尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

夜明け前-リアリズムの力

2011年04月27日 22時17分24秒 |  〃  (旧作日本映画)
 昔の映画の感想。「夜明け前」を見たのは一週間前だが、重要なので書いておきたい。もちろん島崎藤村の大傑作の映画化。長すぎるので読み通した人は少ないかもしれない。故・篠田一士(しのだ・はじめ)が「二十世紀の十大小説」に選んだだけのことはある傑作だ。「交通」「情報」「周縁」などといった用語で精緻に分析すべき作品。木曽旅行しながら読んだけど、今もなお生き生きとした作品だった。

 今回は、国立近代美術館フィルムセンターでやっている吉村公三郎監督の生誕百年の特集である。学生時代以来で、久しぶりに見た。吉村監督は日中戦争下に松竹でデビューした監督で、岸田國士原作のメロドラマ「暖流」が評判を呼び名声を確立した。今回はやってないけど、「軍神」を描く「西住戦車長伝」という戦争協力映画では、カメラが回転して中国軍側から日本軍を映すという場面があった。

 戦後、松竹と対立して新藤兼人と近代映画協会を設立し、独立系映画会社の先駆けとなる。確かなリアリズムを基にした人物の描きわけに長じていて、独立後も大手会社で風俗映画などで活躍している。僕の見るところ、大傑作は3本ある。祇園の裏表を辛辣に描く「偽れる盛装」、京都を舞台に大人の恋愛の行く末を描く「夜の河」(山本富士子が最高に美しい)、そして「夜明け前」である。

 「夜明け前」は劇団民藝が全面的に協力し、主人公青山半蔵(藤村の父をモデルにした馬篭宿の本陣当主)は名優滝沢修が演じている。(国学に傾倒する村のインテリ役だから宇野重吉ではできない。)舞台はもちろん、映画、テレビでも活躍した名優中の名優だけど、これは映画の代表作だと思う。重厚なリアリズム演技のすごさをたっぷり味わえる。1953年の映画化なので、まだ武士の時代の名残りがあった。映像の感触が今の時代劇なんかと違う。そこであらわにされるのは「階級」だ。武士階級と町人、本陣の庄屋と貧しい農民、そして明治維新という変革の嵐の中で、時代に取り残される半蔵の姿。

 一方、隠ぺいされるのは「ジェンダー」。藤村の、あるいは脚色した新藤兼人の目に映るのは、時代と切り結び時代に取り残される「男」の人生で、裏には「女たちの夜明け前」があったはず。その意味で、原作も映画も「フェミニズムがなかったころ」(©加納実紀代)の「物語」と言える。しかし、半蔵の娘役の乙羽信子(魅力的)の悲劇に「女たちの夜明け前」が予感的に描かれている。

 全体的にいうと、リアリズムの凄さの再認識。映画も演劇も、そして文学も、いわゆるリアリズムは60年代になって流行らなくなっていく。それ以後に育ったので、社会派リアリズム映画や新劇には多少のうっとうしさを感じないわけではないが、こういう映画が作られたことはまさに「映画遺産」だと思う。若き大滝秀治もキャスティングされていたが、判らなかった。民藝の新作「帰還」(坂手洋二作)に主演しているんだから驚き。60年近くも前の映画にも出てたのに。(2020.5.20一部改稿)
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