尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鈴木清順トークショーと映画

2011年11月19日 23時51分09秒 |  〃  (日本の映画監督)
 渋谷のシネマヴェーラ渋谷で、鈴木清順の特集上映。今日は、鈴木清順監督宍戸錠のトークショーも行われた。1923年生まれ、関東大震災の起こった年に生まれた鈴木清順は、車椅子で登場した。ちょうど10歳下の宍戸錠は、ニューヨークの日活百年プレ企画(来年が日活百年)であいさつしてきたという話。真っ赤なネクタイで登場した。ジョーがいろいろ聞くけど、清順監督はすっとぼけて答える。この劇場で初めて経験した満員立ち見で、通路に座って一本見た後なので、疲れて眠くなったな。

 鈴木清順は、僕にとって長く幻の伝説的な映画監督だった。1967年に撮った「殺しの烙印」が日活の堀久作社長の逆鱗に触れ、「わからない映画を作ってもらっては困る」とクビにされてしまったのだ。1968年4月のこと。自主上映組織のシネクラブ研究会が日活に過去の清順作品の貸し出しを求めたが、日活は拒否して過去の作品も見られなくなった。デモも起こり、映画監督や批評家有志が「鈴木清順問題共闘会議」を結成、裁判闘争に発展した。その頃、フランスでは「五月革命」が起こり、カンヌ映画祭はゴダールやトリュフォーによって「粉砕」された。これは知っていても、同じころ日本に「清順共闘」があったことは忘れられているのではないか。
(「殺しの烙印」)
 鈴木清順は1977年まで10年間新作が作れなかった。過去の作品も70年代初めは名画座での上映ができなかった。しかし、日活が貸し出しを再開すると、70年代後半の名画座では清順ブームが起こり、その面白さ、色彩美学、独自の無国籍的ムードが圧倒的に受けた。僕も銀座並木座や池袋の文芸地下で何度も見た。60年代半ばに作ったアクション映画は時代を突き抜けて面白い。「刺青一代」「けんかえれじい」「東京流れ者」などの大傑作の他、「肉体の門」「春婦伝」なども見直したい。50年代の初期作品には見てないのも多いので見てみたい。

 問題の「殺しの烙印」は、殺し屋ナンバー1の座をめぐる奇想天外な争いという変な映画で、確かに判らない人には判らないような映画。宍戸錠の殺し屋が、何よりご飯の炊ける匂いが大好きという、飛んでる発想がすごい。日本映画史上に残る変な映画には違いない。映画史上の鈴木清順は、1980年に作った「ツィゴイネルワイゼン」、1981年の「陽炎座」という大傑作を作ったことで記憶される。しかし、この作品と「夢二」は今回は上映されず、来年早々ニュープリントで公開されるらしい。何度見ても判ったような判らないような夢の世界の大傑作映画である。

 今日見た「野獣の青春」は、不思議な映画美術の魅力たっぷりで、清順ワールドが開花した映画。前に見ているが、ストーリー展開も面白いし、アクションの魅力もある。しかし、それより細部にこだわる映画美術や小道具、色彩感覚などのが不思議世界が魅惑的なのである。「すべてが狂ってる」は日活の60年前後に多い、若さの暴走をジャズに乗せて送る青春映画。川地民夫が主演していることなど、蔵原惟繕((これよし)の「狂熱の季節」にムードが似ている。とても面白かった。
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