尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小津散歩-小津映画の話①

2014年03月03日 00時00分45秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画監督小津安二郎の生誕地を知っているだろうか?僕は長く知らなかったので、東京都江東区の深川だと知って驚いた。小津安二郎(1903~1963)は、2013年に生誕110周年と没後50年を迎えた。全作品上映が行われるなど、あらためて注目を浴びた。僕も主要作品はほぼ見ているが(ごく初期のサイレント作品数本が未見)、面白いけれど、非常に大好きな映画監督とは言えない。だから、伝記的事実をあまり知らなかった。小津は10歳で三重県松阪に転居し、松坂の小学校を卒業、三重県立四((現・宇治山田高)に進んだ。神戸高商の受験に失敗し、三重県で代用教員となったが、1年で辞めて上京し、松竹に入った。このように青春時代を過ごし映画に目覚めたのは三重県という印象が強かった。

 小津安二郎誕生の地のプレートが造られている。地下鉄東西線門前仲町駅から清澄通りを北へ歩き、高速道路の下を過ぎた歩道橋の下である。結構わかりにくい。歩道橋の下で写真も撮りにくい。
  
 実は最初に行くべきはここではない。門前仲町駅から10分ほど行った古石場文化センターである。ここには「小津安二郎紹介展示コーナー」が作られている。小さいながら、小津に関する資料、映画ポスターなどがたくさん展示されている。この文化センターに「周辺マップ」があるので、まずそれを入手した方がいい。それを見れば、小津関連の情報が出ている。先の誕生地も判りやすい。このセンターは時々「江東シネマフェスティバル」と題した古い映画の上映も行っている。展示の内容は写真に撮れないが、センターの外観はこんな感じ。黒い瓦が印象深い。
 
 小津家は何でこの地にいたのか。小津家はもともと伊勢商人の一族なのである。松阪の小津本家はもっと大きいようだが、分家筋が東京へ出てきて、肥料問屋湯浅屋、深川では小津商店を営んでいた。だから、小津安二郎にちなんでということではなく、「小津橋」という橋が古石場文化センターの裏あたりにある。川というか、この地域一帯に掘りめぐらされている運河にかかっているのである。
 
 近くに小津が最初に入学した明治小学校や小津の父親の墓所がある陽岳寺などもあるが、まあいいかと訪れなかった。東京に戻ってくると、深川不動裏の和倉町に住んだという。小津は後に「鎌倉文化人」の仲間入りし、墓所も鎌倉の円覚寺に葬られる。映画の内容も山の手の中産階級のイメージが強い。しかし、戦前の映画を初め下町地域の出てくる映画も多い。古石場文化センターの周辺マップには、「一人息子」に出てくる永代橋、「風の中の牝鶏」に出てくる相生橋、「秋日和」に出てくる清洲橋などが紹介されている。

 「東京物語」も東京東部が舞台になっていて、特に山村聰演じる長男が医院を開業しているのは東武線の堀切駅あたりである。駅から土手が見える。そこも行ったけど、紹介するほどの写真は今は撮れない感じだった。小津映画のほとんどは大船撮影所のセットで撮られているわけだが、探せば結構東京各地の風景が残されている。小津に関しては、現在フィルムセンターで「小津安二郎の図像学」という興味深い展示が行われている。また鎌倉文学館で「生誕110年 小津安二郎」が行われている。鎌倉は行ってないけど、フィルムセンターの展示はとても面白い。
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