尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

後期の映画-増村保造の映画③

2014年09月11日 23時25分03秒 |  〃  (日本の映画監督)
 フィルムセンターの増村保造特集を延々と見てきたので、その最後の感想。3回書くほど好きな監督なのかと言うと、実は全然違う。特に好きなわけではなく、作品が多いので、好きなのも嫌いなのもある。今回は特集上映で珍しい作品も上映されたので、まとめておくわけだ。今回は映画56本とテレビ映画1本の上映で、1980年の「エデンの園」は上映されない。ヘラルドで公開されたソフトポルノ。

 今回は見なかった映画もあるが、大映時代の映画はオムニバスの「」という作品を除き、すべて見た。しかし、最後の映画「この子の七つのお祝いに」とテレビ作品「原色の蝶は見ていた」は時間が合わず見られなかった。今回たくさん見たわけだが、60年代の白黒映画の質の高さが印象的だった。しかし、60年代末期になると、突然訳が分からない映画が多くなる。日本の大手映画会社の「斜陽化」が極まって行き、大映はついに倒産する。痛々しいまでに、急激に作品も「急傾斜」していく。

 「ぐれん隊純情派」(1963)は、収穫だった中期作品。本郷功次郎、藤巻潤が主演だから、会社が力を入れた映画とは言えない。もっともこの映画に、雷蔵、勝新、田宮二郎は似合わない。行き詰まった愚連隊が旅回りの一座になってしまう。ある町で座長は町の有力者の娘と恋仲に。引き裂かれた悔しさを、いきさつをそのまま舞台に乗せて大評判になる。という「舞台の力」と町の民主化をうたいあげた快作。中村雁治郎、ミヤコ蝶々のベテランが脇で映画を締めている。全然知らなかった映画だが、旅芸人を描いたいくつもの映画の中でも忘れがたい映画だと思う。

 その後の増村保造作品を挙げてみれば、1964年には「女の小箱・より 夫が見た」「」、1965年には「兵隊やくざ」「清作の妻」、1966年には「刺青陸軍中野学校」「赤い天使」、1967年には「痴人の愛」「華岡青洲の妻」など今でも上映機会の多い傑作群が続々と作られていく。このうち、「卍」「刺青」「痴人の愛」の谷崎作品を除いて、後は白黒映画である。また、「兵隊やくざ」「陸軍中野学校」「痴人の愛」を除き、他は若尾文子主演。若尾文子の映画における頂点というべき時期である。

 ところが、1968年の田宮二郎、緑摩子主演「大悪党」以後は、全部おかしい。ストーリイ展開が変で、ついていけない作品が多い。江戸川乱歩原作で、船越英二、緑摩子「盲獣」は、話は変でも原作のイメージをいかした「変態映画」の傑作。しかし、「セックスチェック 第二の性」や若尾文子主演の「濡れた二人」は話が変である。「性」を正面から主題にできる時代が60年代後半にやってきたが、風俗レベルの受容になっている。「第二の性」は安田(大楠)道代が半陰陽の天才ランナーで、陸上界の嫌われ者(戦前の天才ランナー)緒形拳に指導される。二人の関係がどう記録に影響するか。現代の目から見れば、問題ありすぎの「セクハラ映画」に見える。

 この映画で、安田道代の故郷とされ、最後には二人で合宿する設定の場所が、西伊豆松崎近くの岩地というところ。ここが気に入ったか、同じ場所で撮影しているのが「濡れた二人」で、若尾文子が会ったばかりの漁業青年、北大路欣也に惹かれていってしまう。しかし、それはないでしょうという変な演出が連続する。一種の怪作の魅力もあるかと思うが、解説では「キッチュすれすれ」と書いている。

 原作のある「積木の箱」「千羽鶴」も不可思議な映画である。「積木の箱」は三浦綾子原作で、妻妾同居の家で悩む少年の話。若尾文子は主演ではなく、私立学校の裏にある牛乳屋にして、実は…と言う役。「千羽鶴」(1969)は川端康成のノーベル賞記念映画だが、若尾文子は不可思議な演技を披露する。増村=若尾の最後の作品で、京マチコから「くねくねして気持ち悪い」と映画内で評される「軟体動物」を演じている。その後の渥美マリ主演の「軟体動物シリーズ」は、この若尾文子が最初だったのか。過去に吉村公三郎監督で作られた時のキャストが森雅之、杉村春子、木暮実千代に対して、増村版では平幹二郎、京マチコ、若尾文子になっている。変な映画だけど、面白くもある。
(「千羽鶴」)
 1969年の「女体」(じょたい)は日活から浅丘ルリコを迎えて作ったが、これも変。ちょっと親切にされた岡田英次に入れ込み、その後岡田英次の妹の婚約者に夢中になる。一種の生活破綻者を演じているが、依存症患者としか思えない。セックスと言うより、「人間関係依存症」。岡田の義父小沢栄太郎が大学理事長役で、当時の「大学紛争」の様子が出てくるが、そういう騒然とした世相が反映したのか、今見ると主人公の行動が理解不可能。ある意味で、その後ATGで作る三島原作「音楽」と裏表の関係にある作品かもしれない。

 70年の渥美マリ主演の「でんきくらげ」「しびれくらげ」、その間に作られた「やくざ絶唱」、71年の「遊び」は、シンプルながら大映最後の輝きと言える作品群。面白く見られるが、今一つの深みがない。渥美マリは当時話題の若い女優で、若尾文子では不可能なヌード満載の映画になっている。その分、風俗映画的な軽さも気になる。やはり「制限」の中で撮影する方がいいのか。家族や男で辛い目にあいながら、自立していく女性を描く痛烈な映画。「やくざ絶唱」は勝新と大谷直子が腹違いの兄妹で、この関係の深さと面倒くささが面白い。僕が一番思い出があるのは、関根(高橋)恵子の若き魅力全開の「遊び」。こんなシンプルな映画だったのか。若いカップルが絶望に向かって一直線に進んで行くが、やがて作られる「曽根崎心中の先取りだったか。71年に倒産する大映への挽歌にも受け取った。
(「遊び」)
 大映倒産後、勝プロに任されて、東宝公開の「新・兵隊やくざ 火線」「御用牙 かみそり半蔵地獄責め」「悪名 縄張荒らし」を撮った。その間に「音楽」、その後に「動脈列島」、そして最後に傑作「大地の子守歌」「曽根崎心中」である。「動脈列島」は当時の僕の感じでは「新幹線大爆破」より面白かった。大映で一度も撮ってない人気シリーズ「悪名 縄張荒らし」は今では貴重な映画である。杉村春子、大滝秀治、中村雁治郎、太地喜和子らの今は見られぬ助演陣がすごいのである。十朱幸代もとてもいい。昭和の名スターを見る楽しみがある。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« チリ映画「NO」の教訓 | トップ | 中村登監督の映画 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (日本の映画監督)」カテゴリの最新記事