キリシタン大名大友宗麟は、宣教師ザビエルがキリスト教を我が国に伝えて、最も影響を受けた大名の一人です。
ただ、キリスト教を認め、家臣や領民の信仰を奨励したが、自身は直ちに洗礼を受けることは無かった。
多くの戦国大名は、西洋文明に於ける鉄砲や火薬などの先進的な兵器が欲しいために、キリスト教に近づいたが、宗麟は本心からキリスト教信者として生きた。
宗麟が洗礼を受けたのはザビエルと知り合ってからほぼ30年後のことであった。
ある時、秀吉がキリスト教は素晴らしいが側室を持ってはいかんと言うのが良くないと言った話が残っている。
宗麟も7人の側室が居たことや、正室が奈多神社の出身でキリスト教をとても嫌っていたことから受洗できず、継室を迎えた晩年にやっと洗礼を受けたのです。
戦国時代は跡継ぎが重要であったので、多くの大名は側室を持つのが慣わしであった。
江戸時代は跡継ぎが居ないとお家断絶となるので、側室は多く持ち、一夫一婦制のキリスト教の教えとは相反するので、キリスト教禁止令が徹底された原因の一つでもありました。
黒田官兵衛(如水)が側室を置かず、唯一人の正室「光(みつ)」と生涯を共にしたのは、キリスト教に帰依していたからか、又は純粋に光の方を愛しく思っていたからかは定かではない。
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