尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

安倍首相の「ヤジ」問題

2015年08月30日 00時25分20秒 |  〃  (安倍政権論)
 鴻池委員長の発言を取り上げたので、前から一度書こうかと思っていた安倍首相の「ヤジ」問題もここで書いておきたい。「安倍首相に対するヤジ」というのもあるけど、今はそれは取り上げない。また、この「ヤジ」をNHKは「自席発言」と表現したというちょっと面白い話題もあるけど、これは今は触れない。安倍首相は今年になってから、3回自席で「不規則発言」をしている。

 そのことに対して、いろいろ言われているのは、おおよそ次のような観点からの批判である。
①一国の総理大臣が質疑のさなかにヤジを飛ばすとは、「総理の品格」に欠ける
②一度ヤジを謝罪しているのに、再度、再々度にわたって繰り返すとは、「学ぶ能力」に欠ける
③審議中の法案は内閣提出法案だから、内閣が国会に審議をお願いするタテマエなのに、自分でヤジを飛ばすなどは、「国会軽視」「国会のルール無視」も甚だしい
 
 どれももっともだと思うけど、①②の論点は、僕はもうあまり考える気も起きない。日本の首相はちょっと前まで猫の目のように替わっていた。それでも、首相が自席でヤジを飛ばしたなどと言うケースは思いつかない。確かにそう考えれば、普通ではない。よっぽど「軽い」総理大臣である。だけど、まあ、今はそういう人が自民党の領袖に選ばれる時代なのである。3年前の自民党総裁選では、有力候補は石破茂、石原伸晃と安倍晋三だった。他に二人立候補していたが、当選可能性があったのはこの3人である。仮に石破、石原氏が当選していていても、重厚な総理大臣だったとは言えないだろう。

 ③の論点ももっともだけど、そういうタテマエはもう誰も信じていないだろう。閣法(内閣提出法案)なんだから、内閣が審議を「お願いしている」と言うのはその通りである。国会は「国民の代表」を集めた「国権の最高機関」なんだから、その審議は一瞬も気を抜けないはずである。だけど、もちろん安倍首相はそうは思ってない。衆参ともに与党が絶対多数を握っているんだから、一応ガマンして野党の追及につきあって、そのうちに採決して賛成多数で押し切るまでの儀式としか思ってないだろう。むしろ、自分の方がアメリカの要望を受けて大変な目にあっている「被害者」だと思ってるんじゃないか。自分がお願いしていると自己認識しているのは、公明党に対してだけだろう。これも連立離脱なんかできっこないと内心では判断しているだろうが、まあそれでも相当な無理を飲み込んでもらったぐらいには思っているだろう。「維新」のゴタゴタなど見るにつけ、公明党しか相手にはできないということだ。

 僕が書きたいのは、ちょっと違った観点。どういう時に、どういうことを、誰に対してヤジを飛ばすのか。そこから見えてくるものは何かである。「不規則発言」「失言」「言い過ぎ」のようなものは、誰にもあることだと思う。だから、そのこと自体はあんまり追求しない方がいいと思う。追求し過ぎると、往々にして追及者の方が言い過ぎになっていく。反対に失言してしまうことがある。(今も「安倍首相は病院に行くべきだ」など差別発言をしている人がいる。)しかし、「失言」はそれを取り消したとしても、「その人の感性」を見せてくれる貴重な機会を提供する。(その意味で、安倍政権批判論者の中にも、障害者・病者・社会的弱者に対する差別感覚がかなりあるのである。「安倍首相は子どもがいないから、平気で戦争ができる国に出来るのだ」などと言ってる人もいるらしいが、これも「差別発言」である。)

 安倍首相の最新の「ヤジ」は8月21日、参議院で民主党の蓮舫議員の質問中に「そんなこと、どうでもいいじゃん」と言ったという。それまで蓮舫議員は中谷防衛相の答弁の食い違いを質問していた。その前に、5月28日に衆議院で民主党の辻本清美議員の質問中、「早く質問しろよ」と「ヤジ」を飛ばした。これは謝罪していることになっているが、「謝罪になっていない」という批判も強かったが、それは今は取り上げない。さらにその前、2月19日の予算委員会で、民主党の玉木雄一郎議員が西川農水相(当時)の献金問題を質問しているときに「日教組どうするの」などと訳のわからない「ヤジ」を大声で発言した。その釈明において「なぜ日教組と言ったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる」などと虚偽の説明をしている。この時は内容の間違いについて撤回と謝罪をしている。(それにしても、労働組合である日教組に対して補助金が出ているなどと、どうして思い込めるのか摩訶不思議である。)

 「日教組」発言問題はまた別の時に取り上げる機会もあるだろう。とにかく、「日教組」だけ取り上げるというのは、およそ「不勉強系思い込みウヨク」の特徴とも言えるので、安倍首相の「お里が知れる」発言だと思う。ここでは辻本清美、蓮舫両氏に対するヤジを見たいと思うが、その時に思い浮かべるのは、ヤジではないけど何だか異様な感じを受けた答弁が他にもあったことである。それは4月1日の参議院予算委員会で、社会民主党の福島みずほ議員に対して、「今も、我々が今進めている安保法制について、戦争法案というのは我々もこれは甘受できないですよ。そういう名前を付けて、レッテルを貼って、議論を矮小化していくということは断じて我々も甘受できないと、こんなように考えているわけでありまして、真面目に福島さんも議論をしていただきたいなと、これは本当にそう思うわけでございます。」という「レッテル貼り」発言である。もっとも、この言葉そのものは前から安倍首相の「おはこ」らしいが、それにしても「断じて甘受できない」「真面目に議論していただきたい」など、言葉が異様に強い。自分たちが「平和安全法案」とか言ってるのも「レッテル貼り」としか思えないが、もちろん自己認識はない。(ところで「レッテル」と言う言葉自体が、現代では死語に近いと思う。オランダ語だという。)

 ここで僕が思ったのは、福島みずほ、辻本清美、蓮舫などという系列が首相の頭の中、と言うか生理の中にあるんだろうなあということである。安倍首相は「女性の活躍」を掲げて、今の内閣では高市早苗総務相、上川陽子法相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍、行政改革担当相の4人が登用されている。このうち、高市、山谷、有村の3人が今年の夏に靖国神社を参拝している。自民党政調会長の稲田朋美(前行政改革担当相)も靖国参拝を行った。高市総務相は稲田氏の前任の政調会長である。高市、稲田の両氏などは安倍政権において、異様に「活躍」している。この夏、安倍首相は靖国神社に「真榊」なるものを奉納したけれど、自分では参拝しなかった。ホントはきっと参拝したかっただろう首相の代参が、高市、山谷、有村氏なんだろう。首相の目からは、さぞや「愛いやつじゃ」とでも見えていることだろう。つまり、高市、稲田、山谷、有村などという系列が、安倍首相の頭の中にはあるんだろうと思う。別に命令したわけでもないんだろうけど、ちゃんと靖国参拝する。そういう女性を登用することが「女性の活躍」である。とするならば、福島、辻本、蓮舫などの諸氏に鋭く追及されたりすると、自然と身構えたり、語気が強くなったり、つい不規則発言をしてみたくなる。

 才能や容姿の感覚は人によって違うからあまり書きたくないが、どうも「できる女」が苦手なんじゃないか。その問題は本格的に考えていくと長くなるから、もうやめる。たぶん「母親との関係」や「妻との関係」など成育歴を丁寧に検証して行かないと判らない部分があるんだろうと思う。でも、今の段階で言えることもある。安倍首相の「お好み」系列の女性は、どうも信用できないし「小粒」なんではないかということである。自民党だったら、野田聖子、小池百合子など「ライバルになりかねない」女性議員もいるけど、全然使わないではないか。そこらあたりに安倍首相の器も見えてくる気がする。
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