尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「尖閣」と「竹島」④

2012年09月21日 23時30分53秒 |  〃  (国際問題)
 長くなったけど「竹島」について書いてしまいたい。この問題の背景には、2011年8月30日に韓国憲法裁判所が下した判決がある。去年そのニュースを聞いた時、僕はすごいなと思いながらも何だか違和感を感じないでもなかった。その判決は「従軍慰安婦」の賠償権について、賠償請求権の有無ではなくて、韓国政府が賠償請求権に関して日本政府に対して解決しようとするための手続きをきちんとやってないことが「憲法違反」で「請求人の憲法上の基本権を侵害」しているというものだった。こんな「政府の不作為」に対して国民が裁判できるということが驚きだった。日本国憲法ではそういう裁判はできない。「政府が○○問題に関して何もしてくれないのは違憲」という裁判ができるんだったら、どんなにいいだろう?と同時に、「政府の行為を止める」のならともかく、「政府の不作為」を違憲とするという判決はあまりにも政治的だという気もしないでもなかった。「原発をゼロにしないのは生存権に反して違反」「原発を再稼働しないのは電力会社の経済の自由に反し違憲」。どっちだって裁判できてしまうと思うけど、それを裁判所が決めていいのかな。

 何にせよ、その後韓国政府は日本政府に対し、「従軍慰安婦」問題に対しアクションを取らないわけにはいかなくなった。リクツ上は「アクションさえ取ればいい」のかもしれないけど、一国の政府が乗り出して何の成果も得られないというのでも困る。何とか知恵を絞って欲しいという考えを野田政権に伝え続けたのは事実である。しかし、野田政権は基本的には「解決済み」で押し通していた感じがした。水面下で何か対策を考えていたのかもしれないが。こうして韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は対日不信を強めていったと思われる。一方、国内政局的には韓国大統領は一期5年間しかできない。今まで任期終了後に親族の不正などが問われることが多かった。今回はまだ任期中だと言うのに、大統領の実兄が逮捕(銀行からの不正資金授受疑惑)されてしまった。逮捕が7月10日、起訴が27日である。この李相得氏は前国会議員で、韓日議員連盟会長だった。「竹島上陸」は8月10日なので、「疑惑そらしのために領土問題を利用した」と言われてしまうのも仕方ないだろう。また日韓の議員外交チャンネルも機能しないはずである。

 そして翌8月11日に「天皇に謝罪を求める発言」があった。「痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」「韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、心から謝罪せよ」などと報じられた。この発言は教師の研修会に出席した時の質疑応答だという話で、そういう会合に大統領が出席するというのもビックリだが、「真意が伝わっていない」とも述べているようだ。日本では、竹島訪問以上にこの天皇謝罪要求が決定的な悪影響を与えたと思う。はっきり言って「この人の任期中はもうダメだ」というムードである。どの国でもきわめて神経を使わなければいけない問題と言うものがある。大分前だが中曽根首相がアメリカの人種問題を無神経に発言したことがあった。国を問わず、民族問題や王室などを他国の指導者が批判的に語るのはタブーだろう。

 そういう「元首のふるまいとしての問題」もあるが、それ以上に深刻なのは「日本政治への無知」である。天皇は政治の実権を持っていない。外国を訪問し正式の晩さん会であいさつするというのは、紛れもない「国事行為」で「内閣の助言と承認」によって行われる。「痛惜の念」という言葉(1990年の盧泰愚韓国大統領の来日時の晩餐会)も天皇が自分で書いているわけではなく、内閣の承認のもとに発せられるので、批判があるなら内閣を批判するべきものだ。(なお、92年の中国訪問時は「我が国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります。」という表現になっている。)それを「天皇個人の発言」のようにとらえて批判(または称賛)することは「天皇の政治利用」である。それは右からすれば「おそれ多い」、左からすれば「戦前に戻すのか」ということで、立場を超えて「戦後の日本ではしてはならない」ことである。そういう憲法的に制約がある立場は、即位時に「皆さんとともに日本国憲法を守り」と発言したように、自覚的に守られてきた。(だからこそ、東京都教育委員の米長邦雄が園遊会に招かれた際(2004年)、「日本中の学校に国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが私の仕事」と述べたのに対し、「強制になるということでないことが望ましいですね」と発言したわけである。なお、ついでに書いておくと、2005年の戦後60年に際しサイパン島を訪問した際、当初の予定にはなかった韓国・朝鮮人慰霊碑にあえて立ち寄ったという印象的な出来事があった。天皇個人の意向だったという話である。)

 2007年以来開かれていない「6か国協議」も当面開かれないだろう。中国共産党党大会、米国大統領選挙が終わり、北の新指導部もある程度時間が経たないと事態の進展は期待できない。韓国も選挙だが日本も総選挙が近いと思われるから、どっちも次期政権に本格的な関係改善は先送り。望ましくはないけどやむを得ないかなという情勢である。で、僕は「竹島訪問」「天皇謝罪要求発言」で冷え込んだ政府間関係の改善は長引くだろうと思っている。問題はそれを通商や文化交流、地方の交流や個人の旅行などに広めてしまわないことである。それが「成熟した関係」というものだろう。そして、一番最初に書いた「従軍慰安婦問題」も日本側で何かアクションを考えないといけないと思う

 「従軍慰安婦」問題に関しては、ここで本格的に書く余裕がない。今まで「南京大虐殺」などに関して「トンデモ発言」がなされた時も、このブログには書いてこなかった。知らないわけでも関心がないわけでもなく、逆に「自分では判っている問題」なので調べて書く楽しみが少ないテーマなのである。今回の「竹島問題」などは自分でネットで調べたことはなかったので調べてみたわけである。「従軍慰安婦」に関しては、その呼び方からして議論があるが、今は立ち入らない。今回ここでも書かないのは、いわゆる「アジア女性基金」(女性のためのアジア平和国民基金)に関する考え方が自分で確定していないからである。この財団法人は1995年に設立され2007年にすでに解散している。しかし、「デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金」がWEB上に残されている。ここで必要な情報を(日本語と英語で)収集することができる。設立当時は村山政権で、国家補償はできないという中で「国民から償い金を集め、財団法人の運営は国費で行う」という方式で活動を行った。この活動は「当時として精一杯のもの」と考え協力する人も多くいたが、「日本国家の補償を否定する間違ったやり方」として反対する人も多かった。そういう「分断工作」だと言えるし、「原則派」「現実派」に分裂してしまうという社会運動の弊害だったとも言える。(ちょうど「オウム事件」と時期的に重なったこともあったか、90年代に盛り上がった戦後補償の支援運動がこのあたりで急激にしぼんでしまったと思う。最近の反原発運動に行く末も何だか心配である。)

 僕は当時は「アジア女性基金」には反対の気持ちが強かった。当時は韓国の従軍慰安婦を初め、中国の強制連行、日本のシベリア抑留などの補償を求める裁判が継続中だった。従軍慰安婦裁判は僕は集会に行く程度だったが、中には支援の会に参加したり傍聴した裁判もある。(「穴に隠れて14年」として有名な劉連仁強制連行裁判の2001年東京地裁一審勝訴判決を傍聴した時の感激は今もよく覚えている。判決後に法廷で拍手が沸き起こった。)日本の法廷の論理の中でも勝訴は全く不可能ではないのではないか、国家補償こそが重要なのではないかという気持ちだったのである。しかし、最高裁ですべて賠償請求は却下された。特に中国人原告の訴訟は1972年の日中共同宣言を理由に却下という全く予想もできない結末だった。そういう経過が判明している今となっては、「当時としてはアジア女性基金しかなかったのか」という気持ちが正直言うと起こってきたわけである。

 僕は「従軍慰安婦問題」でどうすればいいという案は持っていない。でも民主党は野党時代に解決法案を出していた。政権についてしまうと、従来からの法解釈に縛られてしまう。当時、アジア女性基金が日本の「償い金」と首相の「お詫びの手紙」を届けようとしたら、韓国側は拒否した。そういう間違った金は受け取れないとし、韓国で受け取った慰安婦女性は強い非難にさらされた。韓国側は日本が補償しないなら韓国が金を出すと独自措置を取ったと記憶する。それなのに今さら新しい措置を求めるのかという思いも関係者にあるだろうが、当時の首相の手紙が届かないままなのも問題だろう。なんとか韓国側も受け入れ可能なアイディアを考え出さないといけない。これは「竹島問題」とは別個に、日本がやらなければいけない問題ではないか。領土問題は先延ばしできるが、「戦後補償問題」はあと数年内に解決しないと「恨」(ハン)が残り続けてしまうだろうと思う

 中国が尖閣の領有権主張を放棄することは当面考えられない。そうすると日本も韓国に対して「領有権を放棄」することはできない。では日本は武力で取り戻すのか、というとそういうことはない。憲法で禁止されているし、国民の平和志向という問題もあるが、それより「アメリカの意向」である。アメリカというボスが「お前ら、内輪もめしてる場合じゃねえだろ」と止めに入るに決まってる。それが判ってるから、日韓ともに譲らず領有権主張ができるのである。だからこそこの問題はしばらく解決不可能である。

 ところで「どちらとも言えない」と書いたけれども、あえて前近代からさかのぼって判定の旗を上げれば、「55対45」くらいで韓国有利かもしれないなという気もしている。地理的に鬱陵島に近くて、見えるときもあるという条件が若干有利ではないかと思うのである。だから、もしあるとすればという遠い将来のことだが、僕はいつかあるだろう「南北統一」の日に、統一なった統一韓国に対する「日本国民の祝意と友好の表現として、竹島に対する領有権主張を放棄する」という「太っ腹」はどうかなと思ったりする。その時には東アジアの冷戦状況も大きく変わっているわけで、中国や日本国内の情勢も変化があるはずだ。そういう時には「譲歩もあり」ではないか。と思ったりするのが、竹島問題に関する当面の考え方である。(こう思ったのは昨日のことで、この問題を考えていったらそういうこともありかなと思いついた次第である。)
 (ここまで来たら、初めの予定になかった北方領土も次回に書いておきたい。ただし、これは改めて調べるまでもなく、結論ははっきりしている。日本政府の主張が全面的に正しいのである。だからあまり新しい論点はないのだが、まあそれほど詳しくは事情を知らない人もいるでしょうから…。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「尖閣」と「竹島」③ | トップ | 「北方領土」も考えておこう »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 〃  (国際問題)」カテゴリの最新記事