尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『関心領域』、アウシュヴィッツ収容所の隣の「美しい庭」

2024年05月31日 22時07分27秒 |  〃  (新作外国映画)
 青年座の舞台を見る前に、映画『関心領域』(ジョナサン・グレイザー監督)を見ていた。2023年のカンヌ映画祭グランプリ、2024年の米国アカデミー賞国際長編映画賞の受賞作である。世界各地で非常に高く評価された「社会派アート映画」の傑作だが、そんじょそこらのホラー映画よりずっと怖い。エンタメとして作られたホラー映画は、怖いぞ怖いぞという気分を盛り上げる仕掛けがあざといが、この映画は声高には語らない。ドキュメンタリー映画のように、ある人々を静かに見つめるだけである。ところどころ理解出来ないような描写もあって、少し事前に調べていった方がいいかもしれない。

 『関心領域』(The Zone of Interest)は、第二次大戦中にドイツ軍がポーランドに建設した「アウシュヴィッツ収容所」のルドルフ・ヘス所長一家の生活を描く。彼らは収容所の隣に住んでいる。映画はほぼドイツ語で進行するが、製作はイギリス・アメリカ・ポーランドの合作。イギリス作家マーティン・エイミス(1949~2023)の2014年の小説が原作になっている。(早川書房から翻訳。)ルドルフ・ヘスと言えば、ナチ党副総統で1941年にイギリスに逃走した人を思い出す。しかし、それは「ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘス」で、この映画に出てくるのは「ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス」で別人。
(庭で遊ぶ一家)
 紹介文をコピーすると、「空は青く、誰もが笑顔で、子供たちの楽しげな声が聴こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から黒い煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の所長ルドルフ・ヘスとその妻ヘドウィグら家族は、収容所の隣で幸せに暮らしていた。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わす何気ない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?」 
(家族を見つめるヘス)
 画面には美しい庭園が見事に映されている。その向こうに壁があり、煙突から煙が出ている。それが何の煙なのか、この映画を見る人は知っている。それでも所長一家はそこで「美しい暮らし」を営んでいる。ヘスは1940年4月にアウシュヴィッツ収容所の初代所長として赴任し、「絶滅収容所」として「整備」した。夫人のヘートヴィヒ・ヘスは、美しい庭園を作り上げ「東方入植者」のモデルを自負する。アウシュヴィッツの社交界に君臨し、まさに理想の生活を送っていた。1943年秋にルドルフは所長を退任し異動するが、妻は納得せず彼は単身赴任せざるを得なかった。その夫婦トラブルがこの映画一番の見どころか。
(所長夫人)
 妻は何も知らなかったのだろうか? いや、そうではないことがセリフの端々にうかがえる。見たくないものを見ないのではなく、自分たちが「上」なんだと思い込んでいる。普通だったら、夫は隠すべき仕事に携わっていると思いそうだ。だが、それなら収容所から遠くに住んで夫だけ「通勤」すれば良い。まさに隣に住んでいて、何も感じないのである。妻を演じたのは『落下の解剖学』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラーで、驚くべき演技だ。夫ルドルフは『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(2015)でヒトラー暗殺未遂犯ゲオルク・エルザ―を演じた、クリスティアン・フリーデルという人。
(ジョナサン・グレイザー監督)
 米アカデミー賞国際長編映画賞には、セリフの半分以上が非英語であるという条件がある。それさえクリアーすれば、英語圏の映画でもよく、今までもカナダのフランス語圏映画が受賞している。『関心領域』はイギリス代表としてノミネートされた。(他にも作品賞、監督賞、脚色賞、音響賞にノミネートされ、音響賞も受賞した。)なお、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』は日本代表でノミネート、ドイツの代表でノミネートされたのは今公開中の『ありふれた教室』だった。

 脚本、監督のジョナサン・グレイザー(1965~)は、ニコール・キッドマン主演の『記憶の棘』(2004)やスカーレット・ヨハンソン主演の『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』(2013)などを作った人だというが、見てないからどういう人か判らない。何でもへス邸は残っていて、近くにレプリカを建設したという。2021年夏に撮影され、それに合わせて春から庭園を造り始めた。ヘス夫妻は下働きにポーランド人を使っていて、監督は90歳の体験者に会ってリサーチ出来たという。

 この映画を見ていて、どうしてもイスラエルのガザ攻撃を思わずにいられない。その他世界中に「(実際の)壁」や「見えない壁」が存在する。隣で何があっても、見ない人もいる。それは世界中で共通するだろう。『オッペンハイマー』で「被爆者が描かれていない」と評した人は、『関心領域」でも「ホロコーストの実態が描かれていない」と評するのだろうか。そうじゃないとおかしいはずだが。しかし、我々には「想像力」があり、その力は映画を越えて今の現実をも撃つはずだ。

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