角川ソフィア文庫から三遊亭圓朝の怪談が2冊出たので、この猛暑の夏に読んでみようかと思った。「怪談牡丹灯籠・怪談乳房榎」(ぼたんどうろう・ちぶさえのき)と「真景累ヶ淵」(しんけいかさねがふち)の2冊である。三遊亭圓朝(1839~1900)は幕末から明治にかけての大落語家で、落語中興の祖と言われる。怪談噺など新作を多く作り、特に「牡丹灯籠」は速記による口演が刊行され、明治の言文一致運動に大きな影響を与えたとよく言われる。
森まゆみ「円朝ざんまい」は読んだし、映画で見たり桂歌丸の噺は聴いた。でも読んで面白いのかなと思って、読んだことは一度もなかった。岩波に「牡丹灯籠」は入ってたけど、他は文庫になかったことも大きい。今回三大怪談噺がすぐ読めるようになったから、勢いで全部読んじゃうかと思った。で、さすがに言文一致だから読みやすい。今でもスラスラ読める。「舞姫」や「たけくらべ」より間違いなく判りやすい。しかし、圓朝の怪談は「近代文学」じゃなかった。
それは壮大なる因縁話であり、勧善懲悪の因果がめぐりゆく目くるめくような迷宮だった。そもそも怪談ではなかった。一番怖い「牡丹灯籠」でも、実はという種明かしが最後にあった。とにかく長い「真景累ヶ淵」になると、途中で筋がこんがらがってきて、誰が誰とどんな関係にあるのか全然判らない。ラストで急転直下、すべての因果が全部解決されるが、それは何だか強引な解決だなと思う。「累ヶ淵」というのが、実は鬼怒川のことだというのも驚いた。羽生(はにゅう)というところで展開するので、埼玉県羽生市かと思ったら茨城県常総市にある地名で、それもビックリ。
「牡丹灯籠」が名前も一番知られているだけあって、完成度は高い。よく知られている幽霊噺だが、実はそれからあとの物語が延々とあるのには驚いた。江戸の根津に住む浪人、萩原新三郎のところに恋焦がれたお露と女中のお米が毎夜通ってくる。それほど恋してしまったら、今なら両想いなんだから問題なく結ばれるだろう。でも身分社会の悲しさ、そうそうすぐには結ばれない。だからと言って、なんですぐに死んでしまうのか。昔の物語だと「恋の病」ですぐに死んじゃう。
「乳房榎」は怪談には違いないが、因縁の恐ろしさをつくづくと知らされるような物語。どの噺もそうだが、悪人に見込まれると、善人は弱い。悪に付け込まれることから、物語が始動してゆく。「乳房榎」は今年春に見に行った板橋区赤塚にあるが、もうただの小さな木という感じ。その木から出る樹液を塗ると乳の出が良くなるという評判の木。一番短い噺だから、誰が誰だか判らなくなる前に解決するのがいい。これが一番読みやすい。
圓朝を読んでいて何だか前にも読んだような気がした。思い出すと、岩波文庫から出ているマルキ・ド・サドの「恋の罪」である。サディズムの名前だけ有名で、読んでない人が多いだろう。僕も澁澤龍彦訳の文庫をずいぶん持ってるけど、読んでなかった。大分前だが「恋の罪」を読んだところ、面白くはあるが「因果はめぐる糸車」の連続で飽きてしまった。近代以前の物語はこういうのが多い。「自我」を持った人物どうしの葛藤ではなくて、すべては「因果」で理解される世界なのである。世界の半分は今もそういう世界に生きていると思う。
ところで、「牡丹灯籠」では幽霊対処法を名刹の和尚に聴く。その寺が「新幡随院」(しんばんずいいん)という。「幡随院」と言えば「幡随院長兵衛」で有名。新が付くのは架空なのかと思ったら、実在していた。幡随院は神田から浅草に移って栄えたが、関東大震災で焼失し、1937年に小金井市に移った。一方、新幡随院の方は谷中にあって栄えたが、やはり震災後の1935年に足立区東伊興に移った。えっ、僕の家の近くではないか。ここには「牡丹灯籠の碑」がちゃんとあった。綱吉の生母桂昌院の墓もある。「新幡随院法受寺」と呼ぶ。
(最初が牡丹灯籠の碑、3枚目が桂昌院の墓)
森まゆみ「円朝ざんまい」は読んだし、映画で見たり桂歌丸の噺は聴いた。でも読んで面白いのかなと思って、読んだことは一度もなかった。岩波に「牡丹灯籠」は入ってたけど、他は文庫になかったことも大きい。今回三大怪談噺がすぐ読めるようになったから、勢いで全部読んじゃうかと思った。で、さすがに言文一致だから読みやすい。今でもスラスラ読める。「舞姫」や「たけくらべ」より間違いなく判りやすい。しかし、圓朝の怪談は「近代文学」じゃなかった。
それは壮大なる因縁話であり、勧善懲悪の因果がめぐりゆく目くるめくような迷宮だった。そもそも怪談ではなかった。一番怖い「牡丹灯籠」でも、実はという種明かしが最後にあった。とにかく長い「真景累ヶ淵」になると、途中で筋がこんがらがってきて、誰が誰とどんな関係にあるのか全然判らない。ラストで急転直下、すべての因果が全部解決されるが、それは何だか強引な解決だなと思う。「累ヶ淵」というのが、実は鬼怒川のことだというのも驚いた。羽生(はにゅう)というところで展開するので、埼玉県羽生市かと思ったら茨城県常総市にある地名で、それもビックリ。
「牡丹灯籠」が名前も一番知られているだけあって、完成度は高い。よく知られている幽霊噺だが、実はそれからあとの物語が延々とあるのには驚いた。江戸の根津に住む浪人、萩原新三郎のところに恋焦がれたお露と女中のお米が毎夜通ってくる。それほど恋してしまったら、今なら両想いなんだから問題なく結ばれるだろう。でも身分社会の悲しさ、そうそうすぐには結ばれない。だからと言って、なんですぐに死んでしまうのか。昔の物語だと「恋の病」ですぐに死んじゃう。
「乳房榎」は怪談には違いないが、因縁の恐ろしさをつくづくと知らされるような物語。どの噺もそうだが、悪人に見込まれると、善人は弱い。悪に付け込まれることから、物語が始動してゆく。「乳房榎」は今年春に見に行った板橋区赤塚にあるが、もうただの小さな木という感じ。その木から出る樹液を塗ると乳の出が良くなるという評判の木。一番短い噺だから、誰が誰だか判らなくなる前に解決するのがいい。これが一番読みやすい。
圓朝を読んでいて何だか前にも読んだような気がした。思い出すと、岩波文庫から出ているマルキ・ド・サドの「恋の罪」である。サディズムの名前だけ有名で、読んでない人が多いだろう。僕も澁澤龍彦訳の文庫をずいぶん持ってるけど、読んでなかった。大分前だが「恋の罪」を読んだところ、面白くはあるが「因果はめぐる糸車」の連続で飽きてしまった。近代以前の物語はこういうのが多い。「自我」を持った人物どうしの葛藤ではなくて、すべては「因果」で理解される世界なのである。世界の半分は今もそういう世界に生きていると思う。
ところで、「牡丹灯籠」では幽霊対処法を名刹の和尚に聴く。その寺が「新幡随院」(しんばんずいいん)という。「幡随院」と言えば「幡随院長兵衛」で有名。新が付くのは架空なのかと思ったら、実在していた。幡随院は神田から浅草に移って栄えたが、関東大震災で焼失し、1937年に小金井市に移った。一方、新幡随院の方は谷中にあって栄えたが、やはり震災後の1935年に足立区東伊興に移った。えっ、僕の家の近くではないか。ここには「牡丹灯籠の碑」がちゃんとあった。綱吉の生母桂昌院の墓もある。「新幡随院法受寺」と呼ぶ。
(最初が牡丹灯籠の碑、3枚目が桂昌院の墓)
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