尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

劇団青年座『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を見る

2024年05月30日 21時59分25秒 | 演劇
 創立70年の劇団青年座が開館60年の紀伊國屋ホールで、『ケエツブロウよー伊藤野枝ただいま帰省中』を上演している(6月2日まで)。何だか判らない題名だが、伊藤野枝と故郷の家族を描く演劇だと知ったら見たくなった。マキノノゾミ作、宮田慶子演出。29日の夜に見たが、やはり夜に出掛けると外食するから、血圧に影響してしまう。演劇や長い映画は拘束時間の関係でしばらく控えようかと思ってたけど、見逃さなくて良かった。とても面白く見ごたえがある舞台だった。

 大正時代の女性運動家伊藤野枝(1895~1923)と言えば、波瀾万丈の生涯を送った人物として知られる。余りにもドラマチックな人生を生き急ぎ、たった28歳で国家権力に虐殺された。その波乱の現場はおおよそ東京近辺だった。この前、野枝の生涯を描いた映画『嵐よあらしよ劇場版』を見たばかりだが、そこでは東京(と周辺の県)しか出て来ない。それが伊藤野枝を描くときの定番で、何しろ彼女の生涯に登場する多士済々の人物こそ面白いのである。野枝にももちろん故郷と家族があったわけだが、そっちは普通省略される。一方この劇では正反対に、故郷の家しか描かれないのである。

 だから舞台上には故郷の家が作られて、そこから動かない。幕は使わず、途中で休憩を挟んで4場のドラマが繰り広げられる。いずれも野枝が帰郷したときに家族・親戚が集まるシーンである。この設定が工夫で、やはり作者マキノノゾミの才能だと思った。現代日本で一番活躍している劇作家(の一人)ならでは。その故郷というのは、福岡県今宿(現・福岡市西区)なので、そうそう気軽に帰省する機会がない。東京で貧窮していた野枝は、人生で数回しか帰れなかったのである。
(マキノノゾミ)
 前半では「強いられた結婚を破談にするための帰省」(1912年、17歳)と「辻潤と長男まことを連れた帰省」(1915年、20歳)の2回。後半では「大杉栄と長女魔子を連れた帰省」(1918年、23歳)と「没後に訪ねてきた同志村木源次郎」(1924年)が描かれる。実は1922年に三女(エマ)と四女(ルイズ)を連れて帰省しているが、それは省かれている。この間、野枝(那須凛)は常に家族と揉め続け。最初は家で決めた結婚を断固否定する。次は辻潤とうまくいかなくなり、辻が「浮気」をしたという。何より「自立」を重んじる野枝に親の統制は効かない。祖母サト(土屋美穂子)は野枝の決断を認めるしかない状況を見事に演じる。

 後半では新聞を賑わせたスキャンダル(日蔭茶屋事件)が起こり、「無政府主義者の巨頭」大杉の娘を産んだ。母の姉の夫、代準介横堀悦夫)は頭山満配下の国家主義者で、二人を別れさせ野枝をアメリカに行かせる、と意気込んで乗り込んでくる。そこに大杉を慕う八幡製鉄所の工員もやって来て、喧々諤々の大論争に発展。結局、皆が踊り出してしまうシーンは傑作。その場では無政府主義と言っても怖いものではなく、日本古来よりつながる共同体の営みこそ「国家に縛られない仕組み」だと示唆する。主義に賛同出来ずとも、大杉はともあれ「ひとかどの人物」で、辻より野枝に相応しいと家族も何となく納得(?)。
(宮田慶子)
 この休憩開けの3場がとりわけ興味深く、次第に大杉のアジテーションに皆が感化されてしまうあたり、見事な演技と演出だった。それはマキノノゾミ戯曲との付き合いが長い宮田慶子の手堅い演出ぶりも大きい。そして、もう見る前に知ってるわけだが、突然の死を迎える。野枝と大杉はこの時は「お盆」に幽霊となって戻って来るという設定。震災での無事を知らせるハガキが野枝から届いていた。それを見た同志「源さん」の深い怒りと悲しみ。大杉の霊は村木は復讐を考えていると言い当てる。(歴史的事実だから書けることだが。)哀切な思いを残して劇は終わる。

 最後に題名の話をすると、「ケエツブロウ」は水鳥の「かいつぶり」のことだった。伊藤野枝が「青鞜」に掲載した詩「東の磯」に出ている。それを青空文庫で見てみると、「東の磯の離れ岩、/その褐色の岩の背に、/今日もとまつたケエツブロウよ、/何故にお前はそのやうに/かなしい声してお泣きやる。」途中省略して、ラストは「ねえケエツブロウやいつその事に/死んでおしまひ!その岩の上で――/お前が死ねば私も死ぬよ/どうせ死ぬならケエツブロウよ/かなしお前とあの渦巻へ――」とどこか自らの最期を思わせ示唆的だ。野枝は大杉とともに死にたいと語るセリフがあったのである。

 新宿の紀伊國屋ホールは、椅子は改装されたが昔の感じが残されている。俳優座劇場が閉館すると、もう70年代からそのままの劇場はなくなってしまう。チラシがたくさん置かれているのも昔と同じ。懐かしい空間がいつまでも残って欲しい。

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