尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

安倍首相夫妻に見る「夫は妻を代表できるか」問題

2018年03月20日 21時20分13秒 |  〃  (安倍政権論)
 森友学園をめぐる国有地払下げや文書書き換えの問題は、いまだよく判らない点が多すぎる。そういう問題も大事だけど、この問題をめぐる安倍首相、あるいは安倍昭恵夫人の「ふるまい方」に大きな問題を感じ取ることがたくさんある。安倍首相の国会答弁にこういうものがあった。「削除された文書を見ても、忖度したとは書かれていない」。うーん、困ったな。これって何なんだ?

 単に言葉を知らないだけなのかもしれないけど…。公務員が文書に「首相夫人に忖度した」と書くわけがない。もし公文書に書いてあったら、それはもう「忖度」じゃないでしょ。自分は知らない、命じていないと何度も言ってるけど、首相が知らないところで、首相夫人の名前を公文書から消してしまう。そういう「部下」を持っていることに、何の恐れも感じないのかも。自分は知らないんだから、何の問題もないじゃんと心の奥底から本気で思ってるのかも。 

 ところで、皆が知るように首相夫人安倍昭恵氏は、森友学園問題が発覚してからこの問題で何の発言もしていない。外国訪問に同行したりはしているので、公的活動をすべて止めたわけではない。今回も「妻に確認したところ、そのような発言はしていないということだ」などと国会で答弁している。森友学園の籠池夫妻はすでに逮捕・起訴され、近畿財務局も背任で告発されている。刑事事件になっている問題で、「伝聞証拠」を出してくるとは国会をないがしろにするものだ。

 そもそも「妻の行動を夫がどこまで代弁できるのだろうか」と思う。私的領域の出来事は構わないだろう。芸能人の結婚記者会見で、なれそめはなんて質問に、夫だけが代表して答えたってとやかく言うわけにもいかない。でも、「公的領域」の場合は代表できないはずだ。日本の民法では、夫婦の共有財産などは認めていない。夫の物は夫の物、妻の物は妻の物。(限度額以上の)贈与すれば贈与税がかかる。今回の「名誉校長」は無給の名誉職なんだろうが、妻の公的活動なんだから、夫はすべてを代表できない

 もっとも籠池氏がどこまで信用できる人物か、きわめて怪しいと思う。首相夫人がこう言った、ああ言ったと勝手にふくらませて大きなことを言ってる感じもする。全部じゃないかもしれないが、そういうホラ話をあったんじゃないか。だが、その場合でも「名誉校長になった」という公的責任があるのだから、公的な場でちゃんと語る必要がある。だまされていたと主張するなら、自分でちゃんと言わないといけない。一度も記者会見さえしないんだから、国会に証人として呼ぶ必要がある。

 しかし、僕が言いたいのはそういうことじゃない。この安倍首相のふるまいを見ていると、「女性活躍社会」というのが、やっぱりウソだと判るのである。妻を公的な役目を持った人間として認めていない。自分の足を引っ張る存在としかとらえていない。それがホンネなんだろう。間違いなく「名誉校長」だったんだから、「妻にも自分の言葉で説明するように言っておきます」というのが、「対等な関係の夫婦」というもんじゃないだろうか。

 森友問題以上に、そっちの方が重大かもしれないと思う。安倍首相は、妻がやってた名誉職はほとんど辞めることにしたと語っている。全部と言わないけど、今後もやるのは何だろう。今回の問題を見ると、安倍首相夫人に「公的な名誉職」を務める意味が判っているのか心配だ。僕が思うに、首相夫人が様々な名誉職的な仕事をするのは、一向にかまわないと思う。しかし、「森友学園の小学校名誉校長」は実は名誉職ではない。福祉とか芸術などの応援活動ではない。それは「イデオロギー活動」だった。だから、もともと首相夫人がやるべきものではなかった。それが判っていて、だから出てこないのだろうが、この夫婦は判らないことばかりである。
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「専守防衛」を踏み越える安倍政権

2018年02月16日 22時34分24秒 |  〃  (安倍政権論)
 トランプ政権が危険な核戦略を選択するのと同時に、安倍政権の「防衛戦略」にも大きく変わる動きがある。日本政府が長い間主張していた「専守防衛」が変わりつつあるのである。今のところ安倍首相も「専守防衛を堅持する」と言っている。だが、注意しておかないといけないのは、今や国会で堂々と「専守防衛は不利」と言い放つまでになってきたのである。

 ちょっと簡単に問題の経緯を説明しておくと、戦後の日本は憲法9条により「戦力」は持てない。だが、憲法解釈により、最小限度の自衛権は持てるとされ、他国攻撃の能力を持たない「専守防衛」に留まる限り憲法には違反しないというのが日本政府の長年の憲法解釈だった。それが安倍政権による解釈変更により、部分的に集団的自衛権が解禁された(2015年の安保法制。)しかし、その場合においても、他国攻撃はできない制約がある。

 そもそも「自衛隊」が合憲という解釈は成り立つか、また現実の自衛隊装備が「専守防衛」の範囲内なのかという問題はある。しかし、それはともかく今まで日本は「専守防衛の範囲内で自衛隊を持つ」というタテマエになっていた。そして今後もそうである。そうなんだけど、安倍首相は2月14日の衆議院予算委員会で「防衛戦略として考えれば大変厳しい。相手の第一撃を甘受し、国土が戦場になりかねないものだ。先に攻撃した方が圧倒的に有利だ」と述べた。これは自民党の江渡聡徳元防衛相の質問への答弁である。(15日東京新聞朝刊)

 これは一体何だろう。自民党議員、それも元防衛相への答弁だから、当然うっかり答えたというもんじゃないだろう。「同志」に向けたホンネでもあり、ある意味「観測気球」なのかもしれない。「安全保障環境の悪化」ということを安倍首相は言い続けてきた。「北朝鮮」ばかりでなく、「中国の海洋進出」も大きい。国民の中にも「日本が先制攻撃する能力を持たないと心配だ」などと言う人が出てきた。今回の答弁も長射程の巡航ミサイル導入に関する質問に答えたものである。今のところ、巡航ミサイルも「専守防衛」の範囲内ということになっているが、ホンネは違うのである。

 これは非常に危険な考えである。歴史に学ぶことのない安倍政権らしいと言えば、そういうことかもしれない。かつての日本軍は、そのような発想を持って「先に攻撃」を繰り返した。その結果どうなったのか。国民と国土を滅亡の淵に追い込んだではないか。日本がそう思えば、相手国も同じように思う。お互いに疑心暗鬼を募らせる。そして実際に戦争になってしまう。それで取り返しがつかない。だからこそ、「歴史の反省」に立って「専守防衛」という方針が出てきたわけだ。

 「先に攻撃」するということは、自国民を守る意識はあっても、他国の国民国土は犠牲にして構わないということである。まあ、相手国の国民は自分たちに投票してくれることはない。自国民の人気だけを気にしているのかもしれない。そもそも「相手の攻撃を甘受し」などという発想自体が間違っている。突然攻撃を仕掛ける国など存在しない。事前に摩擦があり、「攻撃準備段階」がある。だからこそ、「外交」の出番がある。国際連合という組織もある。戦争の危機にあっても何もしないつもりなのか。相手国が攻撃してくるまで「甘受」して待つのか。相手国に乗り込んで戦争を阻止する努力をするのがリーダーの努めだろう。

 いま安倍首相は「自衛隊を憲法に明記する」という憲法改正を進めようとしている。その改憲が成立しても、自衛隊のあり方は何も変わらないのだという。一方、改憲案が国民投票で否決されても何も変わらないのだという。改憲案が可決されても否決されても、何も変わらないというふざけた説明をしている。それは「憲法改正は必要ない」と自ら言っているのと同じではないか。

 実際は多分こういうことなんだと思う。憲法改正が成立すれば、それは憲法の文言解釈を別にして、「現行の法体系にある自衛隊」(つまり集団的自衛権の一部解禁)が信任されたと首相として解釈する。以後、内閣が自衛隊に関する憲法解釈を再び変更しても、それも自動的に合憲になる。9条の解釈権を首相のフリーハンドとする。これが自衛隊に関する答弁のホンネだろう。自衛隊を憲法に明記する。その後に「専守防衛」の名で、巡航ミサイルなど装備を強化する。(2017年末には空母を保有するという意向も報道された。)そして、アメリカが容認する範囲で軍備を増強しながら、やがて「先制攻撃を可能にする自衛隊」に変えていく。そういう方向を予測させる安倍政権下の軍備増強である。
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上値重い内閣支持率-安倍改造内閣をどう見るか②

2017年08月07日 22時53分01秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍改造内閣の支持率調査が出てきた。聞いた日や聞き方に若干違いがあるが、まあ大体の傾向は似ている。
NHKの調査では、支持39%(前月は35%)、不支持が43%(前月は48%)だった。
読売新聞の調査では、支持が42%(前月は36%)、不支持が48%(前月は52%)だった。
朝日新聞の調査では、支持が35%(前月は33%)、不支持が45%(前月は47%)だった。

 読売新聞調査の支持率が一番高いけど、これは別に読売新聞の論調を「忖度」して国民が答えているわけではない。読売は、答えない人に「重ね聞き」をして、「あえて言えば」と問いかける。だから、支持も不支持も一番高くなる傾向がある。内閣改造には、やっただけで数%の支持率回復効果があるとされる。大きく報道されるし、首相の記者会見などで今後の展望が語られる。それに対して「野党各党の反応」も必ず出るけれど、どうしても印象が薄いのは当然だろう。

 今回はそういう意味では、「予想された範囲」の数字だと言えるのではないか。これを「下げ止まった」または「反転攻勢が始まった」と捉えるか、「支持・不支持が拮抗している」と捉えるか、それとも「不支持がかなり上回っている」または「改造の支持率回復効果は弱かった」と捉えるか。現段階では決め手となる解はない。今後の推移を見ていくしかない。

 ただ、今回は野田、河野の入閣など「ある程度のサプライズ」があった。だから、本来首相サイドからすれば、最低でも支持・不支持が並ぶぐらいの数字を期待していたのではないだろうか。だが、今もなお、不支持が多い。「他の人より良さそう」が今も支持理由のトップで、それなのに「首相の人柄が信用できない」が不支持の理由となるわけだから、なかなか支持が回復しない。

 今後の支持率の推移を予測してみると、やはり「上値が重い」展開が続くのではないかと僕は思う。理由はいくつか考えられる。首相は加計学園問題で「加計学園の申請を知ったのは、今年の1月20日」とそれまでの答弁を修正した。これは到底信じられないと思うし、世論調査でも納得できないという答えが圧倒的である。もしそれが本当だったら、確かに首相には問題がないことになる。だが「国家戦略特区」という、本来首相がトップで推進する取り組みがいい加減だったことにもなる。

 もう一つ、首相が「共謀罪」などで今まで強行して決めることが多かった。もういい加減国民も目が覚めたのかもしれないが、それよりも「憲法改正」でなお「強行」が進みつつある。いや、憲法改正は「スケジュールありきではない」と語り「ていねいな議論」を約束してはいる。だけど、「安倍一強」が続いていたとしても「スケジュール優先で進める」などと言うわけがない。改憲自体をやめるとは言わないんだから、今後も重要局面になれば「強行」するに決まってる。唐突な改憲論議も不支持増大の理由だろうから、「改憲先送り」を表明しない限り支持率は元に戻らないのではないか。

 そして最大の問題がある。それは2018年9月の「自民党総裁選」である。自民党はルールを変更し、任期3年の総裁を3回連続してできることとして、現職総裁から適用するとした。ルールを変えるのは、政党は私的結社だから構わないけど、普通は「次期総裁から適用」だろう。現職から3選可能では、どこかの独裁国家みたいな感じじゃないか。自分が総裁の時にルールを変えて自分に適用するというのは、民主的な感覚からは違和感が強い。

 実際問題、2012年12月に政権復帰して以来、最長で2021年9月まで首相を務めるというのは、あまりにも長いのではないか。自民党を支持し、アベノミクスに期待を持ち、憲法改正に賛成の立場の人にとっても、かなり問題なんじゃないだろうか。この「総裁3選問題」が実は一番大きいのではないかと思う。良い評価をする人にとっても相当長い。何しろ中曽根、小泉両政権は5年しかなかったのである。戦後の長期政権と言えば、吉田茂佐藤栄作だけど、どっちも最後の頃は国民も飽きてしまって「もういい加減辞めてくれ」という感じだった。

 中曽根、小泉両氏が辞任後も一定の政治的存在感を保ち続けているのも、政治的余力を残して退陣したからだろう。早く辞めれば後継者にも影響力を持てる。それに対して超長期政権になれば、もう後継に対して影響力を持てないことが多い。それは安倍氏も判っているだろうと思う。だが、2018年で辞めてはできないことが「総裁3選」で経験できる

 一つは現天皇の退位と新天皇の即位。それに伴う大嘗祭等の皇室諸行事。もう一つは東京五輪時に首相として世界各国の首脳を迎えること。そして三つ目として、もしかしたら実現できるかもしれない「憲法改正」をわが手で公布すること。これらを自分で手掛けるという誘惑に、保守政治家・安倍晋三が抵抗できるとは思えない。総裁選規定を変えたのは、二階幹事長の「功績」である。せっかく変えた決まりを首相が生かさないとなれば、二階氏も面白くないだろう。

 だから、今のところ、「安倍首相(総裁)は自民党総裁選に出馬する」と見ている。だが、これが世論には受けが悪い。反対の方がずっと多い。そりゃあそうだろう。どんな人だって、最初に1年、その後に5年半もやれば十分だし、それで成果がないというなら、もう辞めた方がいいというのが普通の感覚だ。もともと安倍反対派からすれば、もう十二分に長すぎて早く辞めて欲しいだけであり、それが2021年まで続くなんてなったら、外国へ移民しようかという感じである。

 改憲だって何も安倍内閣じゃなくてもいいんだし、長すぎる安倍政権で強引に進めればかえって選挙に負けかねない。そういう声も今後強くなると思う。そうなると、保守支持層の中でも、安倍氏は2018年で勇退し後進に道を譲るのが「保守政治家」らしいという声も多くなるだろう。そういう意味で、安倍総裁3選をめぐって、今後「支持率の上値が重い」状況が続いていくのではないかと思う。
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安倍改造内閣をどう見るか①-岸田外相の処遇問題

2017年08月05日 22時43分14秒 |  〃  (安倍政権論)
 8月3日に内閣改造が行われた。最近いちいち政局の動きを書く余裕がなかったけれど、そろそろ今後の政治のゆくえを考えてみたいと思う。都議選で自民が惨敗し、森友・加計問題や自衛隊PKO日報問題などで内閣支持率が下がり不支持の方が多くなった。そういう中での改造で、僕が今まで何回も書いてきた「お友達内閣」がある程度封印して、野田聖子を総務相に、河野太郎を外相に登用するなどの人事を行った。今回の内閣改造をどのように見るべきか?

 今回の改造の最大の焦点は、「岸田外相の処遇」だった。それを理解していないといけない。岸田文雄外相は、第2次安倍内閣発足以来、第3次内閣を通じて、約4年半にわたって外務大臣を務めてきた。外相は重要ポストだから、これは「有力政治家」の証明ではある。でも長すぎた。岸田氏は宏池会の会長で、その由来は後で説明するけれど、名門派閥の長だから「総裁を目指す」立場にある。

 でも外相である限り、一年のうちの数か月を海外出張せざるを得ない。しかも最近は世界的に「首脳外交」の方が重要で、日本でもアメリカやロシアにひんぱんに出かける安倍外交に隠れてしまう。昔なら超重要ポストだった外相だけど、世界的にリーダーの部下的なイメージが強くなった。

 昔から自民党内では、「政務」と「党務」の双方に精通することがリーダーのあり方とされてきた。首相を目指すんだったら、財務、外務、経済産業、官房長官などの経験が求められるが、それだけでは自民党は動かない。自民党内の人脈、金脈、地方組織、選挙情勢等に通じるためにも、幹事長などの「党3役」(幹事長、政調会長、総務会長。現在は選対委員長を加えて4役ともいう)を務めることが望ましいわけである。だから、岸田氏も今回は外相ではなく、党3役を希望していた。

 はっきり言って、今回も外相に留まるようなら、単なる「安倍首相のイエスマン」イメージが強くなり、総裁候補から脱落しかねない段階にあったのである。ところが、都議選後に安倍・岸田会談が行われ、一部報道では「外相留任を受け入れた」という。朝日新聞などは、2日の朝刊になっても、一面トップの記事で「首相が『骨格』と考える麻生太郎副首相兼財務相、菅義偉官房長官、岸田文雄外相の留任が固まっている」と報じている。じゃあ、僕は岸田留任と見ていたのかというと実は違う。

 同日の東京新聞では、「首相は政権の骨格を維持する考えで、麻生太郎副首相兼財務相や菅義偉官房長官を留任させる考え」と書いていて、岸田外相留任とは伝えていないのである。全紙を読み比べているわけではないけれど、岸田氏はなお外相留任を受け入れていないのだろうと僕は思っていた。ところで、改造前日になっても、「外相留任」と伝える朝日の情報源と情勢判断はどうなっているのだろうか。加計問題を先頭に立って追及した朝日には「フェイクニュース」が伝わったのか。

 稲田防衛相が改造に先立ち辞任し、後任の防衛相を一時岸田外相が兼任していた。稲田氏の責任問題や外務・防衛兼務の問題などはさておき、僕はこのニュースを聞いたとき、岸田氏は今回外相を下りるんじゃないかと思った。だから「一週間ほど頼みます」「一週間だけなら頑張ります」と口には出さないだろうけど、そういう暗黙の合意に基づく兼務じゃないかと思ったわけである。(稲田後任は首相本人の兼務か、小野寺、中谷氏などを改造に先がけて任命すると考えていた。)

 さて、今回の改造では、岸田外相は政調会長に転じ、かねて希望の党3役になった。一方、今まで岸田派は必ずしも優遇されてはいなかった。いっぱい入閣した時もあるけど、岸田氏しかいなかったときもある。直前では、山本幸三地方創生相が岸田派の入閣者。岸田氏がずっと入閣しているから、他の部下に回らなかったのである。ところが、今回は上川陽子法相林芳正文科相小野寺五典防衛相の3人が再任、参院から松山政司一億総活躍担当相と党3役を含めて、岸田派が5人もいる。

 安倍首相もなかなかやるもんだ。岸田派冷遇の訴えを逆手に取って、「優遇しすぎ」である。宏池会(こうちかい)はもともと「政策通」が多いことになっている。国民の批判を受け丁寧な政治運営を心がける「仕事人内閣」を作ったので、「たまたま岸田派が多くなった」とタテマエ上はそう言うんだろうけど、もちろん実際は違うだろう。「岸田派丸抱え」方針ということだと思う。

 「宏池会」はもともと池田勇人首相の派閥で、その後に大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一と合計4人の首相を出している。だが宮沢後継をめぐって、加藤紘一と河野洋平に分裂し、さらに加藤紘一が2000年の森内閣時代に「加藤の乱」を起こして再分裂した。加藤紘一に従わなかったグループは古賀誠派を作り、岸田はそちらに所属した。その後一時再合同したが、2012年に再び分裂し岸田が宏池会会長となった。岸田は広島出身で、池田、宮澤両氏と同じである。

 伝統的に宏池会は自民党内では「ハト派的」とされ、旧福田赳夫系の「清和会」が「タカ派的」な体質と対照的だった。福田派系から森、小泉が出て、安倍晋三も出てくるから、安倍と岸田は歴史的には対立するところがある。実際、安倍首相が突然言い出した「9条改憲」に対しても岸田氏は慎重な構えを表明してきた。だから、安倍首相にとって、岸田氏は「潜在的な反対派」なのである。

 一方、明確な反主流は石破茂氏である。自民党が「反省」して党一丸になるというならば、もともと2012年の総裁選の第一回投票で安倍氏より得票が多かった石破氏に重要な役職を提供しないといけないはずだ。まあ断られるだろうけど、どうも打診もしてないようだ。石破は取り込めないと見切っているんだろう。一方、岸田氏が政調会長になったということは、2018年総裁選で「9条改憲不要」を旗印に安倍反対派を岸田が糾合する事態を防げたということだと思う。

 ここまで岸田派優遇となれば、逆に岸田が安倍に対抗して総裁選に出ることは難しくなると思われる。政調会長は調整ポストで、自分の意見を押し付ける役どころではない。野田聖子も来年の総裁選に出ると言ってるけど、野田は部下も少ないし、すぐに総裁選に当選する見込みはない。「女性活躍」の旗印のもと、将来の総裁候補に認知されるための立候補である。

 一方、安倍内閣の支持率が今後も大きく改善されず、安倍首相が総裁三選を目指さないという事態になった時はどうなるのか。一時は稲田朋美を後継に育てるなどと夢想していたのかもしれないけど、もう安倍と同じグループからの後継は難しい。突然の事態なら副首相の麻生がリリーフかもしれないが、本格的総裁選だと年齢的にも難しい。その際、安倍首相が岸田氏を後継に推し、自分は裏で影響力を保ち、表で改憲を実現するのは「ハト派」的なイメージの岸田にやらせるという「高等戦略」が可能になってくる。そこまで考えての岸田氏の処遇をめぐる問題があるんだと思う。
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安倍「お友達内閣」をどう考えるべきか

2017年07月01日 00時01分29秒 |  〃  (安倍政権論)
 2012年12月に復権していて以来、第2次、第3次と長期政権を続ける安倍晋三内閣。今までも何回も触れているけれど、その「お友達内閣」性をどう評価するべきなのか。安倍氏は1954年9月21日生まれなので、2006年9月26日に小泉内閣の後を受けて内閣総理大臣に指名されたときは、まだ52歳になったばかりだった。これは日本の政界においては「若い」と言われる年代だけど、安倍氏は小泉後継に名を挙げた。父の安倍晋太郎は、首相を目前にして病気に倒れたので、待っていては自分も病気で総理を逃しかねないと思ったと言われている。

 そのため第一次安倍内閣は、準備不足、性急さ、仲間内で固めた偏りなどが指摘され、「お友達内閣」などと揶揄されたわけである。その後、2007年の参院選に敗北し、9月になって首相を辞任。続く福田康夫内閣も1年で辞任し、麻生太郎内閣となるも、2009年に民主党政権が誕生する。そして、2012年12月の総選挙で自民・公明の連立内閣が復活する。安倍氏は2012年9月の総裁選では、最初2位だった。そういう経過もあり、当初の第2次安倍内閣は、幹事長に石破茂を配するなど、それなりに党内融和を図っているように見えたわけである。

 ところが、次第に「本性を現す」というか、自分に近い人だけを重用するという態度が露骨になってきた。小池都知事に関して書いたときに触れたように、稲田、高市氏などは何度も重要ポストに使われるのに、小池氏はポストが回ってこない。そういう人事をどう理解するべきだろうか。菅官房長官などに言わせると、「閣僚人事は総理の専管事項」の一言で済まされてしまう。何か安倍首相に深い配慮があるかのようだけど、今になると誰もそう思う人はいないだろう。要するに「ひいき」なのである。

 最近稲田防衛相が、ちょっと信じられない「失言」をした。都議選で自民党候補の応援演説で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いしたい」と言ったというのである。いま「失言」にカッコを付けたけど、それはこれが多分「失言」(不都合なこと、まちがったことなどをうっかり言ってしまうこと)ではないからである。だから本人は「誤解を与える発言」と言い張っている。でも「誤解」のしようがない発言だろう。それなのに安倍首相はかばい続けて交代させない。

 ちょっと前に今村復興相という人が、これはホントの「失言」をしたときはすぐに交代させられた。今村氏の発言は論外だけど、法には触れない。稲田氏の発言は「違法性」がある。ちなみに、教育公務員は選挙前になると「政治的中立性を疑われないように注意せよ」というお達しを毎回厳しく言われる。職員室のどっかにも貼られているんじゃないか。自民党などの右派勢力がうるさいから、教育委員会もピリピリする。防衛省、自衛隊ではそういう通達は出ないのだろうか。今回の発言が論外で違法だということは、毎回選挙ごとに言われてきた身には自明というしかない。

 でも、多分総理は稲田防衛相を変えないだろうなと事前に思った。そういう人なのである。もうよく判っている。「泣いて馬謖を斬る」ができない。自分に近い人にこそ、厳しい接し方をすることがトップに立つ人には求められる。今回、間髪を入れずに稲田防衛相を更迭していたら、逆に支持が少し回復したのではないだろうか。でも、まあ予想通り稲田氏は内閣改造までは留まることになりそうだ。

 そういう「お友達内閣」性をどう考えればいいのか。僕にも最終的な結論はないんだけど、最近よく判ってきたのは「失意の時期の安倍氏を支えた人々への恩義意識」である。小池氏がポストを得られず、稲田、高市氏らが重用される。あるいは今回の加計問題で名があがる、下村博文、萩生田光一らも同様に考えれば判る。安倍氏の総裁選立候補に、率先して支持した麻生氏を副総理で処遇し続ける。総裁選の実務を仕切った菅官房長官も同様。これが案外大きいと思う。

 マスコミも同様である。先に読売新聞で改憲への意欲を表明し、国会でも「読売新聞を熟読せよ」と暴論を吐いた。いつも内閣を支持してくれる読売新聞への恩返しかと思うが、ではもう一つの新聞はどうするのかと思ったりもした。そうしたら、6月24日に神戸で「正論」の懇談会発足の会に出席して「怪気炎」を上げた。なんでも秋の臨時国会で自民党の改憲案を出すとか。それに獣医学科大学も全国に展開するんだとか。その内容の問題性は別に書くとして、「正論」というのは、産経新聞が出している右派論壇紙だから、これでちゃんと産経にも恩義を果たしたわけである。

 もう一つ、ある意味、「本気」なのかもしれないということである。どういう意味かというと、単なる「ひいき」ではなく、自分たちの思想に近い人々を優遇することは正しいと本気で信じ込んでいるのではないかということである。アメリカでは金持ちが自分たちの住む街にゲートを作って警備員を置き、外部から隔絶された環境で暮らすというようなことがあるそうだ。日本でも「自己責任」「規制緩和」がもう20年近く言われ続けている。本気で信じ込む人々が出てくる方が自然である。

 小さい時から恵まれた私立の一貫校でしか過ごしていない人々が安倍内閣のほとんどである。自分たちが「自己責任」によってではなく、恵まれた階層性によって現在の地位についているのに、そのことが理解できない。自分の周りの友人に配慮するのは「美徳」である。「教育勅語」にも「朋友相信じ」とあるではないか。どこかからお金をもらって政治を曲げたのではない。友人にちょっと配慮してあげただけである。そこらあたりが本音ではないのか。今僕が思うのはそういうことである。
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安倍首相の「非言語的コミュニケーション」について

2017年06月02日 23時19分12秒 |  〃  (安倍政権論)
 加計学園問題について自分の思うことを簡単に書こうと思ったんだけど、関連して他に書きたいことがある。ネット接続不良で時間も遅くなってしまったのだが、大事なことだと思うので書いておきたい。安倍首相は、6月1日にニッポン放送のラジオ番組に出演して、以下のように前川前文部科学次官を非難したという。それは直接は聞いてなかったけど、ネット上で放送時の声を聞くこともできる。

 「(前川)前次官が私の意向かどうかということは確かめようと思えば確かめられるんですよね。次官であればですね、『どうなんですか』と大臣と一緒に私のところに来ればいいじゃないですか。霞が関にしろ永田町にしろ『総理の意向ではないか』という言葉はね、飛び交うんですよ。議論をして最終的に3省の大臣が認めたんですね。そこには(前川)事務次官もいるんですよ。一体じゃあなんでそこで反対しなかったのか、不思議でしょうがないですね」

 これは政権中枢から続いている前川氏に対する個人攻撃の一環だけど、非常に大事なことだと思うからあえて指摘しておきたい。学校の教師や企業の上司などで、こういうことを言う人に会ったことがある人は多いだろう。つまり、「何かあれば、自分のところに相談に来て欲しい」と口では言ってる人である。「いじめにあったら、まず先生のところに相談に来なさい。」

 しかし、そういうことを言っていても、それは必ずしも「自分はあなたと苦しみを分かち合い、解決の道をともに探るだろう」などと言っているわけじゃないだろう。むしろ、「自らの苦しみを自分から訴えなかった場合は、本人自身の責任であって自分は責任を負えないからな」と告げているという場合の方が多いのではないだろうか。

 以前に広島県で進路指導に絡んで中学生が自殺したという事件があった。その問題に関して僕は何回か記事を書いたのだけど、その最後に「非言語的コミュニケーションのリテラシー」(2016.3.17)を書いた。「非言語コミュニケーション」(non-verbal communication)は、実は言語表現以上に重要なコミュニケーション手段であって、言語表現であっても、その時の口調、表情、服装や人間関係などを聞く側は総合的に受け取っていて、「〇と言ってるけど、真意は✖だな」とか理解する。

 安倍首相の先の発言を聞いても、「確かめられるんですよね」とか「来ればいいじゃないですか」の「よね」とか「ですか」のトーンを聞けば、日本社会で「下の側」でコミュニケーション能力を身に付けてきたものなら、「来てもどうせちゃんと説明しないけどね」とか「あんたには来る勇気はないだろうけどね」というニュアンスが「真意」だろうということはすぐに判る。

 確かに事務次官と言えば官僚のトップであり、総理に対してもちゃんと発言することが仕事なのであり、そのために税金から給料をもらっているんだとは言えるだろう。でも、事の重要性や自分の生活などをはかりにかけ、「今言っても仕方ないな」と思う時は言わなくても仕方ないと思う。国民の側からは批判できても、上に立つ総理の立場から、「確かめに来ないお前の方が悪い」というのは、「パワハラ」というもんだ。言いに来れないようにさせていた自分を反省することはないのだろうか

 安倍首相は集団的自衛権をめぐって、憲法解釈を変更するために法制局長官にフランス大使を突然抜てきしたことがある。ごく最近では、一時帰国中のプサン総領事が私的な場で政権批判をしたことから更迭されたという。かつて安保法制審議に時に「我々の法律の説明は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」と歴史的珍答弁もしている。

 要するに、最高権力者である自分が決めたことは説明する必要がないという態度が露骨である。野党議員は仕事だから聞くけど、ほとんどマトモに答えない。それを思えば、官僚に対してまともに答えるはずがない。説明を求めに来いと言っても、実は今まで「説明なんかしないぞ」と言ってきた人のところに誰が聞きに行くか。そもそも「大臣と一緒に」来ればいいというけど、一緒に行ってくれる大臣はいないだろう。この政策はおかしいと言いに行く官僚を押さえられなきゃ、大臣の評価が下がる。

 この問題はとても大事だと最初に書いたけど、要するに他人を批判すればブーメランのように自分に返ってくる。そのことを教師なり、他の人間と接する仕事をする人は肝に銘じておかないといけない。いじめられたら相談に来いと言ってるのが、タテマエの自己保身なのかどうか生徒は見ているだろう。それだけでなく、すべての物事は言語で伝えているときに、同時に非言語でも伝えている。むしろそっちで伝わることが多い。

 (ついでに言えば、非言語的コミュニケーションを理解する能力を高めるために、演劇、映画、小説などに意識して接することが大事だ。またペットと接するのも意味がある。犬や猫は人語を解さない分、非言語的表現しか読み取らない。)
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「山本総務相」と「大塚五輪担当相」の靖国参拝

2016年08月16日 18時44分08秒 |  〃  (安倍政権論)
 暑い時期は毎日書くのも疲れるし、読む人も減る。オリンピックもやってるし、つい書かないでいると記事がたまってしまう。今日は夜に台風が関東に近づく(上陸も?)ということで、早々と帰ってきたからまとめて簡単に書いてしまいたい。

 8月15日を「終戦記念日」というのもどうなんだと毎年思う。書いたこともあると思うけれど、15日に天皇の「玉音放送」があって日本国内に公に知らされたことは事実なわけだけど、戦艦ミズーリ号上の降伏文書調印式は9月2日である。こっちが法的には「終戦」でしょ。もちろん、「終戦」か「敗戦」かという問題もある。それに連合国に伝えられたのは14日だし、ソ連は15日以後に千島列島攻略を進めている。だから、「8・15」にこだわる気持ちは薄れてしまっている。

 まあ、それはともかく、今年もこの日に靖国神社に参拝する閣僚と議員たちがいた。僕にとって新しく考える問題ではないから、今さら事細かく書く気も起きないんだけど、今年は稲田防衛相がどうするかが注目された。毎年参拝していたからだが、「主要閣僚」になった今年も参拝すると「外交問題」になる。と思ったらジブチの自衛隊視察に海外出張してしまった。誰が考えたのかは知らないけど、確かにこれは「妙手」ではある。本人も「過去の戦死者」を弔うよりも、「未来の戦死者(候補)」を激励しに行く方がもっと大事な任務だと自分を納得させているわけだろう。

 代わりというわけか、今年も高市早苗国務大臣(総務相)と丸川珠代国務大臣(東京五輪担当相)が靖国神社を参拝した。昨年も行ったけど、大きな外交問題にはならなかった。「主要閣僚」ではないのである。それを自分でも判っていて、閣内で「性別分業」を行っているのである。安倍首相などの「主要閣僚」だって本当は行きたいのだが、「A級戦犯」だの「政教分離」だのと騒ぎ立てる輩がいるから、あえて「大人の対応」をせざるを得ない。よって、そこで「主要閣僚じゃない私たち」の「内助の功」の出番であるというわけだ。

 だけど、国務大臣はみな「内閣」の一員ではないか。諸外国から見た場合は、首相や外相以外は大きな問題にならないのかもしれないが、日本国民からすれば「内閣」が行政権を持つわけで、「国務大臣」として記帳する行為は、憲法97条にある「国務大臣の憲法擁護義務」に違反する。大体、総務相や五輪担当相だって、当然「主要閣僚」ではないのか。放送を主管する総務相が違憲の行動を取っていいのか。

 まあ、高市氏や丸川氏にそういうことを言っても仕方ないだろうとは思う。表題を「山本総務相」と「大塚五輪相」とした。誰だっていうかもしれないが、いずれもお二人の「戸籍名」である。高市氏は2003年に落選後、福井2区選出の山本拓衆議院議員と結婚した。夫の戸籍名で届けたから、戸籍上は「山本早苗」となる。丸川氏は2007年に参議院議員に当選し、翌年に大塚拓衆議院議員(埼玉9区)と結婚した。どっちも旦那の名前が拓ですなあ。

 つまり、自分では「夫婦別姓」で政治活動をしている。それなのに、この二人は選択的夫婦別姓制度に反対している。何故だ? 戸籍さえ一緒にすればそれでよく、政治活動は「旧姓使用」するのはいいというのか。いや、今まで売り込んだ名前を継続使用したいというだけだろう。でも、社会活動に「不便」があるというのは、別姓論の大きな理由(の一つ)だろう。選択的夫婦別姓制度に反対するというのなら、結婚後は自分でも戸籍名を使用して、自ら範を示すべきではないか。(というか、山本拓さんは当選7回を続けながら、一回も入閣できていない。自分はいいから夫を入閣させてほしいというのが、伝統的な日本女性の「婦徳」というべきじゃないんですかねえ。)

 夫婦別姓問題の考え方とは別にして、「こういう人は信用できない」というのが僕の人間観だ。信念を貫くなら、選挙に不利でも戸籍名で出るべきだし、別姓で活動するなら別姓に賛成するべきだ。そういう風に思うんだけど。一事が万事、そういう人が靖国神社に参拝する。マジメには受け取れない。内閣の中で自分たちは「女が務める閣僚の性別役割」として、「(政治的な意味での)夫の名代」のようなことをする。そういう「構造」が今でも存在するという社会が嫌だなあと思うわけである。
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安倍「信賞必罰」人事と総裁任期延長問題

2016年08月09日 23時19分48秒 |  〃  (安倍政権論)
 少し時間がたったけれど、8月3日に安倍内閣の内閣改造が行われた。その内閣を「第3次安倍第2次改造内閣」と呼ぶ。(官邸ホームページにそう出てるから、一応それでいいんだと思う。)最初の第3次というのは、国会で総理大臣指名を受けた回数を指すから、次に衆院選を行うまでは何度改造をしても、第3次安倍内閣である。2回目の内閣改造だから「再改造内閣」と呼ぶこともあるが、まあ最近は「第2次改造内閣」というんだろう。

 さて、この内閣改造では、何人かは留任し、丸川環境相は五輪担当相に横すべりした。ほとんど同じような人が出ている。その中で、遠藤利明五輪担当相は留任を希望していたという。2015年6月に五輪担当相が新設されて、一年あまり務めてきた。まあ、変えてもいいような人事だとは思うけど、そうすると都知事は変わったわけだから、都知事、五輪担当相、組織委委員長の中で二人が変わることになる。ひそかに俺は留任できるかもと思っていたのかもしれない。

 翌日の産経新聞によると、これは安倍流の「信賞必罰」人事なのだという。どういうことかというと、遠藤五輪相の地元、山形では参院選で野党系の舟山康江が大差で当選した。東北では秋田を除き、5県で野党統一候補が当選したわけである。そして、東北選出でただ一人入閣した金田勝年法相は、秋田県選出である。また接戦の末、自民党が野党を振り切った愛媛県からも、山本公一環境相が入閣している。さらに神奈川県では自民、公明に続いて、自民党推薦の無所属(当選後、公認)が当選し、与党が4人のうち3人を占めた。神奈川からも、菅官房長官に続き、松本純国家公安委員長、防災相が入閣した。1人区で野党が当選した県出身の閣僚は誰もいない。

 ホントにそういう基準で選んでいるのか。誰にもわからないけど、少なくとも党内ではそういう風に受け取られたということだろう。そして、「お気に入り」しか使わない。「女性枠」は3人だけど、小渕優子、松島みどりで懲りたからか、思想傾向を同じくする稲田朋美高市早苗ばかり重用する。高市総務相はなんで留任なのか。女性閣僚の数合わせばかりではないだろう。「放送法発言」で放送局の牙を抜き、参院選の報道はかつてなく少なかった。「憲法問題」が争点になっていると知らない人がかなりいたらしいが、新聞を読まない人はテレビでやらない限り判らない。選挙報道を少なくさせた「功績」を高く評価しての留任ということではないか。

 そして、稲田朋美はなんと政調会長から防衛相に抜擢である。「重要閣僚」と言われていたが、今は経済閣僚より「安保重視」なのか。「国家安全保障会議」の中核をなす「4大臣会合」(首相、外務、防衛、官房長官)の構成メンバーに入れて経験を積ませたいということではないかと思う。どうも稲田後継を本気で考えているのかもしれない。稲田防衛相の歴史認識はもちろん、防衛問題に関する知見を野党は徹底的に追及して欲しい。いずれ「ボロを出す」と思うけど、放っておくと「本当の大物」に化けてしまいかねない。

 一方、谷垣幹事長の不慮のケガという事情があり、二階総務会長が幹事長に選任された。(谷垣氏も国会に出てこれないんだから、「公人」として病状をもう少し明らかにする必要があるんじゃないか。)さて、前々から「総裁任期延長」を唱えていた二階氏が幹事長になって、事実上「任期延長」が既成事実化しつつある。安倍総裁のもと、自民党は衆院2回、参院2回の国政選挙に勝利した。そして今もなお、高い支持率を続けている。しかし、自民党総裁の任期は2018年9月には切れる。連続3選はできないから、そこで安倍総裁は退任せざるを得ない。議院内閣制だから、与党の総裁が国会で首相に指名される(のが原則)。だけど、「3選禁止」は、私的結社自民党の党内ルールに過ぎない。自民党が党則を変えさえすれば、何の問題もない。

 安倍総裁、安倍首相のもとで、衆議院に当選してきた若手議員がたくさんいる。時々問題を起こすから、けっこうおかしな人もいるらしい。それらの議員は地盤も盤石ではなく、民主党(当時)が不調のため当選できたような人がたくさんいる。もし蓮舫が民進党代表となり、相手候補の支援に来たら…。それは心配だから、今まで選挙で当選した時の安倍首相を変えたくないだろう。そういう「党内心理」を読んで、二階発言が出てきているのだろうと思う。だけど、それは党内で次を狙う人には困った事態である。それに、2018年9月になっても、「アベノミクスは道半ば」なわけだから、いい加減支持率も下がりつつあるかもしれない。

 さて、安倍首相は何をしたいのか。東京五輪まで首相をやりたいのか。それとも、「憲法改正を成し遂げた史上初の首相」になりたいのか。かつて、中曽根首相は選挙で勝利して、その功績により「総裁任期一年延長」になったことがある。当時は任期2年、2回までだったのだが、一年アディショナルタイムが追加されて、5年間首相をやった。その結果、「余力を残して」辞めることになり、中曽根後は「竹下、安倍(晋太郎)、宮澤」が立候補した中で、中曽根に一任ということになり、中曽根は竹下を指名したという事実があった。

 2018年9月に切れる任期を1年延長しても、東京五輪には届かない。だから五輪までやる気なら、総裁任期そのものを変えるしかない。でも、それを言い出したとたん、今度は「安倍は独裁者になる」という批判が野党ばかりではなく、自民党内からも出てこないとは言えない。普通はルールを変えるときは「次の人から適用」だけど、自分が総裁としてルールを変えて、自分から適用というのは、虫が良すぎるというもんだろう。一方、憲法改正のための「改憲派3分の2」は、2019年7月の参院選で失われる。だから、改憲はこの3年で仕上げるしかない。改憲発議ということだけを目標とするなら、「総裁任期一年延長」でも構わないわけである。そして、一年延長だと「余力を残して退陣」になるかもしれず、その場合安倍に「後継指名」権が出てくる可能性もないではない。

 そうすると、次の総選挙をいつにするか。野党の準備が整わないうちにやってしまうか。しかし、「蓮舫を首相に」が受けて、共産党も候補を絞ったりすれば、過半数はいっても3分の2を失いかねない。そうすれば、改憲はすべてチャラである。今度の総選挙は2018年12月までに行うわけである。では、いつやるのが一番有利か。与党の都合ばかりで解散していいのか、それは憲法違反だという解釈もある。だけど、日本では今まで与党側の「不意打ち解散」も認められてきた。(イギリスはそういう不都合をなくすため、任期5年の途中で解散しにくくする法律を作ってしまった。それも善し悪しだと思うが。)安倍首相は今そのことをじっくり考えているはずである。任期一年延長なら、2017年を選挙のない年にして、2018年に予算承認後の4月か5月に解散というやり方の方がいい。一方、今年秋の臨時国会で抜き打ち解散もありうる。僕にはわからないけど、要するに政局は自民党の総裁任期延長問題を軸に動いていくということである。
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結局何だったのか-「アベノミクス」を考える④

2016年07月04日 23時52分25秒 |  〃  (安倍政権論)
 「アベノミクス」を考える特集も4回目。3回程度を考えていたので、今日でお終いにしたい。頑張って書いてしまおう。今まで「アベノミクス」について、ほとんど触れてこなかった。自分の不得意分野だし、数字がたくさん出てきて面倒くさい。それもあるけど、僕は安倍首相の世界観や政治姿勢に大反対の立場だが、日本経済がうまくいくのは大賛成である。「リフレ派」と呼ばれる経済政策が僕にはよく判らず、一体どうなるんだかはっきりしなかったからである。

 今は「アベノミクス」そのものは、前提になってしまった。そのうえで、成功だ失敗だと議論し、アベノミクスで格差が広がったから、再分配に力を入れるべきだというのが、主に野党側の主張になっている。だけど、今まで僕が見たところでは、アベノミクスが成功したという割には、第一次安倍政権時代に届いていない指標が多い。リーマンショックや東日本大震災で沈滞した時期を担った民主党政権期と比べて、うまく行ったうまく行ったと大宣伝しているが、自分が担当した第一次安倍政権時代と比べないとおかしい。10年前と比べてすごく良くなっているというなら、それは成功と言ってもいい。

 つまり、成功していないのである。再分配を進めるも何も、ようやく昔に戻って、そこでほとんど停滞している。消費増税前の駆け込み需要があった時期や外国人観光客の「爆買い」を除き、あまり「アベノミクス」による発展そのものが見られないというべきではないか。もともと日本経済はいま程度の潜在力があり、そこへ戻って、その後の展望が見えない。それが実情ではないか。

 そもそも「リフレ派」というのは何だろうか。デフレから回復したがインフレにはなっていな時期、その時期を「リフレーション」(通貨再膨張)と言うらしい。あまり聞いたことがなかったが、それを言えば「デフレ」そのものがあり得ないことだった。「リフレ派」は金融政策や財政政策を通して、デフレ脱却を目指す。1~2%のインフレ目標を掲げる「インフレ・ターゲット」政策を取ることが多い。日銀の黒田総裁は「異次元の金融緩和」を進めたし、岩田副総裁は2年で2%の物価上昇が実現しなければ辞任すると2012年に宣言した。実現しないまますでに4年たったが、いろいろ理由をつけて辞めていない。

 では、現在のマネタリーベース(通貨供給量)を見てみよう。(日本のマネタリベース=日本銀行券発行高+貨幣流通高+日銀当座預金残高のことである。)2016年6月現在のマネタリーベースは、392兆7千億円。内訳は、日銀券が95.2兆、貨幣が4.7兆、当座預金残高が292.8兆である。ところで、詳しくは僕には説明不能なのだが、マネタリーベースには「季節調整」というものがある。季節調整値では、386兆8千億円となっている。6月末を見たから、順次一年ごとにさかのぼってみたい。
 2015年6月=308兆4千億
 2014年6月=229兆9千億
 2013年6月=161兆1千億
 2012年6月=119兆3千億
 2011年6月=113兆1千億

 もういいだろう。それより前は100兆以下である。日銀券発行高も増えてはいるが微増で、この間の大規模な増加は、「日銀当座預金残高」の異常なまでの増加によるものである。この間、地方も含めた公債残高は1千兆円を超えてしまった。前から高いわけだが、ますます増えている。

 この「異次元緩和」と「公債残高」は、誰が政府を担おうが背負っていかざるを得ない。出口はあるのか? 正直言って誰にもないだろう。「アベノミクスをやめる」と言っても、急激な金融引き締めを行うわけにもいかない。それは恐るべき信用収縮をもたらし、かつてない円高になることは避けられない。円高になれば良いこともあるが、急激な為替変動は経済に悪影響を与える。

 だけど、これほど「ヘリコプターマネー」と言ってもいいような政策を行ったのに、なぜインフレにならない?(ヘリコプターマネーとは、紙幣をどんどん刷って空からばらまけば、みんなが金持ちになってお金を使いまくり、物価上昇になるという考えである。)だけど、空から降ってきたお金を皆が貯め込んで使わなければ、経済に何の影響も起こさない。今の状況はそれに近いのではないか。今までの経済政策は、およそ経済成長過程を前提にしていたのではないか。日本のように、人口減になり始めた社会では、リフレ政策が無効だったのではないか。今後は経済が収縮すると皆が思っている社会では、期待した物価上昇が起こらないのも、思えば当然ではないか。

 このように言うと、日本経済はすぐにも崩壊すると思うかもしれない。そんなことはない。人口が1億2千万人を数え、歴史的、社会的な文化蓄積も大きい。日本の会社も、史上最高ではないとしても、また不祥事も相次ぐとしても、基本的にはそれなりの利潤を出し続ける。国民皆保険、皆年金という社会保障の基本も、細部ではいろいろとあっても、当面崩れない。ただ、無限の経済成長がやりようによっては実現するというのは、多分幻想に過ぎない。基本的には、ゼロ成長が基調となると思った方がいい。それを前提に、世代、性別、地域、職業、学歴等で大きな格差が生じないような制度設計をしていくしかない。

 だけど、今のところ、莫大な借金が残されている。いうならば、「親が何億円も借金してしまった」状況である。必ずもうかると言われて、自宅を高層ビルにしてしまったが、そしてそこそこ流行ってもいるが、借金を返せるメドが立たない。1千万とか2千万なら頑張れば返せても、何億もあってはとても無理。個人だったら、「自己破産」して親の借金を引き継がないと言うやり方ができる。だが、国家は破産できないし、国民をリストラすることもできない。最近は政治家に「経営能力」を求め、会社経営の経歴が有利になることがある。だけど、会社は社員の親の介護にも、社員の子どもの教育にも、責任を負わない。利潤追求をするための組織である。経営という言葉を使ってもいいけど、「国家経営」と「会社経営」は次元が違う。

 かくして、「アベノミクス」は、「成功」しないで「借金」を残す政策だったということに、将来になってみれば言われるだろう。「成功」とカギかっこを付けたのは、「ある程度の成長」はするわけで(基準年の取り方で、いくつもの「成功」は見込める)、安倍政権としては「成功している」と言い続けるだろうということである。だけど、もっと厳しく言えば、安倍政権の下で「急激な円安」が進み、外国人投資家の買いによって「株高」が進んだわけで、それを売り抜けることで「国富の流出」を招いた。「日本を取り戻す」の名のもとに「日本を売り飛ばす」事態が起こった。

 では「失敗」だと言えば、そう言えるかもと思うが、誰がやっても引き下がることができない。「アベノミクス」は既成事実になってしまった。だから、単に失敗とはもう言えないのである。普通は失敗なら、やり直すとか次に頑張るという選択肢があるが、「アベノミクス」にはそれがない。結局は、アベノミクスをきっかけにして、日本の長期的没落が決定的になったという歴史的評価になるのではないか。それじゃ困ると言っても、政権は国論分裂に熱心で、日本の危機に真に向き合う気がない。ちょっと面倒な結論とも言えないような終わり方になってしまったが、要するに「単に失敗したから見直せ」」では済まない問題なんだと思う。
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GDPの推移を見る-「アベノミクス」を考える③

2016年07月03日 22時58分44秒 |  〃  (安倍政権論)
 7月に入り、関東地方も猛暑が続いている。今日(3日)なんぞ、35度である。いやはや、これが2カ月も続いたらたまらない。参院選の次に都知事選までやるってことだけど、やっぱり秋まで延期してれば良かったんじゃないか。それはともかく、昨日はとても書く気にならなかった。数字を見る気にならない日々だけど、始めてしまったので「アベノミクス」をもう少し考えてしまいたい。

 さて、2回目は「円安になった割には輸出が増えてない」という話だった。しかし、そこで見たデータは、「ドル」で計算されていた。衰えたといえど、米ドルは世界の基軸通貨ではあるから、ドルで考えると輸出量はむしろ減っているというのは、日本経済が小さくなっているということである。でも、円ベースで計算したらどうなんだろうか。前回書いてないので、そこから書いておきたい。

 「財務省貿易統計」で見ると、今までに円計算で一番輸出額が多かった年は、2007年である。「83,931,437,612」(千円)である。これでは単位がなんだか判らないから、もっと簡単に言えば「83兆9千億円」ということになる。翌2008年も、81兆円を記録している。当時の円相場は、「1ドル=117円」(2007年の一年間の平均)だった。第一次安倍政権時代である。

 それが2009年にリーマンショックで大幅に落ち込み、54兆円となった。(それでも2004年と同じぐらいである。)2010年には67兆円に回復するが、2011年には65兆2012年には63兆と減退する。これは東日本大震災による影響だろう。以後、69兆、73兆、75兆と増加している。だから、確かに円ベースでは第二次政権で増えているわけである。しかし、これが「円安による急激な輸出増」と言えるだろうか。まだまだ、第一次政権時代の輸出額には大きな違いがある。

 そのような傾向は、経済におけるもっとも基本的な統計数値である、GDP(国内総生産)の推移を見ても言えると思う。(GDPを正式に英語で言うと、というのは授業でよく取りあげたが、Gross Domestic Product ですね、念のため。)GDPには「名目」と「実質」がある。GDPとは、一定の期間内に国内で生産された財やサービスの生産だけど、市場で取引されたものだけを積みあげる。それが「名目GDP]だが、物価上昇(下落)の影響を加味して再計算されたものが「実質GDP」ということになる。一年間のGDPの推移が「経済成長率」である。

 名目GDPが一番大きかったのは、実は1997年の523兆円である。その後2001年まで500兆円台を記録するが、その後失速。2002年に底を打ち、次第に盛り返して2007年に約513兆円。2009年にリーマンショックで471兆円と落ち込み、少しづつ回復していくが、2015年はまだ499兆円。第一次安倍政権時代は、けっこう経済が好調だったのである。それは小泉改革が成功したからではなく、20世紀末の消費税アップやITバブル崩壊による不景気から、自然な経済回復をしていく過程だということだろう。

 実質GDPも見ておきたい。(なお、両方とも出展は「世界経済のネタ帳」。)名目では90年代のGDPが高かったが、実質に直すと400兆円台が続いている。初めて実質GDPが500兆円に届いたのは、2005年。2006年がゼロ年代では一番大きくて、523兆円である。それが他の指標と同じく、2009年に489兆円に落ち込む。その年が民主党政権に代わった年である。そこから回復していって、512、510、519と推移して、自民党が政権に復帰する。その後、526、526と来て、2015年は528兆円である。だから、実質GDPに関しては第一次安倍政権を超えている。実質GDPでは、第3次安倍政権で至上最高値を記録している。

 では、もっと宣伝しそうなものだが、民主党政権時代はリーマンショックで大幅に下落した時期に政権を引き継いだから、途中で東日本大震災が起こったものの、成長率は高かった。2009年から2012年までは、6%の成長となっている。一方、すでに民主党政権時に回復基調にあったためか、安倍政権復帰以後の成長率は、1.8%である。そこに話が行くことになるから、実質GDPが史上最高値を記録したと宣伝しないのかと思う。これらの数値を見るにつけ、要するに民主党であれ、自民党であれ、リーマンショックや大震災による経済的危機からの回復過程にあるだけなのではないかと思われるのだが。

 「アベノミクス」は道半ばというけど、どこまで行っても道半ば。虹を追いかけ続けても、実はもうこれ以上ないのかもしれない。なぜなら、労働力人口がすでに減少過程に入っているからである。人が少なければ、生産性がいくら向上できたとしても、生産額が減るのも当然である。もっとも、僕はこのまま永遠にGDPが上がらないと思っているわけではない。GDPとは市場経済で認知できる付加価値だけを足したものである。そして、戦後直後に生まれた「団塊の世代」は、60歳あるいは65歳になり、いったん市場経済での存在感が薄まった。もちろん食べなきゃいけないし、旅行も行くし、子どもや孫にお金を使う。でも、やっぱり「老後に備える」意識がある。

 まだまだ元気なこの世代が、2020年以後に「後期高齢者」に入ってくる。医療や介護のサービスを大量に消費し始めるだろう。医者にかかるのも、GDPアップである。だから、その意味では少子化、高齢化にあった社会設計をしていけば、まだ経済発展の余地はあるだろう。そのためには社会のありようを大きく変えて、外国移民の受け入れなども検討する必要がある。しかし、それは安倍政権ではできないし、2020年以後に「アベノミクス」による経済停滞がはっきりしてくるだろう。五輪を開いたギリシャ、中国の経済がその後どうなったか。英国ではEU離脱、ブラジルでは開会前から政局大混乱で、経済的にも大変である。つまり、巨額の東京五輪支出を何とかしない限り、「五輪後危機の20年代」が訪れることを覚悟しないければいけない。
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輸出は増えたのか-「アベノミクス」をどう考えるか②

2016年07月01日 23時55分05秒 |  〃  (安倍政権論)
 僕には前から不思議に思っていることがある。安倍首相は「日本を取り戻す」と呼号して政権復帰した。その後日銀総裁に黒田東彦(はるひこ)アジア開発銀行総裁を抜擢し、「異次元の金融緩和」を行い続けている。その結果、どんどん円安になったわけだが、その魔法的効果も薄れつつあるように思う。それはそれとして、世界の普通の感覚では、「国家主義的思想」を持つものは「自国通貨が強い」ことを望むものではないか。円安から円高になる方が、「日本を取り戻した」と言えるはずである。自国通貨の購買力が高まるわけだし、日本企業は海外に進出しやすい。

 しかし、今のところ、多くの人はそう思っていない。円高になれば株価が下がり、円安になれば株価が上がる。それは何故か?「日本は輸出国だから」と多くの人は思いこんだままだと思う。日本は資源がない。だから、国民が働いて「加工貿易」で生きていくしかない、なんて聞いた覚えはないだろうか。学校ではよくそうして、「日本は国民がマジメに働くしかない国だから、みんなもしっかり勉強するんだよ」と大体そこに結び付いたわけである。実際の歴史を見ると、資源が豊富な国は資源にたよるモノカルチャーになり、資源安になると経済が破たんする。一方、自国に資源がない国は、世界から安い資源を探して輸入できるから、むしろ有利なことも多かったんだと思う。

 さて、円高になれば輸入に有利となり、円安になれば輸出に有利となる。これは「現代社会」の授業などで何度も繰り返して説明しテストにも出すわけだが、やっぱり間違える人はいつもいるものだ。今はもうその説明はしないけど、「日本は輸出国」だという通念で言えば、あれだけ激しく円安になったんだから、輸出は急増して、日本の貿易収支は大幅黒字になったはずだ。実際はどうだろう。

 「世界経済のネタ帳」というホームページがあって、大変便利なので今日はこれを利用させてもらうことにする。1980年から2014年までの輸出入額をそこで見てみたいと思う。毎年見ても面倒なので、最初の年の1980、10年後で税収が一番多かった1990、さらに10年後の2000、安倍政権だった2006以後は毎年見ておきたい。単位は輸出入とも、10億USドル最初が輸出、次が輸入
 1980  130.44  141.30
 1990  287.51  235.37
 2000  479.30  379.51
 2006  646.73  579.06
 2007  714.33  622.24
 2008  781.41  762.53
 2009  580.72  551.98
 2010  769.77  694.06
 2011  823.18  855.38
 2012  798.57  885.84
 2013  715.10  833.17
 2014  683.85  822.25

 細かい数字が並んでるので、見にくいと思うけど、これはまた「衝撃的な数字」ではないか。リーマンショックで大幅に縮小した日本の輸出は、民主党政権下で順調に回復したけれど、安倍政権になって減ってしまっているのである。じゃあ、この統計にない2015年はどうだろうか。統計はもう発表されていて、輸出は74兆1173億円。前年度に比べて0.7%減。輸入は75兆1964億円。10.3%減。単位が違うが、減少率が出ているから比較はできる。輸出はさらに減ってしまった。

 これは多分、多くの人が何となく思い込んでいる「常識」に反することだろう。そう言えば、安倍政権でも円安で輸出が増え、それが国民に還元されるなどと主張していない。何でだろうか。それは今は輸出企業も海外進出しているのだから当然だろう。部品から完成品まで日本で作って輸出するなんて、そんな工業製品はまずない。あったら人件費や地代などが高い日本では、ものすごく高い製品になってしまう。だから、完成品は日本で作っても部品は輸入するとか、工場ごと海外に出てしまうとかするわけだ。じゃあ、なんで企業の業績が好調だったかというと、その海外で得た利潤が円安で膨れ上がったということである。 

 その分、大企業は自ら額に汗して稼いだのではなく、為替変動による「追い風参考記録」を得たのである。そうすると、地道に研究して新製品を開発しようと努力する気風が失われる。この間、「日本の大企業は一体どうなってしまったのか」といった会計不正やお家騒動が相次いでいる。ぬるま湯につかっている間に、日本企業の「統治能力」が壊れてしまったのではないか。

 もう一つ、輸出するには相手国が必要である。買ってくれなきゃ、売り様がない。そして、21世紀になってずっと日本の大きな貿易相手先だった「中国」の経済が失速し始めた。安倍政権も、就任後に靖国参拝をして、中国との関係悪化を招いた。第一次政権の時は、参拝の有無を明らかにせず、すぐに中国訪問に踏み切った。小泉首相時代に長く首脳外交が閉ざされていた対中関係の修復を行ったわけである。しかし、第二次政権では早々と参拝し、この結果中国との関係悪化を招いた。そういう環境下では、日中の経済関係が好転するとは考えられない。

 この間の円安で、輸入に頼る食料品の値上げが相次いだ。たまたま原油価格が暴落したので、その分エネルギーや輸送費が安く抑えられている。もし原油高のままだったら、食料品の価格上昇はもっとトンデモナイものとなり、その怒りが選挙に向かったはずである。だから、安倍政権には「運」があった。こうしてみると、円安は国民生活に大きなマイナスをもたらし、その一方輸出も増えず、では一体何の効果があったのかというのが実際のところだと思う。続いて、GDPを考えてみるつもりだったけど、時間が遅くなってしまったので、今日はこれで終わり、さらに続けていくことにしたい。
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「アベノミクス」をどう考えるか①-参院選③

2016年06月30日 23時09分14秒 |  〃  (安倍政権論)
 僕は参院選の争点は「憲法」だと書いた。その通りだと思うけど、だからと言って、改憲や安保法制の「危険性」だけ訴えていても、勝てないと思っている。「政権が隠す争点」を暴くのも大事だが、「政権が掲げる争点」の欺瞞も論じていかないといけない。今も安倍内閣の支持率は高い。「アベノミクス」への期待も残っている。「失敗」だという野党の主張もかなり支持があるようになってきたが、まだまだ期待があるのである。じゃあ、絶対に成功すると確信しているかというと、そうでもないだろう。

 でも、「野党に対案がない」と思われている。熊本の地震やイギリスのEU離脱など、いろいろあってなかなか成功が見えてこない。だけど、もうすぐ東京五輪もあるし、そのころにはだいぶ成功が見てきているのではないか。いや、そう信じたい。という風に、「俺はまだ本気を出してないだけ」と呪文のように唱えて、日本経済には本来すごいものがあるんだと信仰告白しているのが、現在の経済政策ではないか。本当に、日本経済の現状と今後はどう考えるべきなんだろうか

 僕には正直言って、よく判らない。判るわけない。世界の経済学者だって、消費税をどうするかで意見が分かれた。バブル経済崩壊以後、日本経済をどう理解すべきかで、多くの経済学者の見解が全然かみ合わなかった。今はデフレ脱却が叫ばれているが、そもそも日本経済がデフレなのかどうかも、長いこと決着がつかなかった。そんな問題を僕が完全に判るわけがない。多くの人もそうだろう。「競馬必勝法」なんていうのと同じで、もしそんなものがあったら公開せずに自分で儲けるはずなのだ。世界経済、日本経済のゆくえも、誰もはっきりと予測することはできない。

 ところで、以上のことは非常に大事なことだ。本来断言できないようなことを断定的に語る。そこにはトリックがある。トリックがあるということをわかっておくことが大事だ。まず、「データはどこを基準にするか」という問題。2009年に民主党政権ができた。2008年にリーマンショックが起き、世界経済が大きな混乱に見舞われた。そのような経済大混乱こそが、自民党ではなく民主党に期待を寄せた大きな要因だろう。そして、2011年に東日本大震災が起きた。工場なども被災し大きな損害を受けたし、原発事故で原発が停止し火力発電のための資源輸入が増えた。

 安倍首相は「民主党政権時代から、自分の政権になって経済が大きく回復したではないか」といった主張をよく使う。それが本当なのかも検証の必要があるが、本当だとしても「それが何を意味するか」はよく考えないといけない。本来資本主義経済は「景気の波」があるわけで、国家の政策やグローバル化で昔ほど「教科書通り」の動きはしないと思うが、リーマンショックや大震災は一時的なものだから、数年後に回復していくのは自然なことだろう。どのくらいが「安倍政権の政策」によるものであり、どのくらいが自然な景気回復によるものかは、判断が難しい。

 ではいくつかのデータを調べてみたい。いっぱい書くと長くなりすぎるから、一回目は「税収」と「株価」を取り上げる。税収に関しては、安倍首相は「アベノミクスによって、税収は21兆円増えた」と大宣伝している。だけど、自分が総理として消費税を3%アップしたんだから、税収が増えるのは当たり前だ。2013年の消費税収は10.8兆円、2015年の消費税収は17.1兆円とあるから、6兆円強は税率アップによるものである。今の数字は、財務省のHPにあるグラフから取ったもので、以下に示しておく。(なお、首相の言う21兆円は中央と地方を合わせた数字だが、以下のグラフは国の税収のみ。)

 このグラフを見ると、税収が一番多かったのは、1990年。バブル経済さなかに加え、消費税が新たに作られた(税率3%)直後で、税収は約60兆円あった。翌1991年も大体同じ。その後バブル崩壊で税収が減り始め、増減はあるものの98年の消費税率アップを機に失速が始まる。いったん回復するが、実は小泉内閣時代の2002年、03年頃が40兆円台と最低を記録した。少しづつ回復し2007年に51兆円と50兆円台を回復した。第一次安倍政権の時代である。

 翌2008年にリーマンショックが起き、税収が極端に落ちる。2008年が44.3兆円、09年はなんと38.7兆円である。その年が民主党政権誕生の年である。民主党政権の時に、財源がなくてマニフェストが実現できないと言われた。それはマニフェストがおかしいと言われ続けているが、とんでもない税収減の年に政権を引き継がなくてはならなかったという「特殊事情」があったのである。そして、以後はずっと毎年税収が増えている。つまり、民主党政権で増え、自民党政権に戻って増えた。年末まで大体は野田政権だった2012年は43.9兆円。以後、安倍政権になり、47、54、56.4と増えている。増えているけど、消費税アップ分を除けば、第一次安倍政権時代と同じである。

 これは「アベノミクスで企業の業績がアップし、税収が増えた」という通念に反した事実ではないか。リーマンショックによる税収減が回復してきた軌道にあるところに、消費税をアップしたから、税収が多くなったというだけではないかと思える。ここ10年では一番経済が厳しかった民主党政権時代と比べると、確かに増えた増えたと思うけれど、実はようやく10年前の自分の政権の時代に戻っただけなのである。どこと比べるかが大事ということだ。

 次は「株価」。まあやむを得ないから「日経平均」を使う。株価は上がり下がりがあり、これもどこを取るかで変わってくるけど、資料の都合で「年末の終値」で見る。まあ、大体の目安としては使えるのではないか。本日、2016年6月30日の終値は、15,575.92円。今はイギリス問題で下がった局面だから、この数字でいいかも問題だが、とりあえず今日書いてるので。

 これは民主党政権の2011年の「8,455.35」円よりずいぶん高い。それは事実だが、この年は震災があった。リーマンショックの2008年の「8,859.56」円から、2010年の菅政権時代の「10,228.92」円まで、民主党政権で1400円アップしている。それは何も民主党政権が成功したというのではなく、一時的な混乱が収束していったということだろう。2013年は「16,291.31」円、2014年は「17,450.77」円、2015年は「19,033.71」で、確かに高くなった。そして、それが今も続いているならば、少なくとも株価は上がっていると言えるわけだが、安倍首相も昨今の株価低迷でさすがに話題にしないようである。

 第一次安倍政権時代の2006年はどうだろうか。それは「17,225.83」円だった。前の政権時代より、選挙戦中の今の方が低いのだから、あまり触れたくないだろう。この間の株価上昇のかなりの部分は、外国人投資家に買いが多かったことよるものである。円の為替レートは、80円から120円ぐらいまで、大幅な円安を記録していた。つまり、外国人投資家にとっては、日本株は大幅に安くなっていた。そして、円安により企業業績がアップし、配当も増えたが、その分は国内投資家にももちろん入るが、外国人投資家にも入る。そして、そろそろアベノミクスに見切りをつけて、まだ高値のうちに売り払ってしまう。結局、この間の「株高」というのは、日本企業の利益を外国に流出させただけではないか。

 こうして、税収と株価を見ても、リーマンショック後の民主党政権時代と比べるのがおかしいと思う。安倍首相はアベノミクスの成果だと言い張るわけだが、実は第一次安倍政権時代と比べれば、せいぜい同じ程度である。それが事実である。では、他の指標はどうだろうか。
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政権支持率が高い理由-安倍政権2016③

2016年01月08日 21時46分22秒 |  〃  (安倍政権論)
 安保法案の国会審議が煮詰まってきた2015年夏に、安倍政権の支持率は不支持の方が多くなったNHKの世論調査を見ると、5月には51%と5割を超えていたが、6月には48%、7月には41%、8月には37%と底を記録した。同期間の不支持率は、32、34、43、46と漸増しているから、7月、8月には不支持が上回ったのである。しかし、9月になると「43:39」、10月には「43:40」と再び支持が上回るようになった。11月は「47:39」、12月は「46:36」と漸増している。これをどう見るか。

 安保法は「違憲」であり「戦争法案」だと考えると、成立したことによって「反対がさらに強固になる」はずである。一方、「やり方が強引」だとか「審議が拙速」だという反対ならば、時が経ち新しい問題が起こってくるうちに反対の気持ちが薄れていくだろう。安倍政権は野党の要求にもかかわらず秋の臨時国会を開かなかった。もし臨時国会を開いていれば、改造閣僚のスキャンダルや安保法の憲法論議が毎日のように報道されたはずである。成立した安保法は「合憲」と「解釈」する考えもあるかもしれないが、臨時国会を開かないことは違憲としか考えようがない

 それなのに、安倍政権の支持率が再び上昇した。臨時国会を開かなかった安倍政権のやり方が「成功」したのである。安倍政権は確かに強引に国会を運営したが、そのうちまた支持率もアップするだろうと高をくくっていた。実際にそうなったのである。まあ、この結果はある程度予想されたことではあるが。それでも、安保法は特定秘密保護法以上に「トンデモ法」なんだから、もう少し不支持が長引くかと思わないでもなかった。こうなると、「国民の責任」を考えないわけにはいかないように思う。

 安倍政権の支持率に関しては、朝日新聞の10月の調査で興味深い分析が載っている。ネット上では「(データを読む 世論調査から)内閣支持率上昇 戻った「弱い支持」」で見ることができる。朝日新聞の調査では、単なる支持、不支持だけではなく、一端答えを聞いた後で、「今後変ることもあると思うか」を聞くというのである。そして、「変わらない」という人を「強い支持」「強い不支持」とし、「変わることもありうる」という人を「弱い支持」「弱い不支持」と考えるのである。

 それを見ると、かつては2割いなかった「強い不支持」が、2015年7月から25%を超え、10月にも落ちていない。「安倍政権を強く否定する」という人は確実に増えて、全国民の4分の1になるのである。一方、「強い支持」は2割に満たない。2015年2月には、恐らく中東のテロ問題を受けて「強い支持」が増えているが、夏以後にはグッと落ちている。だから、やはり安倍政権絶対支持は減り、強固な不支持層が増えてはいるのである。だけど、そういう確固たる政治信念を持つ人だけが選挙権を持つわけではない。実際の選挙結果を決めるのは、「弱い支持層」がどの程度安倍政権を離れるかなのである。

 そして、2015年10月頃から、「弱い支持」層が安倍政権支持に戻った。夏の間は、確かに強引だなあ、こんなに急ぐ必要があるのかなあ、これでは今は支持するとは言えないよなあといった感じがしたのだろう。だから「弱い支持層」が「弱い不支持層」になった。そして、10月になって少しづつ戻って行った。各種の世論調査でほぼ同じような感じで安倍政権支持が増加したのは、そんな経過からだろう。それらの層が安倍政権に今でも期待するのは「経済政策への期待」である。

 今の政党支持率を見る限り、自民党と公明党を足すと4割を超え、民主党や共産党などをはるかに引き離している。これでは何回選挙をしても、3分の2はともかくとしても、自公の過半数は揺るぎそうもない。そう考えると、安倍政権は変わらないんだから、心配がないとは言えないが(だから「やりすぎ」の時期には不支持になるけど)、基本的には「経済の活性化」は今の政権に期待するしかない。確かに株価は上がったし、円安で外国人観光客は「爆買い」しているではないか。ここまできて、ちょっと前の日本のように、総理大臣が毎年変わる国に戻していいのか。うーん、そう言われると、当面のところやっぱり安倍政権を支持するしかないんじゃないかなあと思う人がいるわけである。そして、そういう人たちが「安倍批判」とか「憲法論議」とか、今はしない方がいいらしいよと触れ回るのである。

 原発再稼働と武器輸出解禁で「経済活性化」を進める安倍政権でいいのかなどと、ここで反論をしても「届かない人」には届きにくいのだろう。どうすればいいのか僕にも今すぐ答えはない。だけど、先に見たように「確固たる安倍支持派」は減っているのである。今はかなり多くなった「確固たる安倍不支持派」が、仲間うち向けの言葉だけを発していては情勢は変わらない。安倍政権の「弱い支持層」に向けて、きちんと日本の将来像を打ち出して安倍政権との対抗軸をはっきりさせない限り、そういう層は強い方に引かれていくだろう。だから、「弱い支持層」を安倍政権から引き離すための戦略的発想が大事なんだと思う。
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瑞穂の国の資本主義-安倍政権2016②

2016年01月06日 21時53分27秒 |  〃  (安倍政権論)
 柿崎明二氏(共同通信論説委員)の「検証 安倍イズム」(岩波新書、2015.10)を読んだら、安倍政権の基本は「国家先導主義」だと書いてあった。そして、まず第1章の1で、「賃金引上げ」があり、そこに「瑞穂の国の資本主義」という言葉が書いてある。検索してみると、安倍首相の昔からの主張であるらしい。『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(2013)という著書では、次のように書かれているという。

 日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。
 自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。(以上、引用)

 この「瑞穂の国の資本主義」には、さまざまな評価があるようだが、僕は今まで安倍政権の経済政策をこのように捉えてはこなかった。だけど、もはや小泉時代の「竹中式新自由主義」ではなかったのである。ただし、経済政策の具体的な進め方は、実際には紆余曲折があるようだ。だけど、安倍政権では「瑞穂の国の資本主義者」として、政府が経済界に賃上げを要請したり、携帯電話の料金引き下げなどを検討したりする。思いつきでやってるのではないのである。それらは個別的には、「ちょっと良いこと」のように思いがちだし、僕も「市場絶対主義」がいいと思うわけではない。

 この「安倍イズム」は、「国家主義」そのものではないかと思う。今は多国籍化している大企業でさえ「国家統制」に置こうとするのだから、当然のこととして、報道界や文化界も国家に従わせるだろう。公立の小中高だけでなく、「大学自治」を認められてきた大学教育でさえ、国家の統制下に置こうとする。「異論を持つ人」には生きにくい社会となる。そういう予想があるし、現にそうなりつつある。

 また、この「瑞穂の国」という日本の捉え方は、いかにも「西日本的」=「弥生文化的」だと思う。現在の自民党の総裁、副総裁、副総理兼財務大臣、幹事長、前幹事長(「地方創生」担当相)、外務大臣、防衛大臣等々、内閣官房長官を除き、重要な役職はほとんど西日本選出議員で占められている。「縄文文化」の伝統が全く踏まえられていない日本観になるのも当然かもしれない。こういった「水田中心史観」は、この何十年かの歴史学ではずいぶん修正されてきた。非農業民の役割の大きさも判ってきた。先の考えの前提そのものが古臭い感じがする。

 それはともかく、日本最大の組織(宗教団体を除く)ではないかと思う、労働組合の中央組織「連合」(日本労働組合総連合会)は、もちろん民主党の支持団体である。だけど、せっかく実現した民主党政権でも獲得できなかった「実利」を安倍政権で得られたのである。もちろん、連合トップは民主党、全労連トップは共産党支持だろうけど、下部の組合員はそういった政党支持方針に従う人ばかりではないだろう。というか、もし全組合員の半分でも組織内候補に投票したら、民主党の比例区票がもっともっと出ている。今後、「組織労働者」がなし崩し的に「自民党支持層」になっていくのではないか。そして、大組織がほとんど「瑞穂の国の資本主義」に包摂されていくというのが、安倍政権時代ということになる可能性を感じるのである。
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安倍首相の「ヤジ」問題

2015年08月30日 00時25分20秒 |  〃  (安倍政権論)
 鴻池委員長の発言を取り上げたので、前から一度書こうかと思っていた安倍首相の「ヤジ」問題もここで書いておきたい。「安倍首相に対するヤジ」というのもあるけど、今はそれは取り上げない。また、この「ヤジ」をNHKは「自席発言」と表現したというちょっと面白い話題もあるけど、これは今は触れない。安倍首相は今年になってから、3回自席で「不規則発言」をしている。

 そのことに対して、いろいろ言われているのは、おおよそ次のような観点からの批判である。
①一国の総理大臣が質疑のさなかにヤジを飛ばすとは、「総理の品格」に欠ける
②一度ヤジを謝罪しているのに、再度、再々度にわたって繰り返すとは、「学ぶ能力」に欠ける
③審議中の法案は内閣提出法案だから、内閣が国会に審議をお願いするタテマエなのに、自分でヤジを飛ばすなどは、「国会軽視」「国会のルール無視」も甚だしい
 
 どれももっともだと思うけど、①②の論点は、僕はもうあまり考える気も起きない。日本の首相はちょっと前まで猫の目のように替わっていた。それでも、首相が自席でヤジを飛ばしたなどと言うケースは思いつかない。確かにそう考えれば、普通ではない。よっぽど「軽い」総理大臣である。だけど、まあ、今はそういう人が自民党の領袖に選ばれる時代なのである。3年前の自民党総裁選では、有力候補は石破茂、石原伸晃と安倍晋三だった。他に二人立候補していたが、当選可能性があったのはこの3人である。仮に石破、石原氏が当選していていても、重厚な総理大臣だったとは言えないだろう。

 ③の論点ももっともだけど、そういうタテマエはもう誰も信じていないだろう。閣法(内閣提出法案)なんだから、内閣が審議を「お願いしている」と言うのはその通りである。国会は「国民の代表」を集めた「国権の最高機関」なんだから、その審議は一瞬も気を抜けないはずである。だけど、もちろん安倍首相はそうは思ってない。衆参ともに与党が絶対多数を握っているんだから、一応ガマンして野党の追及につきあって、そのうちに採決して賛成多数で押し切るまでの儀式としか思ってないだろう。むしろ、自分の方がアメリカの要望を受けて大変な目にあっている「被害者」だと思ってるんじゃないか。自分がお願いしていると自己認識しているのは、公明党に対してだけだろう。これも連立離脱なんかできっこないと内心では判断しているだろうが、まあそれでも相当な無理を飲み込んでもらったぐらいには思っているだろう。「維新」のゴタゴタなど見るにつけ、公明党しか相手にはできないということだ。

 僕が書きたいのは、ちょっと違った観点。どういう時に、どういうことを、誰に対してヤジを飛ばすのか。そこから見えてくるものは何かである。「不規則発言」「失言」「言い過ぎ」のようなものは、誰にもあることだと思う。だから、そのこと自体はあんまり追求しない方がいいと思う。追求し過ぎると、往々にして追及者の方が言い過ぎになっていく。反対に失言してしまうことがある。(今も「安倍首相は病院に行くべきだ」など差別発言をしている人がいる。)しかし、「失言」はそれを取り消したとしても、「その人の感性」を見せてくれる貴重な機会を提供する。(その意味で、安倍政権批判論者の中にも、障害者・病者・社会的弱者に対する差別感覚がかなりあるのである。「安倍首相は子どもがいないから、平気で戦争ができる国に出来るのだ」などと言ってる人もいるらしいが、これも「差別発言」である。)

 安倍首相の最新の「ヤジ」は8月21日、参議院で民主党の蓮舫議員の質問中に「そんなこと、どうでもいいじゃん」と言ったという。それまで蓮舫議員は中谷防衛相の答弁の食い違いを質問していた。その前に、5月28日に衆議院で民主党の辻本清美議員の質問中、「早く質問しろよ」と「ヤジ」を飛ばした。これは謝罪していることになっているが、「謝罪になっていない」という批判も強かったが、それは今は取り上げない。さらにその前、2月19日の予算委員会で、民主党の玉木雄一郎議員が西川農水相(当時)の献金問題を質問しているときに「日教組どうするの」などと訳のわからない「ヤジ」を大声で発言した。その釈明において「なぜ日教組と言ったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる」などと虚偽の説明をしている。この時は内容の間違いについて撤回と謝罪をしている。(それにしても、労働組合である日教組に対して補助金が出ているなどと、どうして思い込めるのか摩訶不思議である。)

 「日教組」発言問題はまた別の時に取り上げる機会もあるだろう。とにかく、「日教組」だけ取り上げるというのは、およそ「不勉強系思い込みウヨク」の特徴とも言えるので、安倍首相の「お里が知れる」発言だと思う。ここでは辻本清美、蓮舫両氏に対するヤジを見たいと思うが、その時に思い浮かべるのは、ヤジではないけど何だか異様な感じを受けた答弁が他にもあったことである。それは4月1日の参議院予算委員会で、社会民主党の福島みずほ議員に対して、「今も、我々が今進めている安保法制について、戦争法案というのは我々もこれは甘受できないですよ。そういう名前を付けて、レッテルを貼って、議論を矮小化していくということは断じて我々も甘受できないと、こんなように考えているわけでありまして、真面目に福島さんも議論をしていただきたいなと、これは本当にそう思うわけでございます。」という「レッテル貼り」発言である。もっとも、この言葉そのものは前から安倍首相の「おはこ」らしいが、それにしても「断じて甘受できない」「真面目に議論していただきたい」など、言葉が異様に強い。自分たちが「平和安全法案」とか言ってるのも「レッテル貼り」としか思えないが、もちろん自己認識はない。(ところで「レッテル」と言う言葉自体が、現代では死語に近いと思う。オランダ語だという。)

 ここで僕が思ったのは、福島みずほ、辻本清美、蓮舫などという系列が首相の頭の中、と言うか生理の中にあるんだろうなあということである。安倍首相は「女性の活躍」を掲げて、今の内閣では高市早苗総務相、上川陽子法相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍、行政改革担当相の4人が登用されている。このうち、高市、山谷、有村の3人が今年の夏に靖国神社を参拝している。自民党政調会長の稲田朋美(前行政改革担当相)も靖国参拝を行った。高市総務相は稲田氏の前任の政調会長である。高市、稲田の両氏などは安倍政権において、異様に「活躍」している。この夏、安倍首相は靖国神社に「真榊」なるものを奉納したけれど、自分では参拝しなかった。ホントはきっと参拝したかっただろう首相の代参が、高市、山谷、有村氏なんだろう。首相の目からは、さぞや「愛いやつじゃ」とでも見えていることだろう。つまり、高市、稲田、山谷、有村などという系列が、安倍首相の頭の中にはあるんだろうと思う。別に命令したわけでもないんだろうけど、ちゃんと靖国参拝する。そういう女性を登用することが「女性の活躍」である。とするならば、福島、辻本、蓮舫などの諸氏に鋭く追及されたりすると、自然と身構えたり、語気が強くなったり、つい不規則発言をしてみたくなる。

 才能や容姿の感覚は人によって違うからあまり書きたくないが、どうも「できる女」が苦手なんじゃないか。その問題は本格的に考えていくと長くなるから、もうやめる。たぶん「母親との関係」や「妻との関係」など成育歴を丁寧に検証して行かないと判らない部分があるんだろうと思う。でも、今の段階で言えることもある。安倍首相の「お好み」系列の女性は、どうも信用できないし「小粒」なんではないかということである。自民党だったら、野田聖子、小池百合子など「ライバルになりかねない」女性議員もいるけど、全然使わないではないか。そこらあたりに安倍首相の器も見えてくる気がする。
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