尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

育鵬社教科書の「工夫された偏り」

2015年07月26日 22時48分18秒 |  〃 (教育問題一般)
 先に書いた育鵬社の公民教科書問題を投稿し直して、ここから数回書くことにしたい。4年前は「南京事件」(歴史)と「原子力発電所」(公民)の記述を各社で比較したのだが、今回はそれは行わない。何だか記述が似てきて、比較する意味が少なくなっているからである。

 ただし、育鵬社の公民には、「人類のエネルギー問題を根本的に解決するには、人工の太陽をつくり出す核融合発電の実用化を待たねばなりません」(201頁)という「トンデモ記述」がある。しかし、それと別にエネルギー問題のところでは、「2011年の東日本大震災でおきた福島第一原子力発電所の事故のように、一度事故がおきれば取り返しのつかない大きな被害が生じる。また、使用後の核燃料を無害に処理できる技術が開発されていないため、長期にわたって危険な放射性廃棄物が蓄積されるという問題もあり、対応が求められている。」とある。まあ、どの社もこういう風に書くことが多いわけだ。

 自由社の歴史教科書では、1937年12月の南京事件(南京大虐殺)について注でも触れていない。一方、教員経験者などが教科書会社を立ちあがて執筆した「学び舎」版は、他社に比べて戦争の被害、加害ともに詳しい。そういう違いはあるが、帝国書院は簡略化が目立つ。今回は「南京では、兵士だけでなく、多くの民間人が殺害されました。(南京事件)」という記述である。前回は、「南京では、兵士だけでなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、諸外国から「日本軍の蛮行」と非難されました。(南京虐殺事件)しかし、このことは戦争が終わるまで、日本国民には知らされませんでした。」と比較的詳しかった。このような「変化」が今回の各社を通した特徴とも言える。

 全体的には、外形的な面での「大型化」が一番目につく。昔の教科書というと、B6版の分厚い本で、白黒の文字がズラッと書いてあった印象が強い。しかし、最近ではA4版サイズでカラー写真や図版がふんだんに使われて、実にカラフルになってきていた。今回は、特に社会科で目立つように思うが、さらに大きな判型を使う社が多い。育鵬社もそうだし、東京書籍もそう。学び舎はもっと大きい。中学生は高校と違って、原則的には学校にロッカーがないはずである。学校に置いていけず、持ち帰るように指導していると思う。こんなに大きな教科書でいいんだろうかと疑問に思う。小学校を出たばかりの生徒には重すぎないか。現行の教科書は、社会科の場合、758円に統一されている。だから、低価格にして競争するという経営戦略は成立しない。逆に、紙を大型化して図版等を増やしても、それは価格に反映できない。僕が想像するに、近い将来のデジタル教科書化を見越したものではないかと思う。

 比較する意味が薄れたと言いつつも、各社の記述は少しずつ異なっている。そこで、今回は「日本国憲法制定過程」を比べてみたいと思う。詳しくは次回に回すことにして、今は現時点における「教科書問題」というものを少し考えてみたい。今回の中学教科書採択は、安保法制論議とぶつかったこともあり、前回以前に比べてマスコミ各紙の取り上げ方も少ない。その一番大きい理由は、育鵬社が教科書を市販していないということではないか。今まで、2001年に扶桑社が教科書を出して以来、毎回のように扶桑社、それを受け継いだ育鵬社は、「偏向していない教科書が出来ました」と市販して大宣伝していたものである。これは「教科書採択」よりも「国民運動」を目指していたということだろう。

 では、今回はなぜ市販しないのだろうか。育鵬社支持団体の「日本教育再生機構」に申し込むと入手できるようだけど、そこまでする人は少ないだろう。たぶん、安倍内閣発足以来、教科書検定基準の改定など右派勢力の望む教育政策が進められてきたからではないかと思う。安倍政権を支持する人々が多く参加している育鵬社版は、いまや「政権中枢」なんだから、水面下で静かに採択を目指せばよい、市販して問題点を広く指摘されたりすれば、かえって逆効果になりかねない…。まあ、それがあたっているかどうかは判らないが、とにかく「右派系教科書の大々的な市販作戦」がないことが、中学教科書問題が目立たない大きな原因になっているのは間違いない。

 戦後教育史を振り返ると、今までに何回も、中学や高校の教科書は「偏向している」と政権党やその支持勢力から攻撃されてきた。これは基本的には、戦後政治史では政権党(保守勢力)が「改憲」を志向し、野党(長く社会主義勢力が主流)が「護憲」という「ねじれ」があったからだろう。教科書は、戦前までの「国定」ではなくなったが、文部省(現・文部科学省)の「検定」が行われている。自民党政権がずっと続いてきたのだから、本来(政権党から見て)「教科書が偏っている」はずがない。だが、教科書は「タテマエ」が書かれるわけで、公務員には憲法順守義務があるから、教科書では日本国憲法の人権規定や平和主義が大きく取り上げられてきた。これが政権党には「偏向」に見えるのだろう。

 現実には「検定」がある以上、どの社の記述も大きな違いは少ない。今回、自由社と学び舎は検定申請で一度不合格にされた。その後、指摘された点を直して再申請して合格するという経過があり、この2社はある程度「違い」が確かにある。しかし、育鵬社は昔の扶桑社版に比べれば、それなりに穏当な構成と記述になっていることは確かである。でも、検定という枠がありつつ、その中で「できる工夫」をしていることが判る。例えば、歴史教科書の日米開戦を伝える章では、ほとんどの社が「太平洋戦争」と書き、自由社は「大東亜戦争」と書き、学び舎は「アジア太平洋戦争」と書いている。これに対し、育鵬社では「太平洋戦争(大東亜戦争)」となっている。育鵬社は自由社に比べて「一般化」しているわけだが、それでも章名で「大東亜戦争」をカッコに入れても書きたいのである。

 または、公民教科書では「憲法改正」を2頁を使って記述している。いつもそうだけど。他社でそれほど大きく扱っている社はない。憲法改正の仕組みの説明だけなら、1頁の半分もいらないだろう。だから、各国の憲法改正の回数とかいろいろな「工夫」をしている。それを読むと、戦後一度も憲法を改正していない日本の方が、なんだかおかしな国なんだなあという感じがしてくる。どこにも「間違った記述」はないけれど、全体的な構成から「改憲志向」がうかがわれる。また前に紹介した「安倍首相や石原元都知事の写真の多さ」なども検定基準に引っかからない「工夫された偏向」ではないか。そう言う意味で、やはり育鵬社版は問題が多いというべきだろう。(憲法制定過程の記述は次回以後。)
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