天下三槍と謳われる名槍「日本号」は文禄5年(1596年)黒田家が中津藩主のとき重臣母里太兵衛が福島正則邸で呑み取り、その物語が福岡県民謡黒田節となったことで知られていますが、「黒田家臣伝」にはこの槍を秀吉の朝鮮出兵の時に持って行き大活躍をしたとあります。以前、福岡市立博物館で見た実物は柄の螺鈿や刀身の龍の彫り物はまるで美術工芸品のようでしたので「この槍を以ってつきふせ、或はこの槍を以ってよこさまに切り伏せなぎふせしけるが日本朝鮮所々の軍に、此槍にて度々手柄を顕はしけるとぞ聞こえし。」と書かれているのには少し驚きました。思えば当時は何時死ぬか分からない状況の中、たとえ天皇家から下賜された名槍であろうが己の身を護り敵を討つ道具でしかなかったのですね。この美しい槍が多くの敵を突き伏せ薙ぎ倒したとは何か信じがたい思いがします。
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