尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「外交優先論」の罠、真にリアルな「力」の認識をーウクライナ侵攻1年③

2023年02月22日 23時17分20秒 |  〃  (国際問題)
 ウクライナ戦争は日本のあり方も大きく変えてしまった。岸田政権は戦後日本の防衛政策の大転換を打ち出している。最近の日本では「台湾有事」をめぐる危機感が強くなっている。日本及び東アジア情勢に関する問題はまた別に考えたいが、ここでは「外交優先論」を取り上げたい。外交の重要性はもとより明らかだが、それだけで戦争を防げるものだろうか。

 今回バイデン米大統領がウクライナを電撃訪問したが、ラジオ番組では「バイデン大統領はウクライナだけでなく、モスクワも訪問してプーチン大統領に戦争を止めさせて欲しい」という意見が紹介されていた。もちろん、それは様々な感想の一つに過ぎないが、これではよく右派がリベラルを揶揄する時に使う「お花畑」という表現を否定できないなあと思った。

 21日に行われたプーチン大統領の年次教書演説を見ても、妥協する可能性はゼロ。そもそもバイデン米大統領を受け入れるには、ウクライナへの武器援助を大幅に削減するなどの「お土産」が要求されるに決まっている。アメリカがそれを受け入れるはずがなく、モスクワ訪問など夢想でしかない。そういう問題もあるが、そもそもウクライナ側が同席することなく、米ロの「ボス交」で解決を図るという発想そのものが日本社会に残る時代錯誤を象徴している。

 それはともかく「戦争という悲劇」を避けるために、外交で解決しないと行けないという発想をどう考えるか。もちろん、事態を最小限の犠牲で済ませるために、あらゆる試みを避けてはならない。しかし、「外交交渉による解決」というとき、1938年のミュンヘン会談を思い出さずにはいられない。チェコスロヴァキアのズテーテン地方に住むドイツ人住民が迫害されているとして、ドイツのヒトラー総統は同地方の割譲を要求した。問題解決のため、ドイツ(ヒトラー)、イギリス(チェンバレン)、フランス(ダラディエ)、イタリア(ムッソリーニ)がドイツのミュンヘンで会談を行った。
(ミュンヘン会談の4首脳)
 会談の結果、結局「これ以上の領土要求は行わない」ことを条件に、ズテーテン地方をドイツに割譲することを認めた。しかし、それは始まりに過ぎなかった。ドイツは1939年3月にチェコスロヴァキアを解体し、8月にはポーランドに侵攻する。領土不拡大の約束など、全く意味を持たなかった。ミュンヘン会談当時、英仏では「戦争が避けられた」と好意的に迎えられたが、その後の経過が判明した現在では、ヒトラーに時間を与えただけだったと非難されることが多い。僕はそれ以上に、この会談が当事者であるチェコスロヴァキアを招かずに、大国どうしの「ボス交」だったということが最大の問題だと考える。

 今回のウクライナ戦争でも、2021年末から国境沿いにロシア軍が「演習」と称して集結していることが何回も報道された。それは衛星から監視できる現代では、もはや秘密情報でも何でもなかった。そして、フランスのマクロン、ドイツのショルツなどヨーロッパ各国の首脳が何度もモスクワを訪れて、ロシアの自制を求め続けた。しかし、結局外交努力は実らなかったのである。それは何故かといえば、結局はプーチン大統領が戦争を開始する断固たる意思を持っていたことに尽きる。
(戦争前のプーチン、マクロン会談)
 強権的指導者には「忖度」した情報しか上がってなくて、本気でウクライナ政府がすぐに崩壊すると信じ込んでいたのかもしれない。それにしても、プーチンが戦争を避けたいと思えば、なんとでもできたはずだ。要するに戦争を避ける気がなかったのである。もともとゼレンスキーが大統領に当選(2019年5月)してからも、プーチンは求められた会談になかなか応じなかった。前任のポロシェンコは「反ロシア」が明確で、ロシアとの和平交渉も停滞していた。ゼレンスキーはそれを批判して当選したのだから、ロシアは有利に交渉を進める好機だったはずだ。だが、プーチンはゼレンスキーに「塩対応」を続けた。
(2019年12月の4か国会談)
 プーチンがゼレンスキーとの初顔合わせに応じたのは、2019年12月になってからだった。それもマクロン(仏)、メルケル(独=当時)の顔を立てた形の「4か国協議」という場のことであり、場所はパリだった。ゼレンスキーは直接会いたいと何度も申し込んでいたが、一切応じてこなかった。政治に素人のゼレンスキーへの期待も、結局なにもできないじゃないかとしぼみつつあったのが実際のところである。その支持率低迷こそロシアの目指したもので、侵攻に向けたプログラムの一環だったのかもしれない。今になると、そう考えるべきかもしれない。

 このような「強者の塩対応」は日本でも見られた。沖縄県知事に翁長雄志が当選(2014年12月)してから、安倍首相や菅官房長官(いずれも当時)は翁長知事の求めを拒否して会談に応じなかった。(当時、沖縄北方対策特命相だった山口俊一が会談に対応していた。)そして、直接会うことなく、2015年度予算策定において沖縄関係予算を削減したのである。安倍、翁長会談が実現したのは、当選4ヶ月後の2015年4月だった。つまり、強い側が「譲歩する気が全くない」ときには、「あくまでも話合いによる解決を求める」と言っても、実はそれだけでは何も勝ち取れないのである。
(2015年4月の安倍・翁長会談)
 実際、「ウクライナ侵攻を外交によって防ぐ」と考えた時、それはどうすれば良かったのか。もし可能だったとしたら、かつてのチェコスロヴァキアと同じように、ウクライナを「いけにえの羊」としてロシアに差し出す以外に何かできたのだろうか。外交とか、話合いと言っても、相手が応じる気がないときには無意味である。では、「武力」しか対応策がないのか。世界は軍事力だと言いきってしまうのも、逆に世界に対するリアルな認識とは思えない。「世界」に満ちあふれる「力」は多種多様である。経済力文化力情報発信力、すぐ効果が出ないとしても国際世論の力…。

 「力」の裏付けを欠いた理想論が空転するように、目指すべき理想を欠いた「軍事力行使」も(一瞬の効果はあげても)果てしなき暴走をしかねない。「リアル」な認識とは何か、一人一人が問われている。いや、それは本来はいつの時代も問われてきたんだろうけど、危機の時代に立ち向かうときこそ、本当に大切になってくる。
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