尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

瑞穂の国の資本主義-安倍政権2016②

2016年01月06日 21時53分27秒 |  〃  (安倍政権論)
 柿崎明二氏(共同通信論説委員)の「検証 安倍イズム」(岩波新書、2015.10)を読んだら、安倍政権の基本は「国家先導主義」だと書いてあった。そして、まず第1章の1で、「賃金引上げ」があり、そこに「瑞穂の国の資本主義」という言葉が書いてある。検索してみると、安倍首相の昔からの主張であるらしい。『新しい国へ 美しい国へ 完全版』(2013)という著書では、次のように書かれているという。

 日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。
 自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
 私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。(以上、引用)

 この「瑞穂の国の資本主義」には、さまざまな評価があるようだが、僕は今まで安倍政権の経済政策をこのように捉えてはこなかった。だけど、もはや小泉時代の「竹中式新自由主義」ではなかったのである。ただし、経済政策の具体的な進め方は、実際には紆余曲折があるようだ。だけど、安倍政権では「瑞穂の国の資本主義者」として、政府が経済界に賃上げを要請したり、携帯電話の料金引き下げなどを検討したりする。思いつきでやってるのではないのである。それらは個別的には、「ちょっと良いこと」のように思いがちだし、僕も「市場絶対主義」がいいと思うわけではない。

 この「安倍イズム」は、「国家主義」そのものではないかと思う。今は多国籍化している大企業でさえ「国家統制」に置こうとするのだから、当然のこととして、報道界や文化界も国家に従わせるだろう。公立の小中高だけでなく、「大学自治」を認められてきた大学教育でさえ、国家の統制下に置こうとする。「異論を持つ人」には生きにくい社会となる。そういう予想があるし、現にそうなりつつある。

 また、この「瑞穂の国」という日本の捉え方は、いかにも「西日本的」=「弥生文化的」だと思う。現在の自民党の総裁、副総裁、副総理兼財務大臣、幹事長、前幹事長(「地方創生」担当相)、外務大臣、防衛大臣等々、内閣官房長官を除き、重要な役職はほとんど西日本選出議員で占められている。「縄文文化」の伝統が全く踏まえられていない日本観になるのも当然かもしれない。こういった「水田中心史観」は、この何十年かの歴史学ではずいぶん修正されてきた。非農業民の役割の大きさも判ってきた。先の考えの前提そのものが古臭い感じがする。

 それはともかく、日本最大の組織(宗教団体を除く)ではないかと思う、労働組合の中央組織「連合」(日本労働組合総連合会)は、もちろん民主党の支持団体である。だけど、せっかく実現した民主党政権でも獲得できなかった「実利」を安倍政権で得られたのである。もちろん、連合トップは民主党、全労連トップは共産党支持だろうけど、下部の組合員はそういった政党支持方針に従う人ばかりではないだろう。というか、もし全組合員の半分でも組織内候補に投票したら、民主党の比例区票がもっともっと出ている。今後、「組織労働者」がなし崩し的に「自民党支持層」になっていくのではないか。そして、大組織がほとんど「瑞穂の国の資本主義」に包摂されていくというのが、安倍政権時代ということになる可能性を感じるのである。
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