文化座公演『花と龍』を見て、とても面白かった。六本木の俳優座劇場で、3月3日まで上演。文化座は長い歴史のある劇団だが、実は一度も見たことがなかった。俳優座劇場も来年で閉館するし、見ておこうかと思った。もう一つ、今どき何で火野葦平原作の『花と龍』なのか。それは企画した文化座代表の佐々木愛の文章で判る。『「父や母の時代のように美しく生きられないかもしれないが…」と語っていた火野の言葉と、火野の甥で祖母マンに育てられた中村哲医師がアフガニスタンで凶弾に倒れたことを考えると、玉井金五郎一家の夢と野望は今もなお脈々と息づいているように思える。』この言葉の意味を知りたかったのである。
舞台はとにかく面白く、今どきの多くの芝居のような謎めいた設定に悩まず、ただストーリーに没頭できるのが楽しい。もっとも若い人だとよく判らない点があるかもしれないが、まあ観客に若い人はいないようだった。『花と龍』という小説は昔は何度も映画化されていた。高倉健主演の『日本侠客伝 花と龍』(1969、マキノ雅弘監督)もあるし、何となくヤクザ映画的な世界に思っていた。石原裕次郎や渡哲也も主人公玉井金五郎を演じていて、トップ男優の演じる役柄だった。この玉井金五郎こそ、作家火野葦平こと玉井勝則の実父だった。火野は実の両親をモデルにして、暴力とロマンあふれた一大叙事詩を描いたのである。
(火野葦平)
火野葦平(1907~1960、ひの・あしへい)って誰だという人もいるだろう。若松(北九州市)で沖仲仕組合に関わりながら創作活動を行っていたが、1937年の日中戦争勃発後に30歳で召集された。その従軍中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞して一躍名前を知られ、続いて戦場体験を綴った『麦と兵隊』『土と兵隊』が大ベストセラーとなった。(『土と兵隊』は映画化されて大ヒットした。)戦争中は軍の宣伝に使われ、火野葦平にはどうしても戦争のイメージが付きまとう。戦後には公職追放にもなった。その火野が自らの両親を描いた『花と龍』は、1952年から53年に読売新聞に連載され有名作家に返り咲いた。1960年に亡くなったが、1973年になって自殺だったことが公表された。一つも読んでないけど、僕には謎多き作家として気になる存在なのである。
(映画『花と龍』渡哲也版)
さて、舞台では若き愛媛のミカン農家玉井金五郎(藤原章寛)が登場し、賭場で稼いで広い世界を見たいと思う。やがて門司へ行って沖仲仕(ごんぞう)となった金五郎は、谷口マン(大山美咲)と知り合う。金五郎は大陸を目指し、マンはブラジルを目指す。ともに世界に雄飛するはずが、差別され低賃金にあえぐ中で金五郎は持ち前の正義感とリーダーシップで、いつの間にか波止場の有力者となっていく。ヤクザの暴力から仲間たちを守り、ともに闘う金五郎とマン。しかし、金五郎は背中に昇り龍と菊の花の入れ墨があるのだった。両親が実名で登場し、男っぷり、女っぷりを存分に発揮する。見てて面白く、一気に見られる。
(藤原章寛=玉井金五郎役)
この玉井金五郎を演じているのは藤原章寛という俳優で、昨年上演された『炎の人』のゴッホ役で紀伊國屋演劇賞を受けたばかり。名前を知らない人が多いと思う(僕もそう)だが、映画なら高倉健や渡哲也が演じた役柄を堂々と演じきる。鮮やかな立役(たちやく)ぶりに舌を巻いた。「男が惚れる」「女も惚れる」、自然に人の上に立っていく度胸を見事に演じている。妻のマン役の大山美咲をはじめ、脇役ひとりひとりが生きていて、文化座の豊富な俳優陣に驚いた。舞台には二階建ての建物があり、手前が海岸にもなれば料亭にもなる。旗揚げした玉井組の本拠にもなる。映画ならロケやセットで大々的なアクションになるところ、狭い舞台上で大道具を使い回すことで想像力が働くと思った。
(佐々木愛)
もう一人、「ドテラ婆さん」こと、島村ギンという女親分を代表の佐々木愛が貫禄で演じている。旗揚げメンバーの鈴木光枝の娘で、1987年から文化座代表を務めている。80歳という年齢を感じさせないセリフ回しで、堂々たる存在感がすごい。脚本は東憲司、演出は鵜山仁と名手が担当している。火野葦平は文化座に『陽気な幽霊』『ちぎられた縄』という二つの作品を書いているという。その火野葦平の妹の子どもがペシャワール会創設者の中村哲である。
しかし、その精神的つながりが今まで僕にはよく判らなかった。しかし、この『花と龍』を見たことで、自由な世界を求めて闘い続けた玉井一族の長い長い歴史が判ったのである。ケンカが嫌い、実は賭け事も酒も嫌いだった「親分」風でない玉井金五郎あって、その孫の「中村哲」が生まれたのだ。若松を日本一の港にしたいという夢は、炭鉱がなくなって今では見果てぬ夢に終わった。しかし、世界を見渡して自由な世界を築きたいという夢は今こそ切々と迫るものがある。ひたすら楽しく見られるお芝居だけど、同時に近代日本人の精神史に迫る力作だ。
舞台はとにかく面白く、今どきの多くの芝居のような謎めいた設定に悩まず、ただストーリーに没頭できるのが楽しい。もっとも若い人だとよく判らない点があるかもしれないが、まあ観客に若い人はいないようだった。『花と龍』という小説は昔は何度も映画化されていた。高倉健主演の『日本侠客伝 花と龍』(1969、マキノ雅弘監督)もあるし、何となくヤクザ映画的な世界に思っていた。石原裕次郎や渡哲也も主人公玉井金五郎を演じていて、トップ男優の演じる役柄だった。この玉井金五郎こそ、作家火野葦平こと玉井勝則の実父だった。火野は実の両親をモデルにして、暴力とロマンあふれた一大叙事詩を描いたのである。
(火野葦平)
火野葦平(1907~1960、ひの・あしへい)って誰だという人もいるだろう。若松(北九州市)で沖仲仕組合に関わりながら創作活動を行っていたが、1937年の日中戦争勃発後に30歳で召集された。その従軍中に『糞尿譚』が芥川賞を受賞して一躍名前を知られ、続いて戦場体験を綴った『麦と兵隊』『土と兵隊』が大ベストセラーとなった。(『土と兵隊』は映画化されて大ヒットした。)戦争中は軍の宣伝に使われ、火野葦平にはどうしても戦争のイメージが付きまとう。戦後には公職追放にもなった。その火野が自らの両親を描いた『花と龍』は、1952年から53年に読売新聞に連載され有名作家に返り咲いた。1960年に亡くなったが、1973年になって自殺だったことが公表された。一つも読んでないけど、僕には謎多き作家として気になる存在なのである。
(映画『花と龍』渡哲也版)
さて、舞台では若き愛媛のミカン農家玉井金五郎(藤原章寛)が登場し、賭場で稼いで広い世界を見たいと思う。やがて門司へ行って沖仲仕(ごんぞう)となった金五郎は、谷口マン(大山美咲)と知り合う。金五郎は大陸を目指し、マンはブラジルを目指す。ともに世界に雄飛するはずが、差別され低賃金にあえぐ中で金五郎は持ち前の正義感とリーダーシップで、いつの間にか波止場の有力者となっていく。ヤクザの暴力から仲間たちを守り、ともに闘う金五郎とマン。しかし、金五郎は背中に昇り龍と菊の花の入れ墨があるのだった。両親が実名で登場し、男っぷり、女っぷりを存分に発揮する。見てて面白く、一気に見られる。
(藤原章寛=玉井金五郎役)
この玉井金五郎を演じているのは藤原章寛という俳優で、昨年上演された『炎の人』のゴッホ役で紀伊國屋演劇賞を受けたばかり。名前を知らない人が多いと思う(僕もそう)だが、映画なら高倉健や渡哲也が演じた役柄を堂々と演じきる。鮮やかな立役(たちやく)ぶりに舌を巻いた。「男が惚れる」「女も惚れる」、自然に人の上に立っていく度胸を見事に演じている。妻のマン役の大山美咲をはじめ、脇役ひとりひとりが生きていて、文化座の豊富な俳優陣に驚いた。舞台には二階建ての建物があり、手前が海岸にもなれば料亭にもなる。旗揚げした玉井組の本拠にもなる。映画ならロケやセットで大々的なアクションになるところ、狭い舞台上で大道具を使い回すことで想像力が働くと思った。
(佐々木愛)
もう一人、「ドテラ婆さん」こと、島村ギンという女親分を代表の佐々木愛が貫禄で演じている。旗揚げメンバーの鈴木光枝の娘で、1987年から文化座代表を務めている。80歳という年齢を感じさせないセリフ回しで、堂々たる存在感がすごい。脚本は東憲司、演出は鵜山仁と名手が担当している。火野葦平は文化座に『陽気な幽霊』『ちぎられた縄』という二つの作品を書いているという。その火野葦平の妹の子どもがペシャワール会創設者の中村哲である。
しかし、その精神的つながりが今まで僕にはよく判らなかった。しかし、この『花と龍』を見たことで、自由な世界を求めて闘い続けた玉井一族の長い長い歴史が判ったのである。ケンカが嫌い、実は賭け事も酒も嫌いだった「親分」風でない玉井金五郎あって、その孫の「中村哲」が生まれたのだ。若松を日本一の港にしたいという夢は、炭鉱がなくなって今では見果てぬ夢に終わった。しかし、世界を見渡して自由な世界を築きたいという夢は今こそ切々と迫るものがある。ひたすら楽しく見られるお芝居だけど、同時に近代日本人の精神史に迫る力作だ。
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