースが届くと、正直いってウンザリする。アメリカにも、中国にもウンザリしてしまう。こう書くと、それは判るけどその表現は良くないと批判されるだろう。およそ三つの方向からの批判が予想される。一つは国の問題じゃなくてリーダーの問題だという考え。トランプ習近平にウンザリするのは判るけど、国全体の問題にしてはいけない。まあ、その通りに違いない。

 二つ目は、ウンザリしていてはいけないという問題。アメリカの警官による黒人死亡事件や続く抗議運動に対して、「連帯」の意思表示こそ大事だ。また中国全人代の「国家安全法」問題でも、抗議する香港市民への連帯こそ今大切だ。これも全くその通りで、いつもはそこで終わる記事を書くようにしている。また三つ目は、日本の安倍政権を放っておいて、他国の批判を出来るのかというスタンスからの批判。これも全く同感で、自分でもそう思う。僕もそういうことは判っているけれど、やっぱり同じようなニュースが続く両大国を見ているとウンザリ感が募るのである。

 新型コロナウイルスが世界で一番最初に爆発的に感染したのは、もちろん中国の武漢だった。だから中国はもっとウイルスや感染状況を世界に公開しなければならない。中国の情報公開は不十分だと思われている。だから、アメリカは粘り強く世界に訴えるべき時だし、それを通して国際的リーダーシップを発揮する好機だった。しかし、ウイルスがあっという間にアメリカに感染が広がり、感染者、死者数ともに「アメリカ・ファースト」が実現してしまった。その失敗を糊塗するように、トランプ大統領はWHOを脱退するなどと表明した。せっかくの好機を自らなげうったとしか思えない。
(アメリカの抗議運動)
 ミネソタ州ミネアポリスで起こった警官による黒人死亡事件でも、大統領自ら分断と暴力をあおり続けている。普通の人なら、とっくにツイッターのアカウントは停止されているはずだ。だけど、停止したときに反発がどこに向かうか判らないから、「大統領」ということで特別待遇を受けているんじゃないか。さすがに大統領への批判は大きくなっているようだが、そのことで分断はさらに強化されてしまった。大統領選挙の結果に関わらず、世界は残り続ける「トランプ支持派」に向かい合うことになる。そして毎年のように、「銃の乱射事件」と「警察の暴力事件」が起き続ける。
(連邦軍の動員を示唆するトランプ大統領)
 一方、中国では3月に開催予定だった全国人民代表会議(国会)を2ヶ月遅れで開催した。会場に集まる参加者はマスクをしているが、壇上の指導部はマスクなしだった。延期が2ヶ月で済んだのは、意外とも言える。今はウイルスは「制圧」したとして他国へマスクなどを「援助」している。WHOへも巨額の援助を行っているようだ。しかし、お金の代わりなのか、中国が努めていたことは、WHOから台湾を排除することだった。武漢ウイルス研究所などへの調査も受け入れないとおかしい。最初の感染爆発国として、多くの対応策の情報も持っていると思う。
(中国全人代)
 そして、全人代では香港に「国家安全法」を導入することが決められた。この「国家安全法」は中国本土では2015年に制定され、人権派弁護士など多数の市民が拘束された。香港に導入するからいけないんじゃなくて、中国本土の国家安全法自体が「国際人権規約」に違反している。国連安保理常任理事国にふさわしくない。今後、香港に導入されるときには、香港立法会の議決を要しないとされている。よって秋に予定される立法会選挙の結果に関係なく導入できる。
(マスクをして抗議する香港の人々)
 新型コロナウイルスもあって、香港では反対のデモや集会が認められない。6月4日は例年「天安門事件」の追悼集会が行われてきたが、今年の開催は認められなかった。「コロナ危機」の下で国家安全法を導入するわけだから、ひどい話である。全人代の採決結果は、反対1票、棄権6票、賛成2878票だった。圧倒的賛成は、初めから賛成する人を集めているんだから当然だ。「反対が一票しかなかった」と言ってた人がいるが、反対を意思表示したのはものすごい勇気だと思う。もっとも「一票ぐらい反対票がないと」という仕組まれた反対票なのかもしれないし、よく判らない。

 中国の状況を考えると、デモができるだけアメリカの方がいいのか。それでも多くの人が「銃を持っているかもしれない」という恐怖がある。トランプ大統領の「反中」姿勢により中国はアメリカ産農産物を買い付ける合意を反故にする可能性が高い。コロナ禍によって失業者が増大し、それは大統領選にも大きな影響を与えるだろう。民主党候補が事実上確定しているバイデン前副大統領は、高齢不安、失言癖がつきまとうが、副大統領候補に女性を選ぶとテレビで表明してた。今の段階で一番注目されるのは、この女性候補が誰になるかだ。日本の新聞でも数人の名が取り沙汰されているが、その決定は「高齢不安」の選挙戦を左右するだろう。
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町村議会選挙に供託金ー公選法「改悪」を廃案に!

2020年06月02日 22時29分35秒 |  〃  (選挙)
 今の国会には多くの法律が提出されている。知らない法案も多い。成立間際になって、初めて報道されて驚くこともある。僕も今日になるまで知らなかった法案が「公職選挙法の一部改正案」である。6月1日に委員会で可決され、2日に本会議が開催されこの法案も上程されている。まだ報道されていないが、恐らく可決され参議院に送付されたのではないかと思う。

 その法案が成立すると、町村議会選挙に立候補するときに供託金が掛かるようになる。その代わりポスター製作費などが公費負担になるという。そうか、今まで町村議会選挙ではポスターなども自費だったのか。それは確かに「改正」してもいいだろう。でも「供託金」は要らない。国政選挙でも高すぎると言われる。もっと引き下げようという運動がある。ただでさえ、町村議会選挙では「議員のなり手がいない」と言われている。時代に逆行する法案としか言えない。
(各選挙の供託金一覧)
 上の画像を見れば一目瞭然。町村議会議員は「供託金ゼロ」である。この問題は、2013年に「選挙を変えよう」シリーズの中で、「供託金はいらない-選挙を変えよう④」を書いた。その時から何も変わらず、むしろ「改悪」されるとは驚きだ。町村では若い人そのものが少なく、地域を支える人が減りつつある。地区ごとに候補を決めて、事実上無投票のことも多い。供託金制度は「候補の乱立を防ぐ」のが目的とよく言われる。乱立という実態がないのに、わざわざ供託金を作る意味が理解出来ない。

 成立すれば「15万円の供託金」になるようだ。これは市議会議員選挙の「30万円」の半分である。まあ議員になろうかという人なら、もちろん出せない額ではない。それに大体返ってくるわけだし。供託金は当選するか、有効投票数を議員定数で割った数を上回る得票があれば返却される。(得票が基準以下だと国庫に没収される。)だから、町村議会選挙だったら、おおよそ戻ってくると予想できる。「だからいいじゃないか」ではなくて、「だから意味ないじゃないか」と思う。

 この改正案に、当の町村議会議員は反対しないのだろうか、多分しない人が多いんじゃないかと思う。今までなかった選挙費用の公費負担が実現するんだったら、いずれ戻ってくる15万円だったら面倒だけど出しておこうという気持ちだと思う。だが、そういう考えはおかしい。15万といえど、若い世代にはちょっと負担感がある。町村の長老が立候補するには問題ないだろうが、都市で働いた(学んだ)若い世代が故郷に戻って立候補する時にハードルが高くなる。有害無益の「規制強化」である。
 
 ところで「供託金」とは、具体的にはどうするんだろうか。僕も実際に実務を知ってるわけじゃやないけど、「供託」という制度がある。選挙だけではなく、民事訴訟など経済活動の中で争いがあった時に利用される方が多いだろう。「提供寄託」の略だという。現金または国債を法務局(地方法務局)に「寄託」することになる。法務局なんか大きな町、つまり「市」にしか置かれていない。「町村」にはないのである。わざわざ行くのも面倒だから、今まで供託金もなかったのに違いない。
(国政選挙、世界の供託金比較)
 上の表を見れば、日本の選挙がいかに異常かよく判る。日本社会の「障壁」と言ってよい。政界関係者以外に立候補出来ない仕組みになっている。特に町村議会などは、もっと多くの女性、もっと多くの若者が立候補出来る仕組みを作っていかないといけない。「地方創生」などと言ってる人たちがやることではない。(なお、内閣提出法案ではなく、議員立法である。2020年6月8日成立。)
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「日本の映画監督」のまとめ

2020年06月01日 17時07分06秒 | ブログ記事のまとめサイト
過去に書いた記事のまとめ記事名をクリックすると、当該記事になります
日本の映画監督(特に昔の監督を中心に)の記事です。監督名のアイウエオ順溝口健二吉田喜重等好きな監督でも書く機会がないため書いていない監督もあります。
今井正
  ①「今井正監督生誕百年①ー50年代の再発見」(2012.5.2)
  ②「今井正監督生誕百年②ーリアリズムの力と限界」(2012.5.3)
  ③「青い山脈」(2012.4.10、今井正監督) ④「山びこ学校」(2012.7.4、今井正監督) ⑤「今井正監督の映画「ここに泉あり」」(2012.7.5)
今村昌平
  ①「今村昌平の「重喜劇」を見よ」(2012.5.9) 
  ②「今村昌平の映画を見る①「にあんちゃん」と「黒い雨」」(2012.5.29)
  ③「今村昌平の映画を見る②「果しなき欲望」と「復讐するは我にあり」」(2012.5.31)
  ④「今村昌平の映画を見る③60年代の傑作から80年代の作品へ」(2012.6.3)
大島渚
  ①「小山明子映画祭と大島渚の映画」(2012.5.7) 
  ②「追悼・大島渚」(2013.1.16) 
  ③「大島渚の映画①ヌーベルバーグの時代」(2013.3.25) 
  ④「大島渚の映画②性と犯罪と想像力」(2013.3.28)
  ⑤「大島渚の映画③ATGの時代」(2013.3.29) 
  ⑥「大島渚の映画④国際的監督として」(2013.4.2)
大林宣彦
  ①「大林宣彦「転校生」を35年ぶりに見る」(2017.6.29) ②「大林宣彦監督を追悼し、いくつもの映画に感謝!」(2020.4.11)
小津安二郎
  ①「「東京物語」を35年ぶりに見る」(2011.12.3) ②「小津散歩-小津映画の話①」(2014.3.4) ③「美術品として-小津映画の話②」(2014.3.5) ④「セルフリメイク-小津映画の話③」(2014.3.6) ⑤「ホモソーシャルな世界-小津映画の話④」(2014.3.9)
加藤泰
  ①「フィルムノワールの世界的巨匠」(2011.6.16)
  ②「孤独なヒーローが心に沁みる」(2011.6.17)
  ③「桜町弘子トークショーと「骨までしゃぶる」」(2012.7.6) 
  ④「映画「真田風雲録」と加藤泰監督の映画」(2016.8.13)
川島雄三
  ①「映画「幕末太陽傳」デジタルリマスター版を見る」(2012.1.14) ②「川島雄三監督作品を見続けて」(2014.5.31) ③「川島雄三監督生誕百年」(2018.2.3)
木下恵介
  ①木下恵介の「日本の悲劇」(2013.6.3) ②「「二十四の瞳」を今見直すこと」(2013.6.3) ③「「死闘の伝説」と「夜の女たち」」(2015.8.23)
熊井啓
  ①「熊井啓監督「サンダカン八番娼館 望郷」」(2018.11.14) ②「熊井啓監督「忍ぶ川」を再見して」(2018.3.14)
神代辰巳
  ①「青春の「日活ロマンポルノ」、名作の数々」(2012.5.12) ②「神代辰巳の映画を見る」(2015.4.4)
蔵原惟繕
  ①「蔵原惟繕の映画①「プレ・ヌーベルバーグ」の映画監督」(2013.12.18)
  ②「蔵原惟繕の映画②「俺は待ってるぜ」~「ある脅迫」」(2013.12.20) 
  ③「蔵原惟繕の映画③「狂熱の季節」~「黒い太陽」」(2013.12.21) 
  ④「蔵原惟繕の映画④「憎いあンちくしょう」」(2013.12.22) 
  ⑤「蔵原惟繕の映画⑤「野獣のように見えて」~「愛の渇き」」(2013.12.23)
篠田正浩
  ①「映画「無頼漢」と篠田正浩監督の映画」(2012.10.11) ②「映画「心中天網島」と文楽問題」(2012.11.8)
新藤兼人
  ①「新藤兼人監督を追悼し、新藤映画を振り返る」(2012.5.30)
鈴木清順
  ①鈴木清順トークショーと映画(2011.11.19) 
  ②「東京流れ者」と松原智恵子トークショー(2013.10.21) 
  ③「鈴木清順の映画①日活前期(「峠を渡る若い風」まで)」(2013.10.24)
  ④「鈴木清順の映画②日活後期(「殺しの烙印」まで)」(2013.10.27)
  ⑤「鈴木清順の映画③清順映画をどう評価するか」(2013.10.28) 
  ⑥「追悼・鈴木清順監督」(2017.2.23)
相米慎二
  ①「相米慎二監督「台風クラブ」」(2012.8.20) ②「相米慎二-水と再生の映画作家」(2013.1.13)
田坂具隆
  ①「「はだかっ子」とユネスコ村」(2015.10.18) ②「「女中っ子」と「陽のあたる坂道」ー田坂具隆監督の映画」(2015.10.29)
千葉泰樹
  ①「千葉泰樹監督の映画を見る」(2011.10.5)
中村登
  ①「中村登監督の映画」(2014.9.13)
根岸吉太郎
  ①「「探偵物語」と「俺っちのウェディング」ー根岸吉太郎監督の映画①」(2016.3.17)
  ②「「遠雷」と「ウホッホ探検隊」-根岸吉太郎監督の映画②」(2016.3.27) 
  ③「「雪に願うこと」など-根岸吉太郎監督の映画③」(2016.3.28)
羽仁進
  ①「羽仁進の映画①-ドキュメント映画時代」(2017.7.20)
  ②「日本のヌーヴェルヴァーグ-羽仁進の映画②」(2017.7.21)
  ③「アフリカとアンデスー羽仁進の映画③」(2017.7.22)
  ④「「初恋・地獄篇」とその後-羽仁進の映画④」(2017.7.23)
藤田敏八
  ①藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」再見(2013.2.7) ②「「赤ちょうちん」「妹」と秋吉久美子トークショー」(2017.8.27)
増村保造
  ①「映画監督増村保造の特集上映」(2014.6.23) 
  ②「若尾文子作品-増村保造の映画①」(2014.7.30) 
  ③「川口浩と田宮二郎-増村保造の映画②」(2014.7.31) 
  ④「後期の映画-増村保造の映画③」(2014.9.11)
山田洋次
 ①「映画「虹をつかむ男」シリーズ」(2014.1.17) ②「山田洋次監督の映画「小さいおうち」(2014)
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