尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

津川雅彦、菅井きん、さくらももこ-2018年8月の訃報②

2018年09月07日 22時30分43秒 | 追悼
 俳優の津川雅彦が死去。1940.1.2~2018.8.4、78歳。妻の朝丘雪路が4月27日に亡くなったばかりではないか。本名加藤雅彦、父は澤村国太郎、母はマキノ智子で、二人とも俳優だった。母の父が「日本映画の父」牧野省三、叔父が有名な映画監督のマキノ雅弘。この縁で晩年に映画監督をしたときはマキノ雅彦と名乗った。兄が長門裕之、義姉が南田洋子、父の妹(叔母)が沢村貞子、父の弟(叔父)が加東大介。有名な芸能一家だったが、全員鬼籍に入った。

 最近では拉致問題のポスターが最初に頭に浮かんでしまう。東条英機を演じた(1998年の「プライド」)あたりから、体型も論調も右翼の大物めいた感じになってしまった。でも大島渚の「日本の夜と霧」ではブント(共産主義者同盟)系の全学連学生だった。まあ脚本が理解できていたかは疑問だが。津川雅彦名義の出演は1956年の「狂った果実」で原作者の石原慎太郎が名を付けた。しかし、溝口健二「山椒大夫」の少年時代の厨子王など大映で子役で出ていた。
 (若いころの津川雅彦)
 69年頃にデヴィ夫人との「不倫騒動」で仕事が減ったが、テレビの「必殺」シリーズの悪役でよみがえったとある。そう言えば、そんなスキャンダルをうっすら覚えているような…。その後テレビの時代劇やさまざまなの映画で活躍した。伊丹十三監督の「お葬式」や「マルサの女」で評価されたというが、公開当時に見ただけなのでよく覚えてない。晩年の出演作では安藤桃子監督の「0.5ミリ」が圧倒的に素晴らしかった。エロ雑誌を万引きする元校長を生き生きと演じていた。監督作品は期待外れだったが、単なる右の爺さんではなく、やはりすぐれた俳優だった。
 
 俳優の菅井きんが死去。8月10日、92歳。「必殺」シリーズや映画「お葬式」で評価されたところが津川雅彦と同じ。でもそれまでの経歴はずいぶん違う。津川はずっと主役だが、菅井きんはずっと脇役。元々は俳優座の新劇女優である。出た映画の作品名だけ並べると、戦後映画史になる。でも「生きる」や「ゴジラ」や「幕末太陽傳」や「キューポラのある町」や…に出てたと言われても、そうだったっけとなる。若いころから老け役という役者じゃなく、菅井きん「庶民を演じる脇」だった。年を取って味が出たということだろう。夫は映画演劇のプロデューサー佐藤正之

 漫画家のさくらももこが、8月15日に死去。53歳。そのあまりにも早い訃報と死因の乳がんに多くの人が驚いた。僕も驚いたけど、「ちびまる子ちゃん」については、ホントに何も知らないに等しい。テレビでやってるのは知ってるけど、見てない。そこらへんが世代差かもしれない。昭和40年代に小学3年生、という設定が絶妙なんだというけど、僕には自分の子ども時代だから良い思い出だけではない。別にそんないい時代だったとは思わない。SMAPが去年解散し、安室奈美恵がもうすぐ引退する。そしてさくらももこが亡くなった。それが「平成最後感」をもたらすというんだけど、そうなんだと勉強になった。いや、そうなんだ。それより乳がん検診大事だなと思う。
 
・元一橋大学学長、政府税調会長の石弘光、25日没、81歳。
・筑前琵琶奏者の上原まりが死去、29日、71歳。元宝塚のトップスターだったが、筑前琵琶奏者の娘で退団後はそっちで活躍した。「平家物語」「源氏物語」などを演じていたのは知っていたけど、聴いたことはなかった。
  (石、上原)
・作曲家、編曲家の森岡賢一郎が死去。19日、84歳。名前を知らなかったけど、編曲した曲を見ると、えっと思った。「ブルー・シャトー」「君といつまでも」「瀬戸の花嫁」…。編曲はすごく大事だし、戦後歌謡曲史を作った人ではないか。他にも挙げておくと、「長崎は今日も雨だった」「二人でお酒を」「小指の想い出」「お嫁においで」「わたしの城下町」「カナダからの手紙」「港町ブルース」「思い出の渚」…。名前も知らなかったけど、ある一定の年齢の人なら誰でも歌える歌ばかり。

・日本を代表する書家だった古谷蒼韻(ふるたに・そういん)が25日に死去、94歳。文化功労者で芸術院会員。中国古典の技法に日本的情緒が溶け合う独自の道、と訃報にあるけど正直言って全く判らないし名前も知らなかった。
倉持保男が23日死去、83歳。「新明解国語辞典」の編集委員だった。
・児童文学者大塚勇三が18日死去、97歳。「スーホの白い馬」の作者で、リンドグレーン「長くつ下のピッピ」などリンドグレーンの翻訳者だった。
青木鈴翁(れいおう)が21日死去、82歳。尺八奏者で人間国宝。
安部ねり、16日死去、64歳。安部公房の娘で「安部公房伝」を書いた。医者。
・元小結の板井が14日に死去、62歳。序の口から三段目まで26連勝し、その後小結まで昇進した。引退後に「大相撲で八百長をした」と自ら告白したことで知られた。
斉藤滋与史(しげよし)、9日に死去、100歳。大昭和製紙の創業者の次男で、富士市長を経て69年に衆院議員に当選、6期務めて建設相になった。その後86年から93年に静岡県知事
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