尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中学教科書で「憲法制定過程」を比べてみる

2015年07月28日 00時30分34秒 |  〃 (教育問題一般)
 前回書いたように、中学社会科の歴史分野の教科書を比較してみたい。取り上げるのは、日本国憲法の制定過程がどのように書かれているかという問題である。ただし、自由社は取り上げないことにする。また清水書院も取り上げないが、これはうっかりミス。(南京事件などを書き移しているうちに、憲法制定の方を忘れてしまったので、他意はない。)公民教科書でも、もちろん憲法制定は記述されているが、当然だろうが、その社の歴史教科書とほぼ似たような記述になっている。公民には「学び舎」版がないので、歴史で比較することにしたい。

 全部を引用すると長くなり過ぎるので、途中で省いたものもある。教科書により、GHQとあったり、連合国軍総司令部とあったりするが、そのまま記述する。日本の降伏で、それまでの章が終わり、戦後民主化の最初の部分に記述がある。焦点は、「もともとの政府原案をどう記述するか」「民間草案を取り上げているか」「議会審議をどう記述しているか」などである。東京書籍から見てみたい。

東京書籍 民主化の中心は、憲法の改正でした。日本政府は初めはGHQの指示を受けて改正案を作成しましたが、大日本帝国憲法を手直ししたものにすぎませんでした。そこで、徹底した民主化を目指したGHQは、日本の民間団体の案も参考にしながら、自ら草案をまとめました。日本政府は、GHQの草案を受け入れ、それをもとに改正案を作成しました。

 帝国書院教育出版日本文教出版も同じような書き方になっている。
帝国書院 GHQの指示で、日本政府は新しい憲法の制定に着手しました。政府原案ができましたが、その案では民主化が徹底されないと判断したGHQは、日本の民間団体などの憲法草案も参考にしながら、みずから草案を作って日本政府に示し、修正をうながしました。
教育出版 連合国軍総司令部は、日本政府に対し、憲法の改正を指示しましたが、政府の改正案は大日本帝国憲法の一部を修正しただけでした。そこで連合国軍総司令部は、民間の憲法研究会案なども参考にした草案をつくって政府に示し、政府はこれをもとに新たな草案を作成しました。この案は議会での修正を経て…
日本文教出版 総司令部は日本の民主化の基本として、日本政府に大日本帝国憲法の改正を命じ、政府は総司令部が作成した草案をもとに改正案をまとめあげました。

 これらは大体、次のような理解に立っている。政府の改正案は「大日本帝国憲法の手直し」程度で、GHQは日本の民主化を求めて、民間団体の案も参考に自ら草案を作成し、それが日本国憲法となった…といったようなものである。つまり、政府案がダメだった(国民主権ではなかった)、単なるアメリカの押し付けではなく、日本の民間団体の案が参考にされた。(民間団体とは主に「憲法研究会」を指している。)これが現時点でのほぼ共通した理解だと言えるだろう。だけど、ここには、GHQ案作成のそもそもの理由、あるいは議会審議の過程がほとんど出ていないといった問題点もあると思う。そこで「育鵬社」と「学び舎」という、両極方向で「特色ある記述」を検討してみたい。

育鵬社 GHQは、日本に対し憲法の改正を要求しました。日本政府は大日本帝国憲法は近代立憲主義に基づいたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかし、GHQは日本側の改正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成して、これを受け入れるよう日本側に強く迫りました。
 天皇の地位に影響がおよぶことをおそれた政府は、これを受け入れ、日本語に翻訳された改正案を、政府提案として帝国議会で審議しました。議会審議では、細かな点までGHQとの協議が必要であり、議員はGHQの意向に反対の声をあげることができず、ほとんど無修正のまま採択されました。

 育鵬社をみると、政府案は「(大日本帝国憲法は)近代立憲主義に基づいた」という政府側の説明があり、うっかりそうなんだと「誤読」しかねない。しかし、帝国憲法では内閣総理大臣は選挙結果と無関係に選ばれるのだから、「近代立憲主義」としては不十分だろう。また「ほとんど無修正」と議会審議を軽視しているのだが、それは現在の研究水準からすると正しいとは言えない。しかし、「天皇の地位」を守るために日本政府は受け入れたという記述がある。これは大きな意味で正しいと言えるだろう。敗戦後の天皇の地位をめぐる問題は、重大な問題だったわけだがほとんどの教科書は触れない。育鵬社は、天皇制重視の観点から、こうした記述があるのだと思う。

学び舎 (前略)政府は、GHQの草案をもとにして、新たな憲法改正案を作成します。戦後初の選挙で選ばれた衆議院議員がこれを審議しました。このなかで、国民主権が明記され、生存権が定められるなど重要な修正が加えられました。
 提案された憲法改正案では、義務教育は小学校までとされていました、教師たちは、貧しさのため通学できない子供たちがたくさんいることを取り上げ、中学までを義務教育とするように求めました。各地で集会を開き、署名を集めて運動し、帝国議会はこれを受け入れました。

 学び舎の記述は、GHQ草案以後を引用したが、戦後初の衆議院選挙で選ばれた議員が審議したことを重視している。その選挙では、女性の参政権が初めて認められ、女性議員が多数当選していた。(ただし、沖縄選出議員はいなくなり、「内地」に住む旧植民地出身者の選挙権は認められなくなった。)そして、その議会審議では、重要な修正が加えられたと記述されている。特に、生存権(25条)が定められたことは重大である。これは案外知らない人が多い。社会党の修正案が通ったのである。

 また、当初案では義務教育が小学校に限られていた。戦前に男子の青年学校が義務化されていた。(これは小学校卒業後に、中学に進学しない大多数の子どもたちは、徴兵検査時の学力が低下していて困るという軍の意向もあった。)だから、当初政府案では、戦後にかえって退歩してしまう可能性があったのである。当初の政府案の第2項を見てみる。
 「すべて国民はその保護する児童に初等教育を受けさせる義務を負ふ。初等教育はこれを無償とする。」児童の初等教育とは、小学校のことである。ちょっと見逃してしまいがちな条項だが。
 現在の憲法では以下のようになっている。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」
 
 こうして、中学校までが義務教育となったのである。これも知らない人がまだ多いのではないかと思う。だが、中学教科書なんだから、この重大な事実を載せて、ぜひ多くの中学生にも知ってもらいたいと思う。そういう意味で「学び舎」の記述は重大な意味を持っているのではないか。(条文等は、古関彰一「日本国憲法の誕生」による。)こうした点をみると、育鵬社の「ほとんど無修正のまま採択されました」という記述には問題があると思うが、どうだろうか。
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