尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

気仙沼・唐桑キャンプから帰って②

2011年04月21日 22時06分17秒 |  〃 (震災)
 帰ってきて新聞をみると、ようやく「死者」が「行方不明」を上回っていました。今でも毎日遺体が発見、確認されています。それでもまだ1万人以上が「行方不明」とされています。

 行った当日も書いたけど、陸前高田を訪れたことは非常に衝撃的なことでした。今回は建物の倒壊による死者は少なく、大体は大津波による被害でした。それは想像を絶するもので、自然の威力は計り知れないと言えば、それはそうなんだけど、それで片付けたくない。

 大体の人は映像、写真等で壊滅した町の様子を見たと思います。それだけで言葉を失うような惨状だけど、実際にこの目でみると、表現のしようがない。僕にとっては、すべて壊滅した町の写真は、授業で東京大空襲を教えるときを思い出させます。

 現代日本ではありえない状況。仕事場もないから暮らしがめどがたたない。では他の町に避難するかと言えば、行方不明の親族がいるから町にいる。地盤沈下して浸水するから元の場所に家は建てられない。平地が少ないから仮設住宅の建設もすすまない。どうすればいいんでしょうか?僕にはわからない。
 よそ者の僕にすぐわかるわけない。

 だけど、見て良かった。言い方は難しいけれど、見る前とは何か認識が違ったと思う。
 唐桑でも海辺の家は破壊されています。でも町全体が破壊されたところはまた違う。唐桑は半島なので高台が多く、川沿いの沖積平野に町が発達した陸前高田などの被害の甚大さは格別と言えます。

 それでも、この地は海で生きる人々の住む地。また海で生計を立てることになると思います。これだけ被害を受けても、海で生きていく。(いや、もう海は嫌で町を出る人もいると思うし、誰もそれを批判できないけど。)そして、僕も日本は海に生きる国だと思うから、ワカメ、さんま、カキなどが復興してほしいし、三陸の海産物がないと寂しい。東北の温泉になんど行ったことか。そして三陸の海産物をなんど食べたことか。現地の人と話して飲んで、やはりそこに行きつくのです。
 同情して言ってるのではなく、僕は東北の温泉と海産物を愛してるから、絶対復興してほしい、と。
コメント
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