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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「東京流れ者」と松原智恵子トークショー

2013年10月21日 00時41分26秒 |  〃  (旧作日本映画)
 神保町シアターの鈴木清順監督特集で、「東京流れ者」上映に合わせ、10月19日夜に松原智恵子さんのトークショーがあった。この日は1時頃に行って3本続けて見たのだが、その時点で「東京流れ者」の整理券は67番。100人ほどの小劇場なので、3時過ぎには満員になったという。もう前の方しか席がないかと思って入ったら、逆に前の方から埋まっていた。来てる人のお目当ては松原智恵子に近い席ということなんだろう。なお、サプライズとして、車いすで鈴木清順監督自身が見えて、少しだけど語った。前にも聞いたことはあるけど、90歳卒寿記念の上映会だけに感慨も大きい。メモは取ってないからかなり忘れているけど、その時のトークから。
(松原智恵子)
 助監督だった葛生雅美、岡田裕氏と共に松原智恵子さん(1945~)が現われると、場内は満場の拍手。女優さんのトークを最近よく聞くけど、皆さんお元気で美しい。そして日活青春映画のスターの話はいつも楽しい。男優も女優も皆仲良くやってたらしい。もっとも映画全盛時代で本業が忙しく、時間に追われてもいたんだろうけど。まず昔からの疑問だとして、映画の歌の吹き替えが自分の声と似てないのは何故だろうという。映画では主人公渡哲也の「運命の女」役の歌手だけど、歌は吹き替えだった。

 清順映画は4本出てるけど、まだ駆け出しの頃で言われた通りやってただけなんだという。でも清順映画の不思議なセットの色彩感覚などは印象的だったようで、木村威夫の美術の影響力が大きかった。松原智恵子本人は運転が大好きで、自動車を自分で運転して毎日撮影所に来ていたという。場所が神保町だったので、明大夜学部に通っていた当時の思い出を場内から質問された。それがなんと、休講になった時にクラス仲間にパチンコに連れて行かれたことだという。場所はどこだか判らないけど、という。大学にも、特別に認められて車で通っていたんだという話。撮影所システムが機能していた時代のスターの挿話はいつも面白い。

 さて、映画「東京流れ者」(1966年4月10日公開)だけど、これは「けんかえれじい」「殺しの烙印」とあと2作を残すだけとなった、鈴木清順40本の日活作品のラスト3本目である。日活が営々と作り続けた「日活アクション」の傑作であり集大成でもあるが、同時に日活アクションの自己パロディで、かなり「作家性」が入っている。しかし、「殺しの烙印」が完全に「作家の映画」で確かに「難解」とも言えるのに対し、「東京流れ者」はひたすら楽しい映画になっている。そこの危ういバランスが、見るたびに面白くなっていく。最初に清順映画を見るときには、「刺青一代」や「けんかえれじい」などのストレートに物語が進む映画の方が印象的だった。でも、清順作品や他の日活アクションをたくさん見てくると、「東京流れ者」のパロディとしての完成度が面白くなっていく。
(「東京流れ者」)
 この映画のパロディ性は、主人公がまだ本格的スターとなる前の「渡哲也」初期作品であることに由来すると思う。路線が確立する前だから、アクションスターとして日活アクションの様々な設定を詰め込むという筋書きが意味を持ってくる。木村威夫の美術による、あまりにも様式的なセットも素晴らしく、そこで繰り広げられる物語も「お約束」通りに進行する。だから、やり過ぎ的な進行やセリフやアクションに場内では爆笑、苦笑が絶えない。

 この映画の中には、日活アクションに見られる趣向がほとんで総ざらいで出てくる。主人公をめぐる裏切りと復讐、「運命の女(ファム・ファタール)」との出会いと訣別、「自己の信念」をめぐって悩み続ける主人公、超絶的なアクション、無国籍的なクラブでの愛や乱闘、港町をさすらう主人公、異常なまでの執念で付け狙う仇敵、「一匹狼」との友情、異様に様式化された洋風建築のセット、日本的な家屋でのアクションの様式美、主人公を象徴する歌の反復(敵が近くにいるのに「東京流れ者」を口ずさむので、思わず場内が爆笑する)などなど。

 アクションでも、銃撃戦、日本刀による殴り込み、素手の殴り合い、大乱闘や一対一の決闘、なんでもありである。これだけあると、じっくり撮るとものすごい長尺になるのではと思うが、そこは編集で省略に次ぐ省略をしてるので、まるでゴダールの「勝手にしやがれ」みたいな、「筋が突然飛んでしまうことによるリズム」が生じている。それを突き詰めると、「独自の美学」になっていくが、この映画では商業映画の娯楽性をも備えているので、スター映画として見られる。

 筋を書けば、ヤクザをやめて堅気で行くことを決意した倉田組の親分(北竜二)と子分の哲(渡哲也)をめぐる話である。会長の意思にあくまでも従うのが子分の筋と、きっぱり足を洗う「不死鳥の哲」だが、対立する大塚組はそれを信じていない。今日も大塚組にチョッカイを出されるが、全く手出しをせずにいる。哲さえいなければ倉田組はちょろいと、倉田ビル乗っ取りを大塚組は画策する。いろいろやり取りがあるが、金貸しの吉井をめぐる殺人事件に発展し、倉田の罪を哲が被り、東京を去ることになる。あくまでも親分を立てる哲を倉田は可愛がり、庄内に行かせる。(雪のシーンが美しい。)そこでも大塚組の関わるトラブルがあり、乱闘に巻き込まれるが、「流れ星の健」(二谷英明)に助けられる。しかし、かつて大塚組にいながら一匹狼になった健を、哲は信用できない。健は「親分を信じすぎてはいけない」と忠告するが、哲は「義理を欠いたやつとは一緒にやれない」と再びさすらいの旅に出る。

 あちこちさすらった後で佐世保に着くが、ここで今までつきまとっていた「マムシの辰」(川地民夫)がクラブに乗り込み、銃撃戦で死亡する。その後、親分は大塚組から哲さえいなければ一緒に組めると言われて、哲を捨てて大塚組と一緒にやること決意し、佐世保の同輩、梅谷に電話し哲を消して欲しいと頼む。こうして親分に切り捨てられたことをようやく悟った哲は単身東京に舞い戻ってくるのだった…。という筋書きで、親分の裏切りだって、「意外な展開」でも何でもない。映画内で健から「親分を信じすぎるな」と繰り返し繰り返し忠告されるので、そこまで言われたら親分が裏切るしかないだろうと見てる人が誰でも判る展開になっている。最後の銃撃のアクションも現実離れしていて、虚構のパロディ性を満喫できる。(まあ、銃撃戦自体が日本ではハリウッド映画の摸倣でしか存在しえないけど。)

 このような様式性、パロディ性の高い作品だけど、奇怪なセットや美しい撮影、松原智恵子との恋愛など、チープな感じはしない。伝説的なカルト映画という枠組みで大傑作になっている。この時期の松原智恵子は本当に美しい。「運命の女」というには健全すぎるかもしれないけど。また親分を北竜二がやっているのも新鮮。見るからに裏切ってもおかしくない二本柳寛や金子信雄では感じが出ない。北竜二は小津映画で佐分利信や中村伸郎なんかとバーで飲んでる常連だった人で、フリーになってあちこちに出た。「秋日和」で妻が死んで男やもめになっていて、未亡人の原節子と結婚できるかもと喜んでいた役柄が印象的だ。善人っぽい役柄が多いからこの映画が成立していると思う。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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北竜二は (さすらい日乗)
2013-10-21 09:18:25
北竜二は、松竹の脚本部にいたこともあり、インテリ役者ですが、その前には活弁、映画説明者をやっていたようです。山野一郎の本に書かれていますので、本当だと思います。
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