林芙美子を読むシリーズ3回目。いよいよ最高傑作の呼び声高い『浮雲』(うきぐも)を読みたい。成瀬巳喜男監督による映画『浮雲』が好きすぎて、今まで原作を読まずに来てしまった。読んでみたら原作も大傑作で、間違いなく林芙美子の代表作である。雑誌『風雪』『文學界』に1949年から1951年まで連載され、1951年4月に出版された。林芙美子は1951年6月28日に47歳で急逝するから、ギリギリで完成したのである。梅崎春生『幻花』や色川武大『狂人日記』などと同じ。よくぞ間に合ってくれた。
『浮雲』は現在も新潮文庫に大活字本で生き残っている。その気になればすぐ読めるわけだが、注がないから困る人がいるかも。この小説をあえて簡単に書くと、「仏印」で出会って「屋久島」で死ぬ女、幸田ゆき子の「不倫」の生涯をたどる物語である。ところで当時は誰もが知っていた「仏印」が今では判らず、今では誰もが知る「世界遺産の島屋久島」が作中ではそんな島があるのと言われている。原作当時は奄美諸島が米軍に占領されていて(1953年に返還)、映画は屋久島を「国境の島」と呼んでいる。
(映画『浮雲』)
映画『浮雲』(1955)は成瀬巳喜男監督の最高傑作というだけでなく、日本映画史上ベストワン級の映画である。少なくとも僕は、小津安二郎『東京物語』や黒澤明『生きる』よりも、この『浮雲』の方がずっと好きだ。『東京物語』や『生きる』に出て来る登場人物はどこにでもいそうな庶民ばかりだが、それでも人間はかくも気高いのかと思わせる瞬間がある。一方この『浮雲』は「どうしようもない人物」「どうしようもない人生」の物語なのだが、そこにこそ惹かれてしまうのは何故だろう。幸田ゆき子が出会った農林省技官富岡謙吾は、幸田ゆき子に輪を掛けたどうしようもない人物で、ほとんど「悪人」と言ってもよい。それでもこの富岡を「悪人」として排斥してしまえば、『浮雲』という小説・映画、そして世界そのものも理解出来なくなる。
(二人は再会するが)
富岡とゆき子は1943年に「仏印」(ふついん=フランス領インドシナ、現在のベトナム、カンボジア、ラオス)で出会った。具体的には南ベトナム中部の高原リゾート都市ダラットである。農林省でタイピストをしていたゆき子は、妻子ある「義弟」伊庭(いば、姉の夫の弟)に陵辱され処女を失った。日本を逃れたくて徴用に応じて仏印に来たのである。そこにある研究所に派遣されていたのが富岡で、彼には日本に妻があったがゆき子と結ばれてしまう。富岡は現地女性ニウとも情を交わし妊娠させていた。研究所にはゆき子に惹かれていた独身の若い加野がいたにもかかわらず、ゆき子は富岡に惹かれていくのである。
(ダラット)(地図)
そんなバカなと言ってしまえる人はこの物語が理解出来ない。原作も映画もその道行は十分理解可能である。よく知られているように、映画ではゆき子を高峰秀子、富岡を森雅之が演じたが、二人とも生涯のベストだろう。特に有島武郎の子である新劇俳優森雅之は日本映画史上最高の「色悪」を演じている。これが成瀬監督もよく使った二枚目の上原謙(加山雄三の父)だったら、戦争で崩れ去ったインテリの虚無が出なかっただろう。映画を見ている人は、読んでいて映画の主役二人の顔がチラつくのを避けられない。でも、それでも大丈夫。映画は当時としては大作の124分だが、水木洋子の脚本が素晴らしい。基本的に原作通りなのだが、実に本質をとらえた脚本になっている。映画を見ていても原作鑑賞に何の支障もない。
戦争に負け、何とか日本に復員したゆき子は富岡に電報で帰国を知らせたが、一向に反応がない。仏印では日本で待っているという話で、二人で暮らせると思って帰ったのである。実家に寄る気もなく、やむなく東京の伊庭の家に行くと伊庭も疎開中。勝手に居付いて富岡の家まで押し掛ける。その後いろいろあるが、単に妻がいるということだけでなく富岡はすっかり変わっていた。ゆき子も米兵と付き合ったり、いろいろあるのだが富岡を忘れられない。誘われて伊香保温泉まで付いていくが、富岡は死ぬつもりだった。しかし、宿泊代にするため時計を売ろうとして、飲み屋で「おせい」(岡田茉莉子)とその夫と知り合う。
(おせい=岡田茉莉子)
富岡は今度はそのおせいと親しくなってしまうのだから、さすがの早業である。もともと妻の邦子も友人の妻だったのを「略奪結婚」したのである。しかし、敗戦後の富岡はもはや妻には何の魅力も感じない。単に「女にだらしない」というより、信じるものなき「虚無」が現在の境遇を脱出したい女を引きつけてしまうのか。富岡とゆき子が泊まったのは「金太夫」で、伊香保を代表する名旅館の一つだったが今は伊東園グループになってしまったのも時勢というものか。伊香保で富岡とゆき子が入浴するシーンは映画で見た方が昔の温泉ぽくて良い。小説で読んでも名場面である。結局、おせいと会ったこともあり、富岡は死ぬ気を無くしてしまった。年末年始だから誰も客がいないとされるのも敗戦直後らしい。
(映画の伊香保)(現在のホテル金太夫)
さて、こうやって書いてると終わらないが、東京へ戻ったゆき子には苦難が続く。やむを得ず伊庭を頼ると、今は新興宗教の事務担当ナンバー2として羽振りがよくなっていた。そこでは「ゆき子さま」などと呼ばれて豪華な暮らしが出来たのである。話が後半に入ると、単に「不倫」に止まらず「殺人」や「横領」まで出て来るが、さすがに富岡もこれではいかんと考えて昔の友人に頼んで屋久島の営林所に就職することにする。ゆき子も付いていって、鹿児島で病に伏す。そんなどうしようもない二人の戦後を描くが、要するに二人とも「戦時中の輝き」が失われたのである。戦争中に一番輝いていた結びつきだったのだ。
フィリピンや南洋諸島、あるいは「満州」などに派遣されていたら、彼らには悲惨な悲劇が待っていた。しかし、「仏印」は米英軍との主戦場にならなかった。空襲は少しあったようだが、本格的な地上戦を経験せずに済んだ。しかも、フランス人が開発したリゾート地に「支配者」として住めたので、ゆき子の生涯で一番楽しかったのである。引き揚げや空襲で大変な苦労をした人が周りに一杯いたから大きな声では言えないけれど、二人にとって戦争中こそ最高に輝いていたのである。戦争の苦労、敗戦の解放を語る言説は一杯あるけれど、庶民のホンネにはそういう思いもあったのだ。
どうしようもない二人で、読んでいて(映画を見ていて)どうにもやるせないんだけど、僕らはこの二人を見放せない。それは林芙美子の力量だろうが、もっと基本的には「これが日本人」だからだろう。この煮え切らず、くっついたり離れたりを繰り返す男女の姿に自分を見るのである。もっとスパッと割り切って前向きに生きていくべきだと他人なら言えるが、紛れもなくここに「自分」も表現されているからむげに否定出来ないのである。僕はこのグズグズした二人の映画に昔から惹かれていて、4回か5回は見てると思う。今後も見たいと思う。そこに「日本人の真実」があるからだ。原作も素晴らしい出来映えで、最初の方こそ登場人物の視点変換にしっくりこないが、すぐ慣れてしまった。「現代小説」じゃなく「近代小説」だから、それで良いのである。
『浮雲』は現在も新潮文庫に大活字本で生き残っている。その気になればすぐ読めるわけだが、注がないから困る人がいるかも。この小説をあえて簡単に書くと、「仏印」で出会って「屋久島」で死ぬ女、幸田ゆき子の「不倫」の生涯をたどる物語である。ところで当時は誰もが知っていた「仏印」が今では判らず、今では誰もが知る「世界遺産の島屋久島」が作中ではそんな島があるのと言われている。原作当時は奄美諸島が米軍に占領されていて(1953年に返還)、映画は屋久島を「国境の島」と呼んでいる。
(映画『浮雲』)
映画『浮雲』(1955)は成瀬巳喜男監督の最高傑作というだけでなく、日本映画史上ベストワン級の映画である。少なくとも僕は、小津安二郎『東京物語』や黒澤明『生きる』よりも、この『浮雲』の方がずっと好きだ。『東京物語』や『生きる』に出て来る登場人物はどこにでもいそうな庶民ばかりだが、それでも人間はかくも気高いのかと思わせる瞬間がある。一方この『浮雲』は「どうしようもない人物」「どうしようもない人生」の物語なのだが、そこにこそ惹かれてしまうのは何故だろう。幸田ゆき子が出会った農林省技官富岡謙吾は、幸田ゆき子に輪を掛けたどうしようもない人物で、ほとんど「悪人」と言ってもよい。それでもこの富岡を「悪人」として排斥してしまえば、『浮雲』という小説・映画、そして世界そのものも理解出来なくなる。
(二人は再会するが)
富岡とゆき子は1943年に「仏印」(ふついん=フランス領インドシナ、現在のベトナム、カンボジア、ラオス)で出会った。具体的には南ベトナム中部の高原リゾート都市ダラットである。農林省でタイピストをしていたゆき子は、妻子ある「義弟」伊庭(いば、姉の夫の弟)に陵辱され処女を失った。日本を逃れたくて徴用に応じて仏印に来たのである。そこにある研究所に派遣されていたのが富岡で、彼には日本に妻があったがゆき子と結ばれてしまう。富岡は現地女性ニウとも情を交わし妊娠させていた。研究所にはゆき子に惹かれていた独身の若い加野がいたにもかかわらず、ゆき子は富岡に惹かれていくのである。
(ダラット)(地図)
そんなバカなと言ってしまえる人はこの物語が理解出来ない。原作も映画もその道行は十分理解可能である。よく知られているように、映画ではゆき子を高峰秀子、富岡を森雅之が演じたが、二人とも生涯のベストだろう。特に有島武郎の子である新劇俳優森雅之は日本映画史上最高の「色悪」を演じている。これが成瀬監督もよく使った二枚目の上原謙(加山雄三の父)だったら、戦争で崩れ去ったインテリの虚無が出なかっただろう。映画を見ている人は、読んでいて映画の主役二人の顔がチラつくのを避けられない。でも、それでも大丈夫。映画は当時としては大作の124分だが、水木洋子の脚本が素晴らしい。基本的に原作通りなのだが、実に本質をとらえた脚本になっている。映画を見ていても原作鑑賞に何の支障もない。
戦争に負け、何とか日本に復員したゆき子は富岡に電報で帰国を知らせたが、一向に反応がない。仏印では日本で待っているという話で、二人で暮らせると思って帰ったのである。実家に寄る気もなく、やむなく東京の伊庭の家に行くと伊庭も疎開中。勝手に居付いて富岡の家まで押し掛ける。その後いろいろあるが、単に妻がいるということだけでなく富岡はすっかり変わっていた。ゆき子も米兵と付き合ったり、いろいろあるのだが富岡を忘れられない。誘われて伊香保温泉まで付いていくが、富岡は死ぬつもりだった。しかし、宿泊代にするため時計を売ろうとして、飲み屋で「おせい」(岡田茉莉子)とその夫と知り合う。
(おせい=岡田茉莉子)
富岡は今度はそのおせいと親しくなってしまうのだから、さすがの早業である。もともと妻の邦子も友人の妻だったのを「略奪結婚」したのである。しかし、敗戦後の富岡はもはや妻には何の魅力も感じない。単に「女にだらしない」というより、信じるものなき「虚無」が現在の境遇を脱出したい女を引きつけてしまうのか。富岡とゆき子が泊まったのは「金太夫」で、伊香保を代表する名旅館の一つだったが今は伊東園グループになってしまったのも時勢というものか。伊香保で富岡とゆき子が入浴するシーンは映画で見た方が昔の温泉ぽくて良い。小説で読んでも名場面である。結局、おせいと会ったこともあり、富岡は死ぬ気を無くしてしまった。年末年始だから誰も客がいないとされるのも敗戦直後らしい。
(映画の伊香保)(現在のホテル金太夫)
さて、こうやって書いてると終わらないが、東京へ戻ったゆき子には苦難が続く。やむを得ず伊庭を頼ると、今は新興宗教の事務担当ナンバー2として羽振りがよくなっていた。そこでは「ゆき子さま」などと呼ばれて豪華な暮らしが出来たのである。話が後半に入ると、単に「不倫」に止まらず「殺人」や「横領」まで出て来るが、さすがに富岡もこれではいかんと考えて昔の友人に頼んで屋久島の営林所に就職することにする。ゆき子も付いていって、鹿児島で病に伏す。そんなどうしようもない二人の戦後を描くが、要するに二人とも「戦時中の輝き」が失われたのである。戦争中に一番輝いていた結びつきだったのだ。
フィリピンや南洋諸島、あるいは「満州」などに派遣されていたら、彼らには悲惨な悲劇が待っていた。しかし、「仏印」は米英軍との主戦場にならなかった。空襲は少しあったようだが、本格的な地上戦を経験せずに済んだ。しかも、フランス人が開発したリゾート地に「支配者」として住めたので、ゆき子の生涯で一番楽しかったのである。引き揚げや空襲で大変な苦労をした人が周りに一杯いたから大きな声では言えないけれど、二人にとって戦争中こそ最高に輝いていたのである。戦争の苦労、敗戦の解放を語る言説は一杯あるけれど、庶民のホンネにはそういう思いもあったのだ。
どうしようもない二人で、読んでいて(映画を見ていて)どうにもやるせないんだけど、僕らはこの二人を見放せない。それは林芙美子の力量だろうが、もっと基本的には「これが日本人」だからだろう。この煮え切らず、くっついたり離れたりを繰り返す男女の姿に自分を見るのである。もっとスパッと割り切って前向きに生きていくべきだと他人なら言えるが、紛れもなくここに「自分」も表現されているからむげに否定出来ないのである。僕はこのグズグズした二人の映画に昔から惹かれていて、4回か5回は見てると思う。今後も見たいと思う。そこに「日本人の真実」があるからだ。原作も素晴らしい出来映えで、最初の方こそ登場人物の視点変換にしっくりこないが、すぐ慣れてしまった。「現代小説」じゃなく「近代小説」だから、それで良いのである。
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