尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

気仙沼・唐桑キャンプから帰って①

2011年04月20日 23時47分33秒 |  〃 (震災)
 震災ボランティアキャンプのまとめを数日続けます。

 今日は六本木高校に行って、今年の第1回「人権」授業。ゲストの立場で今回見てきたことなどを語りました。アンケートに「尾形の授業と思って登録した」という人がかなりいて、申し訳ないです。今日はいろいろな人が歓迎してくれてありがとうございました。

 でも、昨日の今日で、かなり疲れていたね。年も年だし、集団で仕事するのも大変。仕事はいろいろで、危険もあるし、現地の人との関係でも気を使うことがある。精神的にも大変。

 ヘルメット、登山靴(長靴ではダメな場合が多い)、防塵マスク(普通のマスクではダメ)、厚手のゴム手袋でずっと作業してました。これは過去のワークと質的に全く異なる次元のキャンプだと思いました。
 気軽な気持ちでボランティアをできる段階ではないですね。

 ただ、少しすると体もなじんでくるし、メンバー間の関係もできてきます。そして、今回は現地の人々との関係がだんだん濃くなっていって、それが意味があったと思います。

 現地でお世話になった馬場さんのお宅の皆さん(犬のモモも含めて)はもちろん、唐桑に住んで一緒にワークに参加する人が出てきたのがうれしかったです。今回FIWCで新聞チラシを入れたら、一緒にやりたいという声もいろいろ寄せられているようです。
 毎日誰かが訪ねて来てくれて、語り合う(飲む?)のも意義深い時間でした。 

 やはり自分たちだけで津波被害に立ち向かうのは大変なことで、一緒に話しながら片付けを手伝ってくれるボランティアという存在は、確かに意味があると思いました。
 それがまず、第一の確認です。

 明日改めて書きたいと思う、陸前高田市の高田松原の、たった一本残った松の写真を載せておきます。
 もとがどうだったかは、自分で調べてください。
コメント
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