尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

気仙沼・唐桑キャンプから帰って③

2011年04月24日 22時39分42秒 |  〃 (震災)
 震災現地から帰って元気にしていたのですが、今になって少し疲れたなあという感じ。
 土曜日はGWキャンプの事前説明会に行きました。FIWC(フレンズ国際ワークキャンプ)の唐桑キャンプはどんどん広がっています。オールド・キャンパーもたくさん参加予定。

 今回良かったなと思うのは、現地で参加する人が出てきたことです。最初に行ったメンバーが苦労しながらボランティアの可能性を広げ活動する中で、一緒にワークに参加してくれる人が出てきました。友達も連れて来て、毎日話せる関係ができました。その後、新聞チラシをまいたら高校生から参加の電話がありました。その後の状況報告によれば、僕たちが帰った後で一緒に参加しているようです。

 唐桑というところは、検索すると「唐桑御殿」という言葉が出てくるようなところです。唐桑御殿という建物があるのかと思ったら、この地域に何百軒とあるお城みたいな壮麗な家を総称する呼び名だそうです。大きな瓦をたくさん使い、大きな柱に支えられた、まさに御殿みたいな建物。その財を支えたのは、遠洋漁業だそうです。そのような家も津波で大きな被害を受けていますが、高台にある家も倒れていません。

 この唐桑半島の突端に国民宿舎からくわ荘があり、この地に関係のできたきっかけの鈴木重雄さんの銅像がありました。(ちなみに、近くに「津波体験館」があって、小沢昭一さんが行った経験が今日(4/24)の朝日新聞に出ていました。)

 鈴木さんはハンセン病回復者として唐桑町長選挙に立候補した方です。1973年のことです。21世紀になって違憲国賠訴訟勝利後は何人か選挙に立候補した人がいますが、40年も前に町長選に挑むというのはどれだけ勇気がいることだったでしょうか。惜敗後に福祉施設高松園を作り、今も福祉法人洗心会として発展しています。国民宿舎誘致に貢献したということで銅像がたったそうです。

 昔、FIWCの韓国キャンプに参加しました。その縁で細いながらもずっとハンセン病との関わりが続き、六本木高校の「人権」の授業でも毎年取り上げたし、こうして震災キャンプにも参加するに至りました。
 縁と言うのは不思議なものだと思っています。「ハンセン病が人をつなぐ」。
コメント
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