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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『国宝』、原作(吉田修一)と映画(李相日監督)、どっちが面白い?

2025年06月12日 21時58分49秒 | 映画 (新作日本映画)

 映画『国宝』をさっそく見て来た。174分もある巨編だから、行ける時に行っておかないと機会を失うかもしれない。間違いなく今年を代表する一本だろうから、見過ごすわけにはいかない。吉田修一の長大な原作を李相日監督が見事に映像化していて、まあ評判だけのことはある。主人公立花喜久雄花井東一郎)役の吉沢亮が素晴らしく、特にラストの『鷺娘』(さぎむすめ)は見ごたえがある。対するに俊介花井半弥)の横浜流星の受けも見事で、二人のシーンは見ていて満足感がある。助演陣も素晴らしく、特に小野川万菊田中泯がやはり凄くて、師匠の妻役の寺島しのぶもさすが歌舞伎界出身ならではの存在感を発揮している。

 ということで確かにこの映画は満足出来る出来栄えだったと思うけれど、不満がないわけじゃない。それは原作にも言えることだが、「歌舞伎界」を描きながらその紹介を越えて「人間ドラマ」をどこまで深化させて描くかという問題。字で書かれた小説では想像するだけだった「歌舞伎の演技」を実写化することで、見た目の素晴らしさは確保出来る。原作と映画では演目に少し違いがあるが、それまあ映画化の宿命なので仕方ない。それにしても実際の歌舞伎シーンは美しく見映えがして、やはり映像はいいなと思う。しかし、『国宝』はシネマ歌舞伎じゃないんだから、歌舞伎シーンだけ素晴らしくてもダメである。

 吉田修一の小説は大体出身地の長崎が出てくるが、原作も映画も長崎に始まる。それが「任侠一家」の話なので、原作を読んだときはビックリした。歌舞伎の話かと思ってたらヤクザ小説だったのか? 原作ではもっと詳しく描かれて、そこに「謎」もある。父を殺された喜久雄少年は復讐を試みて失敗し(その中身は小説の方が面白い)、大阪歌舞伎の花井半二郎渡辺謙)のもとに預けられる。実は新年会の余興で、喜久雄は歌舞伎(『関の扉』)を踊っていて、その場に半二郎も呼ばれていた。1964年のことで、芸能界とヤクザ組織がまだズブズブだった時代の話。跡継ぎである喜久雄は若気の至りで早くも背中に入れ墨を入れていた。

(喜久雄と俊介『二人藤娘』)

 花井半二郎には息子俊介がいて、すでに花井半弥として舞台に立っていた。この時点では二人は子役がやっていて、喜久雄は黒川想矢(『怪物』)、俊介は越川敬達(『ぼくのお日さま』)。この二人も頑張っていて、ずいぶん長く出ている。いつ交代するのかと思う頃に、もう喜久雄も舞台に立っていて、時間がパッパッと進むのも映画の良いところ。最初は役にも恵まれないが、花井半二郎が事故にあって足に大ケガを負う。代役が必要になり、当然実子の半弥だろうと皆が思い込んでいたところ、半二郎は東一郎を代役に指名する。それが『曽根崎心中』のお初の役だった。この大逆転が以後の一大ドラマの起点となるのである。

 そこまでが前半で、時間的にもほぼ半分。ここまでは映画の方が面白いかもしれない。というのも原作は独特の語り口調で進んでいて、面白いけれどスピード感に欠ける。登場人物も多数いて、なかなか物語が進まないのである。それが映画では人物もエピソードもかなり整理されていて、主人公二人の葛藤に絞られ判りやすい。ところが原作のユルユルしたエピソード群は、後半で一挙に生きてきて面白くなる。一方映画では登場人物も絞ってしまったので、原作を先に読んでいるとちょっと残念なのである。

 後半に関しては、筋書きをあまり書いてしまっては面白みを削ぐだろう。ただし、俊介も喜久雄(その時点では半二郎を継いでいる)も「流謫」の日々がある。原作では舟橋聖一が歌舞伎化した『源氏物語』を二人が演じるシーンがあるが、その光源氏の須磨明石の章のように、歌舞伎界を離れた時期があるのだ。原作では俊介の「復活」はもっと劇的なエピソードがある。そして歌舞伎会社の竹野三浦貴大)の策謀により、喜久雄の出自(背中の入れ墨)や芸者に「隠し子」がいることなどが暴露される。その後、東京歌舞伎の吾妻千五郎中村鴈治郎)の娘彰子森七菜)と親の許さぬ結婚をして歌舞伎に出られなくなってしまう。

 原作ではその後「新派」に移ったり、彰子の活躍でパリで大評判になるなど面白いエピソードが満載なのである。そういうのをカットするのはやむを得ないだろうが、原作を知っていると残念。特に森七菜が全く出て来なくなるのもどうか。ラストに突然娘が現れるが、原作ではもっと面白い活躍をしているので、是非原作も読んで欲しい。そういうたくさんのエピソードがラストに向かって伏線を回収されていく。後半は物語的な意味では原作の方が面白いのではないか。映画は駆け足で筋をなぞる感じ。

 

 映画では喜久雄と俊介の演技をめぐる葛藤に絞られている。そこに関係ない話はほぼ出て来ない。これは奥寺佐渡子(『お引越し』や『学校の怪談』シリーズで知られる)の脚本の妙だろう。そこではっきりするのは「血筋か才能か」という問題である。それはほとんどの首相が「世襲」である国で、重大な問いなのである。また在日コリアンとして「日本の伝統」歌舞伎界を映画にしている監督自身にとっても切実な問いなんじゃないだろうか。結果的に『国宝』という題名になるわけだが、喜久雄は演技のために「悪魔」と取引する。すべてを歌舞伎に捧げて、自身も周囲の人物も決して幸福に出来なかったのかとも思う。

 李相日監督が吉田作品を映画化するのは『悪人』『怒り』に続く3回目。李監督は『フラガール』『悪人』で2度のベストワンを送り出した。原作は読みやすく面白いので、是非読んでみて欲しいと思う。ページ数は文庫で上下合わせて800頁を越えるが、そんなに長さは感じない。流れるように進む大エンタメだと思う。ただし、僕は小説も映画も『悪人』がベストだと思っている。


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