尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

クーベリック指揮のスメタナ「わが祖国」-「定番CD」の話④

2018年09月04日 23時11分12秒 | アート
 「定番CD」の話はクラシック編から始めたが、そろそろ終わりにしたいなと思う。そうすると最後に何を取り上げるか。グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」かな。若いころ聴いたモノラル盤レコードは全く判らなかったけど、後に出たデジタル録音のCDはよく聴く。グレン・グールド、やっぱりすごいなと思うようになったのは年とったからか。他のCDも買ったけど、「ゴルトベルク」が一番。でも、グールドは僕には手ごわい。コアなファンも多いからやめておこう。

 パイヤール室内管弦楽団の「パッヘルベルのカノン~バロック名曲集」とか、トスカニーニ指揮のレスピーギ「ローマ三部作」なんかは割と聴いている。あるいはブルーノ・ワルター指揮のマーラー「巨人」は、名作だなあと思う。そんな風に挙げて行けば何枚もあるけど、ここではクーベリック指揮のスメタナ「わが祖国」にしておきたい。チェコが生んだ世界的指揮者クーベリックが42年にぶりに祖国へ帰って「プラハの春音楽祭」で指揮した歴史的演奏である。

 「チェコスロバキア」という国名を初めて知ったのは、東京五輪の女子体操選手チャスラフスカを見た時である。そのことはここでも何回か書いてきた。そのチェコスロバキアで1968年に「プラハの春」と呼ばれた自由化運動が起きた。1948年に共産党が政権を奪取して「ソ連圏」に組み入れられていたチェコスロバキアで、ソ連支配への抵抗が起きたのである。「人間の顔をした社会主義」と彼らは自らの運動を呼んだ。しかし、1968年8月20日夜、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事侵攻して、その試みはついえてしまった。

 僕が中学生として世界のニュースに関心を持つようになったころである。ベトナム戦争チェコ事件の衝撃は大きかった。ソ連はベトナム戦争ではアメリカを批判していたわけだが、チェコに対してはこのような非道なことをするのか。そのことが僕の世界観に大きな影響を与えてきた。チェコ事件関係者の本が翻訳されるたびに買い集めていた時期がある。「スムルコフスキー回想録」とかムリナーシ「夜寒」とか、結構出ていた。そして、ソ連軍が侵攻してきたときに国営放送が流し続けたのが、「わが祖国」の中の第2曲「ヴルタヴァ」(モルダウ)だった。

 「モルダウ」はドイツ語で、チェコ語では「ヴルタヴァ」だという。でも多くの人が「モルダウ」として覚えているのは、日本では学校の合唱コンクール曲の定番になっているからだろう。僕も中学教員時代、担任していた学年の課題曲だったことがある。3年生の時の合唱コンクールを録音してカセットテープにして卒業式に配布した。だから懐かしいんだけど、調べてみると合唱用編曲が2つあるんだという。あれ、どっちだったかな。

 「わが祖国」はベドルジフ・スメタナ(1824~1884)が1874年から1879年にかけて作曲した6つの交響詩である。スメタナはずいぶん昔の人で、幕末から明治初期頃に活躍している。チェコが独立したのは、第一次世界大戦でハプスブルク家のオーストリア帝国が崩壊してからだから、スメタナの時代にはチェコ民族は支配されていた。「わが祖国」時代には、独立した「祖国」はなかったのである。支配された「小国」のナショナリズムだから、今も人々の心を打つのである。

 ラファエル・クーベリック(1914~1996)は、20世紀を代表する世界的指揮者の一人だが、1948年の「共産主義革命」以後はイギリスに亡命して、欧米各国で活動した。そのクーベリックがチェコに帰ってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したのは、1990年の「プラハの春」音楽祭である。1986年に引退していたのだが、1989年の「ビロード革命」で誕生したハヴェル大統領の強い要請に応えたのである。熱い思いを秘めながらも力強く指揮していて、歴史的名演と言われるだけのことがある。その後、来日公演も行ったけど、それは聴きに行けなかった。

 今年はチェコ事件から50年の年である。ところが今のチェコ大統領であるミロシュ・ゼマンは、親ロシア派で50周年の記念式典を欠席したという。スロバキア大統領の演説をチェコでも流したらしい。東欧で強権的な政治家が増えているが、ソ連の侵攻を問わない人が出てきているのか。そんなニュースを聞くと、スメタナを聴き直したくなる。
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