尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見る

2022年10月19日 23時03分07秒 | 演劇
 新国立劇場トム・ストッパード作『レオポルトシュタット』を見た。イギリスの有名劇作家ストッパードの最後かも、という戯曲の日本初演である。2020年1月にロンドンで初演され、コロナ休演をはさみながら大評判となり、ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作戯曲賞を受けた。2022年10月、ちょうどブロードウェイ公演も始まっている。そんな話題作を広田敦郎翻訳、小川絵梨子演出で、早速見られるのはとても嬉しい。今年屈指の注目公演だと思うが、登場人物がとても多く、最初は理解が難しい。しかし、ラストに至って作者の思いが判る時、体が震えるほどの圧倒的な感銘が押し寄せた。まさに今見るべき演劇だ。

 これは作者の自伝的要素もあるという。それがラストに判るんだけど、作者の紹介は後に回したい。しかし、題名は最初に説明しないと判らない。レオポルトシュタット(Leopoldstadt)というのは、ウィーンの第2区の地名である。僕はウィーンのことは全然知らなかったので、調べて初めて判った。17世紀ハプスブルク家の皇帝レオポルト1世にちなむ地名だという。地区の南部にプラーター公園があり、映画『第三の男』に出て来た大観覧車がある。ウィキペディアによると、1923年段階で38.5%がユダヤ系住民だった。この『レオポルトシュタット』という劇も、ウィーンに住むユダヤ人2家族の50年以上に及ぶ物語である。

 ホームページに登場人物が出ているが、とても多い。カーテンコールには子役も含めて25名も出て来た。時間経過が長いので、子どもは大人になり、新たな子どもが登場する。子役が一人で何役もやっている。この作者には『コースト・オブ・ユートピア』という19世紀ロシア人の革命論議を描く9時間の超大作がある。今度の作品も一体何時間掛かるかと、事前にちょっと心配した。結局は休憩なし、2時間20分ほどだったが、どうして50年以上も描くのに一幕で出来るのか。それは円形の回り舞台にある。この前見た首都圏外郭放水路みたいに柱が何本も立っている。冒頭はクリスマスで、大きなテーブルと幾つかの椅子がある。そこに一族が集まっている。次の場では舞台が回って、裏側で新しいドラマが始まる。乗峯雅寛の美術が素晴らしい。
(日本公演)
 最初は1899年のクリスマス。あれ、ユダヤ人なのに、なんで? その時代には裕福なユダヤ人家庭では、ウィーンの上流階級と親しく交わり、中にはカトリックに改宗する人もいたらしい。だからクリスマスも過越の祭も祝う。子どもたちがツリーを飾り付けし、てっぺんにダビデの星を取り付けてしまい、大人たちの笑いを誘う。大人は大人で、何人もが別々に話している。実際に大きな部屋に同席して見ているような感じである。次に1900年になると、不倫関係もある。子どもが生まれると、割礼をすべきかどうか悩む。メルツ家ヤコボヴィッツ家、両家の人々にはユダヤの伝統をどう考えるか、多少の違いもあるようだ。

 この段階では登場人物がよく判らない。そこから1924年になる。つまり第一次大戦で敗れて、ハプスブルク帝国は解体され小さなオーストリア共和国になっている。メルツ家の一人息子ヤーコブは大戦で負傷して片腕を失った。最初に子どもだった世代も大きくなり、中には共産主義を支持する者もいる。一方、小さくなったオーストリアは、言語が同じ大国ドイツと一緒になる方が良いという考えも者もいる。そんな混沌の時代に揺れているユダヤ人世界を描き出す。
(ロンドン公演)
 次が1938年になって、ついにナチス・ドイツがオーストリアを併合する日がやって来る。人々は逃げるべきか、それほど悲観しなくても良いのではないか、年寄りをどうすると議論している。ヤーコブの従妹ネリーは小さな息子レオを抱えて、イギリス人記者パーシーと婚約している。一家でイギリスのヴィザが取れるのか。という議論をしているうちに、ナチスがやってきて一家の家を接収すると告げる。議論しているヒマはなかったのである。それは「クリスタル・ナハト」の日。ウィーンでも反ユダヤの声が響く。今までユダヤ人性をそれほど意識せずに、富裕な階層として生きてきた人々にナチスのむき出しの憎悪が押し寄せたのである。
(家族関係と配役一覧)
 ホームページに配役一覧と系図が出ている。はっきり言って、見ている間は判りにくい。系図を見たって、全部は覚えられない。(配役は省略。)外国人の人名が舞台に飛び交い、時間が経つたび子どもが大人になっていく。だけど、ラストになって、これらの人々のほとんどがナチスの収容所で亡くなるか、または自殺していることが観客に伝えられる。ラストは1955年。連合国の占領が終わり、オーストリアが永世中立国として主権を回復した年である。アウシュヴィッツからただ一人生き残ったのはナータンだけ。ニューヨークに逃れていたローザが、戻ってきて屋敷を買い取った。そこにネリーの息子レオが大きくなって登場する。

 イギリス人記者と結婚したネリーはドイツのロンドン空襲で亡くなっていた。レオはイギリスで教育を受け、すっかり英国風に生きてきて、名前も英国風に変えて生きてきた。ユダヤ人であることは意識してこなかったのである。だが、このとき初めて恐るべき一家の悲劇を認識したのである。この一族の凄絶なまでの犠牲に思いを馳せるとき、歴史を語り継ぐ大切さを目の当たりにする。「まさか」と油断しているときに、すでに悲劇は始まっていた。それこそが2022年にこの劇を見る意味ではないか。
(トム・ストッパード)
 トム・ストッパード(Sir Tom Stoppard、1937~)は、もう85歳。引退を決めたわけではないようだが、年齢からして最後かもと口にしたらしい。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1966)で評判となり、自分で映画化もした。『ハムレット』に端役で出て来る人物を取り上げた劇である。映画『恋におちたシェイクスピア』(1998)のシナリオで米アカデミー賞脚本賞を受賞している。しかし、シェイクスピア専門というわけではない。冷戦下の東欧の反体制派を支援し、それをテーマにした作品も多い。後にチェコ大統領となる劇作家ヴァツラフ・ハヴェルとも知り合いだった。プラハでロック音楽を続ける若者を描く『ロックンロール』(2006)などがある。

 僕はストッパードの個人史をよく知らなかったが、彼は今回の作品のレオとよく似た人生を歩んでいた。もとはチェコのユダヤ人家庭にトマーシュ・ストロイスラーとして生まれた。ナチスが来る直前に、父が勤めていた会社の配慮でシンガポールに逃れたのである。そして日本軍がシンガポールを占領する前に、母と子どもたちはインドに逃げ延びたが、父は残って志願兵として戦った。そして父は船が爆撃されて撃沈して亡くなったという。母は子どもをイギリス風に教育し、イギリス軍人と再婚した。1946年、一家はイギリスに帰国し、トマーシュはトムとして生きてきた。自身の出自を知ったのも50代を越えてからだという。このような現代史の悲劇が作者自身に存在し、日本も大きく関わっていたのである。31日まで、まだチケットは残っている。
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2 コメント

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Unknown (匿名希望)
2022-10-20 08:19:57
面白そうな演劇ですね。
オーストリアは史実では1955年独立しています。文中では1995年となっていました。
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ご指摘ありがとうございます (ogata)
2022-10-20 19:44:24
コメントありがとうございます。
同文のコメントが2つあるので、一つを削除させて頂きます。

これは時間が遅くなって、最後推敲のヒマが無かったため、打ち間違いを見逃したものでした。1995年に間違ったのではなく、19955とか打ってしまい、あ、5字になってると思って、ラストの人文字を消してしまったというような間違いです。気をつけたいと思います。
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