2025年5月の訃報特集。5月は内外ともに大きな訃報が少なかった。しかし一回で書くのは大変なので2回に分けて書くことにする。外国人の訃報で比較的大きく報道されたのは元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカだった。5月13日没、89歳。「世界一貧しい大統領」と呼ばれ、記録映画にもなった。(現在リバイバル上映されている。)60年代には極左ゲリラ組織「ツパマロス」に加わり、10年以上投獄された。95年に下院議員に当選し、上院議員を経て、2010年から2015年に大統領を務めた。報酬の大部分を寄付して自身は農場で住んで質素な生活を送って話題となった。退任後の2016年に来日して広島などを訪問した。
ブラジル出身の世界的写真家、セバスチャン・サルガドが5月23日死去、81歳。60年代後半に軍政反対運動に参加し、その後フランスに移住。ロンドンの国際コーヒー機関に勤務してアフリカ各地を訪れた。その間に趣味だった写真を本格的に追求するため、仕事を辞めてフォトジャーナリストとなった。アフリカに取材した「サヘル」や世界各地の労働者を題材にした「人間の土地 労働」などの代表作がある。雄大な大自然に向き合う人間をフォトジェニックに映し出し世界的に評価された。ヴィム・ヴェンダース監督による記録映画『セバスチャン・サルガド、地球へのラブレター』があり、この人の素晴らしい業績を初めて知った。
ケニア出身の作家グギ・ワ・ジオンゴが5月28日死去、87歳。イギリス植民地だったケニアに生まれ、独立直後の時代に創作活動を開始した。イギリスに留学後、ナイロビ大学などに勤務したが、この時代は英語で創作していた。77年に現地のキクユ語で書いた民衆劇「したい時に結婚するわ」が反体制的とされ1年間拘禁された。釈放後は英語ではなくキクユ語で創作を続けたが、82年の英国滞在時に帰国すれば逮捕されると警告され、事実上亡命生活に入った。92年にはアメリカに移り、ジョージア州で亡くなった。代表作に『川をはさみて』(1965)、『一粒の麦』(1967)などがあり邦訳もある。長くノーベル文学賞候補と言われ続けてきた。
アメリカの国際政治学者、ジョセフ・ナイが5月6日死去、88歳。国家には軍事力や経済力だけでなく、文化や価値観などで国際的目的を達成する「ソフト・パワー」が重要だと主張した。「文明の衝突」論のハンチントンなどへの批判でもあったが、その後の国際政治学のキーワードとして定着した。またカーター政権で国務副次官、クリントン政権で国家情報会議議長、国防次官補などに就任して現実政治にも関わった。その時代には東アジアの米軍10万人態勢を維持する「東アジア戦力報告」(ナイ・リポート)を発表して、日米関係に影響を与えた。4月に亡くなったアーミテージとそもに「アーミテージ・ナイ・リポート」を出すなど、対日政策に深く関わってきた。ハーバード大教授を長く務め、トランプ政権から見れば「民主党支持のエリート学者」になるのだろう。
アメリカの映画監督ロバート・ベントンが5月11日死去、92歳。『俺たちに明日はない』(1967)の脚本家(アカデミー脚本賞ノミネート)であり、『クレイマー、クレイマー』(1979)の監督である。『おかしなおかしな大追跡』『スーパーマン』などの脚本がある。『夕陽の群盗』(1973)で監督に進出。『クレイマー、クレイマー』ではアカデミー賞で作品、監督、脚色、主演男優(ダスティン・ホフマン)、助演女優(メリル・ストリープ)の5部門で受賞した。演技部門の2人はこれが初のオスカーだった。また子役のジャスティン・ヘンリーは8歳で助演男優賞にノミネートされ、今も最年少記録となっている。その後『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984)でサリー・フィールドが主演女優賞、ベントンが脚本賞を受賞した。他に『殺意の香り』(1982)、『ビリー・バスゲイト』(1991)、『白いカラス』(2003、フィリップ・ロス『ヒューマン・ステイン』の映画化』などがある。
・ユーリ・グリゴローヴィッチ、19日死去、98歳。ロシアのバレエ振付家、指揮者。46年にレニングラード・バレエ学校を卒業してダンサーとなった。64年にボリショイ・バレエ団でバレエマスター、88年に芸術監督。ボリショイ・バレエの黄金期を築いた。
・ジェームズ・フォーリー、アメリカの映画監督、6日死去、71歳。『摩天楼を夢みて』などがある。