女優の樹木希林が亡くなった。9月15日、75歳。1943年1月15日生まれなので、ちょうど75歳と8か月になる。昔ならともかく、2016年の日本人女性の平均寿命は87.14歳なんだから、まだまだ活躍してもいい年齢なのである。長らくガンで闘病中と自ら語り、ちょっと前には危篤とも伝えられていた。僕にとっては若いころから、つい先ごろまでずっと見たなあという感慨がある。

昔は「悠木千帆」(ゆうき・ちほ)という芸名だった。文学座の研究生となり、その時代からテレビで人気を得た。60年代、70年代の記録を見ると、僕の見ている映画にもたくさん出ているが、脇役ばかりでほとんど記憶がない。悠木千帆と言えば、圧倒的にテレビドラマでの親しみやすい女優であり、テレビCMでのほとんど怪演みたいな存在感だった。「ピップエレキバン」や「フジカラー」のCMは今も多くの人が覚えているだろう。悠木千帆時代は以下のような感じ。

悠木千帆がどうして樹木希林になったかというと、テレビのオークション番組で芸名を売りに出してしまったのである。調べてみると、1977年4月1日、NET(日本教育テレビ)が「テレビ朝日」になる記念番組だとウィキペディアにある。僕はその番組を見ていた。他に売るものがないと言って、芸名を売りに出したのには唖然とした。そんなのありかと思いつつ、買った人もあるわけで、盛り上がったとは思う。(その買われた芸名は、世田谷の飲食店主から他の女優に譲渡され、2代目悠木千帆がいる由。)その結果、新しい芸名が必要となり、樹木希林という、今は慣れてしまったけど、一種人を食ったような芸名になったわけである。
私生活では1964年に岸田森と結婚して、1968年に離婚とある。文学座仲間で、岸田國士の弟の子、岸田今日子のいとこにあたる。1982年に亡くなったけど、吸血鬼映画などの怪演で今も記憶される。僕は岸田とのことは知らないが、1973年にロック歌手の内田裕也と結婚したのには驚いた。悠木千帆は美人女優じゃない方向で売っていたから、最先端の(ように僕が思っていた)内田裕也と結ばれたのに驚いたのである。1年半で別居したものの、書類上は最後まで結婚していた。娘が内田也哉子、その夫が本木雅弘だというのは広く知られている。
晩年は作家性の高い映画が中心になった。テレビより撮影時間が長く、舞台と違ってシーンごとに撮るから、闘病中でも取り組みやすかったんだろう。多くの監督も敬愛の念を持って相応しい役をオファーした。役柄も準主演的な重要な役が多い。2007年の「東京タワー~オカンと僕と、時々、オトン~」あたりから、すごいな感が出てきた。2008年には是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」に出演、キネ旬助演女優賞など高い評価を得た。これが是枝作品の初出演で、その後5作品に出ている。ダメ男阿部寛の母を演じた「海よりもまだ深く」が印象的。「万引き家族」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞したのが、最後の贈りものだった。
原田眞人監督の「わが母の記」(2012)、「駆込み女と駆出し男」(2015)も素晴らしい。後者の三代目柏屋源兵衛役と河瀨直美監督の「あん」(2015)の徳江役が生涯の最高傑作だと思う。今年の「モリのいた場所」「万引き家族」になると、もう演技がどうのというレベルじゃなくて、神技に近い段階。そういう役者もあるんだということを知ったと思う。

(順に、「わが母の記」「駆込み女と駆出し男」「あん」)

昔は「悠木千帆」(ゆうき・ちほ)という芸名だった。文学座の研究生となり、その時代からテレビで人気を得た。60年代、70年代の記録を見ると、僕の見ている映画にもたくさん出ているが、脇役ばかりでほとんど記憶がない。悠木千帆と言えば、圧倒的にテレビドラマでの親しみやすい女優であり、テレビCMでのほとんど怪演みたいな存在感だった。「ピップエレキバン」や「フジカラー」のCMは今も多くの人が覚えているだろう。悠木千帆時代は以下のような感じ。

悠木千帆がどうして樹木希林になったかというと、テレビのオークション番組で芸名を売りに出してしまったのである。調べてみると、1977年4月1日、NET(日本教育テレビ)が「テレビ朝日」になる記念番組だとウィキペディアにある。僕はその番組を見ていた。他に売るものがないと言って、芸名を売りに出したのには唖然とした。そんなのありかと思いつつ、買った人もあるわけで、盛り上がったとは思う。(その買われた芸名は、世田谷の飲食店主から他の女優に譲渡され、2代目悠木千帆がいる由。)その結果、新しい芸名が必要となり、樹木希林という、今は慣れてしまったけど、一種人を食ったような芸名になったわけである。
私生活では1964年に岸田森と結婚して、1968年に離婚とある。文学座仲間で、岸田國士の弟の子、岸田今日子のいとこにあたる。1982年に亡くなったけど、吸血鬼映画などの怪演で今も記憶される。僕は岸田とのことは知らないが、1973年にロック歌手の内田裕也と結婚したのには驚いた。悠木千帆は美人女優じゃない方向で売っていたから、最先端の(ように僕が思っていた)内田裕也と結ばれたのに驚いたのである。1年半で別居したものの、書類上は最後まで結婚していた。娘が内田也哉子、その夫が本木雅弘だというのは広く知られている。
晩年は作家性の高い映画が中心になった。テレビより撮影時間が長く、舞台と違ってシーンごとに撮るから、闘病中でも取り組みやすかったんだろう。多くの監督も敬愛の念を持って相応しい役をオファーした。役柄も準主演的な重要な役が多い。2007年の「東京タワー~オカンと僕と、時々、オトン~」あたりから、すごいな感が出てきた。2008年には是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」に出演、キネ旬助演女優賞など高い評価を得た。これが是枝作品の初出演で、その後5作品に出ている。ダメ男阿部寛の母を演じた「海よりもまだ深く」が印象的。「万引き家族」でカンヌ映画祭パルムドールを受賞したのが、最後の贈りものだった。
原田眞人監督の「わが母の記」(2012)、「駆込み女と駆出し男」(2015)も素晴らしい。後者の三代目柏屋源兵衛役と河瀨直美監督の「あん」(2015)の徳江役が生涯の最高傑作だと思う。今年の「モリのいた場所」「万引き家族」になると、もう演技がどうのというレベルじゃなくて、神技に近い段階。そういう役者もあるんだということを知ったと思う。



(順に、「わが母の記」「駆込み女と駆出し男」「あん」)